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電脳祭

 ――ボスッ。

 居眠りをしていた高校生、加持彩人の頭部に英語の教科書が振り下ろされた。

 机に突っ伏して眠っていた自身の体勢から、なんとなくだがここが教室であることを覚醒しきらない頭で思い出した。そしてゆっくりと目覚めていく中で、教室の喧騒から今が授業中でないことを感じ取った。

 めんどくさそうに左手で両目を擦りながら身体を起こす。しかし気分は悪くない。むしろ結末のわかりきった悪夢から抜け出せて、内心安堵したくらいだ。

 視線の先に脹れっ面の少女を見つけ、ああ面倒なことになったなと内心思う。

「……おはよう、アンナ」

「おはようじゃないわよ! ……ったく。この調子で本番ミスったらタダじゃおかないわよ。あと二日しかないんだからね」

 金髪の美女は怒りよりも呆れの色が強い。額に手を当て、あからさまなため息をつく。

 それは彩人の発奮を狙ったものだったが、当の本人は意に介さないように大きな欠伸を返し、周りを見回す。

 教室の様子が普段とは違う。それはクラスメイトのエプロン姿もそうだし、テーブルクロスをかけられ椅子を向かい合わせにした一対の学習机、さらには折り紙の輪っかを繋げた紐が黒板の端から端にかけて繋がれている。

 ぼんやりとした頭で、今日がようやく学園祭の準備の日だと悟った。

 時刻は正午を回ったところだった。不意に寝起きの口内に午前中の甘ったるい記憶が甦った気がした。

「午前中に何枚焼かされたと思ってるんだ。口の中が甘ったるくて絶賛胸焼け中だよ」

 無数の紙皿と紙コップ、それに空のペットボトルが試食会という名の小宴会の痕跡だった。

「枚数よりも品質よ。破れたクレープばっかり作ってたんじゃないの?」

「クラスの女子連中が絶賛してたんだぞ。『加持君のクレープ、売り物みたい』ってな。つーか、なんでお前は言いだしっぺなのに教室にいなかったんだよ?」

 一学期の期末テストが終わり、電脳学園高校は五日間のテスト休み期間に突入したところだ。このテスト休みの合間に学園祭があり、彩人を含んだ教室にいる十数人は学園祭の出し物であるクレープ屋の調理班として、午前中から集まるようにと実行委員の琴吹アンナにメールで招集されていた。

 その時の文面には『朝食は抜いてくるように!』と書かれており、彩人はさぞアンナが意気込んでいるものだと思っていたのだが、蓋を開けてみれば午前中の教室にはほとんどアンナはいなかった。それが彼にとっては不満だった。

「職員室に行ってたのよ。わたしだってやることが色々あるの! 昼寝するくらい余裕のあるあんたとは違ってね!」

 語尾を強めるアンナにクラス中の視線が集まる。

 それでも一瞥しただけで、そこら中の和やかな歓談は止まらない。なにせこのような二人のやり取りは日常であり、教室にいる誰にとっても取り止めのない出来事だからだ。

「まあまあ。アンナちゃんもそんなに怒らなくてもいいんじゃない。さいちゃん頑張ってたよ!」

 唯一会話に入り込み、彩人を擁護してくれるのはアンナの親友で、彼女と同じ学園祭の実行委員を務める黄村明純だけである。

 おおよそ高校生には見えない――小学生にも間違えられるような――短駆をひょこひょことさせながら、二人が向き合うテーブルの横に来るとフレンドリーに右手を上に掲げる。

「おっはー、彩ちゃん! おたくのアンナちゃんは昨日学校で見た幽霊にご執心なんだよ」

 その言葉を聞いて彩人は無表情――どんな顔をすればいいのかわかりかねた表情を浮かべていた。

「――ツッコミどころが多すぎて、話がわかんないんだが……。てか、まずおたく(・・・)のアンナってなんだよ?」

 冷やかすように明純が言った微妙なニュアンスに彩人が噛みつく。しかし明純自身はその返しをまるで予想していなかったかのように首を傾げた。

「……? 幼馴染にフラグが立つのは恋愛物の作品じゃ鉄板だよ」

「あのなあ、いくらお前がギャルゲー好きの色物女子だからってそんな話を振られても困るんだけど。なあ、アンナ?」

 彩人は反論のためにアンナを引き込もうとした。しかし彼女は顔を朱に染め、視線を下方へと落としていた。

「おい……アンナさん?」

「うぇ!? わ、わたし?」

「お前以外のアンナがこの場にいるなら連れてきてみろ」

 先ほどとは打って変わって彩人が大きくため息をついた。

 羞恥で俯く親友の金髪美女とその幼馴染である朴念仁のやり取りを見ながら、「やれやれ、これは先が長いぞ」と肩を竦める明純であった。

「しかし彩ちゃん、幽霊には食いつかないんだね」

「当たり前だろ。電脳化の進んだ《2.5次元》時代に幽霊なんて言ってるのは阿呆くらいだ」

 《2.5次元》とは二次元と三次元の中間という意味でマスコミが名付けた名称である。

 質量、熱量、臭気、触感など、二次元で設定された情報を元に、仮初の形ながら三次元に物体として具現化させる技術――リアグラム(リアルとプログラムからくる造語)が実用化されてもうすぐ十年になろうとしていた。。二十年ほど前から研究が始まり、リアグラムの手法が確立、実用化された頃からその呼び名は定着し始めた。

 そしてリアグラムを始めとした二次元と三次元の垣根を無くすための学問を総称して、電脳学と呼び、現在最も研究が盛んな分野の一つとして世間には認知されている。

「でもわたしたち見たのよ! ねえ、明純?」

「うん。この教室の前から第一学習室を見たら、誰かが何かをやってて、しばらく見てたらふっと消えたんだよ」

 緊迫感たっぷりに彩人に訴えかけるアンナと、面白そうだからとアンナに便乗する明純の温度差はあからさまだった。

 もっとも熱の籠ったアンナはそんなことにも気付かない。ただ目の当たりにしていない彩人に頭から否定されたくないという思いが、前のめりに彼女を突き動かした。

「そんなもん、誰かの悪戯だろ。リアグラムでも使えば、好きなタイミングで出したり消したりできるんだからな」

 おそらく明純が面白がっているのも彩人と同じ結論に至ったからだろう。だから本気で怖がったり、危機感を抱いたりしない。

「でもリアグラムの使用にはライセンスと届出が必要じゃない。悪戯にしてもは手が込み過ぎよ!」

「むむっ……」

 アンナの反論に彩人は首を捻る。

 リアグラムは偉大な技術であるが、使い方を誤れば大きな被害を出す恐れがある。例えば予め攻撃性を持つようにプログラミングされたコンピュータウイルスを具現化させれば、意思を持って人間を攻撃する動物兵器の出来上がりだ。それは火器よりも危険な存在となりうる。

 そのためにリアグラムなどの技術の使用にはライセンスの取得と使用届の提出が法律によって義務付けられている。

 それだけの準備をしてまで行うことに何の意味があるのかを考えると、昨日の人影が単なる悪戯であるという線は一気に薄くなってしまう。

「この矛盾をどう説明するのよ、修正士デバッカー志望の加持彩人!」

 ビシッという効果音が相応しい大袈裟な動作で、アンナは彩人を指さした。

「うーん、それなら悪戯じゃないのかもな。ただ電脳学園なら誰かがリアグラムを送り込んできてもおかしくない気がする」

 確信がないといった表情で彩人が言う。

 曖昧なニュアンスは自信のなさの表れである。

「うん? おかしくないってのは?」

 食いついたのは明純だ。おもちゃを見つけてた猫のように目をまん丸く見開いて、彩人を凝視する。

「卒業生とか見ても電脳学園って電子系の専門高校の中でも国内トップクラスじゃん。だからカリキュラムとか研究データとかを盗みに来る輩がいてもおかしくないんじゃないかと思ったんだ」

 彩人の言うとおり、電脳学園高校は国内屈指の電子系専門高校だ。ましてや日本はリアグラムの開発に携わった三ヶ国のひとつであり、そこのトップクラスの専門高校ともなると業界内なら国を問わず注目度は高い。

 また電脳学園の教師の中には国家資格である電脳一種及び二種を有する者も多く、ここは高校でありながら大学の研究室のように様々な研究が行われている。おまけに設備は企業の研究室よりも整っているために、度々外部の人間が利用することもあるくらいで、一般の高校では想像もつかないくらいに高度な研究データが蓄積されているのだ。もちろんながら例外を除き、生徒の閲覧も認められていない。

 つまりはそういったデータを狙った輩が不法に侵入してきても不思議ではないと彩人は考えたわけだ。

 腕を組んだアンナがうんうんと頷く。

「なるほどね。つまりわたしたちが見た幽霊は、実はデータ泥棒だったと言いたいわけね。それならあの先生たちの慌てっぷりも納得だわ」

「でもうちの学校のセキュリティが破られたんなら大問題じゃない? それこそセキュリティレベルも国内トップレベルなんでしょ?」

「うーん、そこなんだよな。普通なら警察沙汰になってる――いや、それだけじゃ済まないだろうし、気付かれないくらい巧妙な手口だったとしたら、アンナが言ったみたいに先生たちが慌ててる理由がどうにも説明できない」

 彩人が手のひらで空中を撫でるとウインドウが虚空に出現する。薄緑のそれを小気味よくタップしながら、大手検索サイトのページを呼び出した。

 『電脳学園高校 クラッキング』と入力し、検索してみるが、電脳学園のホームページ関連のリンク以外が表示されることはなかった。

「やっぱ出ないよな。……マジで気づいてないってのはさすがにあり得ないか」

「さすがにそれはないでしょ。先生たちは変わり者は多いけど、天才ハッカー集団だもの」

「そうそう。アンナちゃんの言う通りだよ。つまるところ、彩ちゃんの推理ミスだねー。ほら、罰ゲーム!」

 言うが早いか、明純はいつの間にか手にした百円玉を彩人の手に握らせた。

「おい! 罰ゲームってなんだよ!?」

「うん? 辞書アプリでも送ろっか?」

「いらねえよ! 俺は罰ゲームの意味を聞いてるんじゃねえ。この百円でジュースでも買ってこいってか?」

「おおっ、さっすが彩ちゃん! 察しがいいねー! コーラでよろ」

 お道化たように明純がウインクしながら舌を出した。

「それじゃあ明日はレモンスカッシュ!」

「あ、てめ、アンナぁ!」

 百円玉を握らせるとわざとらしい悲鳴を上げ、学園祭の実行委員――アンナと明純の二人は、今まさにクレープを焼いている鉄板の傍へと消えていった。

 周囲で歓談していたクラスメイト達が彩人の方を見ながらヒソヒソ話を始めたが、当の本人に起こる気力は残っていなかった。

「……アイスコーヒーでも買いに行くか」

 自分の飲み物を買いに行くついでだと、視線が吐き捨てる。恨めしそうに立ち上がった彩人は、教室の隅に積まれた段ボールを視界に収めたが、特に表情を変えず――努めて変えずに、足早に教室を後にした。

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