一章・02
「……、……」
「……、……」
休日の午前に、沈黙の帳が下りる。
「…………………………………………。」
「…………………………………………。」
とても辛い。
「あ、あの。佳城さん?」
「は、はい?」
「とりあえず、なんかある?」
「……なんか、ですか?」
なんもないよね、分かるよ俺もなんもないもん。
「……。」
お互いに教室の適当な椅子を選んで座ってしばらく。俺と彼女の距離感は、ちょうどハートの距離感と同じくらいの机三つ分であった。
……正直言って膝付き合わせて話すというにはあまりにも遠いのだが、しかしここでしれっと近くに座りなおすような口実など俺の持ち合わせにはない。
っていうか端島アイツかっこいい大人っぽい感じで出て行ったけどマジでアフターフォローまで考えといてほしい。自分のやりたい分だけ手助けして悦に入るのを偽善とか独善っていうんだってマジで思う。
「……、……」
というのは流石に、端島のやり方に不公平を感じた俺が言えることではないか。
こういう時間も学生の本文たる勉強だと、俺は静かに覚悟を決める。
「……しかし、端島先生も甘い人なのかなあ?」
「あー、どうでしょうね。ウチに来たときは、もっと固い印象でした」
「俺もそうかも」
これは、割といい感じに会話になってきたのではなかろうか。
「まあでも、せっかくもらった機会だし、うまく使っておこうよ」
「同感ですね。私は、自分が楽しく学生出来る分にはいいと思いますよ」
「だよねー」
上手い! 俺上手い!
「とりあえず具体的な話に移ってみる?」
「ですね」
「佳城さんの方って、浪人は何年目?」
「えっ? ……いや複数回って選択肢あります?」
「あっ……」
……うわあ「あっ」じゃねえよ馬鹿か俺は!?
そりゃあそうだよな普通あんなもん一回だよな!
「あの、……ちなみに舞浜さんって?」
「に、にろー?」
「あ、あはは……」
「気軽に二郎ってよんでねっ!(渾身のジョーク)」
「あ、はい」
ちゃんと滑っちゃった!
「……、……」
「……、……」
――窓の外は、穏やかな春日和であった。
どうやら風も無いようで、外に見える雑木林は、そのてっぺんが時折ささやかに揺れるだけ。屋外に出れば、きっと俺は春の日差しの暖かさに微睡んでしまうだろう。
きっとそんな、眠気を携えた散歩道は、とても贅沢なものであるはずだ。
だからこの機を逃すべきじゃない。帰ろう。今が帰る時だ。
「あの、舞浜さん?」
「二郎です」
「それはもういいじゃありませんか」
「……、……」
それはもういいじゃありませんかって言われた!
「とりあえず、具体的なお話してみます?」
「…………してみましょうか」
俺のその言葉を区切りに、会話の主導権を彼女が引き取る。多分だけどもう二度と俺の手元には帰ってこないんだと思う。
「とりあえず舞浜さんは、カミングアウトはするつもりでいた感じです?」
「それは、まあ……」
聞いて、今日までに考えてきた身の振り方を思い出す。確かに「三年間秘密で行く」という選択肢もなかったわけではないのだが、
「隠しておくと、後が辛そうで」
「はあ、……ですよねえ」
返ってきた煮え切らない物言いに、俺は一つ切り込む質問を選ぶことにした。
「言わないつもりでいた?」
「……目立ちそうで嫌だなあって」
なるほど、と俺は思う。
一人で考えていたときには「インパクトがあっていいんじゃないか」くらいの感覚であったが、しかしこういう類の悪目立ちとなると、よくよく考えればその後のフォローにも苦労があるかも知れない。
女子はそのあたり、割と切実なのだろうか。
「いかに悪目立ちせずバラせるかが肝になってくる感じだなあ」
「ですねえ」
とはいえ、ほとんど無理な話だろう。どうしたってその場のケアは難易度が高いものになる。
「じゃ、じゃあ! カミングアウトの前に舞浜さんが一スベリするっていうのは……」
「まじめにやろう」
「はい」
難儀な話である。
というかちゃんと滑ったのを改めて指摘されるのって割とえぐいかもだ。心が。
「まあ、メインの発表の前にもっとでかいインパクトを持ってくるっていうのはいい手かもしれないね」
「で、でしょ!?」
「一スベリはしないよ?」
「はい」
コントか。
「しかしなあ。……こう考えてみると、むしろ出たとこ勝負の方がいっそ腹が決まってうまくいきそうな気がしてきた」
「いやそれは……」
「だってほら、こうして入念に打ち合わせすればするほど明日への恐怖が増していかない?」
「まあ、……そうですけど」
例えば、端島の意図を考えてみたとすればどうだろう。
入念な台詞合わせまで準備するだなんて展開を狙ってはいまい。
……しかしそれで言えば、わざわざ前日に顔合わせを行う意図も読めてはこないのだが。
「端島……センセーも、なんでわざわざこんな風に気を使ったんだか」
「あ、あはは……」
それは、
――露骨に心当たりある人の反応であった。
「……なに? なんなの?」
「えっ? いや?」
「なんかあるね?」
「なんもないですよー?」
……まあ、藪蛇か。やめとこ。
「まあいいや。とりあえず多分さ、明日自己紹介とかあるでしょ? その時間にってことでいいんじゃない?」
「……えー?」
「…………だってじゃあもう明日朝一番で『こんにちは後輩諸君!』って言いながら教室に入っていくとかしかないじゃん」
「私たちは年上だってビラ撒くとかね」
「さらに馬鹿な発想はやめろ!」
今日が初対面だってのになかなか肝が据わった人物である。
これで明日のことにはナーバスになるんだから訳が分からない。
「……とりあえず、纏まったってことでいいね?」
「はあ、まあいいですケド」
なんでこいつこんな態度なの? ゆとり世代が生んだモンスターなの?
「それじゃ、明日」
「……はーい」
言って、俺は席を立つ。そういえばと時計を見てみたら、端島と別れてまだ十分もたっていない。
しかし、元来からしてこれは休日出勤である。ならば用事が早く済む分には歓迎してしかるべきだろう。
「……、……」
迷った。
よくよく考えれば当然だ。俺は先ほどの教室までの道中、ただただアホ面して連れられていただけだった。道を覚えるなんて発想はもとよりなく、さらに言えば端島がどこで待っているのかも確証がない。
「……、……」
十中八九職員室だとは思うのだが、しかしもうそれならば詰みである。なにせ来るまでに職員室になど寄ってない。端島アイツは馬鹿なのか。
「…………はあ」
入学式前日に、学校とはこうまでも閑散としているものだろうか。人を捕まえて道を聞こうにも、ここまでに誰一人とも俺はすれ違うことがなかった。
これはいっそ一度外に出て、また先ほどの裏口に戻った方が確実かもしれない。
……なんて考えて、俺は手近な窓から階下を見下ろしてみる。
と、その先の光景に俺は違和感を覚えた。
というのも、眼下の駐車場の埋まり具合が妙だったのだ。校内の閑散とはどう見たって帳尻が合わない数の車が、そこには止まっていた。
或いはちょうど、会議かなにかの時間とかみ合っていたのだろうか。それかむしろ端島が俺たちのことを考えて、そこに時間を合わせたのかもしれない。立ち返り考えてみれば確かに、知らない校舎の中を知らない大人がせわしなく動いている中では、俺も佳城も委縮してしまっていただろう。
「……、……」
しかしまあ、仮定の話である。
とりあえずまずは、先ほどの裏口を目指す以外の選択肢はないはずだ。
「あれ? 今度はどうしたの?」
先ほどの裏口にて。
俺はさっきぶりの女性に事情を告げた。
「なるほど。……しかし、早かったね?」
「まあ、そんなに時間がかかる話し合いでもないですから」
むしろどういうタイムテーブルを考えていたのだろう。今日の用事で言えば、お互いに自己紹介して覚悟決めるくらいしか出来ることはないと思うのだが。
「ふーん? だってほら、積もる話もあったんじゃないの?」
「え? いや、特には」
「薫、……端島先生言ってなかった? あの子と仲良くしてくれーみたいな」
「はあ……」
薫、とは端島の下の名前のことだろうか。
まあ、浪人同士という意味では苦労の同類項もあるだろうし、他のピカピカ新入生よりかは近い存在だろうが。しかし違和感のある言い回しにも聞こえた。
「佳城さんって、なんか事情持ちなんですか?」
「あれっ? 聞いてないの?」
あちゃー、と窓口の人が額を叩く。
ぶっちゃけちょっと世代差を感じるリアクションである。
「あの、聞かなかったことにして?」
「はあ。……まあ、はい」
ふと思い出したのは、教室での佳城とのやり取りであった。端島の好待遇に対して、佳城自身には思い当たる節があるようだったが……
「とりあえず、自分はどうしたらいいですかね」
「そうだね。しばらく待っててもらうと思うけど、こっち入る?」
「それは……」
遠慮しておきます、と答える。流石に教師(多分)と二人っきりでしばらく過ごすというのは居心地が悪い。
「問題がなければ、迷わない程度に校内を見回ってみたいんですけれど……」
「ああ、それもいいね」
問題ないよ、と彼女は答えた。
予想していた通りだが彼女曰く、教師陣は一通り会議に出席している時間なのだという。俺はその終了時刻の目安を確認し、その場を後にした。
しかし、許可を得たとはいえ、あまり我が物顔で校内をうろつこうという気にもなれない俺は、ふと思い立ちスマートフォンを手に取った。
調べ物の用事である。そのアテは、佳城についてだ。
というのも、俺はどこかで佳城という名を聞いた覚えがある気がしたのだ。
「……、……」
画面を叩く指が止まる。
なんというか、知り合って間もない人間の名前をグ〇るって割とストーカー感ある気がする。
……しかし、ばれなきゃ犯罪じゃないのである。
果たして出てきた名前は、俺の薄れた記憶にも合致するものであった。
「……、……」
佳城とは、よくある苗字ではないだろう。その検索欄に躍り出た名前は、間違いなく俺がいつか目にしたものであった。
佳城学。曰く彼は、この街出身のジャズミュージシャンであるという。
この状況を考えれば、彼の名前は無関係ではないんじゃなかろうか。俺はそのまま、彼の素性の項を探っていく。
年齢は、ちょうど俺の父と同世代くらいだ。それなりの数のショーをこなしているようで、発表楽曲は数えきれないほどの数だ。
そこで、
「……。」
俺の指が再び止まる。
発表楽曲の一覧。その中の一行に、俺の視線が吸い込まれる。
元々ジャズなどほとんど聞いたこともない俺がなぜこの名を知っているのかについては、確かに違和感があった。
指が止まったのは、その疑問が解消したためだ。
つまり、……俺の視線が奪われた楽曲の名前は、過日俺が母に送ったCDの名前であった。