第一章 1
第一章
迷子 の 気持ち
*
墨で塗り潰したかのような一面の暗黒の中で、意識は浮揚する。
(……ゆ………め……………?)
唐突に、切り換わった視界。唐突に、摩り替わった世界。目覚め前の闇。そこには、先ほどまで感じられなかった現実的な空気の重みがある。
(……………夢…だったんだ……さっきの)
覚醒間際のまどろみの中で、正常な思考を発揮しはじめた頭脳は数秒前までの世界を現実から否定する。
(当たり前だよな、世界が滅びる訳なんて………有るはず無いし)
吐き出すのは重い重い安堵の溜息。当然、世界は滅んでなんかいないし、自分は消えてなんかいない。
それでも、夢の中で音も無く死んでいく世界の姿は背筋が凍りつきそうな恐怖を感じた。
暗黒に飲まれ滅びる世界。
あの地獄の底から涌きでたような黒雲に飲み込まれ、世界から光が急速に失う様は考えるだけで背筋が凍りつきそうになる。
(どうしてだろ………単なる夢、なのに…すごく、悲しい…)
胸に痛み、心に苦み、気持ちは沈みきっている。沈鬱な目覚め。自分でも良く分からない多種多様な感情の糸が絡まりあいこんがらがっている。一番目の感情は喪失感、そして二番目の感情は………何故か、郷愁。
(やだな……ただの夢なのに……なんで、こんなに泣きたくなるんだろう……)
今にも目蓋の奥から溢れ出しそうな涙。自分でも抑えられない感情。
夢だというのに目覚めた途端霞のように掻き消えるような儚く弱弱しいものではなく、このまま一生覚え続けそうな強い印象を持った、夢。
闇に塗り潰される前の、あまりにも綺麗な世界。その美しさが失われる事に本能的な恐怖を感じた所為かもしれない。
遥か遙か先の、世界の果てまで続く空の青色と、その壮大な青の下で出会った黄金・純白・青で構成される神々しいまでの美女。
(どうしてだろうどうしてかな…?一度も見た覚えがない景色なのに…一度も会ったことがない女なのに…どこかで、見た気がする)
――――奇妙な、既視感。
あんな草原には行った事がないし、平凡な人生を送ってる僕にはあんな美女の知り合いはいない。少なくとも、自分が覚えている記憶の中に該当する風景も人物も存在しない。あれほどの美しい女性と知り合っているなら忘れられる筈もないのだが。
それでも、夢を思い返す度に、胸の痛みとともに感じる喪失感と郷愁の念は、紛れも無い本物。たかが夢、とは割り切り難い何か不思議なものを感じる。のだが…
(考えても分かんないや……)
結局、考えるのを放棄してまどろみに身を委ねた。
(もう一眠りするかな……もしかしたら、夢の続きが見られるかもしれないし)
本格的な二度寝の態勢をとってむにゃむにゃともう一度夢の世界へ落ち………
「いつまでのんびり寝てるつもりですか…コウキ君?」
(――――――え!?)
思わず目を開く。夢の中で聞いたのと、全く同じ声で起こされて。
一人の少女がベッドの傍に立って、僕の顔を覗き込んでいた。
見開いた僕の瞳に、三つの色が飛び込んでくる。
先ず、黄金。
それは豪奢に輝く、癖の無いまっすぐな彼女の髪の色。
次に、純白。
それは絹よりも滑らかで、肌理の細かい彼女の肌の色。
そして、青。
僕の好きな空の青と同じく優しい青は彼女の瞳の色。
黄金・純白・青………それは夢で見たのと全く同じ、彼女を構成する三大色素。
(な………なんで………)
心臓が、止まるかと、思った。
目の前の少女は、まさしく夢の中で見たのと変わりない姿。夢の中にいるはずの、現実にはいるはずのない少女が、目の前に。
夢で嗅いだのと同じような、甘い香り。まだ、僕は夢を見続けているのだろうか?そんな事を真剣に考えてしまう。
「やっと、目覚めましたか」
動転する僕を、落ち着き払って冷ややかに見下ろす彼女。その言葉がやや刺々しく聞こえるのは気のせいだろうか。
「おはようございます、コウキ君」
朝の挨拶……にしては爽やかさに欠ける少女の硬い口調。そして、少女の次の言葉が、僕の混乱に拍車を掛けた。
「―――百年振りの目覚めは如何ですか?」