1、スキャンダル
「エリザベス! 君との婚約を破棄して、ここにいるミリアと僕は結婚する!」
この場の主役であるアルバート第二王子が言い放った言葉に、会場はしんと静まり返った。
私は呆気に取られてそれを見つめた。同じフロアから、じゃない。
フロアを囲うように設けられた『記者席』から。
これは現実? こんなことがあっていいの?
今日は第二王子の卒業記念パーティ。婚約者である侯爵令嬢とのツーショットを目的に取材にやってきたのに。
思わず隣を見ると、セルジュもあんぐりと口を開けて固まっていた。見開いた目の緑色の瞳がきらきら。
こんな顔、初めて見た。貴重だ。ペンを動かしていた手も止まっている。
しかし私の視線に気付き、彼はすぐに我に返った。
「ニーナさん、描きましょう」
「あ、うん」
騒然としたフロアに顔を戻した私は、主要人物の様子を目に焼き付ける。
同時に手を動かし、スケッチブックに人々の様子を描いていった。特徴だけ、ラフでいい。後で誇張を加えて書き直すのだから。
フロア中央のアルバート第二王子の得意げな顔、少しぽっちゃりの体。
第二王子の腕に寄り添う少女。ミリア嬢だろう。硬そうな赤髪。若いのに肉感的な体の線。こちらも満足げに上がった口角。
少し離れたところで二人に対峙している令嬢がエリザベス嬢であることは知っている。二人に比べると随分と細い、すらりとした体。
残念ながら角度が悪く、表情はよく見えない。だがその拳は強く握られていた。気持ちが少し分かり、胸が痛む。
ドレスの仔細はいいか。どうせ誰も覚えていないし、後でなんとでもなる。
エリザベス嬢の拳を描き終えたところで、当の本人が「承知しました」と告げた。
それから大変優雅にお辞儀をして、フロアを去って行く。人々はそれを見送った。メインの二人もだ。ますます満足そうな顔。
「行きましょう」
「えっ、最後まで見なくていいの?」
セルジュは使い込んで艶が出た鞄にノートとペンを放り込み、帰る準備をしている。
「是非を判断する国王はいませんし、もうなにも進展はないと思います。帰って記事を書かないと」
私も真新しい鞄にスケッチブックを突っ込み、記者席を後にした。
♢
私は、出版社ライデンに所属している。
出版社ライデンは週二回発行している新聞『ライデン・ニュースレター』を中心に、複数の分野別ジャーナルを出版している。
そのうちの一つが、私が担当している月刊ゴシップ誌『スキャンダル』だ。
『スキャンダル』ではいくつかのペアでそれぞれ事件を追っている。セルジュは記事担当、私はセルジュの相方、挿絵担当だ。
入社してずっとそうだったわけじゃない。
もともと私は文芸部で絵本や少女小説の挿絵を描いていた。それがある日上司に呼ばれ「新聞の方で挿絵やってみない?」と声をかけられたのだ。
従来、新聞は活字のみだった。しかし新しい印刷技術が導入されて、近い将来挿絵を載せることが出来るようになりそうだから新聞で描いてみないか、というのだ。
私は二つ返事で了承した。絵本の挿絵が描きたくて入社したが、『ライデン・ニュースレター』は王都でもトップの部数を誇る新聞だ。そこで描けるなんて、名誉だと思った。
しかし、実際に放り込まれた先は、『スキャンダル』だった。
なんでも、新聞に挿絵を載せる技術は今すぐ出来るわけではない近い将来なので、それまで『スキャンダル』で記者として勉強してこいということだった。
結果、私は現在ゴシップ誌記者である。
少し前まで、虹を駆ける白うさぎのふわふわのしっぽを描いていたのに、最近は俳優と逢い引きする夫人の豊満な尻を描いている。
お姫様にプロポーズするきらきらした王子様を描いていたのに、それと同じ手で、浮気して妻に罵られる中年の貴族男性を描いているのだ。
別に、嫌なわけじゃない。もともと児童文学の挿絵を描きたくて入ったが、色々なものを描けることは経験になるし、強みだ。
だけど実際にゴシップ誌の仕事を始めてみて分かった。
正直なところ、髭面のおじさんよりは見目麗しい騎士を描きたい。けばけばしい魔性の女よりは花を背にしたお姫様を描きたい。
けど現実世界にいない人物を今は描けない。だからせめても、と髭面のおじさんには円熟した大人の色気を、魔性の女には妖艶さの中にも可憐な一面を。
出来るだけ私らしい、品のある絵を描くことを心がけている。
私は綺麗なものが大好きなのだ。
「はああ」
王宮から会社に戻り、ため息をついてスケッチブックを広げた。すると、隣の席からセルジュが覗き込んできた。
「わあ、あの短時間で良い出来ですね。特徴捉えてる。さすが」
本心かどうか分からないが、一応褒められたので礼を言う。ちょっと恥ずかしくてスケッチブックは手元に引っ込めた。
「……それはどうも」
犬のような、淡く茶色いくしゃくしゃの頭が遠ざかる。彼に分からないよう、もう一つ息をついた。
ため息の理由は仕事内容以外にもある。一緒に組んでいるセルジュにモヤモヤするのだ。
セルジュは私よりも二つ下の後輩にあたるが、この『スキャンダル』のエースで、記者としては先輩だ。全然畑違いのところから来た私にも、優しく紳士的ではある。
でも、なんだかイライラするのだ。
私が慣れぬ仕事でバタバタしていても、いつも余裕綽々、飄々としていて、それでいて特ダネを取ってくる。
上背があり、整った顔に緑色の瞳。朗らかで人当たりが良い。皆から好かれる、若きエース。
なんというか、悔しいのだ。一応、私の方が入社は先輩なのに。なぜそんなに余裕があるのか。
見目が良いこともあり、彼自身、取材相手から言い寄られることが頻繁にある。新進気鋭の女優や年若い貴族令嬢がこぞってしなを作るのを相方である私は間近で見ているのだ。
今は誰から声をかけられても断っているようだが、そのうちスキャンダルになったら私が記事にしてやろうと目論んでいる。
「ニーナさんは初めての王宮での取材、どう思いました? ま、すごいことになっちゃいましたけど」
「あ、えーと」
セルジュを睨んで奥歯を噛んでいたが、彼はそんな私に気付かず、おっとりと話しかけてきた。
「煌びやかで感激したけど、最後の事件に全部頭が持っていかれちゃった。ああいったことは過去にも?」
私の質問にセルジュは首を横に振って笑う。
「まさか。俺もあんなことに遭遇したの初めてです」
すると『スキャンダル』編集長が寄ってきて、セルジュの肩をぐいぐいと揉み始めた。
「おおい、どうだった。大事だったようだが」
「面白かったですよ。卒業祝いパーティで婚約破棄なんて、第二王子は噂通りですね。あっ、編集長、もう少し強く」
セルジュの要望に応えた編集長の力が強かったようで、彼は「うああ」と呻き始める。
「ニーナはどうだった? 大事件を描けたか?」
私がラフ画を差し出すと、それを覗き込んだ編集長が「おお」と感嘆の声を漏らしたので、ほっとした。
ただ、あのとき気になったことを尋ねてみることにした。
「絵はまあこんな感じなんですけど……、あの婚約破棄されたご令嬢がどんな気持ちなのかなと思うと、なんだか切なくて」
彼女の拳は強く握られていた。あれを描くかどうか迷う。どういった方向で記事を出すのかによって絵も調整しないといけないし。
私が黙ると、セルジュがまじまじとこちらを見つめていることに気付いた。
「……なに?」
「いえ……、彼女に取材に行ってみます?」
「え?」
編集長は名案とばかりに手をぱんと叩いた。
「いいんじゃないか。新聞の方は次の紙面ですぐに出すそうだから、こっちはもう少し情報揃えて次号で出そう。面白くな」
侯爵家の姫がゴシップ誌の取材など受けてくれるんだろうか。セルジュに聞き返す。
「話を聞けるの? 第二王子の婚約者は侯爵令嬢だったわよね?」
「聞けますよ、多分。お姫様に会うなら、俺たちもおめかしして行かないとですね」
ひょっとしたらセルジュがその女たらしの手腕を発揮し、若いご令嬢を騙くらかして記事にするつもりなのかも。けしからん。
じとりとした目線を向けると、私の考えに気付いていないらしいセルジュはにっこりと笑った。