第2話 青い空の上で
ベルゼフォンの背中に乗った三人は、青く大きな空を駆け抜け、白い雲を突き抜ける。
空に君臨してるとでも言いたげなベルゼフォンが手をかざすと、あっという間に辺り一帯の雲が散り眼下の景色があらわになる。
「ベルゼフォン、雲見るのも楽しいんだから散らしちゃダメだよ」
『前は飽きたと言ってたではないか!』
ガクウは分かってないなぁ、と人差し指を立てて、チッチッチッと横に振る。
「それは俺の話でしょ! 今回はこの子の為に来たんだから」
『吾輩その話聞いてないが!?』
ガクウとベルゼフォンが口喧嘩をしているのも気に留めず、少女は空の旅を噛みしめている。
雲より高く一番太陽に近いこの場所で、竜の背中の上で風を切る感覚を一身にうける。今にも青い空の中に溶けていく。
彼女の身体は、初めての体験に喜びに満ちていた。
「……すごい! こんな経験、きっと初めてよ!」
「初めてじゃダメじゃねーか!!」
ジャグーダの言う通りである。
記憶を取り戻す為、空を飛ぶことの再体験をしているというのに、初めての体験ではまるで意味が無い。
余計な手間をかけさせてしまったと、少女は頭をガクリと落した。
「まあまあ、ドラゴンに乗ったことが無いって手掛かりが出来たってことで」
「……そうね。違うってことがわかったのだから、そう気を落とす必要も無かったわ」
ガクウの励ましの言葉に、ケロッと立ち直る少女。
(ガクウさんの言う通り、失敗は成功の基という言葉もあるのだし、実験する過程で失敗する事など当たり前のこと。こんな事でめげる必要は確かに無いわ)
そう少女が思い直すと、ふと頭の中に引っかかるものがあった。
だが、肝心のそれが何か分からず、もどかしい思いをする。
わからないのであれば違和感があるのだけ覚えておこう、と考えるのを後回しにする。
「……でもこれ、落ちそうで怖いわね。空気とかも大丈夫かしら」
現在少女は、まるでピクニックでもしているかのように足を延ばし楽にしている。
それは他の二人も同様で、各々楽になる座り方をしていた。
足を曲げると火傷した部分が痛むので彼女としては助かってはいる。
しかし、こんな空の高い場所で命綱も無しに大丈夫なのか?
急に空に飛んで高山病を起こしはしないだろうか? という疑問が湧いてしまったのだ。
「大丈夫! 魔法で固定してるから!」
そんな疑問を、ガクウは魔法の一言で蹴とばした。
少女は一瞬呆気に取られてしまうが、すぐさま笑みを浮かべる。
「……魔法、ね。貴方もキザな事言うのね」
「え? いや、竜乗りなら普通の魔法だと思うけど……」
「え?」
何か話が噛み合ってないぞ? と首と傾げるガクウと少女。
それを察し、ジャグーダの顔が青ざめた。
「……オイオイオイ、ちょっと待て。お前、もしかして魔法の事も忘れちまってるのか?」
「それぐらいわかるわよ。創作とかで良く出て来る非科学的な力のことでしょう?」
「……ヒカガクテキって何?」
「え?」
ガクウと少女が顔を見合わせる。
両者嘘偽りなく正直に話している。だからこそ、この致命的なすれ違いに恐怖に近い物を覚えた。
「……もしやお前、文明が全く違うところから来たのか? どんな未開拓の地だよオイ」
「……そうかもしれないわ。私、今話してるの英語で翻訳しながら話してるような感覚だし、出身はここらへんじゃないのかもしれない」
英語という言葉に、ガクウが首を傾げる。
「エー語? ええと……それどこの古代言語?」
「……根本的な知識から違う可能性出てきたなオイ」
少女にも彼らが英語と言う言葉に心当たりがないのは分かった。
しかし、それでもまだ自分と彼らの常識に違いがありそうだと、少女はどことなく察してしまった。
疑問に答えられる人間がいるのであれば聞かねば損だ。
そう思い直し、彼女は恐る恐る口を開いた。
「……私の覚えている知識だと、住んでいる国ごとに言葉が違ったりするのだけど」
「時代ごとにじゃなくて? それだと他の国の人と話すの不便じゃない?」
「時の流れによる移り変わりとかあるんでしょうけど、時代ごとに変えるとかは聞いた覚えがないわね……」
二人の言う知識は、彼女の持つ知識とまるで違う。
時代ごとに言語が違う、という発想さえ彼女の中には無かった。
自分の持っている知識の信憑性が、揺さぶられているような気さえする。
「お前、国ごとに話す言葉が違うって言ってよな。じゃあお前も自分の話す言葉が、どこの国の物かで出身がわりだせるんじゃないか?」
「おお! ジャグーダ頭いい!」
「だろ?」
ジャグーダの提案に喜ぶガクウだったが、少女にはそうは思えなかった。
しかし、何も言うわけにもいかないので、恐る恐る口を開く。
「……日本って国、知ってる?」
「……何が二本だって?」
少女は頭を抱える。
自分の持つ知識が役に立つどころか、前提条件として間違っているものしか無い。
「……箱入り娘で実験でもされてたのかね。コイツ」
ジャグーダの呟きに、少女自身そうなのかもしれないと心の中で賛同する。
それほどまでに、知識の差異が酷かったのだ。
ガクウは反射的にジャグーダの頭をはたく。
信じられないような顔でジャグーダが見て来るが、睨みつけて有無を言わせることをしない。
「もしかしたら、君は異世界とかから来たのかもしれないな!」
ガクウが励まそうとするが、余りに非現実的な話だった。
「私、どこかの施設で思考実験でもしてたのかもしれないわね……」
「自分に自信持ってー!?」
何とか少女を元気づかせようとするガクウだったが、逆効果であった。
どうしたものかとガクウが悩んでいると、ベルゼフォンが話に入って来る。
『いや、あながち間違いではないかもしれんぞ』
「え?」
『少女よ、お前はこの空よりも遥か上からやってきたのだ』
その言葉に、少女は驚愕を隠せなかった。
「……もしかして、宇宙から?」
『そう、宇宙だ。お前はそこから落ちて来て来たのだ。火事になって大変であった』
少女の頭の中で、脳味噌が総動員して知識を掘り出す。
人類が星から星を渡る技術力はある。そういった歴史の知識がが彼女の頭の中には確かにあった。
しかし、人が生息できる星など今まで観測された試しがない。
ましてや宇宙人など――――
「ッ!?」
そこまで思考が至ったところで、彼女の頭が軋む様に痛み出す。
自分が真実に辿り着く感覚があった。
「……ねえ兄ちゃん、ウチュウって何?」
「知らん」
二人の疑問に、びくりと体を震わせる少女。
そうだ。自分の頭の中の知識が、本当の事は限らない。現に彼らは知らないのだから。
その怯えを蹴散らすように、ベルゼフォンが言葉を吠える。
『黒き空の果ての事よ。日輪が大地を照らすと、数多の星は眠るだろう? その場所の事をいうのだ』
「だってさ!」
「だってさ! じゃねーよ。ちゃんと説明しろ」
ジャグーダに頭をはたかれると、ガクウはローブを深く被りゴロゴロと竜の上を転がしだす。
だが、少女にとって大事だったのは、ベルゼフォンが宇宙を知っていたことだった。
「……宇宙と言う概念は、あるの?」
『……あった、が正しい。あれから千年経った今では、知る者も少なくなってきた。吾輩も久々に耳いたぞ』
千年。少女が驚く程長い時間だった。
この竜は、それほどまでに長い年月を生きてきたというのか?。
少女が驚いく中、竜は優しく声を上げる。
『ともかく、安心するがいい少女よ。宇宙という知識に限っては吾輩が保証しよう。お前の知識は、何もかもデタラメではない』
「……ありがとう。ベルゼフォン」
『礼など不要。吾輩の知恵と力は無辜の民の為にあるのだからな』
自分の中の知識が間違ったものではない。
それに安堵した少女は、心の中に平穏が戻ってきた。
『所で少女よ。記憶喪失になったとは聞いたのだが、名前も忘れているのか? 「少女よ」って言うの、吾輩ムズムズする……』
「ごめんなさい。忘れてるのよ」
『参った……』
「じゃあさじゃあさ!」
少女とベルゼフォンが悩んでいると、ジャグーダに宇宙の概念を説明し終えたガクウが話の中に入ってくる。
「キミの仮の名前決めておくってのは?」
「そうね。その方がいいわ。是非決めましょう」
少女は何故だかわからなかったが、ガクウに「キミ」と言われるのが妙に嫌だった。
「宇宙からやってきたんだろう? ならウチュウでいいだろ」
「兄ちゃんのネーミングセンス……」
「適当言っただけだ! 俺の本気はこんなもんじゃねえ!」
ジャグーダは神妙な顔つきになって、深く考え始める。
ネーミングセンスを悪く言われることが、余程プライドに関わるらしかった。
「じゃあ、アオイちゃんっていうのは? 青い空からやって来たから」
そんな事梅雨知らず、ガクウは元気に手を挙げて提案する。
「無いわー」
『ダサい』
「そんな!?」
だが、ジャグーダとベルゼフォンからは総スカンだった。
それもそうだろうと、少女は納得する。
明らかに日本人的ネーミングセンスだが、目の前の三人の名前と並べるとあまりに異質だ。
しかし、日本人だと言う自覚がある彼女にとっては、これ以上無い名前であることに違いない。
「私はアオイが良いと思うわ」
『嘘だろう!? 大マジか!? 考え直さないか!?』
「オイオイオイ! しっくり来るのかその名前!?」
「ええ、しっくり来るし考え直さないわ」
賛同した少女に動揺する一人と一匹。
対してガクウは、一人静かにやったぜ! と拳を天に突きあげた。
それを見たジャグーダは、少女に耳打ちで問いかける。
「……ちなみに、ジャバラティーナとかどうだ?」
「……ちょっと」
「ちょっとかぁ……!」
ジャグーダは悔しそうに拳を握りしめた。
恐らくはこの辺りでは良い名前なのだろうが、少女にはそれを受け入れがたい感覚がある。
何故だか『中二病』という言葉が彼女の頭の中で輪郭が浮き彫りになってきた。
「よーし!」
しかしそれもガクウに突然手を掴まれ、一欠けらも残らず霧散した。
一体何事だと、顔を赤くしてガクウの顔を見る少女。
「それじゃあ、アオイちゃん。改めてよろしくね!」
子供の様な無邪気な笑顔に、少女――――アオイも自然と笑みを浮かべる。
「……ええ、よろしく。ガクウ」
アオイはガクウに名前を呼ばれることが、何故だかとても嬉しかった。