第一章 5
………地球が滅び、自分達が月に居ることを聞いた僕はショックで倒れ、再びベッドに身を横たえていた。
あたりには気まずい沈黙。ネルさんもエリーシャも何も話さない。
僕が拒絶するから、だ。
世界の終焉、百年の経過、月に居ること………目で見たことを理解できず、耳で聞いた事を納得できない。僕はネルさんが食事を用意してもエリーシャが何か話しかけても徹底的に無視をした。一つでも反応したら、この状況を現実だと認めてしまうと思って。
………ゆめ。そう、これは夢、こんな受け入れ難く、常識から乖離している事が現実に起こる筈が無い。
今の気持ちは、見知らぬ土地で迷子になった時の気分に近い。一人では歩くのもおぼつかない幼児期に親とはぐれ、心細さのあまり途方に暮れている時のように。
そんな僕にネルさんは困った笑顔を浮かべ、エリーシャは無言のまま仏頂面で僕を見下ろしていた。
ドアが開いたのはそんな時。
「お久しぶりだのぉ、コウキ」
さきほどのゴルヘグという巨大な執事とともに、一人の老紳士が部屋に入ってくる。
「コウキと違って儂は随分と年老いてしまった。髪はすべて白髪になってしまったし、老眼鏡を使い分けないと満足にものを見ることもできない」
老紳士は気さくに話しかけてくる。まるで旧知の友に会ったように。しかし僕には、この老紳士の顔に覚えはない。
「だ………れ………?」
顔は深く刻まれた年輪に皺枯れ、巨大な執事の側にあってやや腰の曲がった老体は随分とみすぼらしく見えてしまう。
「外見があまりにも変わってしまった所為で分からんか………まあ、無理もないかの」
老紳士は苦笑しつつ、
「しかし、こうすればお分かり頂けるかな?」
「――――それは!?」
手にした杖を掲げた。嫌というほど見覚えのある、杖を。
そして言葉を紡ぐ、魔力ある、言葉を。
『――――定形無き美術――――!』
呪文とともに老紳士の姿が一瞬にして崩れ、再構築し――――
「やあー、コウちゃ〜ん百年ぶりー♪」
若々しい、肌も瑞々しい少年へと変わる。
「ハ………ハッド………?」
ぎゅーっと僕を抱き締める少年に信じられない思いで、僕は目を見張った。なぜなら、それは僕が良く知った人だったから。
「ハッド………かぁ。そう呼ばれるのも随分久しぶりだねぇ」
遠い日に思いを馳せるように目を細めながら、少年は微笑を浮かべる。
「本当に、そう呼ばれるのは百年ぶり………だね」
『ハッド』………ハスドルバル・バルカ。
MSUNUで僕と机を並べて学びあう学友、ルームメイトにして、一番の親友にして悪友で、渾名でお互いを呼び合う仲だ。
学年トップの優等生で、特に変化形の魔術に優れる。先ほどの『定形無き美術』も学校の課題として自作したものでありながら、変化魔法の触媒として世界最高位の性能を示し、世界中を驚かせた。僕と同い年でありながら既に世界トップクラスの魔術士として認められていた。
そんな天才肌に似合わず気さくな……というよりお茶目な性格で、男女問わずの人気者。
まさか、さっきの老紳士がハスドルバルだったとは………
「コウちゃんにとってはたったの一眠りだっただろうけど……百年は、本当に長かった。
魔術で老化をだいぶ遅らせている僕でも、あんなに年老いてしまうほど……百年という時間は本当に長かった」
生きる事に疲れきった老人の倦んだ瞳に、その長い年月の労苦が垣間見られる。
「もう、地球の………あの星からの生き残りは僕だけになっちゃったよ…悲しいねえ」
一人残された老人の寂しげな笑顔。
「ハッ………ド」
震える声で長い時間を生きてきた友に問う。
「本当に…本当に百年が…経ったの……?」
ハスドルバルに縋りつくような思いで尋ねる。積み重ねられる奇怪な(おかしな)現実の中で、なんとか自己を確立しようとして。
「百年も経ってるなんて…世界が滅んだなんて、此処が月だなんて…信じ、られ…ない」
「復活したばかりで少し混乱しているようです……母が亡くなっていることと此処が月だという事を知って、とても混乱しています」
エリーシャがハスドルバルに耳打ちする。
「コウちゃん、確かに姉さんが死んだ事でショックを受ける気持ちは分かるけど………」
慰めるようにハスドルバルが声を掛ける。しかし――――
「そもそも『ディド』って………誰?」
――――絶句。
そうとしか言いようの無い表情に、全員が固まっている。