第二章 1
第二章 Bleed from within
圧倒的なスピードに呼吸を止めて数秒、
「コウキ君、コ・ウ・キ・君」
「………ぴぇ?」
以外と早く、速度は緩まり始めた。
「もう大丈夫ですから、その………ちょっと………手を緩めてくれますか」
「あ、ご、ゴメン。痛かったよね」
速度の低下とともに、僕の力も緩める。
(強く抱きつきすぎた………かな)
エリーシャの華奢な身体が赤く染まっている。必死だったとはいえ、女の子にしがみつくとは、ちょっと男として情けない。
密着していた体を離し、何とはなしに周りを見て、初めて気づく。
「ここ………宇宙?」
視界の九割を占める虚無色、前に見えるは冥い地球、後ろに見えるのは仄明るい月。
ぽかん、と間抜けな顔をした僕に、エリーシャは微笑み返す。
「ここまで来れば、そう簡単に追いつくことも出来ないでしょう」
「逃げすぎな気もするけど………」
軽口を返しながらも、僕は戦慄にも似た振るえを止められなかった。
有重力下での飛翔魔術から、街を脱出する際に天井を破壊しなかった事から考えるに物質透過魔術も使用したであろう。宇宙に移ってからは空気の発生・適正温度の発熱・宇宙線からの保護・その他諸々からの生命維持の為の高位魔術の同時多重起動、常人では試みるだけで心臓が破裂しかねない難事を、涼しい顔で実行している。それも、一人分ではなく二人分の魔術を!
――――この少女のどこが失敗作だというのだろう?
空恐ろしくなるほどの魔術の冴え。僕の知る限りでは、世界有数の魔術師で無い限り不可能な曲芸。
「それにしても………私の不完全な仮想魔術でもここまでの加速ができるとは………」
対して、エリーシャの方も何だか身震いを隠せない様で、
「追尾も探査も捕捉すらも不可能なほどの加速―記憶にはありましたが、これほどとは」
肩越しに微笑んで、一言。
「やはり、コウキ君は能力を失っているわけではないようですね」
「――――そう、なの?」
口元は聖母のように柔らかく目元は戦乙女の如く凛として、少女は微笑みを形作る。
「記憶と共に、能力の使い方――『技』を忘れてしまっているだけ……数日ほど鍛錬すれば、再び能力を使いこなせるようになるでしょう」
「ほんと………に?」
「ええ。私が責任を持ってコウキ君を鍛え直してみせます」
それは、僕の不安を全て全て霧散させるほどに、輝かしい笑顔。
『中途半端』で『期待外れ』で『戦力外』で『役立たず』――――僕が目覚めてこれまでに味わった、そんな全ての劣等感が消されるほどの力強い言葉と微笑み。
虚無と暗黒の世界の中で、エリーシャを構成する三大色素が、目映いばかりに僕の目に飛び込んでくる。
彼女の黄金が、僕の心の中で光に成る。
彼女の純白が、僕の心の中で羽に成る。
彼女の青が、僕の心の中で空に成る。
ドクン、と胸が高鳴った。
エリーシャは顔を正面に戻し、代わって肩越しに見せるのはピンと立てた人差し指。
「言っておきますが、私の特訓はスパルタ人も血の気を失い、軍特殊部隊も裸足で逃げ出し、一流アスリートも泣き喚く過酷さですので、コウキ君もしっかりと覚悟を……」
「ありがとーーエリーシャー!!」
「え?や!?キャア!?」
嬉しさの余り、後ろから思いっきりエリーシャに抱きついた。
「僕、頑張る。うん、ぼくがんばるから!特訓でも修行でも何でもやってみせるから!」
嬉しかった。とにかく嬉しかった。他の誰よりも、この少女に勇気づけられた事が励みになった。
「わ、わかった!分かりましたからぁ!そ、そんなに抱きつかないでコウキ君!」
「あ、ゴメ、嬉しくてつい………」
悲鳴スレスレのエリーシャからパッと手を離す。
「も………もう、私ってばなんて声を………………うれし………みっともない………」
(怒ってるなぁ……耳まで真っ赤になって)
エリーシャは深呼吸して息を整えてから、
「嬉しかったらすぐ人に抱きつくんですか?犬ですか貴方は」