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二章・07



 教室の風景は、刻一刻と日差しの色を濃くしていった。

 とある放課後。

 先ほどまでは鮮やかな乳白色であった陽だまりの色が、明確にその濃度を強めていく。先ほどまでは日に当たっていた箇所が、ふと気づけば日陰の最中に落ち込んでいた。

 ――夕刻までは今しばらく。

 しかし今を昼間と呼ぶには、少しばかり日和の哀愁が強すぎる。

 そんな時分に、まさに俺たちは佐倉が相まみえた状況というのを把握しきったのであった。

「……、……」

 まず、彼の言う特定個人というのが、いわゆるアーティストの類であったことから事が始まる。

 曰く、その人物とは「子どもに受けそうなこと」という分野におけるオールラウンダーであったらしい。絵本の脚本はもちろん、その演出から小道具から、何から何まで全てを一手に担うゼネラリスト、それが彼の言う特定個人その人であった。

 果たしてその人物、何某の持つオリジナリティは鮮烈の一言であって、絵本を読み上げる声色の一つから背景を描いた色彩感覚の一片までにおいてが全くの高評価。さてと、そんなときに何が起こるかと言えば

 ――子供のハードルの爆上がりの一言に尽きる。

「……。」

 そして、そのような期待を何某氏は確実に超えてきた。そんな何某が、しかしふとその責任を放棄せざるを得ない状況に陥った。

 佐倉がその代役に抜擢されたのは、彼の個人的な何某氏からの信頼にあるという。

 彼曰く、――こんな暴力じみた信頼があってたまるか、という独白は、しかし蛇足であろう。

結局彼は、それを快諾してしまったわけであるからして。

「――まあ、受けたのは俺だから、無謀な真似をしたと言われても返す言葉もないよ」

 できると思ったんだ、と彼は言った。

「他の人たちは、あの人レベルのものはハナッから無理だからって言ってくれてるけど、でも観客の方は違うはずなんだ」

 彼の、熱がこもり始めた独白を、俺たちは頷くことさえ憚られてただ聞いていた。

「俺も、まあ百点満点は無理だろうけど、マシなところまでは持っていきたいと思ってる」

 ――力を貸してほしい。

 そう、佐倉が言った。

 俺は、

「……、……」

 それを、――少し面白そうだと感じた。

「まあ、悪くないと思う。俺は手を貸すよ」

「……マジ?」

 絵本の読み聞かせ。と言われて俺が想像できるのは、小規模な輪の中心で、頭一つ分背の高い誰かが何かただただを朗読するだけという、殆ど修行僧の食事のように薄味な光景であった。しかし、「今回はそうではない」らしい。

 脚本から演出から、更にはもっと根本的な様相に至るまで、何から何までが自由なる創作。それは、まさしく「自由」に違いない。

 ただシンプルに、「任せるから成功させろ」というこのシチュエーションに、俺は一つ情熱のような興味を自覚してしまっていた。なにせ、成功体験には縁のない人生である他方、俺自身自分への評価は限りなく高いものであったゆえに。

「――私も、手を出してもいいですかね」

「ああ、人手は多いに越したことない。ホント助かるよ」

 佐倉はそういって、俺たちに深々と頭を下げた。

 今日日見ない挙動である。その姿に滲む誠意がくすぐったくて、俺は彼に話題を投じた。

「決めるべきなのは、脚本と、その演出の二軸だよな?」

「ああ。とりあえずそれだな」

「そしたら、参考程度に前任担当のやり方を聞いておきたいんだよな。……ぶっちゃけどんな感じ?」

 つまり、例えば声劇に寄せるのか、または人形などを使った劇であったか、或いはもっと別の可能性であるのか。どのような選択肢を選んでいたのかは、確実に参考に値するはずである。

「ああ、基本的には……」

 ――人形劇だった。と彼は答えた。

「絵本は完全オリジナル。例えば『冴えない六等星』ってキャラクターが、星座になるために偉業を為そうとしたりだとか、あとは『カレーになりたいニンジン』が、材料を集めるためにキッチンを冒険したりだとかだな」

「……、……」

 なるほど確かに、子供に受けそうな気がする。わかんないけど。でもどうせ餓鬼なんてみんな宇宙とカレー好きでしょ実際。

「めちゃくちゃ失敬なこと考えてたりします?」

「……いや?」

「まあいいですケド」

 続けるぞ、と佐倉。

「背景と人形は手作りで、それでやってた。あと、抽象的だけど、……ライブ感が凄い」

「ライブ感?」

「ヤバかった」

 ……いやヤバいのはテメエの語彙だろ実質ノーヒントだよ。

「なんつーか、盛り上げるのが上手いんだよ。聞いてる子供どころか、その親まで引き込まれるんだ」

「はあ……」

「――なるほど」

 よくわからないという態度を多分に含んだ反応の俺だが、他方佳城の方は、何やら得心がいった様子であった。

「言葉にはできないですけれど、言いたいことはわかります」

「だろ?」

「えっ。俺わかんない」

「ポンコツ先輩なんですか?」

「ポンコツ先輩じゃないよ夏樹先輩だよ」

「うるせーよ」

「うるせーよって言ったのか!?」

 まっこと不本意である。遺憾のいーっだ!

「可愛くないっす」

「ふざけんなめちゃくちゃ可愛いわっ!」

「……。」

 いや待てそれは我ながらどうだ。「俺可愛い!」って怒鳴り気味で主張する男子ってどうなんだ。なしか。なしだな。やめとこう。

「こほん。……まああれだろ? すごいんだろ?」

「…………。いやまあ、そうなんだけどな」

「理解したうえで言葉にできなかった私たちとは別のベクトルで語彙貧弱ですね、ポンコツ先輩なんですね」

「……なんだよ謝ったらいいのかっ!?」

 許してくれるならやぶさかじゃねえぞこの野郎!

「…………いや、マジでニュアンスはわかったよ」

 ――ただ、と俺は言葉を付け加える。

 それに、佳城と佐倉が沈黙した。

 さてと、

「参考になんねえよな……」

「ですねぇ」

 佐倉も、佳城と同じような表情を返す。

 ……まずそもそも、俺たちに手縫いの人形を用意するスキルは無い。仮にそちらは出来合いのモノを購入して済ますとしても、背景に関しては完全に詰みである。例えばこの学校に演劇部なぞがあるとしても、絵本の読み聞かせサイズの小道具がそろっているとは思えない。

 ゆえに、前準備の段階で既に人形劇はハードルが高い。

「まあ、その辺が準備できないとなると、順当に読み聞かせ、――多少派手に声劇チックにするってのが妥当だろうなあ」

 そんな落としどころに、佳城らも首肯を返した。

 仮に声劇とすれば、背景や小物どころか衣装さえ手間を省けるかもしれない。なにせ読み聞かせの延長線上であるからして、奇をてらわない下準備はむしろ王道のアプローチである。

 例えば、掛け合い風の劇をイメージしたなら、キャラクターに合わせた服装をしていようが完全に私服であろうが説得力に差は出ない。声の劇に必要なのは、視覚情報ではなく耳から入る情報である。

「って考えたらさ、……ぶっちゃけ唯一のハードルはオリジナル脚本だよなあ」

「……、……」

 その黙秘には、二人分の肯定が滲んでいた。

「……最悪でも」

 数拍置いて口を開いたのは佐倉である。

「脚本は、子供に楽しんでもらえるようなものは用意しないと」

「……。」

 仮に、俺たちが壇上に椅子を置いて台本を手に、それを読むばかりの劇をしたとしよう。

小道具がないとすれば最低限の演技力は求められるとして、そこからさらに大衆に評価されるには「脚本の特別感」が無くてはならない。

 笑えるものでも、泣けるものでも、それともまた別の感情を促すような物でも構わない。或いは奇をてらっていたり、または「逆に」斬新に感じるほど王道ド直球なものであってもいいだろかもしれない。とかく何だっていいから、まずは「特別である」必要があった。

「……、……」

「……、……」

「……むずかしい」

 その佳城のつぶやきは、まさしくこの空間を一言で表すものに違いない。

 恐らくは、何よりもまず脚本を固めてみる必要がある。

 ……。

「――じゃあ、笑わせられるものとして、ですケド」

 ふと、佳城が再び沈黙を割いて言った。

「既存の童話をアレンジするなら、多少ハードルは下がりませんか?」

「ふうん……」

 それは、……素人の集まりではまさしく王道に違いない。一から十まで作ったのでは説得力に欠けるという弱点を、既成のブランドに丸ごと委託するわけだ。

「でも、……例えば?」

 俺は問う。

 彼女の提案は確かに王道だが、既成のブランドがあるがゆえに独りよがりになりやすいことは容易に想像がつく。確かに出来合いの物語はインスタントであるが、他方確立したブランドに手を付けるという行為は、物語解釈に対する多少のずれが致命的になる。

 ……なんか俺「代替案もないのに意見の否定だけはやたらと旺盛な人種」っぽいこと口走ってる気がするが、まあ心の声なのでギリギリセーフだと思う。

 さて、対する佳城の言葉とは、

「じゃあ、仮に桃太郎として……」

「ふむふむ」

「――こんな桃太郎じゃめでたし出来ない、みたいな」

「ラジオのネタコーナーじゃねえんだから……」

 なんかどっかで聞いたフレーズである。多分文〇放送の声優二人で回してるラジオだと思う。そんでその声優はユニット組んでんの、プ〇ミレディっていうやつなんだけどさ。

「いや、――ありかもしれない」

「うっそだぁ……」

 唐突にマジメ顔決め込んだ佐倉に俺は動揺を禁じ得ない。

「いや、考えてもみてくれよ舞浜。……餓鬼なんてとりあえず意表をついておけば笑うだろ? ――アリだ、アリだよ佳城さんっ!」

「……何キミ実は子供嫌いなの?」

「ちょっと考えてみよう!」

 という強引なフリでもって、シンキングタイムがスタートする。ただ密やかに黙考する二人の横顔を、俺はただ冷ややかに眺める時間が更にしばらく続いてしまった。

 さて、

「はいっ、整いました!」

「じゃあ佐倉くん!」

 整いましたってなんだよ、まじめに考えるの飽きたのか君ら……。

「こんな桃太郎じゃめでたし出来ない。……『きび団子が賞味期限切れで猿も犬もキジも腹痛でダウンした!』」

「うっわあつまんねぇ!」

 佳城さん敬語抜けた!

「……、……」

 ちなみに佐倉はまさかの初手でグロッキーである。

 ……しかし全く、彼が人に頼らざるを得なかったのも納得である。口には出さないけどマジでつまんなかったし。これでよくオリジナル脚本などを承ったものである。寒過ぎて餓鬼ども凍死すんじゃないの?(暴言)

「わかったっ、今のは小手調べだ小手調べ!」

 と、果敢にも再び手を挙げる佐倉。

 小手調べで挑んでみた結果足腰立たなくなるレベルの反撃貰ったんじゃお終いだと思う俺。

 そんな空間で佳城は、

「はいじゃあ佐倉くん!」

 無情にも、ノータイムで佐倉を指名した。

「えっと、こんな桃太郎じゃめでたし出来ない。……『おばあさんがラ〇ザップでコミットして鬼を倒しちゃう!』」

「……、……」

「……、……」

「さあさあ評価は!」

 いや聞くまでもねえだろバカか……。

「……うん。まあなんていうかさ、笑わせようとして来てる感じがすごい辛いデスよね」

「ライ〇ップでコミットっていうワードに賭ける熱量がイタい。ライザ〇プにもコミットにも失礼だし」

「そんなバカな!」

「あんなワックワクで『おばあさんがッ(ry』とか言えるお前の感情がよく分かんねえよ。どんな情緒してたらあの程度の思い付きでさっきの満面の笑顔出てくるんだよ」

「……、……」

 ……あっ!

 うわあヤバい! 佐倉くん泣くかもしれない!

「い、いやッ! でもさ努力は評価に値するよな! なあ佳城!?」

「あ、うん」

 あ、うん。じゃねえよ今まさに目の前でトラウマ作ってる最中のいたいけな男子が見えてねえのか! 佐倉くん下手したらもう二度と人前で心の底から笑えねえぞ馬鹿野郎ッ!

「そっ……(ひっく)。そんな、言うならさあ……(えぐ)」

 ヤバい泣いちゃった!

「お、お前ぇ……。(ずびび)やってみろよぉ」

 と、彼が指をさしたのは、――まさかの俺の方であった。

「……いっ、いや俺!? この空気で大喜利言わされんの!? ふざけんなよびた一文受けるワケがねえッ!」

 佐倉はガン泣きだし佳城はお通夜みたいな表情だしでウケ得る要素が一つもない。むしろこれでウケたら二人が情緒不安定な証拠なんでむしろここにいる俺がヤバい。

「かっ、佳城さん? なんか言ってやってくださいホント……っ!」

「フリでもいいの?」

「いいワケがねえ! うわあ怖え! なにこれ俺一手でもヘタ打ったら大喜利言わなきゃいけないの!?」

「でもさ、ほら、佐倉くん泣いちゃったし……」

「えー……?」

「泣いて……(ふっぐ)、ないもんっ」

「それは嘘じゃないか……」

 ……いや、

 これはむしろ、俺がスベッて佐倉のカルマを背負ってやるべきなのかもしれない。

 なにせ、見るがいいあの佐倉のえげつない体たらくを。アレじゃ俺だったら悩む余地なく不登校決定である。マジで笑えない。いや佐倉のギャグセンもマジで笑えなかったけど実際同じくらいマジで笑えない。

 ならば、――そう、ならば。

 ここで俺が、一つ年長者らしく堂に入ったクソジョークでも披露すべきに違いない……ッ!

「とっ、……整いましたぁ!」

「おっ? じゃあ舞浜先輩」

「……、……」

 分泌液マシマシの佐倉も視線をこちらに向ける。

 さあ、――男を見せる時だ舞浜夏樹!

「こんな桃太郎じゃめでたし出来ない! ……『鬼がライ〇ップってフレーズのあまりのなつかしさに改心する!』」

「わあああああああああッ僕をイジるなああああああああああああああ!(号泣)」

 ……ふざけたくなっちゃった!



 ちなみにそこから佐倉くんなだめるまでに十分強を費やした。

 それでも日差しが橙色に変わらないのだから、全く春になったものである。それで俺はふと、夏至の日の長さを想起した。

 まだ気が早いのは認めるが、しかし夏の真ん中に訪れる昼の長さが、少しばかり楽しみだ。

 一度、午後八時にまだ日差しが残っていたころなどには、俺は不思議な高揚に感情を奪われたものである。これは全く個人的な感情だが、午後九時というのは「夜」に当たる時間だと思うのだ。そんな当たり前を破棄する鮮烈な西日は、それに出会って以来しばらくたってみてなお、俺に再び「そのような夏」を待望させるのには十分であった。

 さて、そんなわけで佐倉が泣き止んだ。

 正直、なんでこんな必死こいて野郎が泣き止むのに付き合ってやったのか訳が分からない。時給が発生すべきだとさえ思う。

「……、……」

「……、……」

「……………………えっと、じゃあ」

 俺はまず、そのように話題を見繕う。

 なにせこの空気である。どう考えたって司会進行役が必要だ。ひとまずは、話題を軌道に乗せるまでは俺が苦労を引き受けよう。

「改めて脚本を考えてみ――」

「……桃太郎のラ〇ザップ」

 ――は?

 という二人分のリアクション。俺と佳城は殆ど条件反射で以って、佐倉に視線を注いでいた。

「な、なんて?」

「桃太郎とラ〇ザップの話で行く。ぜったい」

「……な、なんで?」

「決めたもん……」

 ぷいっと、佐倉がそっぽを向いた。

 ……こいつなんなの?

「い、いやっ! 考え直してみないかっ!? そんな勢いだけで――」

「あーっ! また言った! 勢いだけの激寒ジョークだって言った! また言った!」

 言ってねえぞ……?

「僕もう決めた! 絶対ラ〇ザップで爆笑取る! 取るか死ぬぅ!」

 死ぬっきゃねーじゃんそれ……。

 というかコイツいつの間にか一人称が僕になってる。順調にあざとい方向に寄りつつある。とても危険だと思う。

 と戦慄を禁じ得ない俺に対し、比較的冷静であると見える佳城が俺の方へと身体を寄せて耳打ちをした。

「(ねえ、これ……)」

「(ち、近いんじゃない?///)」

「(うるせーから聞いてもらえます?)」

 仕方ないから聞くことにした。

「(大人しく言うこと聞いておきませんか?)」

「(い、いや冗談だろ!? アイツだけじゃなくて俺らまで滑っちゃうよ!)」

 ……酷い言い草だ。という佳城の独白はちょっとよく聞こえなかった。

「(というか、――よく考えてみてください)」

「(?)」

「(そもそも、子供ってこういうの好きじゃありませんでしたっけ?)」

「――もおぉっ、何を話してるんだ僕をのけ者にしてぇ!」

「「(びっくり)」」

 あざといかと思ったけどこいつ怖いよ。ちゃんと怖い。

 という感じでびっくりし過ぎて頭が真っ白になった俺であったが、――なにやら佳城は違うらしい。

 彼女は、至極平静な口調で佐倉に言葉を返した。

「――いいですよ?」

「へ?」

「やりましょう、桃太郎ラ〇ザップ」

「…………へ?」



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