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3、記事

 次号の締切までは意外と時間がない。

 記事も挿絵も、版を作らないといけないからだ。


 セルジュが書いた原稿は、植字職人の手に渡る。そこで原稿に従い、金属でできた活字を並べて版を作る。誤植がないかを確認し、版が出来たら印刷だ。


 一方、私の描いた挿絵は、銅版画になる。私の挿絵を元に、彫版職人が銅版を作成するのだ。いわば、私は挿絵の原画デザイナーだ。


 銅板は、版面に刷り込まれた凹部にインクを入れ、紙を強く圧着することで印刷する。

 つまり、記事は版面の凸部、挿絵は版面の凹部が印刷される。両者は印刷形式が異なるため、同じ紙に同時に印刷することができないのだ。それが現在新聞に挿絵を入れられない大きな理由だった。


 版を作るには時間がかかる。

 そのため、私とセルジュは急ピッチで作業を進めた。



 私はあのオープン婚約破棄の場をデフォルメすることにした。まずは人差し指を突き出す第二王子と、彼に寄りそうミリア嬢を描く。二人は少し意地悪そうな笑みで。


 そして第二王子の指の先には、凛とした表情のエリザベス嬢。

 悲壮感を出すか迷ったけど、結局インタビューを受けた時の印象を優先することにした。記事の内容も後半は伏せて、インタビュー通りの内容になっている。


 婚約破棄をされてショックを受けて寝込むような印象よりは、エリザベス嬢の地のまま、しっかりした女性であるとの印象の方が彼女の今後の縁談に繋がりやすいだろう。

 儚いだけでは貴族女性はやっていけないだろうから。



 出来上がった原画を彫版職人のロイドさんに見せた。彼はこの出版社で抱えている彫版職人を束ねるリーダーで、壮年の男性だ。銅板だけでなく、木版も得意としている。


「こりゃあまた、えらい別嬪さんだね」

「そうなんです。今回の記事、彼女の名誉と将来がかかっているので、とびきり綺麗にお願いしますね」

「おう」


 どれどれ、と他の職人たちも集まってきて、私の原画を眺める。皆、口々に「綺麗」とか「可愛い」と褒めてくれたので、ほっとした。

 熟練の彼らは数多の美術品を見てきている。そのため、この瞬間が一番緊張するのだ。


「今回は他の挿絵が少なかったから。じっくり取り掛かれるよ」

「よろしくお願いします」


 これで私の仕事はおしまいだ。後は出来上がりを確認するだけ。



 自席に戻ると、セルジュも脱稿したようだった。彼はエリザベス嬢のインタビューの後、学校での王子やミリア嬢の様子について裏取りを続けていて、忙しそうだったのだ。

 机に広げた資料を片付けていたセルジュは、戻ってきた私に気が付いた。


「終わりました?」

「うん」

「お疲れさまです、飲みに行きましょう」



 私とセルジュは担当していた記事が一段落すると、一緒に飲みに行く。

 他のチームがどうしているのか知らないけれど、セルジュが毎回誘ってくるのだ。


 場所はいつも同じ。セルジュは賑やかな大衆居酒屋を好む。

 正直、私は原画を上げたばかりで手が痛い。だが、一仕事終えたすがすがしさもあり、セルジュの誘いを毎回断れない。


 一方のセルジュは、脱稿したばかりでいつもよりくたびれた様子だ。髪はぼさぼさでシャツはよれている。

 しかし、まくった袖から見える腕の逞しさに目が離せない。


 小汚くなればなるほど色気が増すのはなぜなのだろう。けしからん。

 しかも、ぱりっとした普段とのギャップ。というか、ずいぶんとリラックスしているように見える。

 この状態を見られるのは私だけだ。これは私だけの特権と思うべきか、それとも単純になめられているのかどちらなのだろう。


「ああ、だからかあ」

「なんですか?」


 セルジュの腕をぼんやり眺めていたら、考えていたことが口から出てしまった。

 私の声はがやがやと騒々しい店内の音にかき消されなかったようで、向かいのセルジュが目線だけをこちらに向ける。


「セルジュ、脱稿明けって普段と違って隙がありまくりじゃない? だからこういった賑やかなお店が好きなのかなって。知り合いに会わないで済むから」

「ええ? 別に知り合いに会ったって気にしないですよ。こういうところだと、他の客の話し声が聞こえるからネタ取りやすいんです」

「えー、仕事魔」


 周りを見回すと、確かに周囲の客はこちらのことなど気にせず、酒の勢いで大声で喋っている。

 私たちがゴシップ誌記者だとは誰も気付いていないだろう。


「ニーナさん、編集長から次の仕事聞きました?」

「ううん、聞いてない」


 脱稿したばかりでもう次のスキャンダルか、と半ばうんざりすると、セルジュは驚きの言葉を発した。


「次は俳優のエリック・ブラッドのスキャンダルだそうです」

「ええーーー!!!」


 あまりの衝撃に大声を出してしまった。さすがに周りの視線を集めてしまい、「すみません」と小さくなる。


「ニーナさん、あの俳優好きなんですか?」

「結構好き! ちょっと悪い感じが格好良くて。でもスキャンダルってことは」

「特定の貴族婦人と密会してるって」

「うわあ」


 そりゃあそうだった。うちに話が来るということは、そういうこと(・・・・・・)だ。


「あんなのが好みなんですか? だめですよ。相当遊んでる。有名です」

「分かってるわよ。かっこいいなあと思うだけで」


 眉を寄せたセルジュは一言断りを入れてから煙草に火をつけた。

 煙草を挟む指を眺める。


 男の人の手を描くのって難しい。

 力強いタッチで男性を描くことは私の課題だ。私が描くと、どうしても優美な感じになってしまう。

 セルジュのような、一見、線が細そうに見えて体はがっちりしているような男性を表現するには、少し荒いくらいの線で書いた方がきっと魅力的だ。


「酒飲んで眠くなってきました? 帰りまでに起こしますから寝てもいいですよ」


 確かに、眠たい。

 その言葉に促されるように、机に突っ伏した。しばらくすると、セルジュが私の後頭部を優しく撫でてきた。


 こういうとこだぞ、不埒で罪作りなやつ。

 心の中で悪態を吐きつつも、触れる手が気持ち良くて意識が遠のく。



「──……全然意識されてないなあ。頑張らないと」


 頭上を言葉が通り抜けた気がしたけど、ふわふわした頭の中には入ってこなかった。



 ♢



 数日休んで、私たちは俳優エリック・ブラッドのネタを追いかけることにした。とある貴族婦人との熱愛という噂だ。


 彼は今、舞台の公演中で毎日劇場に通っている。自宅の場所も分かっているので、私は彼の自宅、セルジュは劇場を張った。



 エリックの生活をしばらく張り込んで、分かった。


「ガセネタなのかしら……」

「空振りかもしれませんね」


 会社の自席で張り込みの結果を照らし合わせていた私たちは首を傾げた。


 噂の相手らしい貴族婦人はすぐに分かったのだ。彼女は劇場でほぼ毎日出待ちし、彼に声をかけている。場合によってはなんらかのプレゼントも渡していたらしい。

 ただ、その貴族婦人は私が張っていたエリックの自宅では一度も見かけなかった。どうやら、ただのファンだったようなのだ。


 エリックは基本的に劇場と自宅の往復。

 ただしたまに、ある貴族男性と食事をして帰ることがある。というのも、普段より遅く馬車で帰ってきて、その男性と別れるところを見たからだ。

 私の説明にセルジュが首を捻る。


「その男、恋人かパトロンですかね」

「うーん、そんな感じじゃないのよね。握手して別れるし、ビジネスみたいな雰囲気」


 私が見た限り、エリックがペコペコしているわけでもないし、相手の男性がべたべたしているわけでもない。


「あと私、その人をどこかで見たことある気がして」

「どこでですか?」


 どこだったかなあと思い出そうとする。そんなに前じゃない。

 うーん、と悩んでいると、セルジュが答えをくれた。


「貴族の男だったら、この間の王宮の卒業記念パーティーじゃありませんか?」

「そうだ!!」


 思い出した。あのオープン婚約破棄の場で見かけたんだった。あのとき、卒業した生徒たちだけでなく、一部の貴族の父母も会場にいた。その中で見たのだ。


「あー、でも、素性は分からないわ」

「ニーナさんの本職はなんでしたっけ? 描いてくださいよ」


 そうだった。肩を竦めて手元のスケッチブックに描き始める。

 中肉中背、お腹だけ少し出ている。撫で付けた赤髪、頬にはほくろ。


 私のラフ画を見たセルジュは、低く唸った。


「……間違いないですか?」

「おおむねよく描けたと思うけど。私、人の顔は忘れないの」


 机に肘をついて、絵をまじまじと見つめる彼の眉は寄っている。この男性が誰だか分かったようだ。


「これが正しいなら、バルトロ男爵ですね」

「えっ!?」


 第二王子の新しい恋人、ミリア嬢の父親。

 言われてみれば、同じ赤髪だ。


「バルトロ男爵は金回りは良いようですけど……、やっぱパトロンですかね」

「聞いてみましょうか、直接」

「うーん……」


 それが一番早いことはセルジュも分かったようだ。エリックさんに直接、あのバルトロ男爵との関係性を聞けば良い。

 後ろめたいことがあるならはぐらかされるだろうし、そうでなければ普通に教えてくれるだろう。


「じゃあ、陰で見守っていますから、ニーナさん、ファンのふりして聞いてみてもらえますか?」


 私は了承して頷いた。


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