この転生女子には特別な結末なんてきっとない
「これへ。待っているように」
「しかし」
「少しは安全だろうさ。だったら集中できる」
「……承知いたしました」
セレアは緊急脱出ポッドに一人押し込められた。彼女はその中で大人しく蹲る。
(……きっとここで終わるんだわ)
それを思えば憂鬱どころではなく、どうしても、悲しみや怒りや、恐怖や、そうした色々な激しい感情が沸いて来はするが。
(……思ったほどひどい役割ではなかったわね)
どうせあることないことでっちあげられて、『悪はお前ひとりだ!』となって終わる人生だろうと思っていた。けれどそんなふうではなかった。
セレアは今、独りではない。
第一王子は婚約者であるセレアを捨てたりしなかった。婚約破棄イベントなんて存在しなかった。
ライバル役っぽい令嬢は居るけれど、彼はその令嬢に見向きもしなかった。
彼とセレアの間にあるものは恋とは違うと思うけれど、政略の間柄ながら、良い信頼関係を築いて来ることができたのだと思う。
その結果が現状だというならどんな非情なシナリオだと叫びたくはあるけれど。
ここはきっと未来なだけでゲーム世界ではないのだから、乙女ゲームに準えて人間関係を眺めているのもどうかとは思う。しかしそれと比べたほうが自身の中で状況を呑み込みやすいのだ。
(……セオリー通りわたしだけ『断罪』とかで追いやられていれば良かったのに。ライバルで『ヒロインちゃん』なあの子は、どうやらこちら側を殲滅する気ですよ)
この宇宙船の上で展開される身分争いは全てただのままごと遊びだというのに。
どうしうてここまで深刻な事件になりかけているのだろう。
「よし。これで『アイン』が好き勝手書き換えられることもあるまい」
「……良かった、ですわ。殿下を信じてはおりましたが」
ふっと鼻で笑うような息遣いが聞こえたので見遣ると、王子は苦笑していた。
「お前のその落ち着きようが、何度でもオレを冷静に戻してくれる。それが……」
キュンッと空気が鋭く鳴いた。これはサプレッサーで抑えられた銃声だ。そんなもの今ここで聞きたくなかった。
「……殿下!?」
セレアがポッドから飛び出そうとしたのを、彼は強引に押し戻す。
「やっと見つけた。もう、めんどくさいからさくっと捕まってよ~」
姿は見えないが、声からそれは『ヒロインちゃん』なのだと分かる。
「……邪魔者が追い付いてきてしまったらしい。いったんポッドを切り離す」
「しかし」
「オレがあとからこれで追って回収する」
ちらりと殿下が視点を上げたそこにあるのは、小型の戦闘機だった。
王子の戦闘機は一人乗りだ。だから、二人乗り込める程のスペースがない。この事態を想定していなかったわけではないから、複数人乗りの脱出艇の設計も秘かに進めていたが、手続きの煩雑さも相まって間に合わなかった。ことこの件に関しては許可を得るための理由を作るのが難しいためだ。
「……無茶でございましょう? わたくしは、ここで終わってしまっても構いませんのよ」
「お前にしては諦めが早すぎるな」
「……そう、でしょうか……」
セレアは一瞬目を伏せ、そして自嘲気味に笑う。
「……もはや、わたくしたちには一族郎党ありません。最後の希望だけは守り通せたというのに、これ以上なにを成せと?」
殿下はふっと悲しそうに笑った。セレアが彼の表情にそんな感情を見たのは初めてだった。
「たとえほかに何もなかろうと、オレと二人生き延びることも『希望』のうちとしてくれてもよかろうに」
「……!?」
セレアが目を丸くしたのとほぼ同時に再び銃声が聞こえる。しかし王子は微動だにしないため、弾はこちらに届いてはいないらしい。
「いつまでも内緒話なんてさせないんだから。セレアさまも居るのは分かってるんですよ~?」
しかしその『ヒロインちゃん』の声に、殿下が言葉を返すことはなかった。黙々と小さな端末を操作している。やがて彼はふっと笑った。
機械的な音を立ててポッドの構造が閉じられていく。セレアはきちんと席に着くしかなくなった。もう癖のような流れで彼女はシートベルトなどをきちんと装着する。
「……セレア」
彼女の名を呼んだ王子は微笑んでいた。それは珍しすぎて、そしてはっきり名を呼ばれることもそう多くないことで、セレアは再度目を丸くする。
「また、のちほど」
王子のその声が、ポッドが閉じ切るギリギリで彼女に届いて、そして。
「……カイルさま────!!!!」
彼女が絶叫した彼の名は、彼の耳には音として届いていただろうか。
彼女は最後の最後でようやく気付いた。
凶弾は彼に届いてしまっていたのだ。
「やだ~。本当に逃がしちゃったの?」
「……」
出し抜いたはずの相手がにやにやと笑っている。王子は警戒心を露に相手を睨みつけた。
「でもね。これ、何だと思う?」
くすくすと笑いながら彼女は小さな端末を手に示した。
王子はただ黙って彼女を睨むのみ。
にやっと笑った彼女は、もったいぶるようにゆっくりとひとつタップする。
「ふふ。……ねえ、カイル様。これであなたの愛しい人の乗る舟は、立派な立派な道標のひとつになってくれたわ」
彼ははっとする。
恐らくそれは普通、勇士が死した後に提供するはずのもの。
「……本当に、どれだけ人の道を外れれば気が済むのだ」
「人の道なんて、人の数だけいろいろと存在するんだよ?」
くすくすと笑う彼女とその周りに、王子は照準を合わせる。……戦闘機に乗り込まずとも、火器を起動することはできるのだ。
「アッハ! 今までそういうふうに力で訴えようとしなかったのに! いいよ、しびれちゃう!」
余程ツボにはまったのか一転して大きく笑いだした彼女だったが、更に次の瞬間には得物を捕らえた者特有の獰猛な笑みを浮かべた。
「おやりなさい、私の可愛い可愛いたぬきちゃんたち! 正当防衛なんだから遠慮はいらないわ! でも、何も残らないのはダメよ? 資源はきちんとリサイクルしなくっちゃ」
彼女の周りに群がっていたのは、デフォルメされたタヌキのぬいぐるみのような姿をしたオートマトンたちだ。それらがかわいらしいおもちゃなだけではないのを、王子はすでに嫌というほど知っている。
『これ以上何を成せと?』
(……そうだな、セレア)
我々は、もう休んでもいいのかもしれない。
(先に行かせて、すまなかった)
願わくば。
(……『アイン』。次にお前の友人となれる者が現れたなら、そいつとともにまた、『ヒト』らしい時間を)
穏やかに、過ごしていられますように。