那美の秘密
この作品は拙者のブログ「三文クリエイター」に掲載したものを改稿したものです。
餓鬼狩り 第二部(第一回)
1、
東京から、南南東に一千キロ。太平洋上にある三十余りの島からなる小笠原諸島は、ほとんどが無人島である。人々が居住している島は、父島、母島、硫黄島、南鳥島、に限られ、そのうち民間人が住む島は、父島、母島だけである。硫黄島、南鳥島には自衛隊などの公務員が居住しているという。
小笠原諸島に点在する島のひとつであるN島には、組織AHOの研究施設があり、組織AHOの科学者たちや、戦闘部門の人員が常時滞在しているが、公には人跡未踏の無人島として認識されている。ここに組織AHOの研究施設があるというデーターは、一部の人間だけが閲覧でき、ここで何が研究され、ここで何がおこなわれているか、知るものは数少ない。
その組織AHOの研究施設があるN島にも、人々の気持ち清新な気持ちにさせる大自然のいとなみがあった。清らかな小川の流れがそうであり、暖かな微風がそうであり、小鳥たちの鳴き声がそうである。
那美と呂騎は、超絶サイキッカーであるナギとの戦いの後、組織AHO研究施設の医療休憩室で休んでいた。休憩室の窓から垣間見るN島の風景は、大自然のやさしさにあふれている。大地の息吹が、ここからでも感じられた。
《那美さま……。私がいたらぬせいで、ナギに……》
呂騎は、ナギに十種神宝のうち三つの十種神宝、奥津鏡、道反玉、死反玉を奪われたことを悔やんでいた。
《あのとき、那美さまが、品物比礼を身に着けていれば、ナギの衝撃破などかわせたものを……》
那美は、呂騎に十種神宝のうち、すべての邪を払うといわれる品物比礼を貸し与えていた。あの激しい戦闘の中で、呂騎が大怪我を負わなかったのは、品物比礼のおかげであるといえるだろう。
「自分を責めないで……。たとえ、私が品物比礼を持っていたとしても、ナギの衝撃破はかわせなかったと思うわ」
那美は、人に化身したままの姿で逝きたいと願った琥耶姫の最後の言葉を受け取り、琥耶姫を葬った。その一瞬の隙をつかれ、ナギの衝撃破をくらったのだった。
《那美さま……。あの時、なぜ、琥耶姫は自分を犠牲にしてまで、ナギを助けたのでしょうね?》
呂騎が言う。
醜い争いを好み、時には、人間のように相手をだましたりする蒜壺一族。相手を心から思いやるような愛情などは、皆無に等しい。その蒜壺一族の一人、琥耶姫が、なにゆえに身を挺して、ナギを守ったのだろうか。
「呂騎は、琥耶姫が、なぜ、ナギを助けたと思うの?」
《私には……》
呂騎は、視線を下に落とした。
「私は、琥耶姫の気持ちがわかるような気がするわ」
那美が、呂騎の頭を撫でた。
「琥耶姫は、ねえ。人間に憧れていたのよ」
《蒜壺の者が、人に憧れたのですか? 蒜壺の者にとって、人とは餌に過ぎないはず》
「蒜壺一族な中でも穏健派である餌非の民であるあなたも、人は蒜壺の餌に過ぎないと思っているの?」
《めっそうな……。私は、人を餌だなんて、一度だって思ったことはありません。しかし……》
餌非の民である呂騎は、那美のおかげで、人肉を食しなくても生きることができる。が、つねに那美が呂騎のそばにいなければ、呂騎もまた気が狂うという恐怖に耐えかねて人肉を食したろう。
「琥耶姫は、化瑠魂を途方もない歳月をかけて作ったのよ。人間体に化身できる化瑠魂をね」
那美は、琥耶姫の最後の言葉を、心の中で反芻した。
きれいなままで死にたい……。トカゲ顔の醜い姿で死にとうない。
蒜壺一族でありながら、人間体の姿であった琥耶姫の父と母。いつまでも若々しく、美しい父と母は、琥耶姫の憧れだった。
琥耶姫は、いつも呻吟していた。
なぜ、わらわはこんなにも醜いのじゃ。なぜ、母と父のように美しい姿じゃないのじゃ。人は……。人は美しいのう……。わらわも、あんな姿になりたい……。女で生まれたからには、きれいになりたい。
琥耶姫の、憧れは、那美と同じ容姿を持つナギに向けられてもおかしくはなかった。男でありながら、女と見間違えるナギの美しい容姿は、琥耶姫の心を揺さぶった。
(琥耶姫……。もし、生まれ変われることができるのなら、人として生まれてきて……。女として、もう一度生まれてきて…………。そして、人を愛する喜びを全身で感じ取って…………)
那美のまつげが揺れた。
呂騎が言う。
《神は、なぜ、蒜壺一族に人肉を食さなければ、七日後には気が狂い。最後には死んでしまうという業を与えたんでしょうね。それさなければ、蒜壺一族と人は、仲良くやっていけたかもしれないのに……》
那美は、呂騎の言葉に無言で答えた。
人と蒜壺一族の間に生まれた那美は、人の里で暮らしたこともあって、人の優しさも知っていたが、人の愚かさ、醜さも知っている。時として、人は蒜壺一族以上の残虐さをみせる。人の心の闇を知っている那美は、蒜壺と人が共存できる可能性に疑問を持つことがあった。
「呂騎、そこに横になって」
那美が、呂騎に休むように促した。
《生玉の御業を使うのですか?》
呂騎が言う。
「ええっ、そろそろやっておかないと……」
那美は、呂騎から頭のプロテクターと胴のプロテクターを外してやった。懐から生玉の勾玉を取り出す。
呂騎も、また蒜壺一族である。生玉の力を借りなければ、人肉を食する恐怖からは逃れられない。生玉の力によって、呂騎は人肉を食しなくても、狂うことなく生きてゆけるのだ。
「慈愛の御業をいまここに」
緋色の勾玉が七色に輝きだす。呂騎は七色の光に身をゆだねた。体毛が金色になった。心臓音が高鳴り、呂騎は苦しそうにぜいぜいとあえいだ。が、苦しそうにしたのはほんの一時だった。生玉の七色の光に優しく包み込まれた呂騎は、静かに目を閉じ、安らかな寝息をたてたのだった。
眠る呂騎の傍らで、那美は、ナギとの戦いを振り返っていた。
光双剣や、衝撃破、テレキネシスで、那美を苦しめたナギ。ナギは、那美もまた瞬間移動を駆使できると思ったようだった。が、那美には瞬間移動などという能力はない。敵の居場所突き止める奥津鏡と、吹きすさぶ風のように移動できる足玉の力を最大にして、ナギの瞬間移動先を突き止め、瞬時に移動したのであった。
(奥津鏡を、ナギに奪われたしまったいま……)
那美に不安の波が襲い掛かる。
足玉は、手元にあるが、奥津鏡は敵におちた。光速に移動はできるが、瞬時に敵の居場所を突き止めることはできない。敵の移動先を突き止める奥津鏡がなけりゃあ、足玉の力を最大限にしても、ナギには追い付けないのである。
(いや、それよりも……。父、千寿が絶対、敵に奪われてはいけないと言われていた勾玉、死反玉を、ナギに奪われてしまった)
一度、死んだものを再び蘇えさせることができるという死反玉。死反玉は、本当に一度、死んだものをこの世に、蘇えさせることができるのだろうか?
蒜壺一族の現当主、洪暫は、死反玉の使い方を、おそらく知っているだろう。
洪暫は、どのように死反玉を使うであろうか?
もし、死反玉を使って死んだものが蘇ったならば…………。
那美は、両手で顔を覆った。
2、
医療休憩室の天井に設置されている、三つの円形上のLEDライトは、穏やかな光を演出していた。
穏やかな光は、傍らに置かれてある、聴診器、血圧計などの観察用器材や、人工呼吸器、自動式体外除細動器などの無機質な機器にもやわらかい温もりをあたえているかのようでもあった。
空調設備も行き届いている。排気口から排出されたプラズマイオンは、同時に排出された低濃度オゾンと結合して、空気中の浮遊ウイルスなどを効率的に除去しているようだし、森林浴を思わせる清浄な空気には、自律神経に作用し、精神の安定を保つ、テンペン類などの炭化水素化合物が混入されているようだった。
那美は、電動アシスト付きの医療用ベッドの上に腰かけていた。穏やかな光と、清浄な空気が、ベッドの上の那美と、那美の足元で眠っている呂騎を、優しく包み込む。 ひと時の安らかな空間がそこにあった。
度重なる戦いで疲れたのか、それとも、十種神宝のうち三つの神宝を、ナギに奪われた心労なのだろうか、那美は、まどろんだ。まどろみながら、夢を見た。夢の中での那美は十歳だった。
あの時、洪暫は、オババとともに、人里で暮らす幼い那美とナギを、極異界に連れ戻すため、喪間という熊の蒜壺を、使者として送りつけてきた。那美とナギは、オババによって禁じられていた能力を使って、喪間、なんとか撃退することができたが、次の使者も、同じように撃退できるとは限らない。洪暫は、屈強な力を持つ蒜壺で知られる熊の喪間を倒した那美とナギの力に、脅威を感じ、喪間以上の蒜壺を、那美とナギが、暮らすあばら家によこすだろう。
洪暫、いや蒜壺一族にとって、想像以上の力を持つ那美とナギは、恐れであったが、もし、蒜壺側に取り込んでしまえば、一族に一筋の光明をもたらす希望かもしれない。
オババは洪暫との約束を守ろうとしていた。
使者喪間に那美とナギを渡そうとしていた。那美とナギが喪間を葬らなかったら、二人を喪間に渡しただろう。
しかし、それはオババの本心だったであろうか?
オババは、蒜壺一族であったが、オババもまた蒜壺と人間の間に生まれた者であった。那美たちと同じように、太陽の下でも普通に暮らせることができた。陽の光の下でも生きることができたから、人の中に混じり、暮らしてきた。人と暮らし、人の情を知った。蒜壺一族ゆえに、人肉を食する宿命から逃れることはできないが、それでも人を愛する喜びを知っていた。
オババは、那美とナギにも、人を愛する喜び、人から愛される喜びを知ってほしかった。
喪間を葬った日から、数えて、十三日後、オババは、那美一人を連れて、オババしか知らない人里離れた洞窟に向かった。
「ねえ、なぜ、ナギは一緒じゃあないの?」
道中で、那美が、オババに聞いた。
「あやつは、自分の力を過信している」
「過信ってなあに?」
十歳の那美が、質問する。
「確かな自信がないくせに、おのれが、一番強いと思うことじゃよ。強さに溺れる奴は、やがて優しさを忘れる。優しさを忘れた奴は、弱いもの見下すのじゃ」
「弱いものを、見下すの?」
「そうじゃ、まだまだ尻の青いガキのくせに、尊大にふるまうようになる。おのれが一番偉いと思い込み、人の心を平気で踏みにじる……。腹が減れば、うちに帰ってくるような未熟者のくせにな」
喪間を始末した後、一時、あばら家から出て行ったナギだったが、空腹に耐えかねて、すぐに、あばら家に帰ってきた。黙々と飯をたいあげるナギを見て、オババと那美は、ひとまず安心した。が、胸をなでおろしたのは、その晩だけだった。
翌日から、ナギは、異常ともいえる行動を行うようになった。
村人との交わりを避け、野や山を駆け巡り、おのれの体を苛め抜き、体を鍛え上げた。滝に打たれ座禅を組み、精神修行に明け暮れた。そして、陰で、人肉を食しているオババを軽蔑し、自分と同じような能力を持つ那美を、敵視するようになった。
この力があれば、蒜壺一族など恐れることはない。この力があれば、人の上に君臨できるではないか。
なのに、なぜ……。姉さんは、この力を誇示しないのだ。なぜ、この力を恐れる、人の感情などどうでもいいのではないのか?
那美と同様、幼いナギは、人前でおのれの超能力を使った時、恐怖のまなざしを向けられた時があった。姉である那美は、相手の心情を思いやり、反省したが、ナギは違った。 ナギは、優越感を感じた。優越感は、人に対する下げ済みになり、ナギは次第に、人とは無能で愚かなものと思うようになっていった。
僕は、選ばれた者。この地上さえも支配できる神のような存在……。
「人が、神になれるわけなかろう。まして、人と蒜壺の間に生まれたバケモノが、神をきどることなど…………」
オババが、ため息交じりに言った。
鬱蒼とした森の中を、歩き回った那美とオババは、水しぶきをあげる大きな滝の前に立っていた。
「わしらが目指す洞窟は、この滝の中にある」
オババが指さした。
「おいで、こちらから……。水には濡れたくはないだろう」
オババは、藪をかき分けて、那美を洞窟の入り口に誘った。
入り口は、大人が一人、やっと通れるくらいの大きさだった。洞窟の中は、案外広く、二、三分歩くと、広さ十平メートルほどの広間に出た。オババは、持ってきた火打石を取り出して、ヘリの部分に置かれてあったロウソクに火を点けた。ロウソクを手に取り、さらに奥に、那美を誘った。しばらく歩くと、洞窟の中にも、小さな滝があった。滝の前に、高さ一メートルほどの円形の岩盤があり、岩盤の上は平らで水平だった。上に、若草色の香袋が置かれてある。オババは、ロウソクを窪んだ個所に置き、若草色の香袋を、手に取った。香袋から勾玉を取り出し、それを那美に見せた。
「わっー きれいね」
那美は、無邪気に微笑んだ。
鴇色、空色、緋色、紅緑色、青藤色、白緑、紅梅色、藍鼠色、藤色、鳥子の色、それらの十の勾玉を、岩盤の上に置いたオババは、目をかっーと開いた。
「那美、これから話すことをよく聞いておいてくれ。おまえが、蒜壺と人を結ぶ、鍵になるかもしれぬのでな」
「人と蒜壺が、仲良くできるの?」
幼い那美にとって、喪間のような蒜壺が人と仲良くできるんどとは、思えなかった。
「蒜壺一族が、人を餌だと思っているうちは、それはかなわぬことだろう。蒜壺に人肉を食さなければ、気がくるってしまうという呪いがかけられているうちは、人と蒜壺は仲良くできぬ」
オババは、目を伏せた。
「ここにある十の勾玉は、お前の父、千寿が、鬼部一族から奪った十種神宝というものじゃ」
千寿は、那美とナギが、まだ嬰児の時に、弟である洪暫に命を絶たれてしまっていた。千寿が鬼部一族から十種神宝を奪ったのは、那美とナギが生まれる前のことだった。
「千寿が、なぜ、地獄界に行き、鬼部一族から十種神宝を奪ったと思う?」
「なぜって……」
那美は、父のことを知らない。竜の蒜壺だったとオババから聞いてはいたが、想像もつかなかった。
「蒜壺一族には、ある言い伝えがあった。十種神宝には、蒜壺一族にかけられた呪い、人肉を食さなければ、気が狂ってしまうという忌まわしい呪いを解くといういい伝えが。だから、千寿は、二度と帰ってこれないかもしれないという危険を顧みずに、地獄界に行き、鬼部一族から十種神宝を奪ったのじゃ。だがな、那美。よくお聞き。千寿には、十種神宝の秘密を解くことができなかったのじゃ。それぞれの十種神宝の力は解くことができたが、どうしても蒜壺一族にかけられた呪いを解く方法を、発見できなかった……」
千寿は、人の娘を愛し、娘との間に、那美とナギの赤子を授かった。この双子の赤子のためにも、千寿は蒜壺一族にかけられた呪いを解こうとしたのだが……。
「千寿は、わしにこれを託した。那美とナギが十五の歳になったとき、十種神宝を与えよと」
オババは、鴇色の勾玉を宙に抛った。鴇色の勾玉は、宙で、八握剣というものなった。八握剣……。後年、那美が光破剣と呼んで使う剣である。
オババは、八握剣をとった。
「この剣、己の中の怒り、憎しみ、妬みなどを浄化させ、その浄化の気で、敵を斬る剣じゃ」
オババは、八握剣を、そう説明した。
「怒りや、憎しみを浄化させるの?」
「そうじゃ。怒りや憎しみは、災いをもたらす。たとえ、それが邪悪なもの対しての正しい怒りでもな……」
オババ、そういうと、八握剣をもとの勾玉に戻した。緋色の勾玉を手に取り、それを宙に抛る。緋色の勾玉は、宙で生玉という十種神宝になった。オババは、両手でそれを抱えた。
「この十種神宝はな、生玉と言ってな……」
オババは、生玉を力を話したのち、品物比礼、足玉、奥津鏡、辺津鏡、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、死反玉と、次々と、その力を、那美に話していった。
「おまえの父はな、これらの十種神宝の中に、蒜壺一族にかけられた呪いを解く鍵があると思って、必死に十種神宝を調べ上げたんじゃがな……」
オババは、悲しそうな顔をした。
那美とナギの父、千寿は、十種神宝の謎をすべて解き明かす前に、弟、洪暫の手によって殺させてしまった。
「ねえ、オババ。昔、蒜壺のものは、昼間でも、動くことができたんでしょう」
那美が言った。蒜壺一族にかけられた呪いは、二つあった。蒜壺一族が、この世にあらわれたときにかけられた呪いと、千寿が、蒜壺一族にかけた呪い……。
那美は、千寿が、蒜壺一族にかけた呪いのことを、オババに尋ねたのである。
「なぜ、いまは、おひさまの下ではうごくことができないの?」
「蒜壺のものは、陽の光の下では、長くは活動できない。陽の光を浴び続けていると溶けて行ってしまう。おまえと、ナギを守るために、千寿が、死反玉を使い、一族のものに、呪いをかけたのじゃ」
「死反玉は、呪いをかける道具なの? じゃあ、呪いをかけることができるなら、呪いを解くこともできるのじゃない? 死反玉を使って、蒜壺にかけられた、もう一つの呪い、人肉食の呪いを解くことはできないの?」
「千寿は……。千寿は、死反玉を使っていろいろ試してみた……。けれど、死反玉には、人肉を食さなければ、気が狂うという蒜壺一族にかけられた呪いを解く力はなかった」
オババは言う。
「那美、くれぐれも言っておくが、死反玉を使うときには、気をつけてつかってくれ。いいや、できれば、使うな。ひとつ間違えれば、大変なことになる」
オババは、空色の勾玉を掌に乗せた。那美は、宝石のような輝きを放つ、それをしばらく見つめた。
「十種神宝のすべての謎が解ける時、神が蒜壺一族にかけた呪いは消滅するのじゃ。お前の父、千寿は、解くことはできなかったが、おまえなら解くことができるかもしれん。人と蒜壺の間に生まれたおまえなら……」
「オババ……」
オババの話は続く。
「おまえと、ナギが十五の歳になるまで、おまえたちの父、千寿に、那美とナギに、この十種神宝を授けてはいけないと戒められてきたのじゃがなあ……。洪暫は、おまえらの力に気づいてしもうた。もう一刻の猶予ならぬ」
オババは、那美の瞳を見つめた。那美は、オババを見つめ返す。
那美の瞳は漆黒だった。漆黒の闇の中にキラキラと、宝石のような光が宿る那美の瞳は、たとえよもない美しさだった。
「ほんに、おまえはいい目をしているのう。一点の曇りもない純粋な輝きを持つ目じゃ」
オババは、台座に置いてある十種神宝に手を置いた。
「おまえたちは、力自慢の熊の蒜壺を、その手で、葬り去った。喪間を倒したことで、洪暫は、おまえたちが途方もない力を持っていると知ってしもうた。じゃがな、まだ洪暫は、十種神宝のことは知らぬ……。いずれ、気づくと思うが、十種神宝の秘密を知ったところで、あやつに、神が蒜壺一族にかけた呪いを解くことなどできぬ」
「なぜ、叔父上には呪いをとくことができないの?」
那美が聞いた。
「おまえの父、千寿が、命がけで解こうとして解けなかった呪いが、私利私欲の塊のような男、洪暫に、なんで解けようか?」
洪暫は、蒜壺一族の頭目の座を奪うために、兄である千寿を、その手で殺した男である。おのれの欲のために肉親でさえ、その手にかけた。そんな男が、なにゆえ、神が蒜壺一族にかけた呪いを解くことができようか。
「那美、十種神宝の秘密がすべて解けるまで、十種神宝を使い、蒜壺一族から自分の身を守るのじゃ」
「えっ? これは、身を守る道具なの?」
「本当のところは、分からぬ……。十種神宝が、何のために生み出されたのか、誰がこのようなものを作ったのか? 本当のことは、わしにも分からぬ。じゃがな、いまは、この十種神宝が、おまえたちを守ってくれるだろう」
幼い那美にとって、目の前に置かれた十種神宝が、どのような価値を持つものか、知る術はない。ただ、この十種神宝には、途方もない秘密が隠されていることだけは理解できた。
「これがどんなものかよくわからないけれど……。あたい、これを使って、自分と……みんなのことを守るわ」
「みんなとは?」
「村の人たち」
「そうか、そうするがよい。蒜壺のものは、おまえとナギをさらうために、再び、村にやってくるだろう。その度に村の人々が犠牲になるかもしれぬ。村の人たちを犠牲にしてはならぬ。村の人たちを、その十種神宝を使って守るのじゃ」
「うん。あたい……。村の人たちを守るし、父上が解けなかった十種神宝の秘密を、必ず解いて見せるわ」
「そうか……」
オババは、安堵のため息をついた。
那美とナギが十の歳を数える間。
オババと那美、ナギの周辺には、いつも蒜壺一族の影があった。蒜壺の者は、那美たちの監視続け、那美たちをさらう機会をうかがっていた。
オババは、蒜壺一族の現当主である洪暫に、十種神宝の秘密を、気づかれるかもしれぬという恐怖を抱えながら、那美とナギの双子の兄弟を、ここまで無事に育ててきたのであった。
そのオババは、もういない…………。
那美をナギの手から守るために死んでしまった…………。
那美の、まどろみは、医療休息室に流れたアナウンスの声によって、遮られた。
アナウンスは、那美と呂騎を呼ぶものだった。
「那美さん、呂騎くん。充分、身体を休ませることができただろう。そちらに迎えの者をよこす。その者についてこちらに来てくれたまえ」
その声は、五十嵐参謀のものだった。
五十嵐参謀は、蒜壺一族と戦い続けてきた那美に多大な関心を寄せていた。五十嵐参謀が、組織AHOの本部がある警察庁の地下五階から、この小笠原諸島の中にあるN島に、わざわざ赴いたのも、蒜壺一族とともに、那美が現れるかもしれないと思ったからであった。
《那美さま……。会議とやらに参加するのですか?》
那美の足元で、呂騎が那美に尋ねた。
「ええっ」
那美が、短く答える。
《人と、一定の距離をおいていた那美さまが、なぜ、いまさら、人との交わりを持つのか、私にはわかりません……。また、あの時のような悲劇が……》
かつて、那美と呂騎は、人と協力して、蒜壺一族と戦ったことがあった。那美と人間たちは協力し合い、蒜壺一族と戦ったが、那美たちと一緒に戦った人間たちは、蒜壺一族に殲滅され、那美と呂騎には深い悲しみだけが残ったのであった。
「呂騎、そんなことを言っている場合じゃあないのよ。事態は切羽詰まっているといってもいいわ」
十種神宝の内、三つの神宝を奪われた今、過去の悲劇を嘆いて、立ち止まっていてはいけない。過去の悲劇を乗り越え、未来に向かう勇気が必要なのである。
《人を……、今一度、人を信じてみようというのですか?》
と、呂騎が言う。
前回、人と協力して戦った時、人間たちの中に裏切り者がいた。裏切り者のせいで、人間たちが殲滅したと言ってもよかった。
「呂騎、あんたたはどうなの? 人を信じないの?」
《私は……》
平気で人を裏切る人間もいれば、おのれを犠牲にして他者を救う人間もいる。そして、呂騎は後者の人間の暖かさを信じていた。
「あなたは、人を信じているでしょう。信じているからこそ、私と一緒に、戦い続けているんでしょう」
那美は、呂騎の瞳を覗き見た。
《……私は人を信じています。人が持つ優しさを信じています》
「だったら、迷うことはないわ」
那美が力強く言う。
「たとえ、どんな未来が待っていようとも、私たちは進むしかないの」
《はい》
呂騎は、立ち上がった。
「那美さん、呂騎さん、向かいに参りました。準備はよろしいでしょうか?」
来意を告げる声がインターホーンから聞こえた。
那美は、部屋のロックを外した。
3、
その会議室は、広さ三十七坪ほどだった。
白色で統一された色調の空間の中央に、長さ十五メートルほどの楕円形の円卓が置かれ、円卓を囲むように二十脚ほどのリクライニング椅子が配置されてあった。上座には、六十インチを超す大型のモニターが、置かれており、映像が映し出されている。モニターに映し出されている映像と、円卓の上に置かれてある二十数台のパソコンのモニターの映像は同調しており、映像は、N島B-2地区で起こった組織AHO対蒜壺一族の模様を映していた。
上座に座る大野がため息をついた。
「不快なものだな、肉体が破壊されるのを見るのは……」
「いや、わしは、もっと嫌なモノを見たことがあるよ……。口に出すのもおぞましいモノをな」
大野の隣で、五十嵐参謀が目頭を押さえた。
「これ以上のモノをですか……」
映像は、風のイ、大地のヌに、倒される組織AHOの隊員を映していた。
ジェットパックを背負い、システムウエポン装備の機銃を配し、蒜壺一族と戦った組織AHOの面々だったが、風のイと大地のヌ、そして卑眼の惟三の、息のあった連携攻撃の前に、ようしゃなく倒されていった。那美の登場が、いまひとつ遅ければ、全滅していたかもしれない。
「HーAシリーズの力は、こちらの予想をはるかにうわまっている……。風のイと大地のヌは、そこにいる那美さんが倒したが、惟三の生死は確認されていない」
と、大野が言った。大野の言葉を受けて、B-2地区に残り、惟三を追って作戦を指揮していた野村が言う。
「我々は、惟三を追い、B-2地区から、B-3、B-4、B-5と捜索しましたが、惟三の行方は分かりませんでした」
「監視カメラには、映っていなかったのかね?」
五十嵐参謀が、大野に質問をする。
「オペレーターは、まだ惟三を見つけておりません」
「五千もの監視カメラが、なんの役にもたっていないというわけか……」
N島全域には、五千にも及ぶ監視カメラが、張り巡らされている。五千もの監視カメラが、随時、作戦本部に、映像を送っているのである。
「くそったれ! あの野郎、今度会ったらただではおかねえ」
下座の席で、荻隊長が憤りの声を発した。
荻隊長は、新宿御苑での戦いを思い出していた。あの戦いの最中、食風という餓鬼の業をくらい、自分の手で部下を惨殺してしまった。荻隊長にとって、食風を呼び出した伽羅も憎いが、その場にいた惟三も、また憎かった。
「那美さん、惟三は極異界というものに帰ったのでしょうか?」
大野が、那美に問う。
「ええっ、おそらくそうでしょう」
那美は、短く答えた。
《私の嗅覚にも、惟三の臭いは探知されておりません。惟三は、すでにこの島から逃げ出しているでしょう》
呂騎が、会議室にいる全員にテレパシィーを送った。
「これが、呂騎くんのテレパシィーという奴か……。頭の中に直接話しかけられるのは、なんだな……。あまり気持ちいいものではないな」
五十嵐参謀が、軽く咳をする。言葉を、耳という聴覚器官で聞き取る人間にとって、呂騎のテレパシィーは、何度聞いても聞きなれないものだろう。呂騎のテレパシィーを、何度か聞き取っているAHOのメンバーもまた、側頭部を指で掻いたり、頬に手をあてたりしていた。
「逃げてしまった惟三のことは、後回しにして、ナギという、那美さんそっくりの男のことについて、議論を重ねたい。モニターを切り替えてくれ」
大野の指示で、画面が切り替わった。
画面には、研究所正面玄関にいるナギ、琥耶姫、刻の姿が映し出されていた。
「この男は、那美さんに関係ある人物ですか?」
荻隊長の隣に陣取っている室緒が言った。
「那美と、そっくりだからか? ふん、餓鬼の中にはなあ、人に化けることが得意な奴もいるんだぜ。そいつが那美に化けていたんじゃあねえのか」
荻隊長が、言う。
「確かに、餓鬼の中には、人に変身することができる餓鬼もいます。しかし、ここまで那美さんにそっくりなのは……」
室緒が、戸惑いながら言った。
「そっくりだから、なんだっていうんだよ。餓鬼は餓鬼だ。それ以上のものではねえ。こいつは餓鬼さ」
荻隊長が言う。
「果たして、そうでしょうか? 僕にはただの餓鬼ではないような気がしますけれども……」
室緒は、ナギを見たとき、那美と最初に出会った時の感触を得ていた。組織AHOが、餓鬼として、Bシリーズとして区別したものでもなく、知能が高いAシリーズとはまた違う感触。
「那美さん、この男は、蒜壺が化けた者かね……。それとも?」
大野が、再び問う。
那美は、答えない。静かに大野の顔を見つめただけだった。
那美が、この会議室に呂騎とともに訪れた時、会議室にいる組織AHOの面々は、一斉に緊張した。いままで組織AHOとの協力を拒み続けてきた那美が、組織AHOの要請を受け入れて、同じ席に座るというのである。組織AHOが、苦戦を強いられている蒜壺一族に、単独で戦い続け、常に勝利している那美が、なぜ、一緒に戦う気になったのだろうか。
那美が静かに告げる。
「その男の正体をいう前に、私のことを皆さんに言わなければいけませんね」
「話してくれるのかね?」
五十嵐参謀が言う。
「ある程度のことなら……」
「ある程度のことでかまわん。話してくれっ」
大野が言った。
《那美さま、すべて話すつもりですか?》
呂騎が、那美だけにテレパシィーを送った。那美の胸元、鳥子の色の勾玉が光った。
《すべて話す気はないわ。すべてを話したら、組織AHOが混乱するだけ。できるだけ混乱は避けたい》
那美が、人と蒜壺との間に生まれた女性……。那美とナギが、双子であること……。その事実だけでも、組織AHOは、混乱し、那美に不信感を持ってしまうだろう。たとえ那美が、人のために蒜壺一族と戦い続けてきたといっても、組織AHOは、那美を信じようとはしないだろう。
《辺津鏡は、那美さまに、何を伝えています? 》
呂騎が、那美に問う。
辺津鏡は、人の深層に隠された心理までも読み取ることができる十種神宝である。辺津鏡は、那美と呂騎にとって、人の本心を伝えてくれる大切な十種神宝であった。
《警戒心……。辺津鏡は警戒心だけを伝えている》
《警戒心ですか……。ここいる人たちは、那美さまを警戒するだけで、信用しようとしないわけですね。信用しないけれど、うまく利用しようとしているだけですか……》
《信用しようとする気持ちは多少あるみたいだけれど、警戒心のほうが強い……。けど、一人だけ私を信用しようと、いえ、信頼しようと努力している人物がいる》
《その人物とは?》
呂騎の問いに、那美は視線で答えた。那美の視線の先に、室緒がいた。
《室緒さんですか?》
《ええっ》
《室緒さんは、以前はI県に所属する刑事だったはず。どういう理由で組織AHOに配置換えされたのか分からないけれど、彼だけが、私に不信感を持っていない》
那美と室緒の最初の出会いは、俄蔵山上空を飛び回る県警のヘリ“あさぎ”の機内でだった。伽羅が呼び出した身長五十メートルを超す餓鬼“食吐”と、戦い、これを撃破した那美は、あさぎに乗り込み、室緒と相まみえたのだった。
《那美さまは、彼の部下を二度救っています》
と、呂騎が言う。
《それで、私を信頼しているというの?》
《ええっ。私には人の心を読む能力はありませんが、室緒さんが部下思いだということは、毒虫にやられた村中さんに対する接し方で分かります。あの時、室緒さんは、本当に村中さんを心配していました》
《確かに、そのようだったわね。あの時の室緒さんの顔ったら、見られたもんじゃあなかったもの》
《真っ青でした。自分が毒虫にやられたわけでもないのに……。部下の身体のことを真に心配していたのでしょう》
自分自身の不注意で、毒虫に刺され、発狂寸前に陥った村中を救ったのは那美だった。那美が、解毒剤がない毒虫の毒を、生玉を使って中和し、村中を窮地から救ったのだった。
《私が二度、彼の部下を救ったといったけれど、村中さんの他には、室緒さんの部下を救った記憶は、私にはないわ》
那美が、呂騎に尋ねた。
《那美さま、思い出せませんか? 那美さまは、雁黄に、殺されそうになった男を助けたことがあるでしょう》
《雁黄に殺されそうになった男……。吉川というあの刑事ね》
《ええっ》
ヒヒの化け物のような蒜壺、雁黄は、海辺の鉄工所跡で、高井戸という若い刑事を殺し、吉川という中年の刑事を、その手にかけようとした。現場に駆け付けた那美によって、吉川は助けられ、那美は雁黄を撃退した。雁黄を撃退後、那美は、鉄工所跡での凄惨な記憶を、吉川の頭から消去し、蒜壺一族と自分の存在を、消そうとしたのだが、吉川が隠し持っていたボイスレコーダーによって、県警は、那美と蒜壺一族のことを知った。当時、一連の猟奇殺人事件捜査班の実質的リーダーだった室緒は、二人の男女が殺された神社で起きた事件も、公園で、いたいけな幼児が惨殺された事件も、蒜壺一族の仕業と知り、蒜壺一族と那美の行方を追ったのだった。
「那美さん、さあ、話してくれ。あなたのことを」
黙っている那美に、しびれを切らしたのか、大野が、せかした。
「私は……。みなさんが、うすうす気づいている通り、普通の人間ではありません」
那美が言った。
「人でなければ、何者なんだ?」
「私の正体……。いま、ここでは言えませんが。私は、長い間、蒜壺一族と戦い続けてきました」
「長い間とは?」
「私は、あなたがたがいう平安時代に、その生を受けました……」
「平安時代にだって!?」
那美の言葉に、会議室の中にいる男たちがざわめいた。
平安時代というと、およそ千二百年前の時代である。そんな時代から、少女にしか見えない那美が生き続けているなんて、誰が信じようか?
「平安時代に生まれた私は、オババという保護者によって育てられ、やがて、みずからなすべきことに気づきました。……蒜壺一族の呪いが解けるまで、蒜壺一族と戦い、人を守り続ける……」
「蒜壺一族にかけられた呪いというのは、あれかね。人を食しなければ、七日後には狂い死ぬという。もうひとつは、陽の下のもとでは、長くは生きられない……」
五十嵐参謀が、言った。
「ご存知のように、蒜壺一族にかけられた呪いは、二つあります。一つは、いま五十嵐参謀が言った。狂い死ぬという呪い。もう一つは太陽の下では、長くは生き永らえない。……狂い死ぬという呪いは、蒜壺一族誕生のときから、かけられた呪い……。陽の下で長くは生き永らえないという呪いは、私が誕生したときに、蒜壺一族にかけられた呪い」
「その二つの呪いが解けるまで、君は戦い続けるというのか」
「ええっ……」
那美は、目を閉じ、思いを巡らせた。
オババの願い。呂騎をはじめとする餌非の民の願い。それは、人との共存である。
人を食さなければ、狂い死ぬという呪いが、解ければ、蒜壺一族は人類と共存できるかもしれない。たとえ太陽の下では、長く生き永らえないないとしても、共存できる道を模索できる可能性があるのではないか。
たとえその可能性が一パーセントに満たなくても、信じてみたい。私が、蒜壺と人との間に生まれた理由が、そこにあるかもしれないから……。
「呪いが解けるまで戦うって……。呪いが解けたら、戦わないっていうわけか……。呪いが解けたって、あの化け物たちが滅びるわけではないのだろう。あんた、あの化け物たちをどうするつもりなんだよ」
荻隊長が、円卓を叩いた。
「どうするつもりって?」
「だから、野放しにするつもりか。あんな危険な奴らを」
「野放しにするつもりはないわ。ただ……」
ここにいる人たちに、オババや餌非の民の願いを説いても無理だろう。
那美は、目を伏せた。
「ただ、なんだ? だいたいあんた、平安時代に生をうけたって? そんな話、信じられるか。あんたは俺たちをからかっているのか。馬鹿にしているぜ、まったく」
荻隊長が鼻をならした。
「荻くん、口をつつしみたまえ」
大野が注意をする。
「那美さんが、長い間、蒜壺一族と戦い続けてきたことは、記録に残っている。パソコンの画像をみたまえ」
パソコンの画像には、那美の姿が映し出されていた。
「その写真は、明治初期に撮られたものと、昭和の初め、平成元年に撮られたものだ」
那美の姿は、明治初期も、昭和の初めの時も、平成の世でも変わっていなかった。淡いクリーム色の胴着を着用し、紺色の袴を履いて、長い髪を風になびかせていた。
「どういうことですこれは。那美さんは、歳をとらないというのか!?」
室尾が言う。
「こんなことはありえない」
「これは合成写真なのか?」
会議室に、驚愕の声をあがった。
「この写真は合成写真でもないし、この写真と、ここにいる那美さんは同一人物だよ。ただ、平安時代に生まれたという話はにわかには信じられないが……」
と、大野が言った。
「まるで八白比丘尼だな」
大野の発言を受けて関川が、ぼそりと呟いた。
「八白比丘尼とは?」
五十嵐参謀が眉を寄せた。
「知らんのかね……。八白比丘尼を」
よれよれの白衣を、揺らして、関川が八白比丘尼のことを説明しだした。
日本各地に残る八白比丘尼の伝説。各地によって多少異なるところがあるが、その大筋は、人魚の肉を食べた娘が、不老の力を得たという伝説だ。
「地方によって浦島太郎と八白比丘尼の話をごちゃまぜにしたものもあるが、八白比丘尼の伝説は、まあ、そんなところだ。人魚の肉を食べて不老不死となったとういうもの。那美さん、あんたは不老不死なのかね。もしそうだとしたら、これほどおもしろい研究対象はないな。科学者の目で見ると、あんたは本当に魅力的な存在だよ」
「私は、不老不死ではないわ。ちゃんと歳をとるし、やがて死を迎えることもあるでしょう。私は、青年期の時間が長いだけ……」
「青年期という時間というと……」
「あなたがたでいう、十代後半から三十代前半にかけて」
那美は、まつげを揺らした。
「おもしろい! 科学者として思うに、誠に興味深い話だよ、那美さん。一度でいい、あんたの身体を調べさせてもらえんかね」
関川は、唾を飛ばしながら言った。
「関川くん!」
大野が、関川を叱った。
「那美さんは、君の研究材料じゃないんだよ。まったく、君はすぐにそうだ。生成科学のことになるとみさかいがなくなる。……那美さん失礼した。こいつは礼儀を知らない奴なんでね」
「いいえ」
那美は、関川に一瞥を送ると、すぐに視線を、元に戻した。
「ちょっと、話してもいいかね?」
関川が、言う。
「なんだ? 言い足りなかったのか」
大野が目を光らせた。
「そんな怖い顔をしないでおくれよ。わしは、ここにいるみんなにハイランダー症候群のことを説明したいだけだ。八白比丘尼の話もそうだが、ハイランダー症候群のことを説明したほうが、那美さんの身体のことを理解できると思ってな」
「ハイランダー症候群? なんだ、その症候群っていうのは?」
「ハイランダー症候群っていうのはだな……」
関川の話によると、ハイランダー症候群というのは、いくら歳をとっても老けないという、非常に稀有な症状を持つ人々のことだという。
「ほう、那美さんのような人が、我々人類の中にもいるというのかね」
五十嵐参謀が、問う。
「最近、ある筋からわしが確認した患者は、二名でね。アメリカメリーランド州の少女と、韓国の二十代の男性だがね。アメリカの少女のほうは、四歳で、その成長が止まり、二十歳で亡くなってしまったが、韓国の男性のほうは、十代の容姿で、今も元気に生き続けているよ」
「その韓国の男性、テレビで見ました」
関川の説明に、室緒が補足するように声をあげた。
室緒が見たのは、インターネットで紹介されていた韓国のテレビ番組だった。韓国の男性は、異常な症候群を患ってはいるが、大変明るい性格だと、そのテレビ番組は報道していた。
「室緒くんだったか……。君は、人の老化は、何が原因で起きるのか、分かるか?」
関川が、銀縁の眼鏡を右手の人差し指で掻いた。室緒は、応えることができない。まだ若く、老化のことなど考えたことがない室緒は、不意をつかれた子供のようにうろたえた。
「人の老化というものはだね……。一概には言えないけれど、細胞組織の酸化に、その一因があると言われている。酸素を取り込むことによって、皮膚は老化し、臓器が錆びてゆくというデーターがあるのだよ。君も活性酸素が、身体に有害なことぐらい知っているだろう。何とも皮肉な話だが、生きてゆくのに必要な酸素をとりこむことによって、人は老いてゆく」
「それじゃあ、そのハイランダー症候群の人たちは、活性酸素の影響を、全く受けていないというのですか? 酸化をしないから、肉体が老化しないのですか?」
室緒が問う。
「そうじゃない。第一、息をして、酸素を取り込まなければ、すぐに窒息死してしまうだろうが……。ハイランダー症候群の人たちは、ホルモンの異常によって老化が食い止められていると、一部の学者たちの中で言われている。どのようなホルモンが関わっているか、全くわかっていないがね」
ホルモンとは、人の体内で合成され、血液などの体液によって、人体を循環し、細胞などで、その効果を発揮する生理活性物質だと定義されている。
ホルモンは、人の正常な生命活動状態を保ち続ける重要なものだが、その作用については、まだ分かったいないことが多いと、言われている。
「あなた方の中にも、私のような人がいるというのね」
那美が言う。
「そうだ。まっ、那美さんみたいに平安時代から生き続けている人間はいないと思うけれどな。わしが言いたいのは、人類の中にも不老の可能性持つ人々がいるということだ」
「那美さんが、平安時代から生き続けてきたという話は、無暗に否定できるものではないということだな」
関川の説明を受けて、大野が言った。
「そういうことだ。信じられる話ではないがな」
関川は、眼鏡を外し、胸のポケットから取り出したハンカチで眼鏡を拭き始めた。
いつまでも若いままでいたいという願望は、おそらく人類共通のものであろう。
人は、誰でも老いる。歳をとれば、物覚えが悪くなり、運動能力が低下する。容姿が衰え、異性に関心を持たれなくなり、やがて、鏡に映った自分の姿に愕然とするようになる……。
中には、歳など気にせずに、溌溂と生きている人たちもいるが、内心では、若さを取り戻したいと思っているだろう。失った若さが取り戻すことができれば、人生の中で、積み上げられてきた知恵と経験を生かし、きっと後悔しない人生が送れるはず。
たった一度の人生、後悔だけはしたくないと……。
関川も、その一人だった。
自分は不老の可能性を持つ人間ではないが、那美の身体の秘密を解明できれば、不老の秘密が解き明かせるかもしれないと考えているのである。
「話は変わるが…………。那美さん。あなたが使用している十種神宝というのは、文献に記されている物部氏が、神から授かったと言われているものと同じものなのか?」
大野が問う。
古代において、神アマテラスオオミカミから、神二ギハヤヒノミコトに贈られ、二ギハヤヒノミコトが、軍事と警察を司った氏族である物部氏に授けたという十種神宝は、石上神社に奉納された。その後、石上神社は織田信長の焼き討ちに遭い、その焼き討ちの際、十種神宝は、賊の手によって持ち去られた。その後、転々と居場所を変え、町の古道具屋で発見された後、いまは楯原神社に祀られいるという。
「楯原神社に祀られているという十種神宝は、当時の人たちが、私が使っている真の十種神宝の力を、垣間見た人が創作したものにすぎません」
「と、いうことは、物部氏は二ギハヤヒノミコトから十種神宝は授かったという話は?」
「物部氏は、確かに二ギハヤヒノミコトから十種神宝を授かりました。物の物部氏ではなくて、鬼と書いて鬼部氏と呼ばれる鬼部氏が、二ギハヤヒノミコトから十種神宝を授かったのです。事実を言えば、物とかいて物部氏と呼ばれていた氏族は、初めは物部氏とは名乗っていませんでした。鬼部氏が当時の人々に恐れられていた恐れを、わがものにしようとしてモノノベシと名のり、時の政府に取り入れられようとしたのです。物部氏の目論見は成功し、物部氏は、軍事と警察を束ねる氏族としての役職を任されるようになりました。一方、絶大な力を持つ十種神宝を操る鬼部氏ほうは、傲岸不遜になり、神の怒りをかうようになりました。鬼部氏の神をも恐れぬ所業に怒った神は、鬼部氏を地獄界に堕とし、地獄界で罪人を苛む鬼として生きることを命じたのです」
「それが、今も伝わる鬼の姿だと……」
大野が那美の説明に顔をしかめた。
「すると、もともと人間だった鬼部氏が、あのような角が生えた醜悪な化け物になってしまったということかね」
関川が、那美に疑問を投げた。
「鬼部氏が十種神宝を使って行った数々の悪行は、神の怒りをかいすぎたのです。神が、人だった鬼部氏を鬼と呼ぶ化け物に変え、地獄界に堕とすほどに……」
古代の多神教世界のおいて、河川や山々において、様々な神が棲むと言われ、樹木や石にさえ神が宿ると言われた。その世界のおいて、「もの」という言葉が、霊魂、神、あるいは鬼という言葉を意味するようになり、十種神宝を自由自在に操ることができた鬼部氏と名乗った一族は、その強大な力をもったゆえに人間界から追放されたのであぅた。
「十種神宝にはいろいろとあるようだが、鬼部氏は、どんな十種神宝を、どのように使ったんだね……」
大野が、那美に問う。
「みなさんは、恐山のイタコをご存知でしょうか?」
那美が言った。
「知っているよ。口寄せという死者の霊を呼び出す巫女のことだろう」
関川が、応える。
イタコとは、口寄せという霊的交感で死者の霊の言葉を、伝える巫女たちのことである。
トランス状態に陥った巫女は、相談者の求めに応じて、霊を呼び出し、霊からの言葉を伝えるという。
「十種神宝の一つである死反玉は、巫女の力を借りなくても、死者との交信ができる力を持つ神宝ですが、この死反玉はつかいようによっては恐ろしいものになります」
「恐ろしいものとは?」
大野が聞く。
「死者の魂を呼び寄せ、死者から慰みの言葉をもらったり、アドバイスを受け取ったりしているうちは、まだいいのですが……。死反玉は、生と死を司る神宝です。敵意のある相手に呪いをかけたり、死を願い……」
「死を願い……。敵の死を願ってどうするのかね?」
大野が、眉をあげた。
敵対する相手や、憎しみをつのらす人間に、呪いをかける行為は、世界中、いたるところで見られる。
日本においては、神社の御神木に藁人形を打ち込む丑の刻参りが知られているが、死体をゾンビ化して蘇らせる儀式で有名な、ブードゥー教では、呪いの人形の胸や腕に針を刺して憎い相手を殺す行為が見られる。また、黒魔術では、呪術で悪霊を呼び出し、相手を不幸のどん底に堕とすという。
「相手の死を願い……。魂を抜き取るのです」
ため息をつきながら那美は、言った。
「魂を抜き取るだと!?」
那美の言葉に、会議室は凍り付いた。
凍り付く……。
決して大げさな表現ではない。会議室にいる那美以外の人たちは、みな一様にとてつもない寒さを感じていた。
会議室の温度は二十六度前後、湿度は50~60%。快適に保たれてはいる。普段なら、寒さなど感じないはずだが、いまここにいる人たちは、氷海の中に堕とされてしまった気分だった。
「魂を抜き取って……、どうするのかね?」
五十嵐参謀が、ためらいがちに言った。
「文献によっては、死反玉は死者をも甦らすと記してあったが、それと関係あることなのか?」
大野が、畳みかける。
「みなさんは、憑依という現象をご存知でしょうか?」
と、那美が言う。
「憑依!? あ、あれだろう」
室緒が言葉を返した。
「室緒くん、知っているのか? 知っているのなら、みなに説明してくれたまえ」
大野が、促した。
「憑依というのは……」
生霊や浮遊霊、動物霊などが生者にとり憑くことを憑依と呼び、憑依された人間は、霊に意識を乗っ取られ、奇怪な言動をとるという。
「ああっ、あれか。狐憑きとか狗神憑きとかいう奴だろう。俺は、まったくそんな世迷いごとなど信じちゃあいないが……。昔、そんな映画が流行ったよな。狐憑きとは、全く別物だが……エクソシストという悪魔払いの外国映画。俺はビデオで見た口だけど」
と、荻が、言った。鼻を鳴らし、小馬鹿にしたような態度をとっている。
蒜壺一族の術中にはまり、自分の手で部下を殺してしまった荻は、那美の身体の秘密とか、十種神宝など、どうでもよかった。荻の関心は、蒜壺のことだけ。蒜壺の正体を知り、早く、蒜壺一族を、この手で葬ってやりたいと思っていた。
「蒜壺を滅ぼすには、そのエクソシストが必要なわけかい。それともなにか、恐山のイタコでも呼んでこようか」
「荻くん、口をつつしみたまえ」
大野が、荻の言葉に釘を刺した。
「わしは、憑依などという現象は、一種の精神病か、薬物の使用による発作だと思っているがね」
関川が、言った。
かつて、部下から関川に送られてきたレポートの中に、年端もゆかない少女が、汚物を吐き散らし、大便を壁に擦りつけ、時には犬のような遠吠えで叫び、神を冒涜した言葉を喚き散らしたという報告があった。
レポートの中には、少女は何者かの手によって、薬を注射されたという記述があり、少女の狂気は、それによるものではないかと記されてあった。
「LSDという薬を知っているか。LSDはトリップという現象で使用者を快楽の極致にも、苦痛の極致にも落とすらしい。薬の使用時における多幸好感時には、狂喜にとり憑かれたように涙を流して喜び、幼い子供のように跳びはねたりするが、薬の効果が切れると、全身が無数の蟻に喰われるという錯覚に襲われるということもある……」
「悪魔憑きというのは、精神異常の一種だというのか!?」
大野が言った。
「悪魔憑きとか、魔女狩りとか、そんないかがわしいことが盛んに叫ばれたのは、錬金術が奮って行われた中世の頃でね。錬金術で、使用された植物や鉱物が、大量に町に流れ出て、なんの知識も持たない人々が、その植物の葉や球根、鉱物を削り取ったものを口にし、精神異常を起こしたのだと。それを目撃した人々が、やれ悪魔憑きだとか、魔女になってしまったと罪のない人々を糾弾した。当時の人々には、植物の葉や鉱物の成分が、脳や内臓を刺激した結果、精神が異常をきたしたのだとは、思わなかったのでね。で、エクソシストの登場となったわけだ」
関川が、両手の掌で目を擦った。
「憑依は、映画の中の出来事でも、薬物の使用によるものでもありません。確かに、精神病患者の中には、自分に霊が乗り売ったと思い込み、奇怪な言動を行うものもいるでしょう。薬物の使用により、幻覚や幻聴を訴え、悪魔がそこにいる。悪魔がオレを殺そうとしていると叫ぶ者もいるでしょう。けれど、憑依された人間が、行ったこともない異国の言葉を話したり、幼い少女が、大の男でも持ち上げることができない家具を、片手で持ち上げて見せたり、猫のように俊敏に飛びまわり、とても人間業ではない行動を起こすことができるのは、なぜです? 薬物使用のせいですか? 霊による憑依は確実にあるのです」
と、那美が言った。
「死反玉は、その憑依と呼ばれる現象を、極限までに高めたことを行うのです」
「極限までに高めるとは?」
五十嵐参謀が、目を閉じた。
五十嵐は、組織AHOを統率し、餓鬼と呼ばれるBシリーズや、高い知能を持ち、特殊な能力で人を翻弄してきたAシリーズを相手にしてきた。獰猛で、強靭な体力で、人を襲うBシリーズに驚き、高い教養と知識を持った人さえも、欺き、特殊能力で、人を地獄に堕としたAシリーズに恐怖した。
が、これから那美が話すと思われる死反玉の脅威は、それをも凌ぐものだろう……。
「死反玉が、死者を甦らすということは、生きている人間の魂を抜き取り、かわりに死者の魂が、その肉体に入るということなのです」
那美が、目を伏せ目がちに言った。
「肉体が死者によって乗っ取られるということか!?」
大野が言う。
「死というものは、呼吸が止まり、脳が活動を停止すると、肉体は徐々に腐り果ててゆき、最後には朽ちて、この世から消え去ってゆくことです。肉体を失った魂は、宿るべき肉体がなければ再生できません。死反玉は生きている人間の魂を抜き取り、死者の魂を生きている人間の肉体にいれることによって、死者を蘇らせるのです」
4、
数少ない水源から湧き出たものが、清冽な輝きを反射させながら、川底に転がる小石を撫でるように流れていた。川底は浅いが、所々に窪みがあり、その窪みのせいで小さな渦が、川面に数ヵ所あった。
傍らの朽ちた大木の下に、大岩を思わせる猛牛の姿をした蒜壺の死体があった。猛牛の姿をした蒜壺の死体に、餓鬼“羅刹”が、数匹、食らいついていた。
人間界から極異界に帰ってきたナギは、愛でていた紫色の花を、川面に投げ捨てた。紫色の花は、奔流に身を任せながら舞うように流れて行く。
この紫の花のように、蒜壺もまた、時の流れに翻弄されてきた……。
時の流れに翻弄されてきたのは、蒜壺だけではないにしろ、なぜに蒜壺は闇にその身を置かなければならない存在になったのだろう。
蒜壺一族は、千寿に呪いをかけられる前は、日中でも活動できた。人里離れた森の中に居住し、血に飢えると、里に下り、人を襲い、人肉を食らってきた。鵺とか、鬼とか、妖怪などと人に言われ、恐れられていた。
蒜壺一族は、数こそ少ないが、人の上に君臨し、我が物顔で、世を陰から支配していたのだ。
千寿が、すべてを変えた。人の上に立てなくなった。千寿の呪いのため、活動が制限され、夜の世界の住人になってしまった。
本当に、千寿だけのせいだけなのだろうか?
奇怪な姿で生まれ落ち、醜悪ともいえる性が、そうさせたのではあるまいか……。
闇の世界に追われた蒜壺一族は、自らの性も顧みずに、現界と異界との扉を開くことのできる洪暫に、望みを託した。
洪暫は、一族の期待を裏切らなかった。
幽現界、幽界、霊界と様々な異界の扉を開け続けた。十三日目にして、蒜壺一族が住まうべき場所、極異界を探し当てた。
極異界は、霊界、幽界、幽現界とは似たところもあれば、まったく違うところもあった。
陽はないが、闇の世界ではない。絶えず薄暗いが、光りはある。もちろん陽の光ではない。光の元が何なのか分からないが、それは蛍などの蛍光虫が発する光にも似ていた。ほにかに明るいが、暖かさがない光り。その光りの中で、強いものが生き残り、弱いものは死に絶えた。
川面を流れていった紫の花も、命の力に溢れていたのだろう。摘み取られれば死に絶えるか弱い存在だが、無情の荒野で咲き誇っていた。死体になる前は、おそらく猛々しかったはずの猛牛の姿をした蒜壺は、無残にその骸をさらしているが、可憐で、か弱い存在だったはずの紫の花は、綺麗なまま流れて行く。
か弱かったもにが、その姿をとどめながら滅びて行き、猛々しかったものが醜い姿をさらして朽ちて行く。
つくづく極異界というところは、奇々怪々な世界だと、ナギは流れて行った紫色の花を愛でながら感じた。
空に隻眼の鴉、刻の姿があった。
刻は、川辺のほとりに佇むナギを見つけると、羽をひるがえした。一直線に降りてきてナギの肩に止まる。
「ナギ、コウザンガ、ココニクル」
と、刻が言う。
ナギは、あえて応えなかった。肩にとまった刻に目もくれない。
「コウザンガ、クルヨ、ナギ」
刻は繰り返していった。
「分かっているよ。そろそろ来る頃だろうと思っていたところだ」
極異界に戻って来てから、十日経っている。
ナギは、度々の呼び出しにもかかわらず、洪暫のもとに、はせ参じることがなかった。ナギが洪暫のもとに行かなければ、洪暫が、ナギのもとにやってくるのは、分かっていたことだ。
ナギは、洪暫が欲している十種神宝の神宝のうち、三つの神宝を所持しているのだ。
(これの謎が解ければ、蒜壺一族にかけられた二つの呪いが消えるか…)
人と、蒜壺一族との間に生まれ落ちたナギは、日中でも活動ができ、人肉を食らうことがなくても、狂い死ぬということはない。
(それが、どうしたというのだ。僕には関係のないことだ)
人は嫌いだが、蒜壺一族にそれほど親愛の情を寄せているわけでもない。ただ、退屈しのぎに、蒜壺一族に加担しているだけのことだ……。
ナギは、くっくっっくと忍び笑いを漏らした。
「惟三、そこにいるんだろう?」
ナギは、目の前の大岩に声をかけた。
「あいやー ばれてしもうたやが。ナギさんにはかないまへんわー」
惟三が。岩陰から身を躍らせた。
「身近にいて、僕の目をごまかせると思うのかい?」
ナギは、唇を舐めた。
「思っておりません。思っておりませんわやー」
「ここ二、三日、僕の周りをうろついているようだけれど、周りをうろついたところで、何の得にもならないよ。目障りだから、僕に近寄らないでくれないかな?」
「いやいや、わてはただ散歩しているだけです。そんなこといわんでくださいよ」
惟三は卑屈に顔を歪ませた。
N島での激戦の後、極異界の帰って来ていた惟三は、ナギの動向を窺っていた。隙あらば、ナギの手から十種神宝を奪おうと思っていたのであった。
「コレゾウ、ナンカ、ヨウカ?」
刻が言った。
「なんも、ようなぞありませんがや」
惟三は、頭を掻いた。
「ナンモ、ヨウガナイノニ、ナギノシュウヘンヲ、ウロツイテイル。オカシクナイカ」
刻が惟三を睨みつける。
「散歩。ただの散歩ですわいな。さっきも言いまっしゃろ。たまには花が咲いているところで、のんびりしたいでしょうが。花なんか咲いてるところなんか、そうそうあらへんし……」
惟三は、刻から目を逸らした。
「おまえが、花を愛でるか? おまえの目当てはこれだろう」
ナギは、デニムジャケットの内ポケットから紫色の巾着袋を取り出した。
「この中には、十種神宝のうち、三つの神宝……。死反玉、奥津鏡、道反玉がある」
「およよ、ナギはん、十種神宝を持っていましたのかいな。わて、全然知らんかったや」
「嘘をつけ。あの場にいたおまえが、知らぬわけなかろう」
ナギは、巾着袋を振って見せた。
「ナギはん、一生のお願いですわ。その神宝に触らせて。どんなものなのか、手にとってみたいわ」
惟三は、両手を合わせて頼み込んだ。
「僕が、おまえにこれを渡すと思うのかい? もっともお前の手に渡ったところで、おまえにはこれを使いこなせないよ」
ナギは、不敵に笑った。
「使いこなせない? それ、どういうことですかいな?」
「これを使いこなすには、それなりの能力がなけりゃあな。大した能力もないおまえに、これが使えるとは思えない」
「ナギはん、わてをバカにするんですか。これでもわては……」
「能力が高いとでもいいたいのかい? 姉さんが現れた途端、しっぽを巻いて逃げたくせに」
「わては、逃げたんじゃあありませんで。言うならば、一時的退却や。一時的退却。機を見て、戦場に復帰するつもりだったんだ」
「それじゃあ、なぜ、僕と姉さんが、研究所の屋上で戦っていた時、階段の陰に隠れて出てこなかったんだい」
「わてが、階段の陰に隠れていたこともご存じで……。参ったなあ、もう~ ほんと、ナギはんには隠し事ができまへんがな」
惟三は、舌を鳴らした。
あの激戦の最中、野村隊長率いる精鋭部隊が屋上にたどり着いたのを見て、惟三は、屋上に続く踊り場で、戦いの様子を窺っていた。
那美とナギは死力を尽くして戦っている。どちらが勝っても、残されたものの体力は限界になっているだろう。あやよくば同士討ちになってくれればいい。後は、わてが十種神宝を回収するだけだ……。
惟三は密かにそう思っていたのだが、ナギは戦闘を打ち切り、伽羅と一緒に極異に帰ってしまった。
那美と戦って、うち果てればよかったものを……。
「惟三……。ナギは万能ではない。わしがここに来ているのに気づかないでいる」
声がした。洪暫の声だ。しわがれた声が、ナギと刻、惟三の鼓膜に響くように聞こえた。
「頭……。来ていたのか? どこにいる」
ナギが言った。
「わしは、ここだよ。ここ」
川面に、水柱が立った。地上十数メートルに立ち上った水柱が二つに割れ、人影が見えた。人影は一つではなかった。三つの人影が、川面に立っていた。
「頭……」
ナギは、洪暫と二人の少女の姿をそこに見た。
「ナギ、おまえが那美から奪った三つの十種神宝は、死反玉、奥津鏡、道反玉に相違ないな」
洪暫が、ナギの目を真っすぐ見つめる。
「ああっ」
ナギは面倒くさそうに言った。
「湖耶姫、爬耶姫、ナギから三つの十種神宝をとってまいれ」
洪暫は、両脇の二人の蛇頭人身の蒜壺に命じた。湖耶姫と爬耶姫は水面の上を歩き、ナギの元に行った。
「ナギさま、あたいたちにそれを渡してくださいませ」
湖耶姫が言った。
「その声、どこかで聞いたことがあるな」
ナギが問う。
「ナギよ。その娘たちは亡くなった琥耶姫の妹たちだ」
洪暫が言う。
「妹!? 琥耶姫に妹がいたのか」
ナギは湖耶姫と爬耶姫をしげしげと見つめた。
琥耶姫は、トカゲの顔を持つ蒜壺だった。人の容姿に憧れ、化瑠魂という人の容姿に化身できる薬を、自ら生成した女性の蒜壺だった。那美と戦い、琥耶姫は、那美の腕の中で、美しい人の姿で死んでいった。
ここにいる湖耶姫、爬耶姫もトカゲ顔をしている。瞳の色も同じだ。地味な紺色の着物を着て、そこにいる。
「その三つの十種神宝は、言わば姉さんの形見。ナギさま、早くそれをこちらに」
爬耶姫が言う。
「渡すのを断ったら?」
ナギが言った。
「断るというのか」
洪暫が、ナギを睨みつけた。
ナギと洪暫は、睨みあった。やがて、ナギの方から目を逸らした。
「ふっ、ふふふふ。冗談ですよ、頭」
いまここで洪暫と、やりあってどうなるというのだろう。負ける気はしないが、無暗に争う気はない。
ナギは、湖耶姫、爬耶姫に三つの十種神宝が入った巾着袋を渡そうとした。
「おっと、これを渡す前にオババと話をしたいんだが……。いいかい?」
ナギは、渡そうとした巾着袋を、一度戻した。
「オババと話をしたいだと?」
洪暫は、片方の眉を上げた。
「できるんでしょう。死反玉を使えば、死者と話すことが」
オババは、ナギの姉である那美とナギの育ての親であった。那美に十種神宝を渡した後、那美を葬り去ろうとしたナギと戦い、その命を落とした。
「オババと話して、どうする?」
洪暫が言った。
「さあね。ただ会って話したいだけかもしれないし……」
ナギは、紫色の巾着袋の中から、空色の勾玉を取り出した。
「これを使えばいいんだろう。どうすればオババを呼び出せる?」
「念じてみよ。オババのことを想い、オババと逢いたいと思うだけでよい」
「念じるだけでいいのか」
「おまえなら、それだけでよい」
洪暫は、意味ありげに言った。
ナギは、オババのことを想い、空色の勾玉を強く握った。
強くて優しかったオババ……。夜一緒に寝るときは、いつも子守唄を、耳元で囁くように歌ってくれた。近くの悪ガキたちにいじめられた時は、ナタを持って追い払い、悪ガキたちの親に叱られていたっけ。僕たちを極異界に連れ戻そうとした熊の蒜壺である喪間を、姉さんと二人で倒したときは、動揺して、泣いていたっけな。泣かなくてもいいのに、僕と姉さんが真の力に目覚めてしまったのが、そんなに怖ったのかい。
オババは、僕と姉さんを、誰よりも愛してくれていた。そのオババを、僕はこの手で殺してしまった。
僕のこの手で…………。
最初に異変に気付いたのは惟三だった。
「ナギはん、ナギはんの右手、光っているがや」
惟三は、一歩退いた。
ナギの右手の中から、空色の勾玉がするりと抜け、宙に浮かんだ。高速で回転し、緑色の線状の光を放った。緑の光は人の姿を模ってゆき、そこにオババが現れた。
オババは、宙にあぐらをかいて座っていた。眠っているのか、頭を垂れ、ピクリとも動かない。
「オババ……」
ナギは、語り掛けるように、名を呼んだ。
「オババ……。オババ、眠っているのかい。オババ……」
ナギは、何度も繰り返し、オババの名を呼んだ。
「……誰じゃい、わしの眠りを妨げるのは?」
オババは、うっすらと目を開けた。
「オババ、僕が分からないのかい?」
「おまえは……。ナギ!?」
「そう、僕が幽界にいるオババを呼んだのさ。死反玉を使ってね」
ナギの言葉に、オババは目をかっーと見開いた。
那美に渡した十種神宝。那美を守るため、あの時、命を賭して、那美から十種神宝を奪おうとしたナギを、阻止したはずである。
命がけで守ったはずの十種神宝のひとつが、ナギの手の中にある。
と、いうことは……。
「死反玉を使ってじゃと!? 那美は……。おまえの姉さんはどうした? そこにいるのか?」
「姉さん? 姉さんのことなどどうでもいいだろう」
「どうでもいいって……。おまえ、もしや……」
ナギは、姉である那美を殺すことにためらいはしないであろう。ナギが那美から無理やり十種神宝を奪ったと仮定すれば……。
オババの面相が、強張っていった。
「殺しやしないよ。いずれそうなるかもしれないけれどもね」
「姉さんを……。那美を殺すというのか」
「そうでもしなけりゃあ、こっちがやられるだけだろう。邪魔するものは容赦なく殺すよ。たとえそれが姉さんだとしてもね」
ナギは、宙に浮かぶオババに言い聞かせるように言った。
「……そこにいるのは洪暫だね」
オババが言う。
「オババ、久しぶりだな。兄が亡くなって以来だな」
洪暫が応えた。兄というのは、先代の蒜壺一族のお頭“千寿”のことである。
「あの時、オババを問い詰めていれば、こんなことにはならなかった……。十種髪宝のことを問い詰め、赤子だった那美とナギを殺しておけばのう」
あの時というのは、洪暫が兄である千寿を殺したときである。洪暫は、蒜壺と人間との間に生まれたわが子を守るために、蒜壺一族に第二の呪いをかけた千寿を許すことができなかった。洪暫は、千寿を殺し、千寿の子供たち、まだ赤子であった那美とナギを殺そうとしたのだが、オババが、責任をもって那美とナギを育てるということで、那美とナギをその手にかけるようなことはしなかったのである。
「オババが、兄から十種神宝を譲り受け、隠し持っていたと、あの時は分かっていればな。オババを殺してでも十種神宝を奪い、蒜壺一族にかけられた呪いを解いたものを」
「おまえに、それができたというのかい? このオババを殺すことができたのかい? たとえできたとせよ。おまえには、十種神宝を使って、蒜壺一族にかけられた呪いを解くことなどできやせぬ」
「那美なら解けるというのか?」
「ああっ、那美なら解ける。千寿がかけた呪いも……神が、蒜壺にかけた呪いもな。だから、わしは……」
「姉さんに、十種神宝を預けたというのかい。僕を無視して」
ナギが、洪暫がとオババの話にわって入った。
「はっきりいうけれど、僕のほうが能力は上だよ。僕なら、今頃十種神宝を使って蒜壺一族を、呪いから解放しているよ」
「人との共存を無視してかい?」
と、オババが言った。
「人との共存!? はっ? 笑わせるなよ。なんで、あんな下等なものと共存しなくちゃあならないんだ」
「人を下等な生き物というのか? おまえの母は、人なんだぞ」
「それが、どうしたっていうのさ。僕は母の顔など知らないし、人なんて、この地球を汚す病原虫だと思っているよ」
「病原虫だと……」
「ああっ、人さえ、この地球上からいなくなれば、この世界はもっと住みやすくなるよ。人っていうものは地球にとって病原虫であり、この世界を蝕む害虫なんだよ」
「ナギ……」
オババは、ため息を漏らした。
「おまえは、何も変わっとらんな……。いや、変わったか……。力に目覚めた時から、おまえは変わった……。人を見下し、おのれの力に酔うようになった……。小さいときは、あんなに愛くるしかったのに……。だから、わしは……」
「だから、オババは姉さんに十種神宝を渡したのかい。僕に何も言わないで……」
「そうじゃ……」
オババは、目を閉じた。
「消えていいよ、オババ。もう話すことなどない……。あの世に戻るんだな」
ナギは、強く念じた。
宙に浮かぶオババの周辺に緑色の線状の光が幾十も走った。ガラス板が擦れるような音とともに、オババがそこから消えて行った。宙に浮かんでいた空色の勾玉が、ポトリと地に落ちた。ナギがそれを拾い上げ、紫色の巾着袋の中に戻した。
「死んだ者と話せるということは、何かと便利なものかもしれないですやな。生前、聞けなかったこともこうして聞けるし……」
惟三が言った。
「それを使えば、亡くなった琥耶姫はんとも、話せるでっしゃろ」
惟三の言葉に、湖耶姫、爬耶姫の瞳孔が妖しく光った。
湖耶姫、爬耶姫は、姉である琥耶姫に三年以上も会っていなかった。蒜壺一族の癒師でもあった琥耶姫は、化瑠魂などの薬を調合するために、一人で山に籠ることが多く、妹たちとは疎遠になっていたのである。
「琥耶姫には、甦ってもらう。死反玉を使ってな」
洪暫が言った。
「いいや、琥耶姫だけじゃあない。那美に葬られた雁黄、大地のイ、風のヌ、神通や針口、羅刹、食肉などの仲間も再び、この世に蘇ってもらう」
「頭、それって、生きている人の身体を、憑依によって乗っ取るということですよね」
ナギが言う。
「そうだ。人の身体さえ手に入れば、陽の光に怯えなくてもよいことになる。陽の光の中でも、自由に動き、人を喰らうことができる」
洪暫が、そう答えた
「しかし、なんでっしやろのう。人の身体を乗っ取って甦っても、蒜壺の力、そのまま使えるでっしやろかいな。甦っても、力が使えなんて、しゃれにもならへんで。人の力なんて、たかが知れているし」
惟三が言った。
蒜壺一族の超能力ともいえる強靭な力は多岐に分かれている。
ゴリラなみの力を持ち、口から鉄をも溶かす溶解液を吐く、雁黄のような力を持つ者。右腕から硬質化した鋸状の刃を、繰り出す能力を持つ、琥耶姫のような特異な身体を持つ者。風を操るヌや、大地を動かすイのようなサイコキネシスが特化した者……。組織AHOがBシリーズと組み分けている羅刹、針口、神通、食肉などの猛々しいだけの餓鬼といわれるもの。
それらの蒜壺一族が、人の身体に憑依し、人の身体を乗っ取ったところで、蒜壺本来の力を使えるのだろうか?
洪暫が言う。
「おそらく……。人間どもが、餓鬼と呼んでいる食肉や羅刹たちは、本来の力を出すことは難しいだろうな。だがな、惟三。あやつらは生きているとき、あのような醜い身体と、おぞましい性のせいで、すべての生き物に疎まれながら生きてきたのだぞ。本能のみで生き、ものを慈しむ心もなかったあやつらが、たとえ一時でも、人という豊かな感情を持つものになれる。蒜壺の力を失っても、あやつらは、生き物として生きる喜びを感じるかもしれんて」
「生きる喜びでっか?」
惟三が首を傾げた。
「ふん、惟三に生きる喜びを諭したところで、無駄なこと。そうだろう、惟三」
と、ナギが言う。
「わては、腹一杯食えれば満足だす」
惟三は、太鼓腹を両手で叩いた。
「姉さんは、本当に甦るのでしょうか?」
湖耶姫が言った。
「琥耶姫は、必ず甦る」
洪暫が、応える。
「甦った姉さんは? 人なんでしょうか? 蒜壺なんでしょうか?」
爬耶姫が問う。
「身体は人でも、中身は蒜壺の者。琥耶姫の精神力なら、そのたぐいまれな能力も受け継ぐであろう。残虐の癒師と言われた性格もな」
「それじゃあ、琥耶姫姉さんは、蒜壺の癒師として再び甦るのですね」
「ああっ、ナギ。それを早く、湖耶姫に」
洪暫が、目で催促する。
ナギは、死反玉、奥津鏡、道反玉の三つの十種神宝が入った紫の巾着袋を、湖耶姫に手渡した。
= 第二部 (第二回へ続く)=