第十三話 『お城の魔法使い』
「にゃ、にゃんこが喋った……!?」
動揺と好奇心の間で揺らいでいるような声色で、入夜の前にいた凛音が目を丸くしていた。
チャコールグレイの猫はごく自然に笑みを浮かべ、こちらに近づいてくる。呆けている凛音を横目に通り過ぎ、入夜の元へ。前脚で入夜の靴をトントンと叩いてくる。
――ここじゃなんだから、場所を移動しようよ。
翻訳すればこうなるだろう。その証拠に、すでに歩き始めた猫はチラリと振り返ってこちらの様子を窺っている。こないのかい? とでも言いたげに。
「入夜くん、これって『ついこい』って言ってるの?」
「みたいですね」
肩を竦めてため息をつく。シャボン玉が吹きたくなった。
狭い路地を通り抜け、商店街の大通りを出ると猫は右に曲がって先導した。気配でわかるのかこちらを振り向く様子はない。長い尻尾がしなやかに揺れている。時折り凛音が『どうなってるの?』と声をかけてきたけれど、『後で説明します』とだけ言って後は黙々と歩いた。
やがて猫は神社を通り過ぎて少ししてから、左側の狭い路地を曲がる。そこは大通りと違って街灯もポツポツと立っているくらいなので薄暗い。この道は久しぶりだな、と入夜は思った。以前は頻繁にここを通っていた。全然変わっていない。
やがて見えてきたのは、大きな城だった。
城といってもおとぎ話に出てくるようなきらびやかで荘厳なものじゃない。れっきとした遊具の一つだ。以前は昼間に子供たちが遊ぶのをよく見かけていた。水色で塗装された城は三つの塔に分かれていて、それらは頑丈な鉄橋によって繋がっている。それぞれに階段や滑り台が設置してあるのでその分異様に大きく見えるのだった。
月城公園と呼ばれるその公園に辿り着き、猫は勝手知ったるといったように城の内部へと続く階段の奥へと消えていった。
「……あのにゃんこ、こんなところに住んでるの?」
「ええ。それもずっと前から」
振り返ると案の定、凛音はきょとんした顔をしていた。
「お知り合い?」
「まぁ一応は。腐れ縁ってやつです」
首を振って嘆息する。半分ポーズで、半分は本気で。
「酷いなぁ。そんなに毛嫌いしなくてもいいじゃないか」
と、城の中から声がした。
少し掠れた中性的な声。内部で音が反響して軽くエコーがかかっていた。声の主が現れたのは、真ん中の塔の二階に設置された滑り台の入り口だった。月明かりが足元から照らされていく。
大きめの黒のズボンに灰色パーカー、その上にまた黒のジャケットという見覚えのあるモノトーンな服装。背中まで伸びたチャコールグレイの髪を揺らしながら、『彼女』は現れた。
隣で凛音はハッとする。どうやら察したようだった。
「その声……もしかしてさっきのにゃんこ?」
「ご名答。やぁ初めまして桃里先輩。ボクは朝倉楓だよ」
「……キミ、どうしてあたしの名前を――」
言いかけた凛音の前に、入夜が一歩踏み出す。
「こんばんは朝倉」
「やぁこんばんは」
「……今日は、折り入ってお願いがあるんだ。彼女を――」
「ストップ」
と遮るように朝倉は指を一つ立てる。また始まったか、と入夜は内心ため息をついた。今度は入夜が言葉を封じられる番だった。
彼女は目を閉じて朗々と語り出す。
「当ててみせよう。そこの桃里先輩がトロイメライ化しているのにいっこうに現象が起こらない。現象が起こらなければ入夜は『夢解き』ができないので現状はお手上げ状態。だから、彼女と同じような境遇にあるボクに渋々相談を持ちかけてきた――違うかい?」
「……当たりだよ。相変わらずだね」
「『夢解き』だけを当てにしちゃダメだって言ったじゃないか。それだけじゃこういう不測の事態に対処できなくなるってさ。多角的にアプローチをすることで効率も上がるわけだし、何より君に降りかかる危険度が少なくて澄む場合だってあるんだから」
老婆心ながら忠告するならね、と朝倉。
「悪いけどお小言はまた今度にしてくれないかな」
「経験者の忠告は聞いておくべきだよ入夜。【トロイメライ】はこのボクでさえ未知な部分を持つ存在だ。また新しい法則が発見されるともわからない」
言いながら、朝倉は滑り台の上を滑って入夜の前までに迫ってきた。ゆっくりと歩み寄り、真っ白な手が入夜の頬に触れる。指先から伝わる体温の温もりが変に熱く感じた。
「君が無事で何よりだよ。『夢解き』は本当に危険だからね、便りがなくて心配だったんだから」
「ッ」
入夜はとっさに顔を逸らし、朝倉から一歩距離をとる。
彼女はふっと笑みを漏らして大袈裟に肩を竦めた。
「やれやれ君も相変わらずツレないね。どうしてこう素直じゃないんだろう」
そんな入夜も好きだけどさ、と朝倉は平然とそんなことを言う。人によってはドキッとするような言葉だけれど、彼女の場合そこに特別な意味はないだろう。服装といい言動といい、物事に頓着しない性格なのは昔と少しも変わっちゃいない。体裁を気にする籠手崎澄歌とは真逆の性質ともいえる。
「……あの、ちょっと?」
と、後ろで一部始終を眺めていただろう凛音が控えめに手をあげてきた。
朝倉は覗きこむように入夜の横からひょいと顔を出す。
「おっと申し訳ない。今日のメインは貴女だったね、桃里先輩」
先輩と呼称するわりにはため口なのが気になったけれど、朝倉らしいといえば朝倉らしかった。凛音も凛音で気にした風でもなく、率直な疑問を口にする。
「入夜くんもだけどさ、キミたちって一体何者なの? ゴーストバスターっていうか、その道の人たちって感じに見えるんだけど」
朝倉は入夜の隣に並び、
「ゴーストバスター? くっ、あはは。そんなチャチなものじゃないかな」
ねぇ入夜? と楽しげに目配せをしてくる。
「……朝倉、言わないでいい」
「なんで。別にいいじゃないか、どうせ全部終わったら忘れるんだからさ」
「それは……」
制止する間もなく、朝倉は凛音の前へと歩を進めていく。
「どうしてトロイメライが見えるのか。どうしてトロイメライと遭遇しやすい体質を持っているのか。それに、どうして『夢解き』ができるのか――。桃里先輩が気にしている数々の疑問の答えは、実は一点の事実に集約しているんだよ」
鼻と鼻がくっつきそうなほど凛音の眼前で、朝倉はそう言った。凛音は気圧されながらも負けじと踏ん張っている様子だった。三年生としての意地かもしれない。
「桃里先輩。トロイメライが特殊な夢と同じ性質を持っていることは?」
「うん。入夜くんから聞いた」
「その特殊な夢――ああ、これは『大きな夢』とも言われているだけれど。それはね、そのほとんどがある特別な人間が見るためのものなんだ。もちろん一般人も見ることもあるけれど、それは限られた時期だけ。ごく一部に過ぎない。『大きな夢』の本質は、より多くの人間を導くというものだからね」
「たしか入夜くんもそんなこと言ってた気がするけど……」
朝倉は踵を返して星空を見上げ、夜を抱きしめるように両手を広げた。
「古きに渡ってその『大きな夢』は活用されてきた。火災や水害、それに地震みたいな大規模な災害を事前に対策を打つことで回避したり、被害を最小限に留めるといったようにね。神様からの『お告げ』として人々から重んじられてきたんだ」
凛音は眉をひそめる。
「……それって――」
クツクツと朝倉は笑った。
「さすがは桃里先輩。察しが良くていらっしゃる」
朝倉は振り返り、その薄い唇の端をつり上げた。
「入夜とボクは、予知夢を見る人間――つまり、『予言者』の血を引く存在なんだ」
ようやく入夜の正体が明らかに。
ちなみに『預言者』じゃなくて『予言者』です。前者は実際に神の声を聞く人で、後者は夢を神様からのお告げとして受け取り予言する人みたいです。どちらも神様からメッセージをもらって災害から人々を守る役割は一緒ですが、そのツールが違うってだけです(たぶん)。