第一章 3
一話分が長すぎて読みづらいとおしかりがあったので、小分けして再アップしてみました。
「ディドは………母は、もういません」
強張った顔、硬く緊張した声。純白の顔に、血の気は薄い。
「あなたのパートナーであったディド・バルカは………既に、死んでいます」
「………死ん…だ……?」
夢の中の女の名前が現実に通じる事も驚きだが、その人が既に死んでいる、と言われるとは思いも寄らなかった。しかし続く言葉もまた衝撃的である。
「自己紹介が遅れました。私はエリーシャ・バルカ。ディド・バルカの……一応、娘ということになります」
「………むすめ?」
姉妹ではなく、母娘だったとは…驚き、鸚鵡返しに聞き返すだけの僕を、笑顔から一転して固い表情に戻った少女…エリーシャは射抜くように強い視線で見詰めて来る。
「これからは、母に代わり私がコウキ君のパートナーを務めさせていただきます」
姿勢を正して、エリーシャは僕に真剣な眼差しを送る。
「母ディドではなく、未熟な私などがパートナーでは貴方にとって不服であろうとは思いますが………了承して頂きたい」
自分の力不足を恥じる様な申し訳なさげな、エリーシャの真摯な表情。その顔を見て、僕の視界がぐらりと揺らぐ。この少女が、夢の中の女の娘だというのなら………あの夢は………夢だと思っていたモノは………!
「ゆ………め………じゃ、ない………?」
身体が震える。寒い、暗い、あの夢を、思い、だして………頭を抱えて、呻く。
暗黒に飲まれ滅びる世界。
身の毛のよだつ悪夢、あの底冷えのする喪失感、あれは悪夢だと、現実ではない悪夢だと、安堵していたあの光景が………現実だとしたら?
「ほんとに…ほん…と、に………世界が、滅び……て………?」
血が凍る息が止まる心臓が停止しそうになる。
「コウキ君………?」
「コウキ様……?」
両サイドから不安げな声。
「空が…………空が………!くろ、く……塗り潰さ、れて………」
優しく尊い空の青色を不吉で不気味な黒一色に塗り潰す悪夢が現実のものだとしたら?
「嘘だ!嘘だと言ってよ!僕は………まだ、夢を見ているんだ!」
僕の言葉は呻きから発狂寸前の叫びへと変わり………
パシィィィィン、と高い音と衝撃で顔が弾かれた。
「落ち着きなさい」
ビリビリと痛みを訴える右頬………エリーシャの平手打ちだった。
「殿方が取り乱すなんて、みっともないですよ」
出来の悪い生徒を叱る厳格な女教師のような瞳でエリーシャに見据えられる。
「………………………ご、ごめんなさい」
肩を竦めて僕は小さくなる。エリーシャに叩かれたショックが、強制的に思考を停止させてくれた。
「………目覚めたばかりで混乱しているようですね」
エリーシャの瞳から厳しさが消え、先ほど僕を引っぱたいた左手で今度は僕の頬を優しくさすってくれた。それだけで、不思議なほど簡単に痛みが引いていく。
「叩いたりして申し訳ありません。しかし一体どうしたのですか?急に取り乱したりなどして………」
こちらを案じるエリーシャの瞳。その色、夢で見た空と同じ青色。
「夢……を見たんだ。世界が、滅びる夢を」
僕は訥々と喋り始めた。
「世界の終焉を告げる鐘の音とともに………空いっぱいに広がる優しい青が………黒に塗り潰されて……全てが消えていく………夢を」
他人に話せば、そんなものは只の夢だよ、気にする必要なんてないよと言ってくれるかもしれない、そう思って。
「は、はは………可笑しいよね、こどもじゃあるまいし、ちょっと怖い夢を見ただけでこんなに取り乱すなんて………ほんと、みっともない」
自分から笑う。乾いて力のない笑いを無理矢理浮かべる。
そう、笑って欲しかった。馬鹿なことを言わないで下さい、と。世界が滅びるはずなんてないんだから、と笑い飛ばして安心させて欲しかった。しかし、
「………………………………」
エリーシャもネルさんも等しく目を伏せる。沈黙は、重い。その沈黙が、既に答えを表していた。
「コウキ君、それは間違いなくあなたが実際に見た景色です」
ややあって、エリーシャが口を開いた。
「『私の中の母の記憶』が、あなたの見た夢の風景と一致しています」
胸の真ん中に手を当てて語る言葉は、僕の理解を越えていた。
「今から百年前、ウトナピシュテム発動直前のこと。母ディドとあなたが会った最後の時………そう、モンゴルの草原で過ごした『世界最後の一時間』の光景です」
瞳を閉じて語るエリーシャの言葉は……信じられないものだった。
『この空の青の下で、また、いつか必ず再会しましょう』