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二章・06



 ……さて、

 クラスメイト佐倉は、全く唐突たる用事を携えて現れた。曰く、「夏樹君の話術を見込んで、頼みがある」などと。

「……、……」

 聞けば、なにやらという集会があって、そこで佐倉何某君は、なにやらプレゼンの手番を受けたのだという。それは当然ながら全く想像もしなかった話であって、俺は殆ど話半分に聞いていた。

 ……たしか、彼が所属するボランティアサークルで企画された、児童を相手取った絵本の読み聞かせの云々だっただろうか。いや全く興味とは恐ろしい。無ければ無いほど耳が役立たずである。

 と、言うだけあって、

「……。」

 俺は、その話を断るつもりであった。

「――舞浜、ここを読んでみてもらえる?」

「はひっ?」

 周囲に淡い喧騒が起きる。俺は未だ、夢半ばのようにそれを聞いていた。

「えっと……」

「あー、もういいよ。ちゃんと聞いとけお前……」

 ……時刻はおおよそ、午後一番の授業の冒頭に当たる。

 天気は快晴。体感気温は快適の一言。さらに言えば教師のトークテーマも、何やらお洒落な読経じみた、つまりは英語の時間とあって、俺は完璧に呆けていた。

 これも何もあの佐倉何某のせいである。俺は正当性限りなき恨みの念を込めて、彼が座る席の方に目を向けた。

 他方、そんな彼は、向かって正面の黒板のおおよそ足元に席を得ていた。多少窓側に寄った列の、前から三番目の席だ。天頂に至る日差しの直角度を、彼の机はぎりぎりで避けている。俺は廊下に面接した列のやや後ろの席から、彼の後頭部をしばらく眺めていた。

 見たところ、まじめな印象が強い。背中が丸まっているのは、馬鹿正直に一言一句をノートに取っているためであろう。印象としては、まだ体格に制服が似合わない高校生初心者といった感覚であろうか。

 いや、この場にいる人間は俺を含めて全員高校生初心者に違いないのだが、しかし佐倉君は何やらその印象が際立っている。俺の見知ったクラスメイトの顔と比べても、彼はなお童顔の気が強い。つーかぶっちゃけ、言われなきゃ女の子にさえ見えるツラである。同性の美形でもああいうタイプは腹立たなくていいねって思う。

 ……ただ、受け答えは妙にはっきりとした印象であった。

 以上が、先ほどの唐突たるオファーでのやり取りも含めての、彼に対する印象である。

 それを以って、俺はふと考え事を再開した。

「……。」

 一度注意した慢心があると見えて、教師何某の方は殆ど俺に注意を向けていない。俺は、隣のクラスメイトのテキストを盗み見て、同じページを索引し机に広げた。

「……、……」

 考え事のテーマは、やはり佐倉何某についてである。

 まず、「話術を見込んで」というのはどういった意味だろうか。

 なにせ、一番に悪目立ちした自己紹介の時間では、俺自身これ以上ない見事なスベリを披露した自信がある。……いや、考えるまでもないか。その風説の根源は十中八九鳩羽に違いない。

 といった感情を込めて、俺は向こうの席、鳩羽の横顔を睨む。

 鳩羽が気付いて、にこやかな表情を返してきた。

 ……閑話休題。

 俺は、所属するボランティアサークル、という文言にふと興味を覚えて、少しだけ思考に没頭することにした。

 ボランティア、というのはよかろう。スルーすべきである。なにせ俺自身には他者への滅私奉公精神など欠片さえない。ゆえに考えても考えてもエイリアンの文化である。さて、

 サークル、というフレーズには、一つ興味を惹かれるものがあった。なにせサークルなどとは、高校生たる我々身分には縁遠く、また憧れの言葉の一つである。聞けばサークルとは、何やら「童貞」という不燃物を不法投棄するのには最適な治外法権なのだと聞く。酒を浴び、また酒を吐く。そのような酒池肉林たる常世の天国。それが「サークル」なるコミュニティーなのである。(個人的見解)

 そんな場所に、佐倉君は属しているのだとか。全くあのチェリーフェイスで侮れない野郎である。……というのは冗談として、「サークル」と言えばまさしく、高校より外にあるコミュニティーである。それは個人的見解じゃないはずだ。つまり、「やりたいことを命題に掲げ、またそれに誘われた共通の趣味を持つ人物が集まる場所」それがサークルである。……という解釈は間違ってはいまい。

 そのような外部機関に、佐倉何某は属しているということである。

 俺はそれを、垢抜けた在り方だと、強く感じてしまった。

「……、……」

 ……俺は、彼のオファーを断るつもりであった。

 周りよりも二年ほど年を取った異分子たる俺が、かように周囲に影響を与えるべきではあるまい。俺はこの三年間を、強いて客観者として過ごすつもりである。

 しかし、――趣味人という言葉には、強い興味を感じた。



 ……といった旨を、俺は佳城に話してみたのであった。

 果たして答えは、

「いんじゃねすか?」

 どーでも。

 ……という至極適当なものであった。

「……興味ない?」

「ぶっちゃけね」

 取り付く島もない。暇で時間を持て余してそうだったから話しかけたのに、こいつには時間を有意義にするという積極性が欠けていると言わざるを得なかった。

「余計なお世話ですね……」

 ちなみに、今は放課後であった。「今は放課後だよ」と言われれば確かに、なんとなく四回ぐらい起立と礼と着席をした記憶がある。不思議なもので、全く授業を聞いていなくても周りが立てば俺も立つし、周りが座れば俺も座る。人間ってば便利。

 さてと、かように俺が講義に対して話半分であった理由というのは、全く「サークル」という文言の引きの強さに尽きる。部活に入る予定などは無かったが、しかしそのようなコミュニティーの方には、俺自身憧れにも近い興味を自覚していた。

「ボランティアに興味があるってことですか?」

「いや?」

 ……んな意識で顔を出すことを冷やかしって言うんだ。という佳城の台詞はよく聞こえなかったので話を先に進めることにする。

「でもさ、なんかカッコよくない? サークルって響き」

「ただのミーハーですね……」

「コロンブスだってミーハーでアメリカ見つけたわけよ」

「好奇心とかチャレンジ精神とか人の可能性を信じる心とかそういうものを一緒くたにしてミーハー扱いは流石に祟られますよ」

「……祟られんの?」

 じゃあやめる。

「そもそも先輩、断るつもりなんでしょ」

「まあ、それは……」

 痛いところを突かれ、改めて俺は返す言葉を失ってしまう。いかように言い訳しても、俺のような異分子がピカピカ一年生に介入するのは気が引けた。俺が手を出しては、恐らくは妥当に成功してつまらない帰結を迎えるに違いない。

 ……というか先輩呼びはマジでやめてほしい。別に二年歳食ってるだけなんだけれど。

「断るつもりなら、それでオシマイでいいでしょ。半端が一番失礼ですよ」

「……、……」

 その言葉はまさしく、俺の思惑を確信まで突いたものであった。……つまりは、とりあえず興味本位で顔だけは出してみようか。ということである。趣味人の集まる「場所」の雰囲気というものに、俺は一定の興味を抱いていた。

 のだが、

「……完全、その通りだよなぁ」

 恐らくは、

 プレゼンというもの自体に俺は大したイメージも湧かないが、或いは意識のすり合わせなどで、他のサークルメンバーとも顔を合わせる機会があるだろう。かような場所では冷やかしこそが最たる不協和音に違いない。ボランティアを冷視している俺などは、その最たるものだ。

 いや、別にボランティアを「偽善」だなどと言うつもりはないのだ。

 ただ、俺はやらない。それだけである。

 そこで、

「……………………いや」

「……、……」

 ふと、佳城が息をついた。

 その意図を図り損ねて、俺は彼女に疑問を返した。

「むしろ、やりきるって発想にはならないんですか?」

「やりきる?」

 ……やりきる、ですよ。

 佳城はそう続けた。

「どうせ求められてるのはご意見番でしょ? 最悪、本番当日まで付き添ってあげるだけでも助けにはなるんじゃないですか?」

「……、……」

 それは、

「……。」

 俺が最も忌避する選択である。

「力を貸してほしいって言われたなら、貸せばいいと、私は思いますけどね」

「……まあ、そうなのかねぇ」

 やや悩みあぐねたような口調で、俺はそのように返した。

 そこで、

「お疲れさーんでーす……」

 という、全く遠慮しきった声が、俺と佳城の間に放り込まれた。



 曰く、

 佐倉何某こと、――佐倉竜司は、母親の紹介で出会ったとあるボランティアサークルに属しているのだという。

 その活動は全くオールラウンドの一言に尽きるらしい。その集会の骨子にある「ボランティア」というテーマに沿ってさえいれば、彼らはどのような活動であってもポジティブに受諾する。例えば家庭の事情で夕食のままならない子供を誘い食を提供したりだとか、働く場に縁が恵まれなかった若者をサポートしたりだとか、高齢者の一人暮らしに向けての、一種の何でも屋のような活動をしたりだとか。

 それを聞き、俺自身彼らに対するイメージの半分は明確に転換した。サークルと聞けば何より「自分たちの楽しみ」をイメージした俺にしてみれば、「奉仕活動は自分の心を癒す行為」だなどといかに講釈受けようとも、活動の苦労の方が印象の先に立つ。

 ただし、残りの半分については全く、むしろ補強されたといってもいい。彼らを「趣味人」の集まりだと尊敬した俺の思いは、佐倉の言葉を聞くごとに強まっていくばかりであった。

「来るものを拒まない、までだと思うんだ。俺たちの集まりってのは」

 興味の無い層を巻き込むべきじゃない。

 そう、彼は言った。

「ただ、人を楽しませる場所を任されたなら、せっかくなら面白いものがやりたい。今ばっかりは、縁に頼るしかなかったんだ」

 彼の独白を、俺は黙して聞いていた。佳城は、少しばかり離れた位置で俺と彼のやり取りを俯瞰している。

 俺は、

 ふと考えた。

「……、……」

 佐倉は、察するに頼れる年長者に囲まれていたはずである。ボランティアなどという「自分の趣向分析が極まった人間」の集まりを冠したサークルである。少なくとも制服を着る時分の人間だけで構成されているような組織ではあるまい。

 他方、俺のことを、恐らく佐倉はよく知らないはずである。

 さて、ならばどうして佐倉は、こうまで俺を評価しているのか。そもそも「失敗するのが厭われるほどの企画を、信頼関係のない相手に相談する」というこの状況が、俺にはよくつかめない。

 などと言う俺の疑問には、

「渚ちゃんは、俺の従妹なんだ」

 という至極まっとうな返答が返ってきた。

 或いは、あのやり取りの隅から隅までを、彼女は佐倉に話して聞かせてしまったのかもしれない。マジでやめろって思う。

「周りに相談しても、精いっぱいやればいいっていうだけなんだよ」

「はあ……」

 俺は、それじゃいやなんだ。佐倉はそう言った。

「努力じゃなくて、結果を評価してほしい。そういうオチにしたい」

 ちゃんと面白くしたいんだ。などという独白を、俺は黙して聞いていた。

「……急にこんな話じゃ困るだろうけど、デカい貸しってことで一つ」

 ――お願いします。などと、

 そのような言葉に答えを返したのは、佳城であった。

「――やろう」

「……まじ?」

「どうせ暇ですよね?」

「……………………まあね?」

 どうせとか言わないでほしいし、もっと言えば「もしかして」って言って欲しかったけれど。

 ……結局は概ねその通りであったため、俺はひとまず佳城に場を任せることにした。

「それで、ですけど」

 任せたという意思表示が伝わったのか、佳城が会話を引き継いだ。

「結局、竜司くんは何をするんでしたっけ?」

 一言で言えば、絵本の読み聞かせだ。そう佐倉は答えた。

 ……他方俺は、どうやら佳城の敬語のトリガーは「異性」というところにあるらしいと気付く。童貞野郎みたいなコミュニケーションだと思ったがそういえば俺もそうだったので黙っておいた。

「図書館の催しで、月に二度、絵本の読み聞かせがあるんだ。聞く側も読む側も参加はフリーなイベントなんだけど、ただ、基本的には俺たちのところみたいな、図書館の職員と縁があるところが頼まれる」

 なるほど、と佳城が続きを促した。

「読む題材なんかはこっちに任せてもらってる。いつもはウチの、……特定個人が担当してるんだけど」

 ここで、佐倉が一度言葉を切った。

 特定個人、という部分に俺は謎の意思を感じたのだが、そこに切り込む前に佐倉が続きをこぼし始めた。

「今回は、都合がつかなかったんだ。それで代役を頼まれたのが俺だ」

「……こう聞いたら変だけど、なんでお前だったの?」

 俺はふと思い、そのように佐倉に尋ねる。

 彼自身、力不足のようなものを感じてはいるらしい状況で、しかし彼が配役を受ける背景というのが、あまり想像がつきづらい。或いは「無茶なイベントには若い奴をぶつけよう」なんてシンプルな思い付きかもしれないけれど、しかし俺には、そのような親戚イベントの面倒の押し付けあいみたいな顛末に違和感を感じた。

 なんというか、もっとこう積極的な連中の集まりだと思うのである。ボランティアのサークルって。……いや偏見かもだけど。

 さてと。果たして佐倉の返答は。

「…………特定個人の強い推薦だ」

 苦虫をかみつぶしたような声音で語られた。

「まあ、でも不満ってわけじゃないんだよ。任されたならこなしたいし、何より俺が初めて任された現場なんだ」

「それで、苦心こじらせて初対面の私たちですか?」

 ……暴言えぐ過ぎる。いや疑問ではあったけれどもね。

「それは、いや。……最初は渚ちゃんに話してみたんだ」

 ――そしたら、君らを紹介された。

「……、……」

 ということであった。何から何まで渚ちゃんのせいである。こうも因縁ばかりとなると、もしかしたらアイツは将来俺のライバルになる女なのかもしれない。

 ……そんなわけないかー。

「何をフラグ立てたみたいな顔してるんですか……」

「え? そんな顔してた?」

「まあいいや、……それで、力になるって言っても、具体的には何を?」

 という佳城の問いに、佐倉はふと返答に困ったようであった。

「えっと、……あー、隠してたわけじゃないんだけど」

「はい?」

「絵本、一から書かなきゃいけないんだよ……」

「……は?」




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