僕の栞
※画面右上のトラックバックの下、表示調整から行間を広くすることができるようです。お手数お掛けして申し訳ないのですが、見にくい場合はお試しください。
これを見てくれているあなたはきっとお話が好きなんだと思う。僕もお話は好きだ。読んだり書いたり話したりするのは好きで、図書館や書店をぶらりとしては色々な本に目移りしてしまう。伝記、小説、詩、エッセイ。科学関連の本やビジネス書等。さまざまな本があるけれど、あなたはどんな本が好きなのだろうか。僕はただ情報を書き連ねている本ではなく、著者の心の内をさらけ出している本に魅力を感じる。確かに人に伝えられる内容は正確でなければならない。しかし情報を網羅しただけの本に本当の魅力があるとは僕にはとても思えない。綺麗事を並び立てた言葉の集合体と客観的事実だけの内容では、人の心に響かないし何より時間をかけて見ようという気がおこらない。僕が本に期待しているのは、その人がその本に托した思い。文章を書く以上、漠然とでも人に伝えたい想いというのがあるはずだ。当然熱意を持って書かれた本は不完全だろう。時に客観的な事実とは食い違い、誤認に基づくものもあるだろう。しかしそれは悪いことなのだろうか。いや、確かに悪い。批判を受けて当然だ。批判を受けるような内容を書いた筆者に責任はある。だが筆を持った瞬間に、筆者は批判にさらされることを覚悟しているはずだ。むしろ覚悟しなければならない。自分の意見を主張した以上、最後の最後まで責任を持つ。その主張がその時のことだとしても、筆者の立場には変わりがないのだから。不都合が起こったらすぐに言葉を撤回する。そんな人の話を真剣に聞き続ける人はいないだろう。批判に晒されたら簡単に意見を翻す。そんな人の本など読んでも無駄だろう。賞賛されている本は確かに素晴らしい。読み終わるとすっきりとして気持ちが穏やかになる。一方で批判に晒されている本はどうだろうか。確かに批判されるに足る酷い本だ。論理展開がめちゃくちゃだし、考え方も凝り固まっている。偏見に満ちた見るに堪えない本。しかし、とても人間らしい。少なくとも批判に晒されている本は内容の善し悪しは置いておくにしても、何か胸の中に引っかかる感じを覚えることが多い。さっと流れてはいかずに、胸の中に棘が残ったようなあの嫌な感覚だ。僕はそれと出会うたびにその本の著者に感謝している。それは僕にとって良き先生だったこともあるし、反面教師だったこともある。ただ双方とも僕に考えるきっかけをくれたことは確かだ。人は考えて自分の意見を持つ。それが積み重なって自分を作っていくと僕は考えている。
果たして人の考えに本当の善し悪しはあるのだろうか。きっと僕の善いと思うことは全ての人には支持されないだろう。僕はそれで良いと思う。考えは人それぞれ自由であるべきだ。多様な考えが時には議論を巻き起こすことがあるだろうし、それで人がぶつかり合うこともあると思う。それは悲しいことだけれど、人間が考える動物である以上避けられないことでもある。しかし、それは本当に悪いことばかりなのだろうか。僕はそうではないと思うのだが、皆さんはいかがお考えだろうか。
やっぱり暑いですねー、湿度が高いのが更に辛い!笑 ということで今回は読書論を展開してみました。
えっ、全く面白くなかった?....ま、まあ僕の読書論ですからね。ハハッ、すいません。コメディーでも勉強しておきます。さて戯言は置いておくとして、最後までお読み頂きありがとうございました!御意見、御感想等あればぜひ!参考にさせて頂くのと同時に僕が喜びます!ではまた次の一ページでお会いしましょう!




