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ふるさと  作者: 夕顔
10/13

メール

 桜の木を苦い顔で少し眺めてから、メールの着信音には反応せずに自宅へまた歩きはじめた。


 直ぐにメールに反応する人は偉いと思う。

 私も携帯電話でのメールが定額になった頃は楽しくてよく触っていた。

 しかし年齢を重ねるにつれて、メールや電話に自分の時間を強制的に遮られているような感覚になり、気分が向かないと見なくなった。


 そうこうしているうちに返信すら億劫になり、着信されたメールを読んでから

「わかった。」

とリアルに声を出して返事を済ますという状態になってしまった。




 桜並木には提灯が飾り付けられて、桜の蕾達は優しい光に照らされている。

 左手には直の実家だった家があり、大きなリビングの窓から桜並木が見えるようになっている。


 あまり見ていると怪しまれるので一瞥した後、右へ曲がり自宅へ向かった。




「ただいま。」

 私は良い年齢のくせに実家に住んでいる。

 独り暮らしはお金がかかるので、預金をするには実家に住む方が良いのだ。


 外で食事を済ませて帰宅すると両親は既に就寝している事が多く、今日もどうやらそのようで返事は無い。

 静まりかえった廊下を進み、自室へ直行してからすぐに入浴の準備をする。


 ここでもまだメールを見ないのは忘れてしまっているからだ。




 シャワーを浴びながら一日の事を考えるのは癖である。

 泣きたくなった時は特に便利で、シャワーの音と私に降りかかるお湯が、涙やすすり泣く声をかき消し、無かったものとしてくれるからだ。


 今日は暖かい塊が出した私を蝕む靄を、どうにかして洗い流そうと少し長めにシャワーを浴びた。




 かなりの時間を経て自室に戻り、ようやくメールの着信を思い出した。

 鞄の入り口を広げると携帯電話より先に、大久保さんからもらった電話番号のメモが目に入った。


 私はシャワーも湯船も流してくれなかった暖かい塊と対話をしながらそのメモを眺めた。




 そして、かけるかかけないかはさて置き、自分の携帯電話の電話帳に大久保さんの電話番号を登録する事に決めた。


 登録をする事で電話をかけやすくする環境を作る事が私には必要な気がしたのだ。


 暖かい塊は私を止めようとするが、私は私のために前へ進むべきではないか。

 私は現実を歩まなければならず、暖かい塊は現実を歩まない。


 だから私は私の幸せのためにこの一歩を踏み出す必要があるのではないか。




「やっぱり早目に電話をした方が良いのかな。」






 電話番号を登録するべく自分の携帯電話を鞄から取り出し、まずは先程からずっと放置されている着信メールを確認する事にした。




 時が止まった。



 暖かい塊はまるでしてやったりと私に笑いかけている。


 暖かい塊はこの部屋ではいつも強気になる。



 何故なら一度消えかけた暖かい塊はこの部屋で大きくなり、そしてついに消えなくなってしまったのだから。




―――――




 直が大学四年生になってから間もなく、突然私の家に来た。


 ピアノと歌を教えて欲しいと、「ふるさと」のピアノ伴奏がついた楽譜を持ってきたのだ。


 私は小学生の頃にピアノを習っていたため、家にはピアノがあり楽譜を読む事もできる。

 しかも「ふるさと」は私が合唱部で散々歌ってきた曲だ。


 それにしてもと訝しげに思いつつ、取り敢えず直を自宅にあげた。




「電話くらい入れてから来なよ。

 私だって忙しいんだから。」


 その日私の両親は旅行に行っていた。

 本当は一緒に行きたかったのだが、この春に退職した父とは違い、4泊5日の旅行に合わせて私の仕事の都合をつける事は難しかった。




 ピアノがある自室へ連れて行き座らせてテーブルに「ふるさと」の楽譜を広げてからふと思い立ち、メモ用紙に最近番号が変わった自分の携帯電話の番号とメールアドレスを書いて直に手渡した。


「用事があるなら電話一本くらい入れて。」


 本当は疎遠になった直とまた連絡をとりやすくしたいという気持ちもあった。


 直は

「悪いな。」

と言ってそのメモを受け取った。




 よく分からない状況だが、私は取りあえず「ふるさと」の楽譜を手に直をピアノの前に促した。

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