2、インタビュー
はたして侯爵家の姫がゴシップ誌の取材になんて応じてくれるのだろうかと思ったけど、取材申し込みをするとあっさり了承された。
日を改めて指定された取材場所は、その侯爵家のお屋敷だ。
おめかしと言われて戸惑ったが、結局いつもとあまり変わらないシンプルなワンピースにした。
取材当日の朝、二人で辻馬車で侯爵家近くまで向かうことにした。
馬車の中で向かいに座るセルジュをそっと盗み見る。彼はぼんやりと外を眺めていた。
会社ではくしゃくしゃの髪を、今は整えている。おめかし、と言ったわりに服装は普段と変わらない。彼はいつも洗練されて品の良い服を着ている。
貴族たちはそのコートに豪奢な刺繍を入れたがるが、彼はそうではない。装飾はシンプルなのに、それが嫌味なくらいスマートなのだ。
だから女性たちは騙される。爽やかなのに色気の漏れる彼に柔らかい声で問われると、なんでも話してしまいたくなるのだろう。
けしからん、けしからん。だけど、気持ちは分かる。セルジュには相手の心を溶かすような雰囲気がある。私は騙されないけども。
鉄格子にも思える門を時間通りに叩き、案内された先は応接室だった。
さすが侯爵家。塵一つ落ちていない絨毯、肘掛けの木目が揃っていてつやつやのソファ、向かいの机の足は外向きに丸まっていて可愛らしい。
壁には大きな油絵が飾られている。でも私の目は飾り棚の花瓶と花瓶と間に立てられた小さな版画に向かった。
「わあ、可愛い」
「なんですか?」
「これ。きっと木版画よ」
「へえ、よく分かりますね」
一輪の花をモチーフにしたその絵は温かみがあり線が柔らかい。部屋は温かな雰囲気の調度品が多く、その絵は周りに溶け込んでいる。
近年は銅版画が主流だ。それは貴族たちがより高価で緻密な絵を求めるためである。しかし絵に温かみを出すには木版画の方が良い。
周りの調度品に合うよう、主流を外れてでもこの木版画を選ぶところに、侯爵家のセンスが表れている。
うっとりとそれを見つめていると、エリザベス嬢がやってきた。先日王宮で見た時よりもさらに線が細く見える。
無理もない。あんな公の場で婚約破棄などされたのだもの。
お互い挨拶し、彼女が椅子に腰掛けるのを待ってから私たちも席に着いた。
エリザベス嬢はちらりとセルジュを見て一瞬表情を緩めたが、すぐに無表情に戻った。さすが。ほんの一瞬だけ男前に興味を示したように見えたが、感情をすぐに引っ込めたようだ。
セルジュがノートとペンを取り出したので、私も彼女の了承を得てから、スケッチブックを出して早速描き始める。
「今日はお時間を頂き、ありがとうございます。お辛い心中お察しします。申し訳ありませんが取材にご協力頂けると幸いです」
「ええ、承知しております。なんでもお尋ね頂いて構いません」
それからセルジュが、まず今回の婚約破棄の件についてどう思うか尋ねた。エリザベス嬢は背筋を伸ばし、凛とした表情だ。
「殿下が本当に愛する方を見つけられたことをお慶び申し上げます。わたくしはお二人を祝福したいと思います」
神々しいその美しさに、私は手を止めた。
なんて潔いんだろう。恨みつらみか呪いの言葉が出てくるかも思ったのに、第一声が祝福だなんて。
セルジュは手を止めず、彼女の言葉を綴っている。
「失礼ですが、悲しいといったようなお気持ちは?」
「正直、ないと言えば噓になります。今まで婚約者として出来る限り殿下と良い関係を築こうと努力してきたつもりです。幼い頃からお側で過ごしてまいりましたし、学内でも交流を持っておりました」
エリザベス嬢、アルバート第二王子、そしてミリア・バルトロ男爵令嬢は皆、同い年で同じ学校だった。その卒業祝いが先日の王宮での件なのだ。
「わたくしは殿下を敬愛しておりました。ですが、学校では次第に距離を取られるようになってしまいました。改善を試みようとはしたのですが、うまくいかなかったのです」
「殿下からはなにか言われましたか?」
セルジュの質問に、エリザベス嬢は首を横に振った。
「いいえ、特に。そのうち、殿下のお側にミリアさんがいらっしゃることに気付きました。殿下が恋をなさっているのだろうと思いました」
「なるほど」
「人の心を操ることは出来ません。それに、人生は一度きりですもの。本当に愛する方と一緒になるべきでしょう? わたくしこれまで王家の一員になるため、たくさんの妃教育を受けてきました。結果、王家の一員になれないのは残念ですが、それはきっと私の糧になります。今後は他のところで国のお役に立てるよう努力したいと思います」
エリザベス嬢は将来、王弟の妃になるはずだった。王太子の婚約者ほどでなくても、それは厳しい教育を受けてきたのだろう。
自分の意志とは関係なしに結婚相手が決められてしまうのだ。そしてそのために、好きでもない(かどうかは分からないが)勉強をし、知識を詰め込まれ、マナー教育を受けさせられる。
将来の夫のため、と努力してきたに違いない。あんな形で裏切られるとも知らずに。
いたいけな幼女が教育係から叱責され、場合によっては叩かれ、人知れず涙を流す──
いけない、想像したら泣けてきた。
「──っ、ぐす」
鼻をすすった音が聞かれてしまい、セルジュが目を丸くしてこちらを見ている。
まずい。恥ずかしくなって上を向き、涙を目の奥へ流し込んだ。
当のエリザベス嬢も私を見て優雅に微笑んでいる。
「お優しいのですね。でもわたくしは大丈夫です。どうぞこれを」
総レースのハンカチを差し出され、私は頭を下げてそれを受け取った。
天使か聖女か妖精のような優しさと慈愛にますます涙が出てきて、私は借りたハンカチで目を押さえる。甘くて良い匂い。
一通り話を聞き終えると、セルジュは持っていたノートをパタンと閉じ、エリザベス嬢に向き合った。
「ここからは記事にはしないので、正直なお気持ちを聞かせて頂きたいのですけども」
「はい」
「殿下のことを今はどう思っていらっしゃいますか?」
セルジュの言葉に少し驚いたような顔をしたエリザベス嬢は、まだ涙を拭う私をちらりと見る。
それからセルジュに目を向けて彼が頷いたのを確認し、大輪の花のようににっこりと微笑んだ。
「くたばれ最低野郎、と」
私の涙は引っ込んだ。
「だってあんな公の場で、頭がおかしいと思いません? まあせめてクローズの場所で婚約を無しにしたいと言い出すなら分かります。なのに、あの女をこれ見よがしに侍らせてまるで断罪するかのような演出。汚いわ」
先ほどまでぴしりと伸ばしていた背を椅子にもたれ、頬杖をついた彼女は一気に年相応になった。
そうだ、まだ彼女は十代だ。始めと打って変わり、怒りのためか頬は色付いている。
「でもいいんです。あんな男。親に決められた婚約でしたし。だから、ね、記者さん」
彼女は身を乗り出し、なぜか私の手を握ってきた。
ハンカチと同じ甘い匂いが香ってきて、めまいがしそう。同性なのに。
「は、はい」
「わたくしのこと、とっても美しく描いてくださいね。わたくしの、将来がかかっていますから」
「は、はい?」
うろたえる私を尻目に、彼女はふふふと微笑んでいる。わあ、可愛い。天使。
「『スキャンダル』は挿絵が美しいじゃないですか。だからわたくし、この取材を引き受けたんです」
「えっ、うちの雑誌を読んでくださってるんですか!?」
確かに、私が『スキャンダル』で描き始めてから女性読者が増えたと聞いている。今までよりも女性が可憐で、男性も麗しいと。
まあ、一応は元・少女小説挿絵画家なので。
でも十代の美少女がゴシップ誌を?
私が疑問の表情を浮かべると、天使は微笑んで「内緒ですよ」と口元に人差し指を当てた。
「綺麗に描いて頂き、殿下よりもずっと素敵な男性に求婚してもらいたいの。だから、ね、記事もよろしくお願いしますね。同情を引く感じで」
「任せてください」
セルジュもにっこり微笑んで頷いた。
それから記事に関して少しだけ打ち合わせをして、私たちは来た時と同じように辻馬車で会社へ戻った。
揺られる車内でぽつりと呟く。
「……なんというか、したたかだったわね」
「そうでもないとやってこれなかったでしょうし、これからもやっていけないでしょう」
エリザベス嬢の様子を思い出したのか、セルジュはくすくすと笑っている。
「エリザベス嬢へのインタビューってうちだけだったのかしら」
「そうでしょうね。他紙は殿下と新しい恋人を持ち上げていますし」
「どうして?」
「その方が刺激的ですから」
あのパーティの後、新聞は一斉に婚約破棄を報じたが、ほとんどが第二王子の身分差の恋を讃えたものだった。
エリザベス嬢は愛を貫く二人のお邪魔虫のような書かれ方をしているのだ。
「彼女は婚約破棄されても自分の立場を分かっています。切ないことですが、自分の役割は家のためにどこかへ嫁ぐことだということを。だから名誉回復のためにもインタビューを受けてくれたんだと思いますよ」
「そうか……頑張って描かないと!」
私は童話のお姫様のように彼女を美しく描くことを決めた。