この転生女子には特別な認識なんてきっとない
第二王子と婚約を結んでから、レティシア──愛称ティアは、急に大人しくなった。
家族はそれを、婚約相手の王子と面会したおかげでおしとやかになろうとしている、と捉え、微笑ましく思っている。
そのティア本人は婚約のせいで中央の学校に通うことになり、内心では大いに不満を抱えていた。
この西で仲良くしてくれている幼馴染たちと離れなければいけないからだ。
西区中心部にある公園で鬼ごっこという体力づくりをしながら彼らと毎日のように遊んでいるのだが、家族と違って彼らは、数日でティアが不満そうなことに気づいてしまった。
「何ぶうたれてんだ?」
雑貨商の息子であるテイト=ハクスリーは七歳なので既に西区のロースクールに通っている。
ティアは苦笑いした。
「気づいた? 私そんなにぶうたれてる?」
「まあ何となくってだけだけど」
「あちゃー……」
そんなふうに苦笑を続けるティアを心配そうに見遣る少女は、
「何かあったの?」
西区どころか王国内でも大きな工廠の娘である、アンバー=カートライトだ。
彼女はティアと同い年なので、来年から共にロースクールに通うのをとても楽しみにしていた。
「いきなり婚約が決まって中央の学校に行くことになったの」
ティアはついに隠すことをやめ、大いに不満な顔をした。
「……ええー!?」
皆一様に驚く。
ただでさえ大きな目を更にいっぱいに開いたレルフ=ケルビムは上ずった声をあげる。
「本当!? ええぇー、来年入学って時に……えええー……」
彼はスローンズの分家筋で、カートライト工廠に弾薬や動力機関等を卸す大工房の息子である。
ティアたちの一つ上である彼は、今年西のロースクールに入学している。
「……そりゃあ、ぶうたれるのも分かるわ……」
苦い表情で納得しているのは、レルフの兄でテイトと同い年のリオン=ケルビムだ。
レルフが姿も内面も愛らしいのに対して、リオンは姿も内面もクールであり、結構対照的な兄弟である。
「……それで、その、婚約のお相手は、誰なの?」
おっとりした声でおずおずと聞いてくるのは九歳のマーガレット=アシュトンで、魔法機巧路開発室の室長を親に持つ。
彼女の後ろに隠れるようにくっついているのは四歳の妹であるデイシー=アシュトンだ。二人とも髪は黒く瞳はオレンジと色は同じだが、妹のデイジーは少し巻き毛気味である。
また、デイジーは大人しいためかまだあまり声を出さないのだが、さっきの「ええー?」合唱においては皆と同じく驚きの声を上げていた。
聞かれたティアはますますげんなりした顔をする。
「第二王子らしいんだけど、すごく嫌なやつだったよ」
「……」
幼馴染たちは皆心配そうな、あるいは苦い顔をした。
「嫌なやつなんだ……」
「うん。いきなり『田舎者』って言ってきたし、なんか『お前なんか愛さない』とか言うし」
「う、うわあ……」
今度は皆どん引きしてしまった。
「先が思いやられ過ぎる……」
リオンが頭痛でもしでいるかのように頭を片手で押さえていた。その手がかきあげているのはティアと同じ銀髪だ。けれど瞳は綺麗な翠色をしている。それはレルフも一緒だった。
「中央の学校に行くんだったら、あっちに住むことになっちゃうの?」
アンバーが心配そうに琥珀色の瞳を揺らしている。ふんわりとした亜麻色のくせっけまでどこかしゅんとしているような気がした。
「……うん。使用人の皆に何人か来てもらって、中央の別邸に住むことになりそう」
「寮とかじゃないんだ。さすが辺境伯の娘」
テイトが口笛でも吹きそうな調子で言う。
金髪碧眼の少し小柄な彼はお調子者な面があった。
「ただの戦闘狂の娘だよ。まあそれが地位を作ってはいるんだけど……」
「スローンズの家の方々がみんなしてお強いおかげで、わたしたちはこうして平和に鬼ごっこをしていられるのよ」
今は休憩のおやつタイム中だが。
アンバーはにこにこしていた。
スローンズ伯は戦闘面だけでなく、ほど良く暮らしやすい運営をしてくれているので、領民からの評判は概ね良好である。
「こうしてる間にも軍のかたがたが領外区域で魔物やキラーを相手に戦っているんだよね」
レルフが首を西に向け、遠くの空を見つめる。
キラーというのは二足歩行の殺人着ぐるみのことである。
正体不明すぎてとりあえずそう呼ぶしかないのだろう。
あれが現れる以前は、ああした動物をデフォルメした人形が玩具として結構な人気を誇っていたらしいのだが、今やそんなものどこにもない。人類はすぐさますべてを手放したらしい。
玩具を好む小さい子どもたちすらあまりぐずらなかったと言うから相当だ。目の前であれが暴れるなんてきっとトラウマレベルの大惨事だろう。
ともあれ、ここにいる子供たちには皆、家督を継ぐことを決めた他の兄弟姉妹がいる。
彼らも戦闘訓練は一通り受けるが、それはロースクールの十五歳までで修了だ。
領外区域に出ることがほとんどないため、自分の身をある程度守れるようになれば、あとは家業を学ぶのである。
それに対し、ここにいるのは、皆十六歳からのハイスクールでも戦闘を学び続けることをすでに決めた者たちだった。
それもあって仲が良いのかもしれなかった。志すものがほぼ同じでああったほうが話しやすいのはあるだろう。
「そして、皆のおとーさんやおかーさんが造った兵器も、頑張ってくれてる……」
同じように西の空をぼんやり眺めるマーガレットが呟くようにそう言った。
「そうだな」
リオンもぽつりとそう言って頷いた。
もう皆同じく西の空を見つめている。
西の辺境の更に西側は、もう人の領域ではない。
逆に言えば、中央および東西南北の居住区域は人の領域と言えるほどには防備が固い。
目に見える防壁の頑丈さも相当なものだが、陽光を遮らないためにそこまでの高さはない。
そのため、防衛の要は魔法と科学の粋を集めた障壁だった。目には見えないがそれが何重にも張られている。
中空に目に見えない網があるようなもので、それを通過しようとすれば跳ね返す力場が発生するか、攻撃魔法が伝ってくる。前者は比較的外側に設置されており、比較的内側の障壁はここまで侵入したのならと消しにかかってくるのである。
これにより、単なる事故で降ってきた戦闘機などを問答無用で消滅させるようなことはなくなった。遠い過去とはいえ障壁が考案された当初はそういうこともあったらしいのが恐ろしい。
「俺らもしっかり戦えるようにならないとな」
リオンの視線が射貫くようなものになった。
そう。ここにいる皆がそうならなければならない。
余程向いていないとなれば家業を手伝ったり奉公に出たりと色々道がありはするのだが、このティアの幼馴染五名は自分自身で軍を目指すことを決めたのだから。
ティアも、自分で決めた。
家は兄が継いでくれる。だから一も二もなく軍を志した。
優秀な戦闘員である家族、特に姉への憧れもあった。
そして身体を動かすことが好きな自分が役に立てそうなことは戦闘だとも思ったからだ。
(うん。それだけ考えてよう)
ティアは重ねて強く決心する。
(『真実の愛』なんてものを探す王子様は悪役令嬢物語の定番だもの。ヒロインをいじめる暇なんてないくらい体育会系を突き進んでやるわ)
この時はまだ、突然多くの物語を読んだような気分になっていただけだった。
アシュトン姉妹の髪と目の色を書き足しました。