第七話 『夢と神話』
「夢と神話には密接な関わりがあるんですよ、凛音さん」
友人の受け売りですけどね、と薄暗い廊下で歩きながら入夜はそう切り出した。
しかしすぐに返答がなかったので、後ろをチラリと振り返る。
スタスタと無警戒に歩く入夜とは対称的に、敵の本拠地に忍びこんだスパイみたいにそろりそろりと猫足で歩く凛音の姿があった。常に周囲をキョロキョロと目を光らせ、内緒話をするように手を口元に持ってきて小声で話しかけてくる。
「(……ねぇちょっと入夜くん! ホントに行くのー!? 何されるかわからないんだよー!)」
「…………」
もはや入夜にはそれが遊んでいるのか本気なのかまるで判断できなかった。どう見ても海外コメディのノリのそれなのだ。全体的にオーバーなのだ。子供っぽい彼女ならやりかねないけれど。
仕方なく入夜は生温かい目でもって彼女を安心させるべく、アメリカンコメディよろしく大袈裟に首を竦めてみせる。
「ハハ、大丈夫ですよ凛音さん。危害を加えるタイプじゃないはずですから」
「(ちょっと、ふざけないでよね入夜くん! 何なの今のオーバーな仕草。これは遊びじゃないんだからね!)」
「……ええー?」
思わず間の抜けた声が出てしまった。
こちらの内情などつゆ知らず、凛音は首を傾げる。ひょいと入夜の隣に並び、声のトーンを普通に戻してきた。
「でもなんでわかるの? それに、『透明人間』が入夜くん自身っていうのも――」
「それを説明するのも兼ねてこうして移動してるんです。……そんなに不安がらなくても大丈夫ですよ。僕がなんとかしますから」
努めて笑みを作ってみせる。すると凛音は虚をつかれたみたいにポカンとしていた。ややあってから、彼女はハッとした表情。
「……なんか、入夜くんが男の子みたいに見える」
「それってどういう意味ですかね」
「う、ううん! なんでもないなんでもない。気にしないで入夜くん」
じぃっと視線を向けるもするりと躱される始末。今まで凛音が自分をどういう目で見ていたのか激しく気になった。問い詰めてやろうと一瞬思ったけれど、ここはぐっと堪える。
「そうですか。僕も『最初は』凛音さんが大人びて見えましたけどね」
「……それってどういう意味なのかな」
「ああいえ、なんでもありません。気にしないで下さい凛音さん」
じぃっ、と今度は彼女が睨めつけてきた。当然入夜はするりと視線を躱す。内心舌を出してしてやったりな気持ちだった。大勝利である。
チラリと見やると、凛音が不機嫌そうに少し頬を膨らませていた。
「入夜くんってさ、ちょっと子供っぽいところあるよね」
それはお互い様ですよ、と入夜は心中で嘯いた。
長い廊下を歩き渡り、ついに昇降口へと辿り着く。
この真上の三階に籠手崎澄歌の【トロイメライ】が佇む三年四組があるだけに、さすがの凛音も少し緊張した面持ちだった。
無言を避けるべく入夜は口を開いた。
「さっきの話の続きですけど、夢と神話には関係があるんです」
またしても返答はない。しかしちゃんと聞き耳を立てている気配があったので、続けることにする。
「いつも見ているような普通の夢の他に、特別な夢というのが存在するんです。心理学者のユングっていう人が研究してたみたいですけど。まぁともかく、その『特別な夢』というのが神話をかたどって現れるんですよ」
ふんふん、と背中越しに凛音が頷いているようだった。またぞろ『透明人間』を警戒しているのか、スパイごっこは継続中の模様。
ふぅ、と入夜は一つ息を吐く。
「そもそもその心理学者のユングいわく、人の夢の中――つまり無意識の世界は地球上すべての人達と繋がっているらしいんです。そしてその奥底に、たくさんの神話が詰まった一つの巨大な倉庫みたいなのがあって、その共通した倉庫の中にある数々の神話が人々の夢を通じて現れる仕組みになっているんだそうです」
だから世界中で酷似している神話がいくつもある、という説が流れているようだった。有名どころで言えば、ギリシャ神話のオルフェウスと日本神話のイザナギだとか。どちらも黄泉の国に行って愛する女性を連れ戻すお話で、それらは驚くほどよく似ている。
とそこで、寡黙なるオーディエンスと化していた凛音がぽそぽそと口を開いた。
「……その『特別な夢』と、【トロイメライ】が関係あるっていうの?」
入夜は笑みを作って頷く。
「ご明察。ちなみに凛音さんはもう体験済みですよ」
三階の踊り場に上がったところでそう言うと、彼女は口元に手を当ててしばし黙考した。
「……もしかして、あの『透明人間』のこと?」
パチパチ、と入夜は小さく拍手する。子供扱いされたように感じたのか、少しむっとする彼女。これ以上機嫌を損ねさせるのは避けたほうが無難かもしれない。
「正解です。少し早いですが、答えを――」
と言いかけた、その時だった。
タン、タン、タン――という足音が、下の階から響き渡った。
「入夜くん……!」
凛音が素早く反応する。噂をすればなんとやらだった。
す、と入夜は片手を上げて静かに言った。
「大丈夫です。それより、凛音さんはギリシャ神話のナルキッソスの話を知ってますか?」
「そんなの知らないって! というか、今はそれどころじゃないでしょう!?」
そう言い合っている間も、足音はどんどん近くなってくる。感覚からして、すでに二階を登り終えてすぐそこの三階への階段に足をかけたところだろうか。
タン、タン、タン――
足音は静かに近づいてくる。入夜は構わず続けた。
「ナルキッソスは『ナルシスト』の語源となっている通り、呪いで自分のことしか愛せなくなった美男子だったんです。そして、彼の物語には彼を慕う『エコー』という女性が出てきます。元来お喋りだった彼女は、しかし皮肉にもある呪いがかけられてしまったんです」
「ちょっと、そんなこと言ってないで早く上に!」
慌てた様子で凛音は三階に指をさす。頷き、入夜はゆっくりと階段を登る。
タン、タン、タン――
すぐ後ろから迫ってくる足音を聞きながら、入夜はついに階段を登り切った。そして凛音のほうを振り返り、告げる。
「エコーがかけられた呪い、それは『相手が言った言葉しか繰り返せなくなる』というものなんですよ」
直後に入夜はその場でタン、タタタン! と軽くステップを踏んだ。それを見て凛音はギョッとする。
「何をしてるの入夜くんっ」
「凛音さん、こっちに」
その場から一歩下がり、入夜は彼女に手招きをする。凛音は怪訝な顔をしながらも素直に隣に並んでくれた。こちらの企みに何か察したのか、彼女は諦めたようにため息をついた。
「……ねぇ、一体何を企んでるのかそろそろ教えてくれてもいいんじゃないかな」
しぃ、と入夜は人差し指を口元に当て、「静かに」と囁いた。右手の指で三、二、一、とカウントをし、そしてさっきまで自分が立っていた場所を手で指し示す。丁度その時だった。
――タン、タタタン!
と、そんな軽やかな足音が響き渡った。
さっき発した自分のステップと、寸分の違いもなく――まるでレコーダーで『再生』されたみたいに。
しん、と静寂が流れる。凛音は口をパクパクさせて言葉が出ないようだった。夏なだけあって窓の外は早くも薄く明るさを取り戻しつつあった。
ややあってから、彼女は言葉を口にする。
「これって……もしかして」
こくん、と入夜は頷く。
「ええ。『透明人間』の正体は、僕が発していた音だったんですよ」
神話では『相手が話した言葉を繰り返す』とされているけれど、どうやら今回は『人が発した物音』も含んでいたようだった。……でもまさか、最初は聞こえてきた息づかいが自分のものとは思いもよらなかった。
「でも、どうしてわかったの? 『透明人間』の正体が自分の足音だって」
一旦は納得しつつも、凛音は別の疑問を持ったようだった。入夜は素直に答える。
「漢字テストのランキング表ですよ。あれ、たわんで見えにくかったじゃないですか。それで僕が手で押さえた際に『カサカサ』っていう紙の擦れた音も再現されてたんです」
「……あっ、言われてみれば」
と思い出したように声を立てる凛音。
さて、と入夜は自分に言い聞かせるように声に出して言う。もうひとふんばりだ。今回の【トロイメライ】の正体も看破したところで、いよいよ仕上げに入ることにする。昇降口のすぐ隣に入夜は視線を向けた。
日常の裏の――その最奥。
籠手崎澄歌の【トロイメライ】が佇む三年四組の教室へ。
一歩踏み出し、入夜は軽やかに告げた。
「それじゃ、『夢解き』を始めるとしましょうか」
※夢と神話の関係性は本から得た情報ですが、あくまで一説に過ぎません。
現在ではこの説は薄いとされているみたいです。が、個人的に魅力に感じたので使ってみました。夢と神話についての資料を漁ってみると、『トリックスター』とか『オールドワイズマン』とか『マザードラゴン』とか、色々中二病心をくすぐられるワードがあって面白いです(笑)