プロローグ
「ここまでか」
とある町の一角、薄汚れた路地裏で一人の男が倒れていた。その身体は満身創痍。
あちこちに酷い傷があり、息も絶え絶え、下半身が炭化しており、更にはかなりの血も流れている。どうみても助かるように見えない。
「所詮俺の才能じゃここが限界だったか」
男の名はブレイス、レベル六十五という迷宮都市最高ランクの探索者だ。
五年前、迷宮都市に彗星の如く現れ、瞬く間にトップクラスへと上り詰めた若きヒーローだ。
僅か一年でダンジョンの二十五階層を単独で突破、もう二年で四十階層を突破、そして更に二年後の今、五十階層のフロアボスに単独挑み、敗北した。
ぎりぎり転移魔法で脱出したものの、既に致命傷だ。
もってあと数分だろう。
ブレイスもそれが分かっているのか、諦めた表情をしていた。
「……人類の目標だった五十階層突破の再来、俺が叶えたかったな、無念だ」
そう呟き、男は息を引き取った。
次の瞬間身体が粒子となって消え、そこにぽつんと緑色に輝く宝珠が転がる。
そこへ角の先から足音が聞こえてきた。
「ん? おかしいな、さっき誰かいた気がするんだけど」
現れたのは黒い安物のローブを着て、手には申し訳程度に装飾してある杖を持った三十前後の冴えない男だった。
ここは迷宮都市の路地裏、ダンジョンの入り口がある中央からかなり外れた場所であまり人気はない。その代わり安宿や場末の酒場が建ち並んでいて、通りがかった男のように低ランクの探索者や、迷宮都市に来たばかりのものが利用する事が多い。
「誰かが酔っ払って寝てるのかと思ったんだけど……ってなんだこれ?」
あちこちひび割れた石畳の路地に転がっていた宝珠に気がつく。
このような場末の界隈には不釣り合いな綺麗な宝珠だ。
「落とし物……だろうな。でもこっちの世界には警察なんてないし、どこへ届けりゃいいんだ」
普通の探索者なら高価な宝珠を見つけたら即自分のモノとするだろう。そして翌朝には店頭に立ち並び、拾い主はその晩の酒が増える。
だが三十前後の男、名をエージロー=カサキというが、この男は別世界からの転生者だった。
元はこの国の貴族、男爵家の次男だったが借金に次ぐ借金で立ちゆかなくなり、十年ほど昔に没落した。そのとき名前を前世に近いものへと変更した。
その後彼はそれにも負けずダンジョンのあるこの迷宮都市へと移り、探索者となって日々糧を得ていた。
幸いこの国の貴族は魔法が使えた。
そう、人間という種族は魔法が本来使えなかったのだが遙か昔、この国を立ち上げた者が神々と契約し、自分の血が流れる子孫のみ魔法が使えるようにしたのだ。
その血が流れる子孫、という基準がこの国の貴族である。正確には貴族辞典と呼ばれるアーティファクトに名前が記載され且つ彼の者の血が流れていれば魔法が使える。
逆に没落や何らかの犯罪行為をし、貴族辞典から抹消されたものは使えない訳ではないが魔法の威力が半減し、その子に至ってはごく簡単な魔法しか扱えなくなり、孫までいくとただの人間となる。
彼もその例に漏れず生まれた時は貴族だったが故に魔法が使え、更に転生者のお約束なのか、幼少の頃から一日で魔力を使い切るようにして魔力量を増やしていた。
その甲斐あってか、貴族でなくなってもそれなりに魔法の威力が高く、低ランクとはいえ魔法使いの探索者として活動できた。
最も正式な貴族には劣るし、あまり数はいないもののこの迷宮都市にも貧乏貴族の子弟は居るが、そんな彼らからは貴族を剥奪された者として、白い目で見られている。
「うーん、いかにも高そうだし落とした人が困ってそうだよな。拾っておいて、明日ギルドに持って行くか」
探索者ギルドは探索者たちを取りまとめているところで、探索者たちがダンジョンから持ち帰ったドロップ品や魔石などを一括で買い取り、国や商人などに売って利ザヤを得ている。
その代わり探索者たちにはダンジョンのノウハウを無料で教えたり、国や大商人などの圧力から探索者たちを守っている。
しかしさすがに落とし物を預かるような場所ではない。探索者たちが使っていた武具などの遺品と分かるようなものならともかく、魔法がかかっていそうな宝珠、高価であっても単なるドロップ品に見えるものを持ってこられたとしても、扱いに困るだろう。
おそらく面倒ごとを避けるため、うまく言いくるめられて、そのまま持っているように言われるのがオチだ。
男爵という一番下とはいえ、生まれは貴族、しかも前世の平和な世界を記憶しているエージローは根が良すぎた。
そのおかげで、探索者になってからも色々と不遇だったが、没落したとはいえ元貴族という肩書きのためか、命を狙われる事はなかった。
しかし今日この時をもって、その生活は一変する。
「な、なんだこれ!?」
エージローが宝珠を拾った途端、緑色に輝いたのだ。
宝珠は自らエージローの手から離れ浮き上がり、そして……。
「うわぁぁぁぁ!」
突如ローブを突き破り、エージローの胸へと突き刺さった。
いや、エージローの胸に埋め込んだ、といったほうが正しいだろう。
「ぁぁぁぁぁ……って、痛くない?」
≪我は英知の宝珠なり、汝知識を求めよ、さすれば我導かん≫
自分の胸に突然埋め込まれた宝珠を、指先でおそるおそるつついたり、カサブタを外すように爪先でひっかいたりしていると、エージローの頭にしわがれた男の声が響いた。
「へ? だ、誰だ?」
周りを見渡すものの、既に時刻は0時を回っていて誰もいない。前世の世界ならまだまだ起きている人もいるだろうが、この世界は早寝早起きだ。二十二時を回ればほとんど人は寝ている。
≪我は英知の宝珠なり、汝知識を求めよ、さすれば我導かん≫
再び同じ言葉がエージローの頭に響く。
自分の破れたローブの奥に埋まっている宝珠を見ながら、なるほど、と何か納得したように頷くエージロー。
これも異世界もののお約束だな、など思いながら口を開いた。
「……もしかして、この宝珠か? しかしえっちの宝珠ってすげぇ名前だな。でもさ、えっちの知識なんて知っても相手がいないんじゃ役に立たないぜ? あー、もしかして記憶にあるエロビデオとか脳内再生できるのか? それなら大歓迎だ」
≪英知の宝珠だ!!≫
先ほどよりも大きな声がエージローの頭に鳴り響いた。