第二十二話 『ノンドリーマーの憂鬱』
月城公園を後にした入夜は、その足で病院へと向かった。
特にこれといった目的はないけれど、恐らくこの時間帯はもう凛音の本体が覚醒しているので夜待たなければならない。かといって、病院は暇つぶしがてらに行くほど気軽な場所でもない。強いていうなら気持ちの整理のためだ。
高見倉町でもっとも大きい神木病院は、商店街のメインストリートから少し外れた場所にある。町自体に病院が少ないこともあって、地域の住人のほとんどはここを利用し、昔から親しまれているようだ。
混雑を防ぐために設置されたロータリーを中心に左右に駐車場が広がり、その奥に威風堂々と神木病院が建っている。無数の小さな窓がぞろりと並んでいるのが見える。
入夜は大きな自動ドアをくぐり抜けて目の前の売店も素通りし、右側に延々と続く受付のほうへと周れ右。純白の制服を着た受付の女性に声をかける。
「こんにちは」
「あっ、真々琴くんだ。面会だよね? 行っていいよー」
「ありがとうございます」
二つ返事で許可が下りたので踵を返し、売店近くのエレベーターへ。何度も通っているうちに面倒だった面会の手続きが簡略化されたのはいいけれど、顔を覚えられた上に変に親密に接せられるのは少し気恥ずかしい気持ちになる。
エレベーターで一般病棟の三階に着き、入夜は見慣れた廊下を進む。広々とした一階とは違い上の階は少し狭いくらいだった。やがて突き当たりの病室で立ち止まり、静かにドアを開く。
「入るよ」
返事はない。構わず入夜は奥に進んだ。
ベッドで横たわる『彼女』を見て、入夜は苦笑する。
「やぁ久しぶり。ごめん、最近少し忙しくってさ。このところ僕も大変だったんだ」
窓際に立てかけてあったパイプ椅子を広げ、ベッドの隣に座る。前見た時と変わらない姿がそこにあった。
薄緑色の病衣から覗く真っ白な肌。伏せた長い睫毛。規則正しい寝息。それから――チャコールグレイの長い髪。すべてが健康的で、とても意識不明の病人とは思えない。いっそ今にも目を覚まして『やぁ入夜、おはよう』と笑みを浮かべて起き上がってきそうなくらいだった。
だけど、二年前から彼女は目を覚まさない。どこも異常はないし身体は健康そのもので、いつ目覚めてもおかしくはないと医者に言われているにも拘わらず。
「今日は君のトロイメライに会ってきたよ。また喧嘩してしまったけど、それはいつものことだ。……彼女さ、嘘をつくんだ。あそこに凛音さんがいないわけがないのに。おかげでただでさえ難航してる事件がまたややこしくなってる」
ボサボサの頭を手で抱え、うつむく。壁にかけられた時計の針の音がカチカチと響いた。窓の外からは車の通る音が聞こえてくる。
入夜は眠る彼女の頬に手を伸ばし、その寸前で押し留まる。その頬に触れることすら罪なような気がしたからだ。かわりに問いかける。
「ねぇ、どうしたらいいかな?」
返事はない。
「ねぇ、僕はどこへ行ったらいいのかな?」
返事はない。
「ねぇ、君はいつ目を覚ますの?」
返事はない。
首元に下げたシャボン容器をクセのように握りしめ、入夜は頑なに無言で眠り続ける彼女の名前を呼んだ。
「……朝倉」
◆
朝倉楓と出会ったのは、今から約二年前。その夏だった。
中学三年の頃に親の仕事の都合で高見倉町に引っ越してきて、少し経った後。
偶然通りかかった月城公園で、シャボン玉を吹く彼女を見かけた。肩で切り揃えられたチャコールグレイの髪と見透かしたような瞳は大人びていて、ボーイッシュな格好をしているので最初は男子なのか女子なのかわからなかった。
最初に話して以来彼女とはすぐに打ち解けるようになり、入夜は公園に通うことが多くなった。
そして色々な話をした。好きな食べものに好きな色、嫌いなものや苦手な教科。たわいも益体のない会話をして多くの時間を彼女と過ごしていた。それでいて暗黙のうちにお互い深くまで踏みこむことはない。そんな不可侵条約を破ったのは、入夜からだった。その時はたしかお互い公園のブランコに乗っていた。
『僕さ、ずっと前からなんだけど、変な夢を見るんだよね』
と。さりげなさを装って、そんなことを言ってみた。
朝倉は『ふうん』と口にするだけで、『どんな?』と目でうながしてくる。
『僕にもよくわからないんだけど。それに、変なものだって見える』
『へぇ。それって幽霊みたいな?』
『……まぁ、そんな感じ』
成る程ねぇ、と彼女は適当な調子で相槌を打った。
『変な夢を見て、それに変な幽霊を見ることができる。はは、まるで物語の主人公みたいじゃないか』
『あはは……』
一笑にふされて、話さなければ良かったと少し後悔。話題を変えるべく話の舵をとろうとしたその時、彼女は言った。
『実はボクもなんだけどね、それ』
『は?』
『ボクも変な夢を見るし、変な幽霊だって見えるんだ』
一緒だね、と彼女は薄く笑ってブランコをこぎ出す。その時はからかわれているだけだと思ったものだけれど、違った。朝倉はまるきり自分と同じ体質を持っていたのだ。
むしろその『不思議な体質』に関しては朝倉のほうが博識だった。『予知夢』のことも、入夜だけが見えていた幽霊は『トロイメライ』と呼ぶことも彼女から教わった。予言者が見るような特別な夢を『大きな夢』と呼ぶのに対して、それに似て非なる幽霊の存在は『小さな夢』と呼ぶことにしているのだとか。
彼女と一緒に予知夢を使って人助けをしたり、トロイメライの夢を解いて何度か解決したりもした。
朝倉がどうしてそんなに詳しいのかはのらりくらり躱されるばかりで教えてはくれなかったけれど、それがどうでもよくなるくらい自分の人生がガラリと変わったのを肌で感じた。
特別な力で、特別な事件を解決する。本当に物語の主人公になった気分だった。まるで世界を救うヒーローみたいに。
そして秋が終わり、記録的な豪雪が降った真冬になった頃。
寝静まった商店街の雁木造りの道を二人並んで歩いていた。また一つトロイメライの夢を解いて解決できた帰りの夜だった。
『ねえ朝倉。僕と君ならもっと大きなことができる気がしない?』
そう切り出したその時の自分は、相当に浮かれていた。
朝倉は苦笑する。
『大きなことって。例えばどんなことだい?』
『んー。ああ、ほら。火山の噴火とかは? それに地震とかさ、予測できない災害を僕たちの予知夢でみんなに教えることはできるでしょ? もしかしたら世界だって救えるかもしれない』
『はは。それはできるかもしれないけど、あまり気が進まないなぁボクは』
『どうして?』
目を見て問うと、彼女は視線を逸らした。
『……だって、面倒だしね』
『面倒って。人の命がかかってるのに? 助けられる力を持ちながらそれを使わないだなんて、僕にはできないよ。朝倉もそう思わないの?』
彼女は答えなかった。おもむろに胸元に下げていた銀色の容器を手にとって、シャボン玉を吹き始める。都合が悪くなった時の彼女のクセだった。けど、銀色のストローに口をつけてシャボン玉を遠くへ飛ばす彼女の横顔は密かに気に入っていた。普段はおどけてばかりの彼女の、憂鬱そうなその横顔は思わずドキリとさせられる。
だけどその時彼女はいつになく神妙な顔つきで、
『そのうちわかるよ、入夜にも』
と独り言のように呟いていた。
その後はお互い何も離さずに別れることになった。以来何となく彼女とすれ違うようになり、夢解きもひとりでやった。公園にも行く気がせず、それが何日も何日も続いた。
話さなくなってから一週間が経った頃、入夜はまた『予知夢』を見た。
誰かが事故に遭う夢だった。ぼんやりとだけれど、女性で、肌が白く、ひどく血まみれで、長い髪はチャコールグレイの色をしていた。
入夜が見たのは、朝倉が事故に遭う夢だった。
◆
静まり返った病室で、入夜はパイプ椅子に沈みこんでいた。
壁と天井の白がブラインダーから射しこむオレンジ色の夕日の光に染まっている。
目の前には規則正しく呼吸して、目を閉じて横たわる朝倉。これ以上ないくらい安らかで、健やかで、その顔に笑みさえ浮かべているように見えた。
あの時結局、入夜は彼女を救えなかった。
交通事故に遭ってから朝倉は目を覚まさない。ここに来ると『世界を救える』と息巻いていた愚かしい自分を思い出す。
たまたま特別な能力が自分に備わっていたというだけで、自分はヒーローなんかじゃない。それを嫌というほど思い知らされた。もう二度と予知夢を見たくはないと願うほどに。
入夜は深くため息をついた。シャボン玉が吹きたい気分になる。
たった一人の女の子も救えなかった人間が、何が『世界を救う』、だ。
全体的に少し荒いので、後で修正する予定です。




