第7話 『友達』
「それで、オーディションの方は出場という事でいいんですね?」
聡くんが俺に確認をしてくる。
「あぁ、宜しくおねが――」
「ダメです!」
リナは俺の返事に被せるように否定の言葉を口にする。
「和希、どうして才能を枯れさせようとするのです? 和希ほどの才能があれば役者として芸能界のトップを取る事だってできるはずです! 歌手になんて寄り道している暇は無いのです! 時間の無駄です」
リナの言葉が俺の胸に深く突き刺さる。
寄り道、時間の無駄……その言葉に、心が折れそうになる。
リナほどの歌手がいうのだ、俺は本当に歌手に向いていないのかもしれない。
前回のオーディションで、否定されたくらいではもう諦めないと決めたはずなのに、先程だって文句も言わせないほどのパフォーマンスで合格すると決心したはずなのに……それでも、リナの言葉は底なし沼の様に俺の心を暗く濁った水底へと容赦なく引きずり込む。
俺の心がどろりとした黒い感情に飲み込まれそうになった時だった。
廊下にパンッっという乾いた音が響いた。
「――っ?! 何をするのですか、リョーコ!」
その音がリナの頬を叩いた音だと気づくのにしばらく時間がかかった。
「ふざけないでっ! 私の恩人の……大好きな人の夢を、そんなに簡単に否定しないでよっ!!」
涼子の声が廊下に響き渡る。
放課後の、人の少ない時間だがそれでも、少し人が残っていたようで何事かと遠巻きに此方を見ている人達がちらほらといた。
「わ、ワタシは和希の為を思って……」
「余計なお世話よっ! 和希くんは本気でプロの歌手を目指してるのっ。誰かに否定されても頑張るって言って、テレビの有名人や、それこそプロの人たちに否定されても頑張るって決めたんだよっ。誰かに否定されるってすごい辛い事なんだよ?! それでも諦めないって、頑張ろうって思った凄い人なのっ、それを今日会ったばかりの貴女が簡単に否定しないでよっ!!」
普段の大人しい涼子からは考えられないほどの激高だった。
感情が高ぶったのだろう、涼子は涙を流しながら両手でリナの胸ぐらを掴んだ。
「ロシアのすごい歌手だか知らないけど、勝手に、決めつけないでよ……。和希くんの歌で救われた人だっているんだよ、明日も頑張ろうって思えるようになった人だっているんだよ……」
そう言って涼子はずるずると崩れ落ちるように泣き崩れてしまう。
リナは泣いている涼子を戸惑いに揺れる瞳で呆然と見つめていた。
俺は廊下に膝をついて泣いている涼子の頭を優しくなでた。
「ありがとう、涼子。目が覚めたよ」
そうだよな……俺は自分の夢を否定しない、しちゃいけない。
立ち上がり、動揺しているリナの目を真っすぐに見据えた。
「リナ、役者の俺をそこまで評価してくれて嬉しいよ」
「――あっ……か、和希、分かってくれましたか!」
「でも、俺はどうしても歌手になりたいんだ。例えキミに否定されてもね」
俺の返答にリナは思わず息を呑んだ。
「どうやら、結論は出たようですね」
今まで黙って俺達のやり取りを見守っていた聡くんが口を開いた。
「あぁ、俺はオーディションに出て今度こそプロになるよ」
「――ま、待ってくださいっ! まだ、ワタシは……でも、和希の夢を否定するつもりは……」
リナは未だ動揺から抜け出せ無い様子だ。
俺は黙ってリナの瞳を見つめて話の続きを待つ。
「な、なら、もし、今度のオーディションで不合格だったら、ダメだったら歌手を諦めてください! その代わり、ワタシが和希の曲を歌いますっ。それで、稼いだお金だって全て渡します、だから……だから、歌手を諦めるって約束して、ください……」
「エヴァノフさん……」
泣き崩れていた涼子が呟くように声をあげた。
そして、涙を拭いながら立ち上がる。
「ごめんなさい、和希、リョーコ……。それでもワタシは、どうしても役者として輝く和希が見たいのです」
「どうしてそこまで……」
「こんなワタシにも夢があるんです……その為ならワタシは――」
そう言ってリナは目を伏せて黙り込んでしまう。
「……なるほど、和希くんに今度のオーディションで不合格だった場合、歌手を諦めろと? その結果和希くんに嫌われる事も考えられますが」
聡くんがリナに確認を取る。
リナは俯いていた顔を上げてはっきり答える。
「そう、ですね……。その結果、和希に嫌われたり、恨まれることになってもワタシの考えは変わりません」
「和希くんはそれでいいですか?」
リナの変わらない決意を聞き、聡くんが俺に問いかける。
正直に言えば、俺はリナとそんな約束なんてしたくない。
負けたら歌手になれないなんて絶対に嫌だ。
「和希、貴方は芸能界でトップを取るって言いました。本気で歌手を目指すなら今度のオーディションで合格してください。ワタシに輝きを見せてください」
リナの決意のこもった強い眼差しに俺は……。
「オーディションの選考方法はまだ4大財閥で話し合いをしてる最中なのでどのような形になるか分かりません。もしかしたら和希くんが思ってるより不利な状況になる事も考えられますし、逆にエヴァノフさんが思ってるより和希くんに有利な状況が生まれる可能性もあります。それでも今ここで約束しますか?」
聡くんが俺とリナに確認をする。
「どのような状況でも和希なら一度交わした約束を守ってくれると思います。もちろん、ワタシも約束は守ります。正直に言えば、和希には歌手を諦めて欲しいですが、和希の夢なら否定できません。でも、和希は一度チャンスを逃しました。今度の二度目でダメなら諦めると誓ってください」
リナは何か覚悟を決めた表情で言った。
俺はただの歌手になりたいんじゃない、頂点と言う一つしかない、一人しか居られない所を狙っているのだ。ならば、次のオーディションでプロの歌手になれなければその可能性はない。
少しだけ斎藤のお姉さんに事後報告になる事がまた増えたと思ったが、きっと彼女なら笑って許してくれるだろうと思い、俺は聡くんの目をみて頷く、そしてアリナ・エヴァノフという一人の少女を真っすぐに見つめて宣言する。
「俺は負けない。必ずオーディションに受かって、プロになって芸能界で頂点に立つって証明してみせる」
それを聞いたリナの瞳は嬉しさに揺れ、純真無垢な子供の様に笑った。
「それでこそワタシが見染めた男の子です。ワタシもそれ相応の覚悟を持って臨ませてもらいます。もし、和希が歌手になった場合は私は歌手を引退します」
それがリナの覚悟なのだろう。
「……分かった」
リナは俺の返答に満足したように微笑んだ。
対照的に涼子は少し不満気だったが、小さくため息を吐いてリナに向き直った。
「エヴァノフさん、さっきは叩いてしまってごめんなさい……」
話がひと段落したと思ったのだろう、涼子がリナに頭を下げた。
「……いえ、あれはワタシが悪かったです」
「それでも、和希くんと約束したんだね」
「はい、ワタシにも譲れない物がありますカラ」
「そっか……」
「……リョーコ、ありがとうございます」
どうやら、涼子とリナも仲直りできそうだ。
俺は少し安心して聡くんに向き直る。
「聡くんも今日はわざわざ学校まで来て教えてくれてありがとう」
「いえ、元々はこちらの落ち度ですから此方から出向くのは当然です。それに同年代の友達というのにも憧れていたのでとてもいい物が見れました。……友達の為に本気で怒れる強さって物を」
そう呟いた聡くんはとても優しい表情でリナと涼子を見て笑った。
「僕にはそう言う友達がいないので本当に羨ましいです」
確かに、前世の俺も友達なんていなかった。
しかし、涼子という俺の為に本気で怒ってくれる友達がいるなら、今の俺はきっと前世とは全く違う道を歩んでいるのだろう。その事に幸福感が体の底から湧き上がってくる。
だからだろう、羨ましそうに涼子とリナを見つめる聡くんに思わず声をかけてしまった。
「そっか、じゃぁ、俺と聡君も友達にならないか?」
そう言って俺は聡くんに右手を差し出した。
俺の言葉と右手をみて聡くんは体をわずかに揺らし、その目を一瞬だけ見開いた。
それはとても驚いた人が取るような行動だった。
「――友達?」
「あぁ、友達になろう」
聡くんは一瞬戸惑った表情をみせ、俺の右手を掴もうと右手を一瞬だけあげかけたが直ぐに下ろしてしまう。
「友達……僕らは友達になれるでしょうか?」
悲し気に呟いた聡くんの真意は分からない。
先ほどの様に、怒らせるとかなり怖い一面もあるがこの世界の男性ではかなり、まともな部類に入ると思われる聡くんにも色々あるのだろう。それに、彼は財閥の跡取りだし、俺には分からない何かがあるのかもしれない。けど、なんとなく孤独な雰囲気をかもし出している彼を放っておく事は良くない気がした。
だから俺は彼の右手を無理やり、掴んだ。
「あぁ、なれるよ。俺は少なくともそう思っている。だから、友達になろう」
そう言って俺は聡くんの目を真っすぐ見つめ、軽く微笑んだ。
聡くんは俺の顔をじっと見つめて、やがてクスっと軽く笑った。
「そうですね、友達……なりましょうか」
「あぁ、だから、今度の審査はしっかり頼む。誰にも不正だなんて言わせないでくれ」
「えぇ、もちろん。しかし、いいのですか? 友達なら自分に有利にしろとか、必ず合格させろとか言わなくて」
その聡くんの問いに俺は首を傾げてしまう。
「いや、友達だからこそ言わないだろ? そんな不正を友達に頼むなんてそんなの本当の友達じゃないだろ」
俺の返答に聡くんの綺麗な瞳が僅かに揺れる。
「本当の友達……」
聡くんは瞳をゆっくりと閉じる。
彼が今何を考えているかは分からない。しかし、俺の言葉が彼の心の何かに触れた事は分かった。
「あぁ、本当の友達ならその人の為を思って行動するものだろ」
俺は照れを隠しながら、そう冗談っぽく言った。
聡くんはふぅっと息をゆっくりと吐き出し目を開ける。
「そうですね、僕が間違っていました。審査はきっちりとすると約束します。しかし、個人的には友人である君を応援していますよ、和希くん」
「あぁ、負けるつもりなんてないよ。それと、今度一緒に遊びやご飯でも食べにでも行こうぜ。それで、その時に俺の事を教えるから聡くんの事も俺に教えてくれ」
「えぇ、では、今度ディナーでも――」
「ジャンクフード」
「えっ?」
「ジャンクフード食べに行こう。高カロリー、高塩分で栄養バランスなんて全く考えられないけど癖になるんだよなー。だから聡くんと二人で食べたいと思ってね」
「くっ……くくっ、なんですかそれ、聞いただけで体に悪そうですね。友人なら僕の体調の事も気づかってくださいよ」
「友達だからだよ、二人で食べれば怖くないってね」
それから俺と聡くんは涼子ちゃんとリナの事を忘れて二人でしばらく談笑してしまったのだった。
その後、聡くんは護衛の人達を引き連れてなんだか少しすっきりした顔で帰っていった。
「男同士の友情、いい物ですね」
「うん、分かるよエヴァノフさん……」
二人の事を忘れて聡くんと話し込んじゃってごめんね。
でも、二人も仲直りできたようで良かった。




