二章・13
08
「ぎりぎり及第点ね」
「oh……」
「wow……」
さてと俺たちは今、先ほど暇つぶしに選んだ喫茶店の一角まで舞い戻っていた。
というのも、この「打ち上げ」は佐倉姉による誘いである。片付け引き継ぎ等々の作業は、ひとまず佐倉弟とその愉快なサークルメンバーが請け負うとのことで、やることもなくぷかぷかと浮いていた俺たちが彼女に捕まった……、というのが大まかな経緯に当たる。
それにあたっては、彼女の奢りで、俺と佳城はそれぞれケーキセットを見繕う。
なんとなく先ほどとメニューが被るのが癪で俺はクランベリームースのタルトを選んだのだが、他方佳城は威風堂々と同じメニューをお代わりしていた。もしかしたら何気にお気に入りだったのかもしれない。
……というわけで、
俺と佳城は佐倉姉の前に座っていた。
窓際の一角に据えられる四人席は、俺と佳城のケーキセットと、佐倉姉が選んだオレンジジュースを並べてなおゆとりがある。
あと、佐倉姉のオレンジジュースチョイスはちょっと可愛いなって思った。
「……まあ、言いたいことはわかりますよ」
俺が、佐倉姉に言葉を返す。
「我ながらぶっつけ本番の突貫工事でしたし。そもそもアレ、アドリブですし」
うん? と佐倉姉が反応を示す。
「あれ? どれ?」
「いや、……全部ですかね」
「……は?」
「全部アドリブなんです」
「…………んな無茶な」
彼女はため息代わりに、オレンジジュースを吸い上げた。
「まあ、それで納得したわ。……そりゃアンタ、あんな悪ふざけみたいな起承転結も辿るわね」
「いやでもっ……、みんな楽しんでたくないですか?」
「そりゃあ、そうかもね」
……私も楽しんだし。と、彼女は小さく付け加えた。
「しかしあの、コミットって何なのよ。完全に時期失してるし、なんなら後半なんて殆どこじつけよね?」
「それはもうご自身の弟に言ってもらうしかないですよ……」
我ながら最後の方なんてもう殆どコミット関係なかったと思う。正直ワンワードで起承転結持たせようと思ったらあんな出オチワードじゃ無理があったと言わざるを得ない。
「だけど、……あの展開の仕方には舌を巻いたわ。誰が考えたの?」
「……、……」
彼女の評価に預かったのは恐らくは、慢心がないとすれば俺の発案による構成のことであったはずだ。
「……最初は、ただ笑えるような話にするつもりだったんです」
「……、……」
彼女の沈黙は、
或いは彼女の言う主語のない「舌を巻く展開」というものについての、俺の「思い当たる節」が正解であったという証左であった。
「ただ、――弟君が、そういうのが上手いタイプでもなくって」
「心当たりは、あるわね」
……あと、いつも呼んでる呼び方でいいわよ、アイツは。と彼女は続ける。
「じゃあ、弟君、……佐倉ですけど。アイツ、シリアスの方なら上手いこと行くんですよ」
「へえ? 例えば?」
「練習でやった浦島太郎のアドリブでは、カメをイジメる悪ガキ三人組をしっかり五分説教して更生させました」
「……なに?」
「ヘンゼルとグレーテルをやった時には、最終的に魔女が更生して三人で仲良く暮らしました」
「ごめんちょっと待ってなんでそんな羽目になったの?」
「芥川の蜘蛛の糸をやった時には結局地獄がすっからかんになりました」
「みんな上りきったの!? 蜘蛛の糸を!?」
「エフ〇フ7ではエ〇リスが死にませんでした」
「待ってよそれは題材選ぶところからちょっと間違ってるんじゃないの!?」
……とにかく、と俺は言う。
「まじめな台本でこそアイツは光る。そう気づいたわけです」
「はあ、しかし……」
それで、あの上手い持って行き方にはつながらないわ。そう彼女は更に問う。
「まあそこはほら、どう考えたってマジメ一辺倒じゃ子供たちも飽きますでしょ?」
「そりゃそうね」
「ですから、先にふざけて心を掴んだわけです」
そのやり方は、むしろ大抵の人間にとってよく知られたアイスブレイクに違いないものである。つまり、堅い話をする前には、ジョークを挟んでお茶を濁す。それはこの国の人間の大抵が経てきた「学校の授業」における一つの王道のコミュニケーションである。
或いは、商談の前には天気の話をする。でもいいだろうか。声劇とはつまり、こちら主導のコミュニケーションの極致と言っても過言ではない。俺たちが面と向かう相手が、俺たちに返答を返すことこそないが、しかしこちら側は間違いなく「相手に主張を聞いてもらう必要」があった。
「ですから、その王道にのっとったわけです。よくよく考えても見れば大した真似でもない」
全く以ってその限りである。どう考えたってそれは「特別な趣向」以前の「ただのマナー」に他ならないものだ。
それに、
大体にして、今回のMVPは他にいる。
「……今回の劇が上手い事言ったのは、俺の構成じゃなくこっちの功績ですよ」
言って俺は、佳城を指す。
佳城は、
……妙な表情で、その言葉を受け取った。
「……照れてんの?」
「図に乗んなよセンパイ?」
「……、……」
この恥ずかしがり屋さんめ!(泣き目)
「しかし、確かに見事な腕前だったわ」
他方佐倉姉は、そのように言う。
「何? 経験者なの?」
「ぼちぼちですよ」
言われた佳城はどこ吹く風。音を立ててアイスコーヒーをすすっていた。
或いは、……彼女の身の上が関係したスキルなのだろうか。
「……、……」
いつか彼女に身の上の事情を訪ねた際に、どこか濁されたような返答を返されたのを思い出して、俺は敢えてその会話から距離を置いた。
「ピアノだけじゃない。アンタ、口上だって一流に見えたけどね?」
「……、……」
佳城は更に、音を立ててストローに吸い付く。ふと俺は、彼女に台本を読ませたときのことを思い出した。
……あの時は本当に「酷い」の一言で済むような有様であったのだが、しかし今日の彼女はまさしく「流暢」の一言に尽きた。能ある鷹だっつって爪を隠していたのだとしたら今日までに一から頑張った俺と佐倉に謝ってほしいところである。
しかし、
「……ぼちぼちですよ」
佐倉は再び、そのように答える。
「ふうん?」
聞いた佐倉姉は、曖昧に答える。
「ま、失敗しなかったなら何でもいいけどね」
「……、……」
その、どこか柔らかいような口調に、俺はふと彼女への第一印象を失ったような思いであった。
「キミも、ありがとね。二人がいなかったら、成功してなかったような気がしてきたわ」
「……。」
俺もそんな気がする、とは言えない雰囲気であったので俺は沈黙を返す。
「アイツに貸しがあるって訳でもなかっただろうに、それなりに大変だったんじゃないの?」
殆どキミたちが、アイツの「ステージ」を整えてくれたわけでしょ? と彼女。
……つまりは佐倉の人格、「マジメで活きるアイツの在りよう」を活かすためのお膳立てに俺と佳城はこの一週間を費やした、という風に彼女は見ていたようだ。そして、それは全くもって間違いではない。俺は「舞台構成」で、佳城は「人を引き込む演奏能力」で、佐倉を「主役」に押し上げた。そのような解釈は全く的を射たものであった。
それを踏まえ、ふと俺は返答に迷う。
「あー。……どうでしょうね」
「うん?」
そして結局曖昧な言葉でしか返せなかったのは、「大変だった」というフレーズに共感できなかったためであった。
……そのように気付いて、そして改めて俺は、俺自身が案外ここまでの作業を苦に思わなかったという自覚に気付かされた。
「……まあ割と、楽しくやってた気もします」
「そう?」
「ええ、割と」
「それじゃあ、なんだ……」
――アイツが頼んできたから、それに心を砕いてたってわけ?
「……、……」
そう言われて俺は、
「……。」
なるほど、と。そう思う。確かに、彼女の言うとおりである。
「かもですね」
かも? と彼女。全く心当たりのなさげなその表情は、顔の造り相応にあどけない表情に見えた。
が、それはすぐに立ち消えて、
「……まあいいわ。二人とも、今日はありがと」
と、言葉がふわりと語調を変えた。
それは何やら、率直に言えば「席を立ちそうな」雰囲気であって、俺は努めて姿勢を正す。
「今日はごちそうさまでした」
「気にしないでいいわ。高校生は安く奢れて気が楽だし」
……なんだよちょっとかっこいいなソレ。
「また、何かあったら助けてあげてね」
アイツのこと。と彼女。
そのまま荷物を手早く片付け引き上げた佐倉姉の背中に、俺はふと思いついて声をかけた。
「あの」
「なに?」
佐倉姉が振り返る。
ふわりと弧に舞う髪の束が、うっすらとオレンジの香りを立たせた気がした。
「今日の用事って、何だったんですか?」
「――ああ」
俺の短い言葉でも、彼女は何やら合点がいったようであった。
つまりそれは、「今日の読み聞かせをキャンセルせざるを得なかった」という、彼女の別の要件何某についてである。俺たちを打ち上げに誘うだけあって、こうしてみれば彼女に忙し気な様子は見て取れない。
「簡単な話よ」
他方彼女は、
……佐倉姉は、短く答えた。
「――弟の、授業参観があったの」
「……、……」
「……、……」
俺と佳城は、佐倉姉と別れてよりしばらく、殆ど言葉もなくケーキの山を崩す作業に明け暮れていた。
「……いやしかし」
「はい?」
「かっこいい姉貴だった……」
「……、……」
結局は、「弟に花形を譲ってやった」というのが事の顛末であったのだろう。思えば佐倉弟の方は、何やら肩に力が入ったようにも見えた。
「……。」
たしか、「せっかくやるなら、成功させたい」というのは彼の言だったはずだ。
あとは、ようやく現場を持たせてもらったなどとも言っていただろうか。
結局のところ、今日の機会は全く佐倉姉の提供でお送りされていたということであった。
「しかし、なんだよお前。やればできるのに」
「はあ、……いや基本私なんにしたってやればできますケドね?」
どれのことです? と佳城。
ちょっと枕詞が鼻に突く俺。
「……いや、あの語りさ。いつかの棒読みとはずいぶんとクオリティが違ったじゃん?」
「あー、あれ」
かつっ、と小さな音が立つ。彼女の皿のケーキが、その音に合わせて二分割にそれぞれ倒れ伏した。
「台本が悪い。ゴミみたいなやつだったデス」
「すげえ短くとんでもねえこと言うのやめろや……!」
アレは有志が作って無料で提供してくれている言うなれば善意の塊である。こういうシーンを善意を踏みにじるって言うのかもしれない。こんな概念をフィールドワークで実践的に知りたくなんかなかった。
「っていうか、それを言ったらそっちもそうでしょ?」
「うん?」
佳城がふと、フォークを置いた。
そうして開いた手で、彼女はアイスコ―ヒーのグラスを持つ。
肘は机に置きながら、それをふらりと虚空に向けた。
「頼まれたから全力を尽くす。……なんてタマだったんですか?」
「……、……」
俺がその言葉に即座に返せなかったのは、彼女の表情に張り付けてあった言葉に気付いたからであった。
――つまりは、そんな「タマ」だったんだろう? と。
「……。」
俺は、そのような彼女の表情に、思い当たる節が全くなかった。確かに佐倉姉には「そのような言葉」を返したし、「そのような挙動」が全くこれまでになかったわけでもない。
しかし俺は、
「……」
そんな「タマ」では、ないつもりであった。
「――佳城」
「はい?」
俺の短い言葉に、彼女も短く返す。怪訝気な表情で、彼女が持ち上げたグラスを、そっと卓上に戻す。その挙動で、汗をかいたグラスが冷たい水滴をささやかに散らした。
――外は曇天。店内は相変わらず閑散としているようだ。
窓の外に見える人の往来は、怪しい日和には妥当な程度の薄弱さである。見える限りでは風もなく、俺はふと、窓の外に広がる静寂を思う。
次いで、その静寂を覆う空気を、俺はイメージする。
「……、……」
そこには、生温さがあった。
湿気を帯びた空気は肌に一瞬だけ吸い付き、接地面から熱を伝導し、そして虚空に消える。水分に満ちた空気感は音の波及を阻害して、一面に広がるのは空気がわずかに胎動するような風の音に尽きる。殆ど無音の空間に広がる湿った熱を、俺はふと想起する。
……そのイメージがあまりに具体的であったものだから、幽体離脱じみたプロセスで以って俺は我を忘れ、思わず一つ、――口が滑った。
「……相談、してもいいかな?」
「……、……」
幽体離脱から戻ってきた俺の耳が初めに気付いたのは、
……低く強い、冷房の音であった。




