第四話 『高嶺の花』
天ヶ紅高校は、この高御座町でもっとも新しい学校だった。
生徒数は全部で700人ほど。規模はそれほど大きくはないけれど、そのかわり設備はしっかりと整っていて、建物の内側には生徒たちが走り回れるほどの立派な校庭もついてる。
上から見るとコの地の縦の棒を太くしたような形。細い横棒の部分に生徒たちがつめこまれている教室がズラリと並ぶ。一学年ごとに七クラスあるうち、二つの横棒にそれぞれ前半クラスと後半クラスに別れているのがこの学校の特徴といえるのかもしれない。
入夜はその前半クラス側の階段を上がっていた。その後ろから、凛音の呆れたような声が飛んでくる。
「……あらかじめ窓に細工してからの侵入って。なんか入夜くん、スパイみたいだよね」
「どうもどうも」
「いや褒めてないからね?」
声を硬くする凛音をまぁまぁと入夜はなだめる。首だけ振り向いてチラリと見ると、化粧気のない白い頬がぷくりと膨らんでいた。大人びた顔が台無しだった。
「しかしまぁ。よく来てくれましたね、凛音さん」
「キミがついてきてっていうからでしょ」
一人で行かせるのも心配だったし、と背中越しに不機嫌な声。外見はともかく内面は子供っぽいと思ってはいたものの、案外世話焼きなのかもしれない。白川ほどじゃないだろうけれど。
「いや、まさかあんなにあっさりいくとは思わなくって」
「……なんかやっぱり、入夜くんって黒幕っぽいんだけど」
「ふふふ」
「いやふふふじゃないから。ほら、学校ついたら何もかも白状する約束だったでしょ。そろそろどういうことかきっちりかっちり説明してもらいたいんだけど」
「はて、そんな約束しましたっけねぇ」
「……キミ、なにげに悪役やるの楽しんでるでしょ。芝居がかりすぎ」
「悪役に仕立てたのは凛音さんですけどね」
などと他愛のない会話をしながら、入夜は長い階段をひたすら上る。会話でごまかそうとは思ったものの、二階、三階と進んでいくうちにふくらはぎの乳酸は着実に溜まっていった。
そして三階の踊り場で、ふと立ち止まる。
正面の窓ガラスに張られたA4くらいの紙が目に留まった。
内容は漢字テストのランキングだった。どの学年も三ヶ月に一度の周期で実施することになっていて、その度に毎回踊り場に張り出されている。当然入夜のクラスもやっているので特に珍しいというわけじゃない。それよりも入夜が注目したのは、ランキングに書かれた名前のほうだった。
「……凛音さん、一位なんですね」
少したわんだ紙を手で引き延ばしてみると、確かにある。見間違いじゃない。一〇位まであるランキング表の三番目に『桃里凛音』という名前が載っていた。上に二人名前があるけれど、凛音を含めて全員が満点をとっているので実質的に三人とも一位ということになる。
「えへんえへん。もっと褒めてもいいんだよ?」
と後ろからわざとらしく凛音が言った。振り返ると、少し膨らんだ胸をいっぱいに張っていた。
「へぇ。意外に頭良かったんですね、先輩」
「……いが、意外って言ったね今。それってどういう意味なのかな。どういう意味なのかな入夜くん」
と、ごろごろ威嚇する猫のごとく睨まれて、
「失言でしたごめんなさい」
ただちに謝った。一瞬駆け抜けた悪寒が本能にそう命じた。
眉を逆ハの字にさせて両手を腰に当てた彼女は、しかしすぐに相好を崩す。
「なんちゃって。別にあたし頭がイイってわけじゃないよ。単純に性に合ってるってだけ」
「性にって、漢字テストが?」
「うん。あたしって単純な作業が得意だからさ、ほら、漢字テストってただ覚えればいいだけでしょ? シンプルなものには強いんだよね、あたし」
あっけらかんとした口調で彼女は言う。あはは、と両手を頭の後ろにやってバツの悪そうに白い歯を見せた。今のはポーズなだけで、普段はあまり見栄を張るタイプではないみたいだった。
「なるほど……となると数学とかは」
「あーあーあー、聞ーこえーないー」
耳を塞いでベタな回避をされてしまった。
いいからいこうよっと先を急かされる。そこまでわかりやすく誤魔化されると逆に聞きたくなるけれど、たぶん次は本気で睨まれるのでやめておいた。
入夜は張り紙の上部、ランキングの一番上に指をさす。
「凛音さん、この人は知ってますか?」
んー? と彼女も一緒に見上げ、少し目を細めるようにして凝視した。ややあってから「ああ、この人」と声を上げる。
一番上に書かれた文字――籠手崎澄歌の名前を見て。
「籠手崎さんなら有名人だし誰でも知ってると思うよ。何かと話題に登りやすい子だから」
「主に色恋沙汰?」
「そそ。振った男は数知れずーってやつだよね」
そこら辺は昨日、白川愛河から事前に聞いていた情報だった。あの昼休みの一件の後、彼女は約束した通り籠手崎澄歌のことを教えてくれた。
『三年生の中でも際立った美貌を持っていて、その上成績も常にトップクラス。この学校で才色兼備という言葉がもっとも相応しい人間、と評されているみたいね』
と、放課後に白川は切り出してきた。相も変わらず恐ろしいくらい涼やかな声で。
そんなハイスペックがゆえに、己の顔や頭脳や体力に自信のある男たちは寄ってたかって彼女に告白したのだとか。ただそのほとんどが籠手崎を自分の所有物にすることで自らの株を上げるのが目的みたいに感じる、と白川は分析していた。幸い、というのが正しいかはわからないけれど、籠手崎が首を縦に振ることはなかったという。
昼休みと同じく窓に腰掛けた白川は、セミロングの黒髪をなびかせていた。心なし不機嫌そうでもあった。
『まぁ、どっちもどっちな話だと私は思うのだけれど。というのも、籠手崎澄歌も体裁を気にするタイプだと聞いているもの。男を振り続けているうちに『振り続ける自分』が自分で格好良いって思ってしまったみたいね』
なんだかナルシストよね、と白川は言っていた。相手のスペックが高ければ高いほど鮮やかに振ったそうよ、とつけ足す彼女。先輩をフルネームで呼び捨てするといい、平気で悪口を言うといい、さすがの怖い者知らずだと思った。
でもね真々琴くん、とその時白川は人差し指を立ててきた。オレンジ色の夕日の光が窓から射しこみ、彼女の黒髪や紺のセーラー服、そしてトレードマークの赤縁眼鏡とを鮮やかに照らしていた。
そしてこう言ったのだ。艶然と。
『高嶺の花にはね、高嶺の花なりの苦しみがあったりするものなのよ』
そんな白川の言葉を、入夜は鮮明に思い出していた。そして彼女からもらった情報は、もう一つある。
「でも、最近籠手崎先輩に異変があったって聞きましたけど」
凛音は特に興味なさそうに答える。
「あー、そういえばあたしもそんなの聞いたっけ。ここ最近元気ないし、テストの成績も下がってるらしいしね。彼女のファンの後輩たちが心配してたなぁ」
ファンクラブまであったのか、と入夜は内心驚愕する。小さく息を吐いて気をとり直す。
「原因は、一年生の男子だって聞きましたけど」
「あっ、『乱入告白』でしょ? 籠手崎さんに一目惚れした男の子――たしか佐々山くんとか言ったっけ。その子が彼女のいる三年四組に直接乗り込んで、みんなの目の前で告白したんだよね」
白川から聞くところによれば、その佐々山という男子は特に際立ったスペックを持っていないらしい。運動はそこそこ、勉強は下の中くらいだと言っていた。それまでの籠手崎の告白経歴を見れば、無鉄砲な行為だと言われるのも無理ないのかもしれない。
「その口ぶりだと、現場を見てたんですか?」
「物好きな友達に連れ出されちゃって。でも良かったよ。あんなに堂々とした告白はかえって気持ちいいって思ったもの」
やっぱりシンプルが一番だよね、と凛音は微笑んでいた。
「それで、その後は」
「うん。知ってるかもだけど、籠手崎さん、逃げだしちゃったんだよね。すごく動揺しているみたいだった」
これも白川の情報と同じだ。
「それから進展はありました?」
「んー、聞かないかな。籠手崎さんが元気なくなって、成績も下がったってだけで。佐々山くんもリベンジする気もないみたい」
そう言って、凛音は少し残念そうな顔をしていた。籠手崎さんを心配しているというのではなくて、たぶんその『佐々山くん』の恋が成就しなかったことを嘆いているのだと思う。ともかく、白川からもらった大体の情報と一致はしていた。
そして丁度その時だった。
下の階から、微かに足音が聞こえてきたのは。
遅れましたすみません。これでも急ぎだったので、後で何かしら修正を図るかもです。※ちょい修正しました。