表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夢解きトロイメライ  作者: とよきち
10/37

第九話 『エコー』 後編


『聞いたぁ?』『――手崎さんが』『アハハッ』『だって、ねぇ?』『――の花が』『告白されたんだってぇ』『あの一年生』『うそー!?』『澄歌ちゃんが』『そうそう!』『へー』『何ショック受けてんの』『調子乗りすぎ』『天罰よねぇ天罰』『きゃはははは!』――――

 そんな囁きが、教室のそこかしこから発せられていた。

 入夜が周囲を窺うも当然誰の姿も確認できない。この場にいるのは自分と後ろにいる凛音と、そして正面に佇むトロイメライ――籠手崎澄歌だけだ。

「な、何コレ――」

 後ろにいた凛音が動揺した声を上げる。たしかにこれは入夜から見ても気味が悪い。

「落ち着いて下さい、凛音さん」

「……ねぇ、もしかして籠手崎さんがやってるの?」

 入夜は首だけ振り返り、こくんと頷く。

「恐らくは。これもエコーの能力でしょう。……いや、というよりこれは籠手崎先輩の記憶の再現なのかも……? いやそれとも――」

「おーい、入夜くん? 探偵よろしく思案中に悪いけど、これなんとかならないかな!?」

 凛音の言葉に入夜はハッとする。たしかになんとかしなきゃならない。

 入夜は改めて正面に顔を上げる。そこには振り返った籠手崎澄歌の姿があった。

 向かい合う彼女の瞳は相も変わらず空虚だった。視点は定まらず、光も宿さない。けれどその儚げな表情は驚くほど大人びて見えた。

 ウェーブのかかった亜麻色の長髪やスレンダーな体型で元から大人びていて、普段から軽く高校生離れしているだろう少女だということは女性に疎い入夜でもわかる。けれど、今の彼女は高校生どころか人間離れをしていた。

 儚くそして美しく。精巧な人形を前にしたかのように、吸い込まれるような気持ちになる――あの空虚な瞳に。

 入夜は頭を振って気持ちを切り替えた。

 そしてチラリと後ろを振り返り、凛音の顔を見た。きょとんとしたその表情。ああ、やっぱり大人っぽさが台無しだ。ニコリと笑いかけると彼女は何かを察したように強く頷く。

「……」

 入夜はそこに、不思議な繋がりを感じた。

『信頼』と呼ぶには少しおこがましいけれど、それでも通じ合っている何かがあるような気がした。会ってからほんの数時間しか経っていないのにも拘わらず。

 クラスではほとんどの時間を一人で過ごし、ちゃんとした繋がりを入夜は持っていない。持つことができない。白川愛河という例外がいるけれど、彼女も何かを察して距離を詰めすぎないようにしているのが感じとれる。

 だからこそ入夜は人の心の機微を理解することに長けてはいないし、だからこそ人間関係が豊かな白川の情報網に頼っている形になっている。それは最善じゃないのかもしれないけれど、今はどうしようもない。トロイメライの対処にしろ、人と関われない以上できることは限られてくる。

 そして『夢解き』は人の心を解き明かすのが主な作業だ。

 だけど、実は夢を解くのに個人の心を探る必要はあまりない。  

 入夜は軽く息を吐き、再び正面を向いた。

「神話は」

 ――と。入夜は籠手崎に向かって語りかける。

 凛音にも聞こえるように少し大きめな声で。

「夢の中に現れる神話は、本来人を導くためのものです。苦境に立つ人間に、神話に隠されたメッセージを送ることでその人を導く性質を持っている。そしてまた、トロイメライも同じ性質を持っています。つまり――」

「……トロイメライの神話の現象にも、何かしらのメッセージが隠されてる……?」

「正解です、凛音さん」

 自然と笑みが浮かんだ。振り向かず、入夜は緩んだ頬を意識して引き締める。

「籠手崎さんの場合はナルキッソスの神話に出てくる妖精、『エコー』になります。彼女は呪いをかけられ、相手の言った最後の言葉しか繰り返すことができなかった。慕っていたナルキッソスにもその想いを伝えることはできず、最後は池に自ら落ちていったナルキッソスの悲鳴を繰り返したといわれています」

 つまり、と入夜は続ける。

「この神話に隠されたメッセージは――その感情は、『伝えられない想い』。そして『悲恋の苦しみ』です」

「……じゃあ、それが籠手崎さんが抑圧している感情……」

 後ろで呟く凛音に、入夜は相槌を打つ。そして正面の澄歌を見据える。

「ええ。籠手崎先輩は『伝えられない想い』を抱いています。じゃあそれは何か? どうして伝えられないのか? と考えれば、自ずと答えが導かれます」

 ある意味これは反則技だ、と入夜は以前から思っていた。人の心に触れずに、人の心を理解する荒技。あるいは暴挙ともいえる。答案を見てから逆算し、その答えに繋がる過程を考えるのだから余計にタチが悪い。

 後ろめたさはないといったら、それは嘘になる。

「彼女は高嶺の花と呼ばれ名のある男子に次々と告白されています。そしてその全員を振っている。だけど、そんな彼女が一年生の佐々山くんに『乱入告白』されてから様子が急変した。これは僕の推測ですけど、籠手崎先輩が告白を断り続けたのは、自分を男子のステータスにされたくなかったからじゃないでしょうか。それに対して佐々山くんはそういった計算をするタイプじゃなかった。白昼堂々、無鉄砲に三年生の教室に乱入してくるぐらいですからね」

だから、と入夜は紡いだ。

「そんな佐々山くんの実直さに、籠手崎先輩は恋をしてしまったんじゃないでしょうか」

「……なんとなくわかるけど。でも、それがどうして『伝えられない想い』になるの?」

「彼女が高嶺の花だからですよ凛音さん。もっといえば、体裁を気にするタイプだからです」

 入夜は昨日の放課後、白川の言っていたことを思い出す。


 ――高嶺の花には、高嶺の花なりの苦しみがあったりするものよ。


 周囲から期待を抱かれるからこそ、身動きができなくなる時がある。身近な話でいえば、『なんか、今日キャラ違くない?』と人から言われてドキッとするのに似ている。自分が固めてきたキャラクターの挙動と少し違う行動をとることで他人から指摘され、そこから逸脱することを許されないような気持ちになる。

「籠手崎さんは、高嶺の花と呼ばれているからこそ、高嶺の花らしい振る舞いを無意識に強要されていたんです。名の知れない一年生に恋心を抱くことも憚れてしまうように」

 高嶺の花は、たしかに手を伸ばしても届かない存在だ。

 でもそれは逆もある。高嶺の花の人間の手もまた、麓にいる人間には届かない時だってあるのだ。籠手崎澄歌が佐々山という一年生に恋心を抱いても体裁を気にする自分が歯止めをかけてしまうように。

 今もヒソヒソという囁き声がする教室の床を、入夜は指し示す。

「この現象だって、彼女が体裁を気にしている証拠です。他人の陰口を普段から意識しているからこそ具現化しているんだと思います」 

『透明人間』の噂が流れはじめたのだって、彼女が一年の佐々山くんに告白されてから少し経った後だと白川から聞いている。時期的にも符号していた。

 だから、確信を持って入夜は告げる。

 真っ直ぐに彼女の――その人形めいた空虚な瞳を見つめながら。


「もう一度言います、籠手崎先輩。あなたは佐々山くんに恋をして、それが叶わなかった。 周囲を意識しすぎて想いを伝えることができなかった。――そうですよね?」


 ――しん、と。

 口にした瞬間、教室は一瞬で静寂を取り戻した。無数の囁きがぱたりと消える。

 見ると彼女のその空虚な瞳に、わずかに光が灯っていた。

 身体は透けていき、下半身からサラサラと消滅していく。華奢な脚が、紺色のスカートが、半袖のセーラー服が、亜麻色の髪が、真っ白な肌が、彼女をかたどるそのすべてが失われていく。最後にその美しい顔にふわりと笑みを咲かせながら。

 そうして籠手崎澄歌の【トロイメライ】は、跡形もなく消滅していった。

 まるで夢のように、消えて去った。


   ◆


「なーんか、高嶺の花っていうのも大変なんだね」

 と、凛音は軽く伸びをしてそんな感想を漏らした。

 天ヶ紅高校の門をくぐり、入夜たちは薄明るなった道をどこへ行くともなしに歩いていた。来る前に少し睡眠は摂ったとはいえ、さすがに徹夜はキツい。目がしぱしぱする。生温い風が睡魔に加勢をしていた。

 入夜は小さくあくびをし、微力ながらそれに抵抗する。

「ふぁ……。そうですね。まぁでも、凛音さんは心配しなくてもいいと思いますよ」

「ちょっと、それってどういう意味」

「あははは」

「笑って誤魔化そうたってそうは問屋がおろさないんだよ? トロイメライとかキミの正体とか、どうしてあたしを連れてきたのかとかっ。きっちりかっちり説明してくれないうちはお家に返しません!」

「え。僕、テイクアウトされちゃうんですか?」

「おませさんかキミはっ」

 ブン! と凛音は手刀を作って頭を叩いてくる――が、それは失敗に終わった。

 だけどそれは入夜が回避したわけでも、凛音が狙いをハズしたわけでもなかった。

「…………え?」

 手刀を中途半端な位置でフリーズする凛音。

 驚くのも無理はないのだと思う。けど、入夜は今の今まで気づかなかった彼女の鈍感さにむしろ驚いていた。思い返せば色々と気づける点はあった。

 気がつけば河原に佇んでいたこと。

 入夜が凛音を学校へ連れていったこと。

 その中で色々と説明したこと。

『夢解き』の実演すらしてみせたこと。

 ヒントはそこら中に転がっていたのに、彼女はずっと『それ』に気づけずにいた。あるいは気づいていても認めたくなかったのかもしれない。

 ――凛音の右腕が、入夜の胸を貫通している光景を目の当たりにするまでは。

「っ!」

 慌てたように彼女は腕を引っこ抜く。けれど入夜の胸には穴が開いた形跡はない。出血もない。凛音はおそるおそるもう一度手を近づけて、何度か出し入れをしてみる。ずぶずぶと彼女の右手は入夜の胸の奥へと沈み、背中へと抜けていく。

 ようやく引き抜いて、彼女は信じられないものを見るように自分の手に視線を落とした。

「…………ねぇ、入夜くん。もしかしてこれって」

 入夜は苦笑しながら頷いた。


「ええ、凛音さん。あなたも【トロイメライ】だったんです」

ようやくチュートリアル的な第一章が終わりました!

次回は第二章になります。さてさて凛音さんは挽回できるのやら(笑)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ