二章・11
壇上に上がる。
それはただし、壇上と呼ぶべきほどの高低差では無い。率直に言えば、俺たちはただ図書館事務室から受付を通り、本棚に囲われた通路を経て、とある一角にたどり着いただけであった。
――つまりは、ただ図書館の中を歩いただけである。
佐倉によってステージに案内されるまでに、俺たちは本棚に向かい合う幾つもの後姿を通り過ぎてきていた。
……そうして辿りついたのは、
子供向け書籍の本棚が並ぶ一か所であった。
「……、……」
敢えて本棚を取り除いたかのような、そこは言い換えれば、わざとらしく空白を用意されたようなスペースである。
俺たちの前方には本棚の群れが続き、また俺たちの後方には広い窓がある。その向こうに見えるのは設えたような造りの木の群れとベンチのいくつか、それからレンガ造りの石畳と、厚ぼったい雲ばかりの空模様だけであった。
また、ここはどうやら、そもそも「イベントスペース的に」用意された場所であることが推測できる。この場所は館内でも端の方に追いやられた場所であるようで、記憶にある限りこの位置関係は、丁度この図書館の主だった読書スペースの対岸に当たる場所である。恐らくは、利用層への配慮であったに違いない。
さて、
そのような場所に並ぶのは、いくつかの児童の面々と、なにやら電子ピアノが一つであった。こじんまりと体育座りで待つ彼らの数は、おおよそ二十を超える程度であろうか。彼らの並びが行儀よく輪を作り、その真ん中にあるのが、俺たちの向かう壇上である。そして、その壇上のど真ん中に、電子ピアノが据えられている。
「……、……」
佳城が、我が意得たりとそちらへ向かう。佐倉の順序だった案内を振り切って、まずは備え付けの椅子に腰を下ろし、何やら、音階やそれ以外などの確認を始めた。
他方俺は、佐倉の案内に強いて従う。彼の指示する場所に立ち、また彼の方も持ち場についたと見えて、……それでふと俺が周囲に視線を飛ばしてみると。
――そこには、複数組もの視線があった。
「――――。」
目、目、目である。
それらがすべて、俺の方へと結んでいる。
彼らが、口を真一紋にして、力強い視線を、俺に注いでいた。
俺は、
「……。」
思わず、――我を忘れそうになる。
そこで、
「――――。」
ふと、『ド』と『レ』と『ミ』が、静かに響いた。
「……、……」
それは、どこまでも柔らかな音として生まれ落ちた。鍵盤を落とす運指の柔らかさをそのまま映しこんだような音である。或いは、毛布をそっと押し込むような、それは単音であった。
それらが、ふわりと旋律を形作る。
始めには、調律の確認とも区別がつかないような単音の群れであった。それぞれが優しく、曇天の最中にあるこの空間に生まれ、そっと消えていく。それらが気付けば文脈に沿った順序で音階を沿っていて、更にはいつのまにやらそこにリズムが成立している。
それは、雨音のような音楽であった。
俺は思わず、その音の生まれる方へと視線を向ける。
そこでは、――佳城がたおやかなピアノの音とちょうど同じ調子で体を揺らしながら、柔らかに鍵盤を押していた。
「――レディース、アンド、ジェントルメン。ようこそ、お越しくださいました」
彼女は言う。身体を揺らしながら、鍵盤をそっと押し込みながら。
俺は思わず、そっと瞼を閉じる。また、佐倉のため息が、静かに響いた。
「――本日のお題目は、桃太郎の物語。しかし今日の桃太郎は、どうやら一味違うようで」
耳を奪われる。次いで心を。
彼女の次の言葉を、旋律を、俺は待ってしまっていた。
「――鬼との諍いに明け暮れた彼は、きび団子ではなく、『自分自身の可能性』の方に勝ちの芽を見出しました。今回は一つ、そのようなお話を」
旋律が高まる。
リズムが早くなる。
それに俺は、観客は、一つのクライマックスを思い描く。
「――みなさま」
そして、
――ふと音が止まる。
「……コミット、という特別な言葉をご存知でしょうか。……ご存じでない? それは重畳、そんなあなたのためにこの物語はあるのです」
沈黙が場を支配する。
それが、この世界の果てまで続いているような錯覚を覚える。
「それでは、今日のお題目。
『桃太郎、コミットする』。――どうかご清聴のほどを、よろしくお願いいたします」
俺たちはまず、この図書館の一角に「村を建てる」必要があった。
そこには、全く凡庸たる人のコミュニティーが敷かれている。晴れの日には住民が往来にて賑わい、曇りの日にはそれに多少の陰りがあって、そして今しがたの空模様のようにして、ふと雨が降ってしまったなら、人々は着物が濡れるのを厭い外出を先延ばしにする。
そんな平穏の集落を、彼女は「口頭にて」その場所に立ち上げる。
……そして、ふとピアノのリズムを唐突に堰き止める。
「こんな村には、一つの悩み事がありました」
その言葉で、背景音、――ピアノの単音が奏でる旋律が、ふるりと不穏な不協和音を立てた。
「この村には、月に一度『鬼』の一団が現れるのです」
鬼、というものを、皆さんはご存知でしょうか。と佳城が続ける。
ピアノの音が、不穏の色を更に濃くする。
「血のように赤い肌、樽のように太い手足、背丈は見上げるほどに高く、見上げたその先、その額には一対の角がある。彼らは暴力の権化でありました。つつましくも幸せに営む村を襲った鬼たちは、暴力の限りを以って、村からすべてを奪いつくします」
――そんなとき、
そう、彼女が言った。
ピアノの音が、わざとらしいほどの明るみを帯びた。
「さて、その村には、とあるおじいさんとおばあさんが住んでおりました。彼らは生計を立てるために毎日、一生懸命働いておりました」
おじいさんは毎日、山へ芝刈りに。おばあさんは川へ洗濯に出かけていました。
そこで……、
「ある日、川に出たおばあさんが見つけたというのです。
――どんぶらこ、どんぶらこと川を流れる、大きな桃を」
おばあさんはそれを見て思いつきました。これだけ大きな桃ですから、捕まえて食べればしばらくは食い扶持に困らない。
そう思い立って、――えいやっ。とその桃を捕まえましたおばあさんは、桃をうんしょと背負い込み、そしておじいさんの待つ家まで運んでいきました。
「さて、おばあさんがお家に付きまして、おばあさんが背負いこんだ桃を見たおじいさんは、たいそう驚いた。詳しい方ならご存知かもしれませんが、桃と言えば天国の果物です。一口それを食べれば百年は生きられるという長寿の果実だ。それが、食べきれないほどの大きさでございます。おじいさんはいたく喜びまして、さっそく台所から包丁を持ち出して、それを二つに割ってみた」
ふと、ピアノが停止する。
そのまま数拍分、沈黙が空間を支配した。
更にしばらく、――ついに佳城が口を開く。
「さてと、……そうして生まれたのが、皆様ご存知桃太郎でございました。しかし」
背景音が停止した空間で、観客は全て佳城の次の一句に注目していた。それは、俺と佐倉も同様であった。
「――此度の物語、今日の桃太郎は、何やら勝手が違ったようでございます」
この企画に前もって、俺たちは最低限の役割を決めていた。
つまりは、桃太郎役が佐倉であって、そしてそれ以外が俺である。猿や犬やキジはもちろん、鬼や、或いは突発的に登場したそれ以外のアテレコも俺が担当する手はずであった。いやなにせ、花形たる桃太郎を此度の主役に当たる佐倉がやらないわけにはいかない。ゆえにその配役は如何ともしがたいモノであって、さらに言えば恐らくは、――それでもこの劇で最も喋るのは桃太郎であった。
そんなわけで佐倉、――桃太郎は、記念すべき一言目を喋る機会に当たった。
「――いやあ、今日もいい天気だ」
……ちなみに外では今しがた雨が降り出していた。とはいえ何やら佳城の方がそれっぽい音をピアノで流し始めてくれて、一瞬だけ巻き起こった違和感は即座に立ち消えた。
「これで、鬼の連中が出てこなかったら、最高なんだけどなあ」
そこで、佐倉からの目配せが飛ぶ。
それに意を得て俺、――鬼の一味は彼の前へと躍り出た。
「――おいおいなんだよ失礼な小僧だ。俺だって晴れた日は好きなんだぜ?」
「お前、鬼か!」
見ればわかるだろう。と俺はそのように返す。
「ちょっと早いけどな、今月の取り立てはそろそろってことにした。そんなわけで溜め込んでるもん全部出せ」
「ふざけんなよ真っ赤っかのくせに!」
……いや別に全身真っ赤っかなのはマイナス査定じゃねえだろふざけんなと思ったけど子供に言っても伝わりずらそうなのでやめておいた。ただコイツいきなりマジで失礼だとは思った。
「……ふん。威勢のいい餓鬼だ。とにかくママに伝えておけよ? 遅れたら容赦しないってな」
「隙あり!」
「どっふぅ!?」
佐倉のボディブローに俺が崩れ落ちる。ちなみに台詞演出じゃなくてマジでやられた。ちゃんと痛かった。
ゆえに俺はわりとマジめな握力で佐倉の顔面を握りこんでやった。
「あでででででででっ!?(素)」
「テメエマジでふざけんなよっ? そりゃあこっちだって平和に話進めたいんだから隙あって当然なんじゃねえの?」
「痛いごめんマジで痛いぎゃあああああああああ!」
その体たらくに俺は満足して佐倉を投げ飛ばす。そして倒れこんだ佐倉に更に唾を吐きかける。ちなみにこれも台詞演出じゃなくてマジでやった。なにせ割とボディブローがしっかり入って痛かったのである。
「……ババァに言っとけ、今回はいつもの二倍だ。少しでも足りなかったら村は滅ぼすぞ」
「畜生、……この悪魔めぇ」
「唐突に背後から脇腹ぶん殴るサイコ野郎よりマシだ馬鹿野郎!」
それだけ言い残し俺はその場を後に(するようなジエスチャーを)した。それを受け取った佳城が、がらりとピアノBGMを衣装替えする。
それはちょうど、独白の背景に流れるべき類のフラットな音楽であった。それに合わせて佳城は、
「さて、鬼の暴力に叶わなかった桃太郎ですが、しかしその瞳に宿る熱は未だ消えてはおりません。彼は強く、鬼へのリベンジを誓うのでした。
……はてさて、果たして桃太郎は、ここからどのような道を選ぶのでしょうか」
「俺は、……」
佐倉が言う。俺のアイアンクローがちゃんと効いていると見えて、何やら足腰が馬鹿になりつつも、強くその両足で大地を踏みしめる。
そして言う。
「強くなりたいッ!」
「――さて、そして舞台は切り替わります。時刻は夕暮れ、場所はおじいさんとおばあさんの待つ我が家です。なにやらその帰り道には、カレーの香ばしい香りなんかが漂っておりました」
……時代設定どうなってんの?
「おっ! 今日はカレーかあ、楽しみだなぁ。……とっとと、ただいまぁ! ばあちゃん!」
「おお、お帰り桃太郎や。もうすぐご飯だから、先に手を洗っておいで?」
「ばあちゃん、俺もう二十五だぜ? いつまでも子ども扱いはやめてくれよぉ(笑)」
「(唐突なクズニート設定に絶句する俺)。……ああうん、そうだね。なんか暇つぶしでもしてて」
「ういー」
言って佐倉桃太郎は図書館の床に腰を下ろす。
「さーてと今日は火曜日か、なんか面白い番組あるかなー」
ざっぴんぐーっと。と彼は姿勢を更に崩し、リモコンを弄ぶような挙動をした。……まあ、カレーがある世界観だしテレビくらいあってしかるべきだろう。
さて、
「――そこで、桃太郎は出会ったのです」
とーん。と、ピアノが一つ高い音を立てる。照明が落ちたわけではないが、しかし明確に、その音で以って舞台が暗転した。
「皆様も聞いたことがあるでしょうこの音楽、これは、とあるコマーシャルにて使われる背景音でございます」
言って、佳城が俺に目配せをする。
え、何?
「(ほら、やってくださいっ)」
「(な、なにを?)」
「(音です、音!)」
「(……うそでしょ?)」
という拘泥の間にも観客が怪訝そうな顔を作り始める。このような劇で、テンポが悪くなるのは全く最悪手の一つに違いなかった。
「……、……」
仕方がない。覚悟を決めろ、漢舞浜夏樹。
いや、……今に限って俺は舞浜夏樹じゃない。そう俺は、
俺こそが――ラ〇ザップのCMのBGMだ!
「……びーぷびーっぷ、びーぷびーっぷ(地声)」
ぽんぽろんぽろろろーん。と佳城が煌びやかな音を付け加える。
「…………びーぷびーっぷ、びーぷびーっぷ(自暴自棄)」
ぽんぽろんぽろろろーん。ぽんぽろんぽろろろーん。
「こ、これは……!」
その音を聞いて、佐倉桃太郎はテレビの方へと身を乗り出した。更にテレビ画面に掴みかかるように、彼はその映像を注視する。
「こ、この鬼のような大胸筋はなんだ!? こんな、チョコレートみたいなシックスパットに。うわあ、まるでメロンみたいな上腕二頭筋だぁ!」
何その糖質マシマシな例え。そんな例えが公式で許されるわけがないと思うんだけど。
「な、なに? ……結果に、コミット?」
ぽろん。とピアノが鳴り響く。観客の視線がその音の方へ吸い寄せられる。
「――コミット。それは魔法の言葉でございます」
……或いは、努力の言葉と言い換えましょうか。と佳城は語る。
「つまりは、成功を保証する。といった趣旨の和訳が妥当でしょうか。さて、かような経緯でキレたハムスプリングスに魅せられた彼は誓います。――そう、彼はかの悪逆の一味たる鬼を、必ずこの手で打倒すると」
「コミットするよ、俺! ばあちゃん!」
「ぅお!? ……ああはい、何がどうしたんだい桃太郎や?」
「絶対、鬼を追い払うってコミットするよ俺! ばあちゃん!」
「うん、ごめんよ桃太郎や。コミットって何?」
「なんかね、テレビでやってたの!」
「……。(馬鹿を見る目)」
初めて知った言葉すぐに使いたくなっちゃうガキかコイツは。
「も、桃太郎や。コミットかどうかは知らないけどね、私はお前が無事でいてくれたら、もうそれだけで……」
「身体は、確かに生きているかもしれない。だけどさばあちゃん。――心が死んでたら、それはもう生きてないってのと変わらないんだよ、ばあちゃん」
「あっ、そう……」
「ばあちゃん、俺決めた。――俺、今日から糖質制限するよ!」
「とうし、……なに?」
「糖質制限だよ! カレーにはライスじゃなくて豆腐でお願い!」
「えー? せっかく作ったのに、それあんまおいしくなさそうじゃない?」
「あとササミねササミ。お弁当はタッパーにササミ入れて!」
「いやっ。今日日ササミって実は割と高いんだよっ?」
「それじゃあ俺、走ってくる!」
「あっ、ちょっと!?」
「――さて」
と、佳城が言う。それに合わせて伴奏が変遷の兆しを見せる。
「桃太郎はこうして、かの鬼の一味の打倒を狙います。しかしここで問題が起こる。みなさん、桃太郎と言えば三匹の家来、犬、サル、キジが外せますまい。彼ら三匹は、おばあさんの愛情籠ったきび団子によって、桃太郎への忠誠を誓いました。そこについてはきっと、皆さんご存知の通りでしょう。――それなら、これはご存じでございますでしょうか?」
一つ、間を開けて。
彼女は告げる。
「きび団子は、糖質の塊です。ゆえに我らが桃太郎は、一つ問題に直面しました……」
つまり、
「桃太郎が此度の物語で懐に忍ばせていたのは、――きび団子ではなくササミでありました」
「よーっし。今日もいい具合にバンプアップしてるぞーっ。それじゃ、ササミササミっと」
言って佐倉が、懐から取り出したササミを摘まみ上げ、口に頬りこむ。
「大胸筋に染みてるぅーっ!」
「お、……おなかすいたワン」
俺が一歩、くつろぐ佐倉の方に歩み寄った。
「お、お兄さん。何か食べ物はありませんかワン?」
「お、君は犬かい?」
――そうですワン。と俺は答える。ちなみにこの語尾はわかりやすさ優先で選んだ俺のアドリブである。恥ずかしいみたいな感情はさっきBGMの件で吹っ切れた。
「おなかがすいているんだね、それじゃあ一つ、このササミを分けてあげよう!」
「えっ、ササミですかワン?」
「そうだね、ササミだね」
「……あー、まあ貰えるものなら貰っておきますワンけど」
言って俺は、佐倉からササミを受け取った。ちなみにこの後、桃太郎がきび団子を用意できなかったがためにお供三匹を得られなかった、という流れは打ち合わせの段階で決めていた。
さてと、どうしたものか。
「……パッサパサですワン」
「え?」
「コレ完全に沸騰したお湯に適当に突っ込んで火入れしてますワンね。口の中の水分が消費されることスポンジのごとしですワン」
「い、いやっ! 俺これ結構おいしく食べてるけどなあ!」
「ちゃんと鍋に水張ったところに投入して沸騰させないように火入れしないといけないワン。あんたみたいなやつが犬舌の味覚音痴野郎とか言われるんですワン。おかげさまでどこ行っても我々ご飯に味噌汁かけただけの残飯を用意されるんですワン。食に楽しみを見いだせない人生の辛さがアンタに分かりますかワン?」
「え、えー?」
「はあ、どこかにきび団子とか持ってる人いないかなあワン……」
「…………いや。待ってよ。なにこれ俺が悪いの?」
強いて言えばお前が悪い。さっきの脇腹パンチへのお返しはまだ終わっていないのである。
ということで俺はさっそく次の登場人物になりきって見せる。
「ウッキッキィ。ああ、腹が減ったキィ」
「あ、君はお猿さんかい?」
「おっと、お兄さん。よかったら何か食べ物を恵んでくれないキィ? 場合によっては鬼ヶ島にまでだってついていくキィよ!」
「ほ、本当かい? それは良い、待って今食べ物を、……ほらこれ、ササミだよ!」
「は? ササミ?」
「えっ。あ、うん。ササミ……」
「え? いや待ってそれマジでただただササミじゃね?」
「あ、うん。そうだね。俺は糖質制限をしてるから、ドレッシングの類なんかは禁止なんだ」
「だよねそれ完全に抜身のササミだよね、いや、アンタそんなもん食ってんの?」
「よ、夜は豆腐だし!」
「白一色じゃねえか! なんだよアンタ将来コピーペーパーにでもなりたいのか?」
「い、いや違うよ失礼な! 俺は将来、鬼にも負けない屈強な身体を……」
「とんだ猿真似だな。大方素人知識で無理なダイエットでもしてるんだろ?」
「そ、そんな違うよ! ちゃんとコレはネットで調べて効果的だって書いてあって……」
「そういうのを猿知恵って言うんだよ坊主。……いいか? 鬼を倒すなんて言うのは英雄の所業だ。英雄になるには、――人を救うにはな。まず坊主、テメエが救われていなきゃなんねえ」
「それは、……そうかもしれないけど」
「それをテメエは、まず初めに旨いものを食べるっていう自分の幸せを諦めちまった。よく聞け坊主。――テメエは英雄の器じゃねえ。大人しくウチに帰って、ママのおっぱいでもしゃぶってなよ」
「えー……」
……おっと失礼、糖質制限なんぞしてたんじゃあママのおっぱいもしゃぶれねえわな。ガッハッハ。という言葉を残し、俺ことサルはその場を後にする。
「……、……」
他方佐倉は、ただ静かにうつむき唇をかみしめていた。彼は今、きっと自らの在り方に葛藤していたのだろう。犬には味覚センスを、猿にはその英雄としての志を否定された彼に、今や心の寄る辺など無いに等しい。
……あと少しだ。
もう一押しできっとアイツは崩れ落ちる。
そうすれば俺たち鬼の天下だ。さあ、俺が貴様に引導を渡してくれよう!
「お、おなかすいたー……キジ?」
アレちょっと待ってキジの鳴き声ってどんなんだっけ?
「……うん、キジキジ! おなかすいたキジなぁ」
まあキジはキジでいいや。ピ〇チュウもピッピ〇チュウって鳴くし間違いじゃないでしょ。
「あ、お兄さん。何か食べ物はないキジか?」
「ぼ、僕に近づくなァ!」
「キジッ!?」
右手を払い、そして佐倉は崩れ落ちる。
「どうせ、どうせお前も! 犬や猿みたいに俺のランチを笑いに来たんだろう!? 犬以下の味覚センスだって……っ。猿知恵程度のダイエットには無理があるってよお!」
「キ、キジィ……」
それは殆ど、手が付けられないほどの激情であった。
しかし俺は、――彼にそっと手を差し伸べる。
「お兄さん、ねえお兄さんってばあキジ……」
「な、なんだよ……」
「僕には、お兄さんが犬や猿から何を言われたかなんてわからないキジよ? でもね、それはお兄さんの家族が、お兄さんの為に一生懸命用意してくれたお昼ごはんだキジ」
「……それは、そうかもしれないけど」
「胸を張るキジよお兄さん。そうじゃないと、作ってくれた家族が悲しむキジ!」
「そう、……かも、しれないなぁ」
そっか、そうだよ。と彼はつぶやく。倒れ伏した身体に、そっと力を籠める。
味覚を罵倒され、目指す英雄としての在り方を否定された彼に、きっともう燃やせるような情熱は残っていなかった。それでも彼は立つ。手を着き、膝を突き、そしてその両足で、強く大地を踏みしめる。
「そうだよ、そうだ。これは俺のばあちゃんが一生懸命用意してくれた大切な昼飯だ……。確かに調理工程自体はお湯沸かしてそこに突っ込んで色が変わるまで煮るだけっていうシンプルな料理だけど、……でも、それでも忘れちゃいけない……。
――料理は、愛情なんだからっ!」
そして彼は、遂に立つ。
胸を張り、空を見据え、強く、毅く……ッ!
「さあキジさん! 腹が減ってるんだったよな、食ってくれ! これが俺の昼飯だ!」
「ありがとうキジぃ! って、いや待って、……これもしかしてササミだったりするキジ?」
「え? うん、そうだねササミだよ?」
「う、うわあ! テメエふざけんなよ俺鳥だぞ! よくも貴様俺の同族の死体ここに出せたな!」
「あ、……あ! うわあゴメン!」
「チックショウこんなにしっかり火を通しやがって! テメエ、テメエが鬼だよぉ! 桃太郎だか何だか知らねえが俺の仲間の死体を弄びやがって! 俺たちからしたらテメエこそが鬼だよクソッタレ!」
「い、いや違うんだって! これは手違いで!」
「何が手違いだこのサイコ野郎! う、うおお近づくんじゃねえ! 俺に近づくなバケモノ! 食われてたまるかよぉクソッタレがぁああああああ!」
と、悲痛な悲鳴を上げながら俺はその場を後にする。
残る佐倉の沈痛な面持ちに、
――或いは、優しく毛布をかけるようにして、ふわりと伴奏が舞い降りた。
「……誰が、果たしてこのような結末を予想していたでしょうか。きび団子というたった一つのカギを失った桃太郎は、そしてそれ以外の全てをも見失ってしまいました」
……しかし、
佳城は言う。ピアノの音が、荒々しく、激しく、そしてきらびやかな色を帯び始める。
「それでも彼は、桃太郎でした。鬼を退治し、おじいさんとおばあさんに平穏をもたらす英雄。それが彼でした。……さあ、彼はこれより、たった一つ残った彼の持ち物。おじいさんとおばあさんからもらった『桃太郎』という名前をかけて、無謀にもたった一人、鬼ヶ島へと乗り込みました」
いや、無謀などとは言いますまい。
彼女は言う。
「彼は、桃太郎。日本有数の知名度を持つ英雄でございます。英雄とは人を率いるもの。人を支えるもの、人を導くものでございます。そのような彼が約束を、――コミットを、むやみに反故にするわけがない」
今一度言わせていただきましょう。コミット、つまりは成功の保証です。彼はおばあさんに約束をいたしました。
――つまりは、「必ず鬼を倒す。自分が受けた恩を、そうやって返す」と。
「……さて、物語は佳境にございます。単身鬼ヶ島にたどり着いた桃太郎は、果たしてどのようにして鬼を打倒せしめ村に平穏を取り戻すのか。当然、先行きは不穏、鬼の力は未知数でございます。
しかし、不安に思われることはない。多少のマイナーチェンジこそはありましてもこの物語は間違いなく。――桃太郎の昔話でございますゆえに。




