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ふるさと  作者: 夕顔
11/13

「ふるさと」

 楽譜を見てみると習ってきた私には初見でも可能だが、直に演奏が出来るかとなると難しい気がした。

 少しは練習したと言うので聴いてみると、やはり不安しか残らない完成度だった。


 そこで私が伴奏をする形で歌の方を聴いてみると、相変わらずの音痴で私は笑ってしまった。

 するといつものように一緒に笑うかと思っていた直が頭を抱えて落ち込んだ。


 私はここで初めてこれは直にとって重要な問題なのだと気付き、彼の数少ない弱点を克服するための手伝いをする事にした。




 まずは歌の練習から始めた。


 一音ずつ意識して私がひくピアノから歌の音階を聞きながら、ゆっくり伸ばすように歌う事で少しずつ聞けるようになった。


 次第に正規のテンポでも歌えるようになってきた。

 ただし私のピアノを歌の音階ではなく正規の伴奏にすると途端に怪しくなる。


 私も頭を抱えた。




 少し悩んでから直の了解を得て楽譜を弄る事にした。


 元々彼にはひきこなせない楽譜なのだから、難易度を少し下げて右手をメロディーに左手は和音のみに書き替えてみた。


 するとその伴奏なら歌えるようになった。




 後はピアノの方だ。


 難易度を相当下げた今、こればかりはもう練習するしかない。




 直は黙々と一生懸命練習した。




 なかなか上手くはならず、肩を落としながら一度休憩と言って彼はトイレへ行った。




 私は懐かしい曲を歌ってみたくなり、入れ代わりにピアノの前に座り正規のスコアで「ふるさと」の弾き語りを始めた。


 正規のスコアは昔合唱部で使っていた物に近く、私は当時を思い出し心をこめて歌った。




―――――




―――――




 歌い終わると直が部屋の入り口に立っていた。

 気付かなかったが暫く聴いていたようだった。


 また練習をするだろうと思い私はピアノの椅子から立ち上がり

「どうぞ。」

と言って横に立った。


 直は何だか変な顔をしている。




 笑っているのか不快なのか泣きたいのか。




 そして彼はそのままの顔でゆっくりとピアノの前に座り、少し間をあけてからまた鍵盤を叩き出した。






 直は変な顔のまま日が暮れても練習をし続け、私はベッドに座って本を読んでいた。


 彼が焦っているように感じ、余計な事は言わずに練習に集中させてあげるべきだと考えたのだ。


 そして何度繰返しても中々上達しない「ふるさと」のピアノの音を聞きながら私は次第に眠くなり、体を横にするとそのまま寝てしまった。







 ふと前髪を触られる感触があった。




 その感触は心地好く、まだ眠りたい私はそのまま動かなかった。


 暫くしてそういえば両親が不在の家に直が来ている事を思い出し、その心地好さを与えてくれているのは彼なのだと気付くと、私は動揺しはじめた。




 彼は暫く私の前髪を触ってから前髪をなであげ、額をあらわにするとそこに彼の額をのせてきた。




 驚きと困惑とで、もう眠りたいなどと思えなくなってしまった。




 しかし今度は目を開くタイミングが分からない。




 直の呼吸を近くに感じ、私の心臓ははち切れそうだ。


 忘れていた暖かい塊が存在感を見せ、主張しだした。




 そして少し離れたかと思うと私の額にキスをした。






 いよいよ私は完全に動けなくなった。







 大きく膨らんだ暖かい塊から発せられる靄は、直の手と唇の感触に合わせて切なさと幸せを知らせ、私の中の直を求める気持ちを炙り出した。




「ちゃんとキスして欲しい」「抱き締めて欲しい」

 目を閉じながらそんな事を思って私の心臓は爆発寸前になり、私は全身でその感覚に酔っていた。






 しかしその後直は自分の荷物を片付け、私をそのままに部屋を後にした。


 彼は帰ってしまった。






 それ以来直から連絡が来なくなった。




 いつも私から絡んでいた彼との関係は、拠点が県外になり実家が離れて彼の方から連絡が来ないとなると、簡単に無い物のようになってしまった。




 あの時渡したメモに望みを託し、私はまるで火をつけて捨てられた蛇花火のような状態で暫く悶え苦しんだ。


 あんなに近かった直がいない。


 こんなに私は会いたいのに。




 もう消えなくなってしまった暖かい塊を自覚した時、私の目に飛び込んできた風景は桜の花だった。




―――――

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