第二十話 『神隠し』
悪夢のようなチャイムが鳴って、天ヶ紅高校に昼休みが訪れた。
購買へと走っていった生徒たちがいないこともあって教室はがらんとしている。
入夜は窓際の隅の自分の机で弁当箱を広げ、もくもくと消化作業にとりかかる。いつも通りの日常だった。けれどなぜだか箸が進まない。開け放たれた窓から入りこむ温い風が食欲を失わせているのか、作業はめっきり滞りを見せていた。
「はぁ……」
知らずため息がでる。
食欲を失わせているのは、もちろん温い風だけのせいじゃない。ここ最近は睡眠が足りてないし、疲労が溜まって身体が鉛のように重い。授業中も寝てしまうことも何度かあった。まるで誰かさんみたいに。
「あらあら、そんなため息をついて。幸せが逃げちゃうわよ真々琴くん」
とそんな声が、窓際から聞こえてきた。コップの縁を指でこするような涼やかな声で。
振り返ると、濡れたようなセミロングの黒髪にトレードマークの赤縁眼鏡をかけた女の子が悠然と窓に腰掛けていた。その手には黒いカバーのついた文庫本。
「……やぁ。今日は何を読んでるの、白川さん」
ぺら、と白川愛河は片手で器用にページをめくる。彼女は少し顔を上げ、薄く不透明な笑みを浮かべてみせた。
「最近疲れてるわね。真々琴くん、すごい顔してるもの」
「……いや、別に」
「そう? ここ数日で少し痩せたように見えるわ」
「僕はもともとモヤシだからこれ以上痩せようがないよ」
ふふ、と白川は口元を手で隠す。
「こらこら真々琴くん。女の子の前でその発言はデリカシーないって言われるわよ?」
「もう言われてる」
そう返すと、お互い声もなく笑った。いつも通りのやりとり。
その後は会話にぽつんと空白ができて、入夜はまたもくもくと作業にとりかかる。彼女のページを繰る音だけがやけに響いた。だけど沈黙は決して居心地の悪いものじゃなく、それは隣にそっと寄り添って、こちらを安心させるような類いのものに思えた。
――安心。
はたと入夜は気づく。自分は一体、何に安心しているのだろう?
白川と一緒にいるからだろうか。それはそうだけれど、たぶん、彼女に限らず誰かと一緒にいることで気を紛らわせられるからだと思う。まるで開いた穴を適当なもので埋め合わせるみたいに。
まる二日。
桃里凛音はトロイメライ化をしても入夜の前に現れなくなり、すでに二日が経っていた。
いつもなら数学の授業になると度々悪戯しにきていたはずなのに、それもない。夜もどこにほっつき歩いているのかも定かじゃない。色々探し回ったにも拘わらず、一向に見つかる気配もなし。その現実が入夜を空虚な気持ちにさせていた。
そんなアンニュイな気分になる度に入夜は頭を振る。何を感傷的になっていると自分に言い聞かせる。こんなことは遅かれ早かれ訪れるものだとわかっていたはずなのに、と。
そもそもこのまま放置するわけにもいかない。彼女のあの『現象』が、次いつ起こるかもしれないのだから。
怪物の顎のような、死神の鎌のような形をした真っ黒な『染み』。そこにどんなメッセージが隠されているのかはまだわからないけれど、早々に夢を解かなければ大変なことになる。
「――くん。聞いているのかしら、真々琴くん」
ハッとする。振り向くと窓に腰掛けた白川が小首を傾げていた。
「考え事? やっぱり変よ、あなた」
「……あ、ごめん」
少し自分の世界に浸りすぎたようだと悔い改める。あはは、と誤魔化すように努めて笑みを作った。
「なんでもないよ。それよりどうしたの?」
「例の一年の乙川っていう子のことよ」
「……ああ」
入夜はまた気が重くなった。彼女も凛音と同様に姿を消していた。それも自分の目の前で、あの黒い『染み』に飲みこまれる形で。
ただ乙川は普段から学校を休みがちな上に、よく友達の家に泊まって自宅に帰らない時が多いらしかった。だから今のところそこまで騒がれず大事には至っていない。
背中に気持ちの悪い汗を掻きながら入夜は取り繕うように言った。
「家出って話だよね。昨日白川さんが言ってたように」
「そうね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「どういうこと?」
意味ありげに呟く彼女の瞳に、好奇心が滲み出ているのがわかった。何かまた情報を掴んだのかもしれない。
「乙川さんの携帯のストラップが落ちていたっていう話よ」
「どこで」
「学校の近くの、あの河原で」
トクン、と自分の心臓の鼓動がワンテンポ速くなったのを自覚した。
「でも、そんなの偶然落としたのかもしれないでしょ?」
「そうね。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないわ」
「……何が言いたいの」
問いかけると、クスクスと愉快げに彼女は笑みを浮かべた。
「ううん、私の悪いクセ。もし失踪した現場があの河原で、乙川さんが『神隠し』にあったなら面白いのにと思っただけよ」
不謹慎でしょうけどね、と白川。
確かに、オカルト好きの彼女の悪癖ともいえるだろう。不可思議なことを何でもスーパーナチュラルな現象に当てはめてものを見るのは少し行きすぎているように思えてならない。
けれど、『神隠し』。
山や森、それに町や里にいる人が忽然と消えてしまう現象をさしたはずだけれど、それがどうして『面白い』に繋がるのかが腑に落ちなかった。
こちらの疑問を察したように白川は微笑む。
「神隠しはね、その多くは山の『神域』に消えてしまうという言い伝えがあるの。神域は死後の世界とも聞くわね。だから、昔から山にはその神域に入らなせないために注連縄で結界を張ったり、石の塚を置いたりしていたのよ」
「石の塚……もしかして、河原の積み石と関係が?」
ぴんぽん、と彼女は細く白い人差し指を立てる。
「石の塚も積み石も、本来は同じ目的を持っているの。人が山で迷わないように、そして人が神域へと迷わないこまないようにと『道標』としての役割があるのよ」
それを聞き、入夜はふと伊鳴山のことを思い出す。
「……あ、山頂にあったあの積み石って――」
「『ケルン』のことね。それも同じ。山頂を示すための積み石よ。登山者が山を踏破した記念で積んでいく場合が多いけど、本当は山の道標として積んでいるものなのよ」
なるほど、入夜は思う。最初見た時は気味が悪かったけれど、なんとなく気持ちもわかる気がする。あれだけ苦労して山を登ったのだから記念の一つも作りたくもなるだろう。
「でも、それがどうして面白いの?」
首を傾げると、白川は薄く笑ってこう言った。
「もともと『神隠し』に遭わないための積み石のある場所で『神隠し』が起こったとなれば、それは皮肉というものじゃないかしら?」
明けましておめでとうございます。
遅くなりましたが連載を再開します。




