二章・03
渚ちゃんこと鳩羽渚のことを、俺は初めに素朴そうな少女だと感じていた。
素朴そう、誠実そう、或いは真面目っぽいなどと。それはどうやら少しばかりズレがあるようだ。
素朴は素朴なのだが、もっとこう、局所的に素朴なのである。
具体的には彼女の頭の中身が素朴な感じだ。
鳩羽渚、
――彼女はどうやらアホであるらしい。
「それで、相談っていうのは?」
「はい、私好きな人がいるんですお姉さま」
「……、……」
最後の沈黙は佳城と、半ば強引に佳城に連れてこられた俺のものであった。
時刻は午後一時半過ぎ。場所は適当な空き教室である。
使用教室よりも一世代分ボロい机と椅子を人数分拝借して、俺たちは窓際奥の一角に集まっていた。
「……これさ、俺聞いてもいいやつ?」
「えっと?」
「ああ、舞浜夏樹です。佳城と同じ浪人生」
「同じにしないでくださいね、アンタは二浪です」
「……、……」
恐ろしく切れ味鋭い返しっぷりである。怪我したらどうする。
しかし、他方鳩羽の方は、また別の反応を返してきて俺は面食らう。
「そうなんですね、じゃあぜひ長老も」
「……、……」
忘れていいんだけどなー、それ。
「……舞浜でいいよ。夏樹でもいいし」
「じゃあ夏樹長老!」
「舞浜って呼んでっ、お願い!」
ということでひとまずの自己紹介は完了である。
さて、
「俺が力になれるような話ならいいけど、何を相談したいんだ?」
女子の恋愛相談なんて人生初の試みである。鳩羽が許可したからには物珍しさで最後まで聞くのは吝かでもないが、下手をすると俺の恋愛遍歴まで見透かされそうで怖い。
というか女子とお手手つないだことさえないとかバレたらマジでヤバい。クラスの連中に年上の童貞扱いされるとかイ〇ポになってもおかしくないトラウマである。
ということで、努めて威厳だけは出していこうと思っている。他にできることは時に思いつかない。
「えっと、私の好きな人なんですけど……」
鳩羽は文脈を選ぶように、話すペースを急落させた。
一つずつ指折り確認するように、彼女はぽつぽつと言葉をつなげる。
「この学校の二年生なんです。同じ中学校卒業で、私がここを志望したのも、先輩に会いたかったからで……」
「……、……」
……もっとちゃんと選んだ方がいいんじゃないかな。
「それで、無事に受かって、先輩に挨拶しに行こうと思ってるんです。けど……」
「けど?」
佳城が続きを促す。
「実は先輩、……今週誕生日で」
「はあ」
「せっかくだから、何かプレゼントを持っていこうと思って」
「へえ」
「だけど私、あんまりセンスに自信がなくて」
「ほお」
佳城さん適当になってきてますね。あと「ひい」と「ふう」言ったらハ行コンプリートですね。
「子供っぽいって思われたくないんです、私! だから年上のお姉さまに意見を聞いてみたくって……」
「ふうん?」
そういうのもあるのか……。いよいよ残るは「ひい」だけである。
……いや、唐突にクモが降ってきたりとかしない限り日常生活で「ひい」とか言うことないわな。諦めよう。
というか相手ばっかり真面目にさせておくのも不誠実な話である。ちゃんと聞いてあげよう。
「……まあ、大体話は分かった。ここに適任がいるよ、渚ちゃん」
「え?」
「うん?」
と、佳城が視線で差したのは俺の方向である。鳩羽も同様に俺を見るが、俺の方は全く意図を図り損ねて疑問符を返すことしかできない。
「この人ね、二浪してるの」
「二浪?」
「……(やめろやという顔)」
「なんで?」
「……………………(マジでやめろやという顔)」
そこで、「円高ドル安の煽りよ」と佳城が謎のフォローを入れたことでこの件はうやむやとなる。俺は輸入ジャガイモか何かなのか。
「本題はここから、二浪しているっていうことはね。つまり私たちの二つ上ってこと」
「はあ」
「渚ちゃんの好きな人は?」
「……あ!」
「そう、――舞浜くんの一コ下」
「……うわあうわあ! やめろ!」
よくよく考えたら三年生とタメなんだ! うわあ俺世界に置いてかれてる! 俺も連れて行ってくれよふざけんな!
「相手に子供っぽく思われないどころか、舞浜くんならその一コ上を行く大人チョイスを見せてくれるはず!」
「そっか、実際相手の一コ上ですもんねっ。当然の帰結だ!」
「ふざけんなやめろ!」
何が当然の帰結なものか順当に一発合格した一コ下の方が立派な人間に決まってるだろ! うわっ、なんてことに気付かせてくれてんだふざけんな!
「ということでアドバイスを」
「お願いします! なんかないですか!」
「……、……」
いや、なんもねえよ……。
「……まあ、自分がもらってうれしいモノをあげておけば外さないってのはあるんじゃない?」
「パジェロ?」
「一発目でよくそれが出てきたね……」
「じゃあハンドクリームだ! いい匂いがするやつ!」
「……、……」
いや、これは俺が悪い。
男子と女子の間にある価値観の差をよく考えなかった俺のミスである。
手から女子の匂いがする男子なんて「右手が恋人くん」みたいなあだ名付けられるのが関の山だっていう発想は、そりゃあ女子にはあるまい。とんだ下ネタだもん。
……あるのかな、分かんないや童貞だし。
「というかさ、渚ちゃん」
佳城がふと、話題に割り込む。
「むしろ渚ちゃんじゃなくて、舞浜くんが欲しいものを聞いた方が近づくんじゃない?」
「あー」
気付かなかった、という風に彼女がうなずく。
他方俺は、少しだけ考えてみる。
「そもそも、鳩羽とその、先輩は付き合ってるわけじゃないんだろ?」
「渚ちゃんって、呼んでくださいね」
「……、……」
今日日ちゃんづけって珍しいとは思っていたが、まさか佳城の趣味じゃなく鳩羽の意向だったとは。
自ら率先して呼び方提案していくそのハートの強さを見習うべきかちょっと判断に困る。
「……渚ちゃんは」
「はい」
「先輩と付き合ってるわけじゃないよね?」
「そうですね、現状」
「…………現状ねー」
正直この子このままガツガツ行けば大抵の男子捕まえられるんじゃないでしょうか。
……いや、ここで問われているのはプレゼントのセンスであったか。案外、本命に本当に喜んでほしいという切実さの表れなのかもしれない。積極性は自分で用意するものだが、センスの方は自己評価ばかりでは独りよがりになることもままある。
一つ、ちゃんと考えてみようか。
「参考程度に、聞いといてね」
「はいはい」
「香水だとか腕時計だとか、普段身に着けるようなものは、人からもらったものを使いづらいと思う人もいるかもしれない」
「香水、つけてるんすか舞浜くん……」
「一例だよ……」
二人してジトッと見るな。
さて、そういう意味では整髪料や簡単なアクセサリーなんかもやめておくべきだろう。それを喜ぶ人間だっているだろうが、ひとまずは無難なところから選んでみたい。
「消えモノ安定だな。お菓子じゃねえの?」
「キーホルダーとか、インテリアとかはどうでしょう?」
「ふうむ……」
俺としては嬉しい。女子からもらったんだぜって自慢したくなっちゃうかもしれない。
……そっか自慢するってもその相手がいないんだったや。
「俺なら貰っちゃうな。ほんと、俺ならだけどさ」
「……はあ」
「ちなみに俺の誕生日は九月の二十九だよ」
「了解です忘れときますね」
「……、……」
この子ちょっと大物なのかもしれない。
「まあ小物は、ありかもしれないな。普段自分が買わないようなものでも、相手からもらってみたらわりと重宝するー、なんてことは想像しやすいね」
「なるほど……」
「ただ、俺が久しぶりに会った相手に貰うんだったら、やっぱりその場で食べれるようなもんが一番気を使わないよ」
「……うーん」
それを聞いて鳩羽が虚空を見上げる。
仮に俺だったら、その場で包みを開けてもらって食べながらちょっとお話、なんて流れにつなぐかもしれない。という発想もあっての提案だったのだが、何やら鳩羽は思案顔である。
ちなみにわりとチャラい感じの発想なのは自覚があるが別に俺はやらないので俺はチャラくない。チャラくはないのである。というか多分本当にやるってなったら俺順当にヘタれて逃げ帰るし。
「ちょっと考えてみようかなあ」
ふと、思案顔のまま鳩羽がそのように呟く。
これは、……あまり力にはなれなかっただろうか。
「ちょっと考えてみたいんでやってみてもらっていいですか?」
「…………は? 何を?」
「コント」
「コントっ!?」
向こうで佳城がちょっと噴き出す。
「ちょっと待ってコントやるの?」
「先輩が私役で、私が先輩役です」
「逆じゃねえのか!?」
「もらう側の気持ちがわかり辛かったんですよね、お願いしますよう」
しおらしく頼まれても忌避感がヤバい。というか複雑すぎる。この子俺のことも好きな奴何某のことも一括して先輩って呼んでないか!?
「それじゃあ、私放課後帰ってるんで、待ち伏せして捕まえてプレゼント渡してもらえます?」
「えぇ? いや、やめとこうよー?」
「とりあえず先輩発案のお菓子、……じゃあ中身はマカロンってことでお願いします」
「聞いてないね……」
「よーい、――アクション!」
との掛け声で彼女が明後日の方を向く。何やら、「部活疲れたなー、もうこんな時間かよ、帰るのめんどくさいなー」とか独り言を言い始める。
馬鹿な……
「え、えっと……『せ、せんぱーい、お疲れ様でーす』」
「カァーット!」
「なんで?」
「先輩私役じゃないですか、ちゃんとやってください」
「ちゃんとってなんだよ! いやお前っ、わりとこんな感じじゃん!?」
「そんな気持ち悪くはない」
「きもっ!? いや気持ち悪くねえよふざけんな!」
「ただのオカマでしたもん」
「そりゃそうだろ男が女やってんだからさあ!」
「もっと気持ち込めて、あとちゃんと名乗ってください、誰だかわかんない」
「お前が俺をキャスティングしたんじゃねえの!? なんで誰だかわかんないの!?」
「よーいアーックション!」
うわあ始まっちゃった。 鳩羽がまた「部活疲れたなー、もうこんな時間かよ、帰るのめんどくさいなー」って言い始めてしまった。本当に付き合わなければいけないというのか。
……いや、もう腹をくくって付き合おう。毒を食らわば皿までである。ちょっと違うかもしれない。
「はあ、『せんぱーいお疲れ様でーす渚でーす(裏声)』」
「『お? 渚ちゃんじゃないか、ひさしぶり!』」
「『えっとー。先輩今週誕生日じゃないですかー。これ、プレゼントなんですけどー(裏声)』」
「カぁーット!」
「なんで!?」
「裏声腹立ちますね!」
「仕方ねえだろどうすりゃいいんだよ!」
一応声のトーンだけでも寄せてみようという配慮だったのだが何やら不服なご様子である。
「さっきよりも更にオカマに寄りましたよね、なんですか先輩は私がオカマに見えてますか!」
「ちゃんとキュートな女の子に見えてるよ悪かったよ!」
「いいでしょうあとでコーラを奢ります」
チョロい!
「ちゃんと地声でお願いします。それじゃあ行きますよ、アークション!」
「くそっ。わかったよ。
……『どうも先輩、渚ちゃんです(地声)』」
「カットぉ!」
すぐ終わっちゃった!
「なんだよいつまで導入やらせんだテメエ!」
「渚ちゃんじゃなかった!」
「だろうね! 普通に自称渚ちゃんの俺だったよな! でもなそれがテメエのオーダーだったんじゃねえのか!」
聞いて、鳩羽が急にシュンとなる。
それを見た俺は、今更ながらに女子に遠慮なく怒鳴ってた自分にドキッとする。
「あ、す、……すみません私が間違っていました」
「なんだよ、急に素直になりやがって……」
「じゃあ次からは元通り裏声でお願いします」
「あっ。そっか! そりゃあそうなるか! うわあ嫌だ恥ずかしい!」
「じゃあ行きますからね、
――アークション!!」
どんどん始まり方が雑になっていくのはもう仕方がないのかもしれない。
とにかくいつまでもマカロン持ってるわけにもいかない。さっさと渡して帰ってしまおう。
「……『どうも先輩、渚ちゃんです(裏声)』」
……ちょっと不服そうな顔をするなこれがお前だよ黙って受け入れろ。
「『あー、中学のころ一緒だった渚ちゃんか。どうしたの、こんなところで』」
「『先輩今週誕生日ですよね。これ、受け取ってください!(裏声)』」
「『えー? 何? うれしいなあ、なにこれ』」
「『マカロンです(裏声)』」
「カァーット!」
ふざけんな!
「なんでだよ! なんなんだよマジで!」
「あんま嬉しくなかった!」
「知らねえよ黙って受け取ればいいんじゃねえのか!」
「え? いや、だってこのコントは先輩に何あげたらいいかの検証じゃないですか?」
「あっ」
「嬉しくないならカットでしょ?(正論)」
「ぐぬぬ」
きょとん面が非常に腹立つ。こいつが男だったら羽交い絞めにしてマカロン口にぶち込んで帰っているところである。
「じゃあ、マカロンじゃないなら何がいいんだよ……っ!」
「――パジェロ?」
「いよいよコントだなふざけんな! どこの女子高生が先輩にパジェロやるんだ!」
「いや、試しに」
「試しになんねえんじゃねえかなあ!」
「パジェロは渡せませんけれど、なにか方向性の示唆になるかもしれませんし」
「……、……」
……ちょっと一理あるかもしれない。
「あーもう。いいよわかったよ、パジェロ持ってくよ」
「パジェロ持ってくってなんだ……(爆笑)」
「佳城さん黙ってろぉ!」
「いいですね、始めますからね。
――アぁクション!!」
……さて、
まずは鳩羽の「部活疲れたなー、もうこんな時間かよ、帰るのめんどくさいなー」を待つ。そして、
「『びっびー(地声)』」
「……え? 何?」
「クラクションだよ、ほら、『びっびー(地声)』」
後ろで佳城の笑い声が響き渡るが気にしない。カットさえかからなければこっちのもんである。
「あ、……あーなるほどっ! えっと、『あ、すみません邪魔でした?』」
言って、鳩羽が道を開けるように動く。
それを見て俺は、運転席の窓を開け(るジェスチャーをし)て鳩羽の方を覗き込んだ。
「『どうもこんにちは渚ちゃんですー(裏声)』」
「『あ、中学のころ一緒だった渚ちゃん! ……どうしたの、免許取ったの?』」
ぼふっ!? という声が聞こえた。多分佳城が笑っているんだろう。気にしない、俺は今鳩羽にパジェロを渡すためならなんだってする。
「『先輩今週誕生日あるじゃないですかー、これ、プレゼントです(裏声)』」
「『これ? どれ?』」
「『パジェロ(裏声)』」
「『パジェロ!?』」
「『パジェロです(裏声)』」
「『パジェロくれんの!?』」
「『パジェロあげます(裏声)』」
「『やったぜ!』
……とはなりませんカットですこんなもんは!」
一瞬の静寂に、佳城の笑い声が遠く響いた。
「ふざけんななんでだよ貰えよパジェロだぞ!」
「パジェロだからでしょ!? びっくりするくらい恐れ多いですね!」
「テメエが言ったんじゃねえのか! ふざけんなっやめさせてもらうぞ!」
「どうもありがとうございました!」
怒ったように感謝を叩きつける鳩羽。
……なんか、ちゃんとコントが終わったみたいになっちゃった!
さて、
「はあ、……疲れた」
「マジでな……」
お互いに一呼吸、それから俺は、
「それで。……どうだ、掴めたか?」
と、一応鳩羽に聞いてみる。
まあ、掴めたはずはないだろう。何やら彼女も満足げであって、俺がそう聞いたのは、ただ単に聞いてみたくなったからというだけの話だ。
彼女は、
「にへへ」
と、人懐っこい表情で笑って応えた。
「ほんとに、ありがとうございました」
「……そうかい」
……まあ、満足してくれたのならいいことかもしれない。鳩羽はそのまま、すぐに教室を立ち去って行った。
或いは、今からプレゼントでも見繕うのだろうか。
「……、……」
――せいぜい成就すればいい。と、
俺は彼女の後姿に、ひそかにそんなことを祈っておいた。
「……。」
時計を見れば、もう二時を回っていた。
教室の外に感じる雰囲気は、先ほどよりも更に人気が薄い。
或いは、もうみんな帰ってしまったのだろう。新入生たちなどはきっと徒党を組んで、今日ばかりは少し無理をしてでも、仲間との信頼を深めるためにどこかへ向かっていったのだろう。
俺は、それには乗り遅れてしまった格好わけだ。
「……、……」
――ただ、
それでもいい気も、してしまう。
なにせ、……正直に言えば、ちょっと楽しかったし。
「じゃあ、そろそろいこう。佳城」
と俺は、彼女のいる方に視線を投げた。
――佳城は、
「ひい、ひいぃ……」
笑い転げて、何かに襲われた後みたいになっていた。
「………………………………………………………………。」
めんどくさかったので、俺は帰った。
※次回更新は本日朝7時を予定しております。それ以降は、これまで通りに戻ります。