二章・10
それからさらに、殆ど生産性のない会話を続けてしばらく。
どうにも時間が潰せてきたと見えて、彼女の誘いで俺たちは店を出た。
「……、……」
目的の図書館は、この街のすぐ裏手にある。俺たちの進路の先では急激に街並みの背丈が失速していき、また俺がふと振り返った時には、すぐそこでビルのジャングルが伸びている。
再三思う。狭い街だと。
ハリボテじみたコンクリートジャングルの中身は殆どからっぽで、或いはあのビル群を森に例えたとすれば、その一本一本の本質はいっそ枯れた木々の洞のようでさえある。それは、この街の人口を理由に起きた現象であった。この街が放射状に発展するには人が足りな過ぎて、繁華街から五〇〇メートルも逸れれば、そこに広がるのは全く人口総数に妥当な田舎風景である。
俺は、そのような有様を冷やかしじみた感情で見てしまうのだが、しかしたまに歩く分には案外悪いロケーションでもないのかもしれない。
幅広の道路は閑散としていて、一面には梅雨の気象を反映した灰色の日差しが降り注いでいる。
肌寒さが、先ほどまでに喫茶店という密室で溜め込んだ身体の熱を、そっと払っていく。
風を受け、思考が少しばかり冷えてくれた頃に、ちょうど俺たちは目的の場所にたどり着いた。
「そういえば、私初めてここにきたかも」
……俺も、普段は縁遠い場所であった。
さて、
そのような目的地、市営の図書館は、どこか人気を内包したような印象であった。駐車場の方は満杯手前の様子であったが、しかし周囲に人の往来は無い。窓の先にうかがえる建物内部の様子は、図書館なりのものではあるが一定のにぎやかさが見て取れる。
案外、期待されているイベントなのだろうか。なんて他人事のように思いながら、俺たちは図書館正面の入り口の方に向かう。
――と、そこで。
「おー。時間ぴったり」
と、俺のうなじに見知った声が投げかけられた。開いてしまった自動ドアを待たせてそちらを振り向くと、果たしてそこには佐倉がいた。
「……、……」
いや、
……正確には、佐倉ともう一人であった。
その「彼女」は、入り口脇の灰皿を独占するようにして、ふわりと立っている。それから、なにやら俺たちと佐倉の後頭部とを視線で行ったり来たりしている様子であった。
「その人は?」
「あ、……あー」
問うと佐倉は、少しだけ答えあぐねた様子であった。
「……――特定個人?」
「ああ、あの……」
あの、とは言ったが大したことは知らない相手である。なにせ佐倉からは、「今回は都合がつかなかったこのイベントの実動員」としか聞いていない。
……中で待っててもいいよー? と俺たちの方へ遠慮がちに呟く佐倉を押しのけて、
――その人物がこちらを向いた。
「佐倉の姉です。佐倉みかみ、よろしく」
と、煙草をくわえたまま彼女はそのように名乗った。
確かに、見た目にはどことなく似たような雰囲気があった。髪が長く、服装と共になんとなく「ぽわぽわっと」した感じだが、――いやしかし、なによりもそのまとう雰囲気が剣呑に尽きた。顔の造りこそ佐倉(弟)と同系統の可愛らし気なものであったが、なんというかこう、率直に言えば歴戦の猛者っぽい感じである。歴戦の猛者に俺会ったことないけど。
と、そのようなぶっきらぼうな雰囲気そのままの口調で、彼女は更に言葉を続けた。
「紹介してよ、竜司」
「あ、うん。姉さん……」
首輪でもつけられてるみたいな委縮っぷりである。アイツの被虐体質面は多分この人のせいであった。
「こっちが舞浜クン、こっちが佳城サン」
促された佐倉が、そのように俺たちを紹介する。
しかし、クンとかサンとか、全く言われなれない敬称がついたものである。果たしてなんでこいつ唐突に良い子ぶったのであろうか。
……いや気持ちわかんないでもないけど。暴力的な身内の前じゃマジでどんな真似がグーの琴線に触れるかわかんないし。
「改めて、こっちが俺の姉さんの佐倉みかみだ。よろしくね」
「よろしく、です」
「うぃーっす」
一つ目が俺、二つ目が佳城であった。
さて、他方佐倉姉は、
「うん」
と、短く返して紫煙を吐き出した。
「今回は、弟の助っ人で来てくれたんだよね。ありがと」
「あ、はい……」
いやしかし、本当に威圧感のある人である。再三言うがそれなりに顔の造りは可愛い寄りであった。しかし、これは何というべきか、下手を一つ打ったらチャカとかが出てきそうな雰囲気だ。
……というかぶっちゃけこの人が読み聞かせで子供をキャッキャ言わせてるビジョンが湧かない。むしろ指人形ハメた瞬間に人格変わってキャピッとし始めたらそれはそれで俺は船酔いを起こす自信がある。
「よ、よろしくお願いします」
「あはは。――いや、私は何を『よろしく』するのよ?」
「あっ、……すみません」
アウトレイジかなんかなのかコレは。俺わりとマジでごく一般的な挨拶しただけのつもりなんだけどなんか論破されたみたいな感じになってる。本当に怖い。
「いや、委縮しなくていいけどさ」
そのような俺の様子を見てだろうか、佐倉姉はそのような言葉を俺に投げた。
「気軽に『みかみ』って呼んで。弟お世話になった縁もあるし」
「そっすか……」
「中に行こうかっ。準備しないとな!」
と、話題を切り上げたのは佐倉であった。
「ホント、来てくれてありがとうなっ。姉さんも、また」
「うん。ふたりも、頑張って」
佐倉に押された俺の背中に、そのような言葉が投げかけられた。また、俺はそれを受け取りながら、ひとまずは図書館の入り口を潜った。
「……お前の姉さん、何人殺したらああなるの?」
「重犯罪前提はやめてくれっ、アレでも仁義を貴ぶ人なんだよ!」
どうして佐倉は殺人を重犯罪と言い換えたのであろうか。それではまるで軽犯罪なら経験があるみたいに聞こえて怖い。というか逆にあのキャラクターで仁義貴ばれたらそれはもう「とりあえず任侠人ではあるよ」って言ってるみたいに聞こえるんだけどこれは聞き間違いってことでいいんだろうか。
……いや、それはいいとして。
さてと俺たちは、そのような経緯で以って図書館の一室に連れ込まれていた。
「……、……」
佐倉がとある扉を開くと、途端に複数人分の人気があふれ出る。それはなにやら、緊張と興奮の最中にあるような喧騒であったが、しかしよく検分してみれば、それを構成する声の種類自体はそこまで多くない。
果たして、まずはその部屋に待機していた数人程度の人垣に、俺と佳城は手厚い歓待を受けたのであった。
「――ようこそっ! 君が佳城さん?」
「じゃあ君が舞浜君だ?」
その小規模たる人の群れは即座に俺たちを取り囲む。概ね、女性が多いという印象である。
「凄い可愛い子だ!」
「君もよく見たらかっこいいねっ、付き合ってるの?」
「あ、あははー……」
彼女らの応対に、まずは佳城が半端な反応を返した。なにやら、ドン曇りの日和だというのに、夏真っ盛りでもやや過剰なテンションである。気の持ち方を選びあぐねたと見えて、捕まった佳城は微妙な表情であった。
「二人とも、やめてくださいよっ……!」
と、困惑する佳城の前に佐倉が躍り出た。
「この人たちが、サークルのメンバーだ。えっと」
と、殺到する女性陣の誰をまず紹介すべきか悩んだらしい佐倉を押しのけて、旺盛たる自己紹介合戦が始まった。初めに名乗った女性から時計回りにそれは続き、更に一拍を経て、一つぶん遠くにいる男性陣が名乗りを上げた。
更に、その最後に名乗った男が続けて、
「びっくりしたよね? ごめんごめん」
みんなちょっと舞い上がってるんだ。と続けた。
「みかみさんが欠席っていうのが珍しくてね、それでこうなってんの」
「こう?」
見ればわかるでしょ……? と言う彼の口調には、ほんの少しの疲労が滲む。
「全く。……お前らマジで浮足立ち過ぎだからな?」
すみませーん。と中身のなさ気な口調の台詞が複数個浮き上がった。
「とりあえず、舞浜君と、佳城さんだよね」
と、更に彼は一拍置いて、
「今回はありがとう。俺たちは裏方ってことで助けるつもりだから、今日はよろしくね」
「ああ、はい」
「よろしくデス……」
「えっと、じゃあ。とりあえずこの後の話しようぜ。舞浜に、佳城も」
委縮した俺と佳城の言葉を受けてか、……俺たちに面識のない彼の代わりに、佐倉が更に言葉を取り次いだ。
「とりあえず、この後に簡単なリハーサルをするつもりなんだ。そこでサークルのみんなと動きを合わせていく。ただまあ、基本的には『セットを用意して、そこで劇をして、それでセットを片付ける』って程度のシンプルな進行なんで、そこは簡単に済ませるつもりだ」
この部屋で、流れを確認するだけのつもり。と佐倉は続ける。
「なんで、……まあ俺たちの『演出』の都合もあってだけど、今回は割とぶっつけ本番のテイストが強くなると思う。大丈夫そうか?」
「ああ、行けると思うよ」
更に佳城と、その周囲のサークルメンバーが首肯を返した。
「それから、……佳城に頼まれたものは準備してあるんだけど」
「重畳です。運んでもらって、ハケてもらえれば充分です」
「……なに?」
と、俺が佳城を見やると、
――彼女は人差し指を唇にあてがって、一つ俺にウィンクを返した。
「……あー、まあいいや」
「じゃ、やってみよう。本番は三十分後だ。簡単に合わせてみて、『違和感』があったら調整してまた合わせる。……とりあえず俺が指示するから、それでよろしく」
人数分の了承が返る。それを以って、サークルの構成員たちは各自持ち場につき始めたようであった。
それを確認して、更に佐倉が俺と佳城に指示を飛ばす。
「二人は、開始の合図でステージに上がって、劇が終わったらステージをハケる。本番でも俺が先行するけど、一応ここで雰囲気を確認しておいて」
「了解でーす」
佳城が先に応えてくれたので、俺は首肯にとどめて置いた。
「それじゃ、よろしく」
と、
かような経緯で以って始まったリハーサルは滞りなく完了する。なにせ強いて台本を削減した劇である。俺たちは壇上に上がってから、そこではただ「アドリブをしたこと」として、妥当なタイミングで劇の終了を告げ、それでステージの撤去が「イメージで」行われる。それだけの時間であった。
「……、……」
体裁程度の最終確認を、サークルの構成員に紛れて聞き流しながら、俺はふと考える。
というのは、俺たちが選択した演出が、そもそも正しいものであったのか、についてである。
「……。」
台本は無く、舞台装置は無い。俺たちがステージに持ち込めるのは生来の言葉遊びのセンスだけだといってもいい。今更ながらに、その選択が「妥協であった」のではないかと、俺はふと考える。
率直に言うとすれば、俺たちは今日までに何もしなかったからこそ、「何かすべきことがあったのではないか」と考えることをやめられない。演技力も小道具の準備力もない俺たちが選んだ選択肢、……アドリブによる声劇と言うのは、果たして誠実に選んで至ったものだったのだろうか。
かような悩みを携えて、
――そして俺は、佐倉の導きでステージに登壇した。




