第1話 『プロローグ』
ロシアの白銀の歌姫と呼ばれる16歳の少女、アリナ・エヴァノフは一人、親元を離れ日本行きの飛行機に乗りこんだ。
慣れ親しんだ、故郷を離れ一人日本に行く理由はただ一つ。
――氷室和希に会いたい。
ただそれだけ。
彼女は和希の大ファンで彼の出演しているドラマはもちろん、番組も欠かさずチェックしているほどだ。
しかし、ロシアでは和希の番組は放送されず、ネットの動画配信で見ていたのだが。
もちろん、彼女は和希が出場した公開オーディションも見ていた。
そして、和希が公開オーディションに落ちたことも知っている。
今でも忘れられない。和希を初めて見たあの日の事を。
最初は少し演技の上手い男性だな、くらいにしか思わなかった。けれど、回を追うごとに洗練されていく演技に、その輝くような自然な笑顔に次第に魅了されていくアリナ。
そして、強く思ったのだ、彼に会ってみたいと。
これまではロシアで歌手として芸能活動を行い男性ともそれなりに話してきたが、和希に比べるとルックスや性格を総合的に見てもぱっとするような人物はいなかった。むしろ、比べるのすら烏滸がましいくらいのレベルだと考えている。
実際にはアリナは和希に会ったことがないので、性格に関しては想像でしかないのだが……。
そして次第に和希に興味から恋心を持ち始めるアリナ。和希が出演しているドラマを最新話まで見た後に、バラエティー番組に和希が出演しているとネットの掲示板で知った。その番組を見てみると特定の恋人はいないという、アリナにとって、とても、とても重要な情報まで得られた。
和希のへそチラをテレビで大多数の女性に観られたのは少しだけ不満がある(自分は何度も繰り返して見た)が、彼の好みの胸の大きい女性と言うのも自分に合致している。まさに運命だと彼女は思った。
アリナには和希に会ってどうしても伝えたい事があった。
彼の作る曲は確かに素晴らしい。だけど、歌は他に歌ってくれる人が沢山いる。彼でなくてもいいのだ。
けど、和希ほどの役者は他にはいない。だから、公開オーディションに落ちてくれて本当によかった。
「和希、貴方には歌手は似合いません、そして私が貴方を歌手になんて絶対にさせません。役者が貴方を一番輝かせる。私がそれを教えてあげます、だから待っててくださいね和希」
アリナはワクワクを抑えきれないと言ったまるで子供の様に純粋な笑顔を浮かべ機内の窓の外を見ていた。
アリナの容姿は客観的に見ても整っている方だと思う。もしかすると、日本では歌手としてでは無く役者としてアリナも活躍出来るかもしれない。
そして、和希と同じドラマに出演して――。
アリナは和希の最高の笑顔を思い浮かべる。
それは奇しくも歌のオーディション番組で最後に見せた和希の笑顔だった。
それを思い出しアリナの心臓は大きくトクンっとはねた。
「あの笑顔は反則よね、早く会いたいわ。私の王子さま……」
アリナは和希と出逢い、始まる新しい生活を夢想せずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇
日本の空港では既にマスコミが大量に待機しており、アリナの来日を今か今かと待っていた。
そして、とうとう空港にアリナの姿が現れた。
アリナの月の優しい光を落とし込んだ流れる様な輝く銀色の髪、そして妖精やエルフを思わせる整った顔立ちに空港にいる、ファンやマスコミも思わず息をのんだ。
「ご、ご覧ください、今、白銀の歌姫、アリナ・エヴァノフさんが日本にやってきました。そして、突然の発表によりますと日本の高校に留学するとの事です!」
そしてリポーターとカメラマンたちが一斉にアリナの元へと詰め寄ろうとして警備員に止められる。
「アリナさん日本に留学する理由をお聞かせください!」
アリナはリポーターにマイクを向けられ、にこやかにカメラに目線を向けて答えた。
「人に会うために来まシタ。そしてその人に想いを伝えるために」
アリナは流暢な日本語でそう答えた。
彼女は昔から日本に興味があり元々勉強していたのだ。
「その方はどなたでしょうか? 想いを伝えるという事は男性ですか?!」
世界的歌姫の恋愛報道にリポーターの声にも熱が入る。
「はい、私にとって特別な男性デス。私は出来れば彼をロシアに連れて帰りたいと思っていマス。まぁ、それが無理なら最悪私が日本に移住することも考えていマス」
「だ、男性をロシアに?! しかし、それでは日本の女性ファンの反感を買う恐れもありますが、いかがでしょうか?!」
「そうですネ、日本中……いいえ、世界中の女性が私に嫉妬すると思いマス。だって彼はそれくらい素晴らしい男性なのですカラ」
「それほどの男性が日本に……?! ずばり、その男性の名前をお聞かせくださいっ!」
しかし、アリナはリポーターの質問には答えず、ただ一言だけ悪戯っ子の様な笑顔を浮かべ言った。
「увидимся《またね》 」
マスコミは尚も食い下がったが彼女はその後、何も語らず空港でアリナを待っていた車にそのまま乗りこんでいった。




