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二章・《Part_B  ――佐倉竜司の場合》

《Part_B

 ――佐倉竜司の場合》



「結局、ハンドクリームをプレゼントしたみたいですね」

「そうなの?」

「いい匂いがするやつ」

「マジか……」

 まあ、なんにしたって女子からのプレゼントなど嬉しいに決まっている。

 男から女の匂いというフレーズに昨日は条件反射で微妙な顔をしてしまったが、そもそも彼女持ちの男から女子の香りがするなんてのは当然のことなのかもしれない。なんだか腹が立ってきた。

「その、彼氏になった人が野球部らしくて、手荒れには縁がある生活だったらしいです」

「はあ。じゃあ鳩羽、それで選んだのかもな」

「そうかもですねえ」

「……佳城?」

「はい?」

「…………敬語抜けないの?」

 俺の問いに彼女は、曖昧に笑って返すだけであった。

 さて、

 ……俺たちは今、とある廊下の片隅にいた。

 昼休みに人目を避けて逃げ場を探していた俺に、どうやら佳城がついてきていたらしい。もしかしたら佳城は俺に気があるのかも知れない。そう思い込むだけでも人生はバラ色である。うれしいやったね!

「――ああ、そういえば佳城」

「はい?」

「こないだの、海辺の方の案内してくれたお礼な」

 言って、俺は彼女に炭酸飲料のペットボトルを送る。

 というのも、そのような話を以前していたのである。

「いや、……これ私、コーラ二本あるんですけど」

「帰りに飲めばいいじゃん?」

 などと返しながら、俺は鳩羽に貰ったコーラをあおった。

 いやはや、こうしてちょっと困った顔をさせてやっただけでも、俺としてはお礼した甲斐があった。

「実際、楽しかったよ。夕食に行った店は覚えて帰ったし」

「あのラーメン屋ですね、縁があったらまた行ってみてください」

 あの日彼女に案内されて訪れた店は、うろ覚えだが確か「魚影」みたいな名前の、塩スープ系のラーメン店であった。

 海の街らしい魚節味のスープはよく透き通った白磁の色をしていて、底に溜まったちぢれ細麺の一本までを見通せるほどであった。しかし、その口当たりは優しくも強いもので、鼻から抜ける海の風味に、俺はあの日以来悩殺されたままである。

「そもそも、海の方に出る機会がなくてさ。この街に住んでるってのに、あんな大きな港があるなんて知らなかった」

 それに、橋も。

 俺はそう付け加える。

「満足してくれたならよかったですよ」

 あとは恩を仇で返さなければもっとよかった。なんて彼女は返した。

「……、……」

 俺は、その言葉には「はっはは」と返しておいた。

「まあ、機会があったらまた思い出して、改めてなんか買ってくるよ」

「いいえ、こっちからせびることにしますからダイジョブです」

 言って、佳城がコーラのタブを引く。

 ……かしゅり、と冷たい音がした。ただし音だけだ。今朝がた鳩羽に貰ったコーラ缶は、昼を待つ間に全く常温に戻ってしまっていた。

「そういえば、橋ですケドね」

「……、……」

「機会があったら、次は登ってみるといいですよ」

 ――この街で一番高いのが、あの橋の中点ですから。

 と、彼女が続けた。

「ふうん?」

 橋、とは以前の散歩道でも見たもののことであった。港のほど近くで湾を渡すそれは余りにも巨大で、足元の港からその腹を見上げた時などには、俺は不思議な感動を覚えてしまった。

 ……なんというか、明確に人工物でありながら、アレはどことなく自然物じみていたのである。あまりに巨大であって、それが俺の頭上の遥か彼方を通って視界の果てまで続くものだから、それは人工物である前に「景色」であった。

 明確に景色と呼ぶべきスケールの人工物に覚えた感情は、詩的に過ぎる言い回しではあるが、――一言で言えば「神聖」であった。山とも見まがう規模で、しかしそれが建造されたものであったゆえに、俺は既成の価値観でその光景を定義することが出来なかった。

「……機会を見つけて、登ってみるよ」

 彼女に、俺は短く返す。

 あの時覚えた感情があまりにも正体不明で、俺は自分があそこに行きたいと思っているのかさえ掴めない。

 ただ、だからこそもう一度行って、今度は心行くまでアレを眺めたいと感じていた。

「……、……」

「……、……」

 さて、と。

 俺のかような返答を区切りに、会話がふと途切れた。俺と佳城は、ただ沈黙を潤すように鳩羽からの贈り物を口内に流し込む。

 俺としては、沈黙を破って別の話題を提案してもいいし、そうしないでもいい。くらいの至極消極的な感覚で、敢えて沈黙を享受していた。見れば佳城の方も沈黙を苦にしてはいないようで、ゆえに俺は、強いて話題を見繕うようなことはしないままであった。

 元来「会話が無い」の直前くらいのペースで転がっていたやり取りである。間延びしきった言葉間の距離は全く無限に近いモノであって、ゆえに俺は、全く「間」への気遣いを忘れて、いっそ思いついたときに喋るくらいでちょうどいい。

「……。」

 しかし、はてさて。

 そもそも会話が無くなったきっかけというのは、

 ……或いは、近いうちに昼休みが終わるから、かもしれないだろうか。

「……、……」

 ここからまた新しく話のタネを見つけてしまったら、まあ大方、区切りの良いところで終わるわけにもいかないわけで。ならばそれこそ、中途半端に当たるというものだろう。

 近いうちに、或いは彼女の方からこの場を切り上げる旨の一言があるのではあるまいか。そのように考えて、俺は更に沈黙を深める。

 ――はてさて、

「……佳城さんですよね、あと舞浜くんも」

 そのような声に、俺たちは一様にそちらを向いた。

 向こうにいたのは、クラスで見た顔の男子生徒であった。



「なるほど……」

 と、俺はうめいた。

 他方佳城の方も、似たような表情である。それを見て突然の来訪者、――同じクラスの男子学生、佐倉は、居心地悪げに身体を揺らした。

「あー、まあ。考えてくれたらいいから」

「そうかい?」

「うん。ホント。突然わりーな」

 その言葉だけを残して彼は、俺たちに背中を向けた。そのまま、少し早足で廊下の向こうへと消えていく。

 俺は、

「どゆこと?」

 と、佳城に聞いた。さてと、佳城の方は、

「さあ?」

 ――外国映画のような仕草で以って、俺にそのように返した。



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