届かないもの【短編】
人という生き物は、どうして『届かないと知りながら足掻く』のか。
例えば、宝くじの一等。
確かに……。当たれば人生確変が確定だが……。
聞くところによると、一等が当たる確率は、地球に人類滅亡規模の隕石が衝突するより低いそうじゃないか。
そんな届きもしない物になけなしのお金をかけるなんて……バカじゃないのか?
ああ、それともう一つ。
例えば、スポーツ選手。とりわけわかりやすい例としてプロ野球選手を挙げよう。
幼いころから才能を発揮し、名門校に進学。主力級の活躍をして甲子園で優勝して、プロ野球選手になり、さらにプロの間でも活躍し、日本では収まり切れずアメリカのメジャーリーグへ。
そんなやつ、何人いると思う? 野球人口という分母の数に対してホントに……ホントに一握りだ。
テレビの中で輝いている選手の裏で、いったいどれほどの人が、日の目を見ることなく消えているというのか。
「――優ってさ、昔から夢がないよね」
自論に対して、表情を変えず苦言を呈したのは、俺の幼馴染である瑠衣だ。
西日が射しこむ教室。俺と彼女二人だけの空間で、向き合うようにして座り、テストで赤点を取った為に科せられた課題を互いに消化している。
まぁ、もっとも……。テストで赤点を取ったのは俺だけで……彼女はただ手伝ってくれているわけだけども。
「別に、夢なんていらないさ」
全く進んでいない空欄だらけの課題とにらめっこをしながら、瑠衣の苦言に対して返事をする。
「並の会社に入って、人並み程度に暮らす。凡人の手が届くのなんて、せいぜいこれぐらいのもんだろ?」
「……口を動かしてる暇があったら手を動かそう?」
「……へいへい」
とまぁ、空返事をしつつも、課題が解ける予定は更々ないので、右手でクルクルとシャーペンを回す。……というか、そもそも、こんなものが楽に解けるなら課題なんて科せられないわけで……。
「だから、俺的にはこれも無駄なことだと思うんだよな」
「うーん、これは無駄な事じゃないと思うけど……。 ――はい」
瑠衣はそう呆れつつも、解答欄がびっしりと埋まった課題を手渡してくる。
「お、サンキュー」
「せめてこの程度はこなさないと、優の言う”凡人の手が届く”範囲ですら逃しちゃうよ?」
フッと、瑠衣は俺の手元にある空欄のままの課題を奪うと、カリカリとせわしくペンを動かし始めた。
「いや、だってさ……この高校ってレベル高いじゃん?」
「……うん、それで?」
……そうなのだ。
『並でいい』と言っている俺の通っている高校は、割と有名な進学校だったりする。まぁ、自分から進んで入ったわけではなく、瑠衣に無理やり付き合わされたかっこうだが……。
「だからさ。『この程度』じゃなくてさ、並と比べて行き過ぎてると思うわけだ。勉学の過剰摂取だよ。過剰摂取」
「ふぅん」
瑠衣はこちらを一瞥もせず、黙々と"俺の"課題をこなしている。
全く、本当に頼りになる幼馴染だ。
『並』を根幹とする俺にとって、幼馴染の瑠衣は、まさに"過剰"な存在といえる。
容姿端麗品行方正。成績も、有名進学校に在りながらトップの座を譲らない。スポーツも万能。気立てもよく誰にでも優しい。"天は二物を与えず"という言葉を鼻で哂う様な存在だ。
特に彼女の"微笑み"。それを向けられるだけで、大抵の男子はコロッといってしまう。まさに兵器。
その破壊力たるや、小学生のころ、俺が笑顔禁止令を出したほど。
どうしてこんな子が俺の傍にいるのか……俺ですらわからない。
「過剰摂取……。そうだね。確かに」
心を見透かしたかのような冷めた声に思わずハッとしてしまう。
「ねぇ、優?」
瑠衣は肩を落とし、ほんの少しだけ首を傾げて
「手にしてるって、本当にそう思ってる?」
――と、わけのわからない問いを投げかけてきた。
「どういうことだ?」
「言葉の通りだよ。手が届きそうなもの、欲しいものを今、本当に手にしてるのかってこと」
「んー……?」
俺は顎に指を当て考え込んだ。多分、科せられた課題よりも深く考えたと思う。
「欲しい漫画やゲームは大抵買ってもらったし……。今度、欲しかった新機種のスマホに変えてもらえるし……。多分ほとんど手にしてると思う」
「…………そっか」
俺の答えを聞き、瑠衣はニコッとほほ笑んだ。
窓から差し込む夕日をバックにして、紅黒く染まった彼女の笑みは……なぜだろう。
いつもとは違う違和感……。そう、ほんの少しだけ、悲しそうに見えたんだ。
「瑠衣……?」
「はい、終わったよ」
瑠衣の顔から笑みは消え、平常通りの表情に戻る。そのままスッと、先程俺の手から取った課題を差し出してきた。
「あれ、もう終わったのか……。早いな」
「まぁね。私だし。――それじゃ……そろそろ行くね」
課題の用紙を手に驚いている俺を尻目に、瑠衣は席を立ちカバンを肩にかけた。
今、俺の手元に残っているのは、自分でも簡単に解ける程度の課題だ。恐らく十分も経たずに終わるだろう。
「これならぐらいならすぐ終わるぞ、ちょっと待っててくれ」
「んー……。ゴメン。今日は寄りたいところあるし、もう帰るよ」
「なんだよ、冷たいなぁ」
「ちょっと? それが課題を手伝ってあげた”あたたかーい”幼馴染に対する言葉?」
ムッと眉を吊り上げた瑠衣。でも口元は笑っていて、本気で怒ってはいないことがうかがえる。普通の関係なら険悪になる可能性がある会話だが、ずっと長いこと一緒に居た俺と彼女の間では、ただの日常的な会話だ。喧嘩にもなりえない。
「親しき中にも礼儀あり、だよ」
「ああ、悪い……。サンキューな。本当に助かったよ」
「ん」
瑠衣は納得したように微笑んだ。先ほど感じた悲しみは垣間見えず、多くの男子を虜にしてきた、誰にでも向けているいつもの笑みだ。
「……じゃあね、優」
「ああ、また明日」
「……うん」
教室のドアの前に立った瑠衣は、俺の方を振り返ることなく、そのまま赤く染まった教室を後にした。
――翌日の朝。
クラスのホームルームで、瑠衣が明日から海外留学すると発表された。
期間は卒業まで。つまり俺が通っている学校にはもう来ないという事だ。
教室内が騒然としたのを覚えている。俺はというと、声が出ずただ茫然としていた。
どうやら瑠衣は、口外しないよう徹底していたらしい。留学の事を知っていたのは、担任を含めた留学関係者、瑠衣の両親。そして瑠衣本人だけだ。
俺にとってまさに寝耳に水だった。
俺は彼女を問い詰めようとしたが……。瑠衣自身忙しかったのだろうか……教室に姿を見せたのは朝のホームルームの時だけ。
学校のみならず、放課後……そして夜、家でも結局会えず、まともに別れの挨拶もできないまま、瑠衣は海外へと旅立ってしまった。
――それから二年ほど経った卒業式の日。その日も瑠衣は姿を見せなかった。
留学は今日で終わるはずだったのだが、そのまま海外の大学に進学するらしく、式に出席しなかったのだ。
――季節は巡り……。
俺は、一流と呼ばれる大学に一浪した後、進学した。
大学卒業後は、大手の会社に就職して、現在懸命に働いている。
高校時代の俺からは考えられないほどの大躍進だ。
瑠衣はというと……。
海外の大学で何やら博士号を所得したらしく、科学者として世界を股に掛け活躍している。
――と、俺の両親から聞かされている。
……察しの通り、彼女と連絡は取っていない。
まだ学生の時は、連絡を取ろうとLINEやメールなどでメッセージを送っていた。けど常に一方通行で返事が返ってくることはなく、そのままフェードアウトしていった。
ちなみに……どうやら両親の言っていることは嘘じゃないらしい。
『若くして活躍する科学者』として、瑠衣の記事が載ったとある有名雑誌を母親がくれた。
……当然、中身に目を通してはいない。
――『手にしてるって、本当にそう思ってる?』
あの赤く染まる教室で瑠衣が放った言葉が、今でも、頭の中で俺に問いかけてくる。
手にしている。そう思っていたものは、本当に手にしていたのか、と。
もしあの時、瑠衣の真意、何を言いたいのか気づいていれば、未来は変わっていたかもしれない。
あの時、俺が気づいていれば、今も瑠衣は、隣にいたかもしれない。
『手の届かないものだから足掻く』
……ならば、
『手の届くものは、足掻かずとも手に入るのか?』
今ならはっきりと分かる。――それは否だ、と。
人は……手が届くものだからこそ足掻くんだ。
手にしたものを離したくないから足掻くんだ。
何もしていなかった俺は、あの頃……手にしていたように見えてその実、何も手にしてはいなかったのだ。
手が届くよう足掻かず、手に取っていたかもしれない物を離さぬよう足掻いていなかった。
だから瑠衣という水は、零れ落ちたのだ。
……でも、諦めることはない。悲しむことはない。
気付けたんだ。間に合う。取り返せる。
意識が変わった瞬間から、足掻き続けた。
今、勤めている会社である企画を立ち上げた。
それは小さな企画で、これが成功したからといって革命的に何かが変わるわけではない。
しかし、目の前の事を、貶さずに一つ一つこなす。そしていずれは、大きい計画に立ち会い、世の中を動かしてやる。
瑠衣の隣に行ける資格を得るために、足掻いてやる。
そしてそれは、恐らく簡単なことではないだろう。
人という生き物は、どうして『届かないと知りながら足掻く』のか。
それは、”届かないもの”だから。
届かないからこそ美しく、尊く、輝かしくて眩しい。
手に入れたい。近くにいたい。離したくない。零したくない。
譲れないものだから……足掻くんだ。
足掻いた先にある宝石。
――いつの日か、瑠衣に追いつき、あの微笑みを隣で見るために――――。
ヽ( ・∀・)ノゆんきゅ