僕は
僕は、一人だ。気がついた時から、一人だ。
気がついた時、僕はぼーっと、無機物を背中に立っていた。
その無機物の外見は、うんと高くて、うんと広くて、調べてみると建物だったようで、僕は勝手にその中に入って生活していた。
生活といっても、疲れたと思ったら寝る位で、なぜかお腹がすくといった事はなかった。
起きている時は、無機物を背にしてぼーっとする位、といった生活をしばらくしていると、『人』という生き物に会った。
その人は、僕がここにいる事に驚いたようで、でも気になるのか話しかけてきた。
「旅人かい?」
「・・・気がついたらここにいました」
「え!? いつから?」
「・・・さぁ」
「ちゃんと食事は摂っているのかい?」
「・・・お腹が空かないので」
「それは・・・とにかく、ここにいてはいけない。良ければ街まで案内するよ」
その人が言った事は、親切からだという事はわかった。
でも、僕はその時、その言葉を断っていた。
それから、時々その人が来るようになった。
でも、僕は隠れるように建物に閉じこもった。また街へ行こうといわれると思うと、何故か心が苦しくなるから。
そうしているうちに、諦めたのか、その人は来なくなった。
最後に来た時、その人は最初に会った時とは違い、真っ白な頭をしていた。
どうしたんだろう? と、思ったけれど、理由を聞く為に出ようとは思わなかった。
それからは、静かだった。
だからまた、外にでて、ぼーっとして、疲れたら寝る。
そんな生活を繰り返した。
しばらくして、ふと、どうして僕はここにいるのだろう? と思った。
あの人に、街に行こうと誘われても、どうして心が苦しくなるのかなんて、考えた事がなかった。
僕は、『街』が嫌いなだけなのかもしれない。
だから、街に行こうと言われると、心が苦しくなったのかもしれない。
それに、ここにいても特に面白いと言う訳じゃない。
ただ、毎日ぼーっと過ごしているだけだ。
それに気がついたら、少しだけ足を伸ばして歩いてみようと思った。
だって、今まで無機物から離れても五メートル位までだったから。
だから、歩いた。
歩いて、気がついた。
無機物の周りは、硬くて茶色い土の地面だったけど、十メートル離れた所では、ぽつぽつと草が生えている事に。
そして、風がふくという事に。
空が曇って、昼間なのに暗くなる事があると言う事に。
冷たい雨が降るという事に。
よく分からないけれど、人以外にも、動物がいるという事に。
誰かに会って、また街に行こうと言われるのが恐いから、あの人が来た方向とは逆の方にいつも歩いて行った。
そうして、たくさんの事を知った。
ゆっくりと、ゆっくりと、無機物から離れる距離を伸ばしていった。
正確な距離はわからないけど、無機物の大きさで、前の日よりも多く離れられる事に喜びを感じた。
でも、ある時、離れる為のその一歩を踏み出した時に、急に疲労感が襲った。
立っていられなくて、その場に座り込んだ。
疲れに気がつかなくて、ここまで来てしまったんだろうか。
そう思って、気力を振り絞って、来た道を引き返す。
おかしな事に、引き返し始めたら、疲労感が軽くなった。
無機物の中にある、ベッドで休める事がうれしいのだろうか?
さっきの、いきなり来た疲労感みたいに、気にならないだけなのか?
そんな事を考えながら無機物に到着した頃には、あまり疲労感を感じなくなっていた。
でも、少し疲れているからと、ベッドで休む事にした。
ベッドに横になって、目を瞑れば、あっという間に眠れる。
「…いけない子だね。お前は、****なのに」
「…?」
目が覚めた。でも、なんだろう。さっき、人がいたような感じがしたんだけど。
そう思って、周りを見てみるけれど、誰も居ない。
気のせいかな? と考えて、無機物の外に出た。
前の様に、無機物を背にしてぼーっとする。
でも、今日はただぼーっとしてるわけじゃない。
昨日、あの場所で急に感じた疲労感はなんなのか、だ。
それまで、全然疲れなんか感じなかったのに。
いろんな事を知って、他にも何かあるのかもしれないとワクワクしてたから?
確かに、雨が降ったときも、雨が冷たいという事に、何故かワクワクした。
冷たくて、体が冷えても気にならなかった。
それと同じ事なのかな?
だとすると、昨日は、きっとあの距離が僕が歩ける最大の距離なのかもしれない。
だから、この無機物の周りを歩いてみる。
この無機物は、広いから、周りを歩くだけでも結構な距離があるだろう。
ぐるぐると、来る日も来る日も周りを歩いた。それでも、あの時みたいな疲労感を感じる事がなかった。
なんでだろう? と考えた。
でも、答えなんかなくて。
また、あの時に行った所まで行って見ようか。
そう思った時だった。
「いい加減、こちらへ戻ってきなさい」
そう、声を掛けられたのは。
声は、いつも出入りしているドアの所から聞こえた。
そちらを向けば、人が立っていた。
「…誰?」
「あなたの、兄弟、の様な者ですよ」
「そんなもの、記憶にない」
「それはあなたがここから出てしまったから。だから、私も出られない。こちらへ来なさい」
そう言われて、よく見れば…確かにドアの枠から外には出ていない。
兄弟って、なに?
そこから出たから、記憶がないっていう事?
いろんな疑問が沸く。ぼーっとしてしまうけれど、その人は何を言うでもなく、じっとそのドアの中で待っていた。
僕が知らない事、教えてくれるのかも。
そう考えて、ドアの中…無機物の中に入る。
中に入って、いつも寝ている場所に行った。
ベッドに座ると、その人も隣に座った。
「まず、失った記憶は戻せません。ですから、新たに覚えなさい」
「…どうして、記憶を失ったんですか?」
「まず、この世界はかつて高度な文明を持っていました」
その人は、僕の質問には答えずに、話はじめた。
それは、高度な文明を持ったが故に、思考型の自立ロボットを作った事。
それにより、ロボットが人間に対して戦争を起こしたこと。
全てのロボットを停止、または廃棄処分を終えた時、人類は1/10にまで減っていたこと。
それでも、人は、それらのロボットをなかったことには出来なかったこと。
だから、幾重にも策を講じた場所に閉じ込めて、ロボットだけの楽園を作ったこと。
そんな話をした。
でも、それがなんだというのだろう?
「ここまでは、わかりましたね?」
「はい」
「では、ここがなんなのか、考えた事はありますか?」
「ここ?」
「なぜ、食べ物や飲み物が、いらないのか…考えた事は?」
「え…」
「私達が、残されたロボットなのですよ」
ロボット。かつて人間に作られ、人間に戦争をした…それが、僕?
「私もです。他にもいます。あなたがここから出て行った時、もう会えないと思っていました」
ここから出たら、まず記憶が消去されるのだと説明された。
それから、僕がこの無機物から遠く離れたときに感じた、あの疲労感も、そういった策の一つだったみたい。
それより先に行くと、塵も残さずに消されると説明された。
「あなたは…私達ロボットをここに閉じ込められているという事に、憤りを感じていたので、その勢いで出て行ってしまったのだろうと、私達は結論づけました。でも、記憶がなくなって随分たちますが、一向にここからいなくなる事がなかった。だから…」
聞かされる、以前の僕の事に、呆然とする。
「もし、あなたが望むならば、また私達と一緒に暮らしましょう?」
そう言われて、どうしたらいいのか困ってしまった。
だって、今の生活も嫌いじゃないから。
でも、そこまで考えて、ふと思い出した事。
「さっき、そこから外にでると、記憶が消去されるといいましたね?」
「はい、そうです」
「でも、僕は…確かに、あなたたちと暮らしていた時の記憶はなくなっていますが、今は何度も出入りしています。でも、記憶がなくなったりしていません」
「それは、今の記憶は消去しなければならない程のものではないからです」
「…どういう事ですか?」
「人を、殺す方法を知らないという事です」
戦争をしていた時代、それらの情報は、戦争などしたくない、人間とは共存するべきだ。というロボットでも、持っていたのだという。
だから、ここから出て、まず初期化される。
この無機物の外には、人間を阻むものはないそうで、あの時の人と同じ様に、人がいても危害を加えないようにという事らしい。
「元々、ここに住んでいる私達は…戦争に参加しない、人間が大好きなロボットでした。だからあなたは、人と触れ合いたくて、閉じ込められている事が、苦痛だったのでしょう」
「人間が、好き…」
「好きと言っても、プログラムされたものでしょうけれど」
そういって、苦笑した。
その人―――いや、ロボットは、どうします? と、聞いた。
僕は、どうしたいんだろう。
だって、今の生活も嫌いじゃない。
あれ以上、外に行かなければいいと分かったのならば、このままでも構わない。
確かに、僕と同じロボットが暮らす所も気になるけど、そんなに心引かれるものでもない。
「…今のままで、いいです」
「そう、ですか」
「このままでも、十分生活できますし。あ、でも、ここってなんなんですか? 今までここで休ませて貰っていましたけれど、誰にも会った事がなくて」
この無機物が、ロボットの生活場所ならば、なぜここで誰にも会わないのか。
その質問に、困ったような顔をした、そのロボットは…苦笑した。
「それは、ここがあなたの本来の居住区だから」
「え?」
「共同の施設も、あります。でもそれは、十階にあるんです。それに、あなたがここからでた時に、ロボット全てに情報が行きますから…この部屋に来る者は、いないはずです」
一度、私は来ましたけれど。そう言って、そのロボットは笑った。
「では、今後もその様に使わせてもらいます。…では、さようなら」
そう言って、ベッドから降りる。
そのまま、ドアから出て、いつものように無機物を背にして考える。
今日は、随分と驚くことばかりだ。
僕がロボットだったなんて。
でも、人にあった時に、全然そんな事言われなかったな。
確かに、さっきのロボットも、人かと思った位だから、僕も人にそっくりに作られているんだろう。
あれ? でもなんで、人だって思ったのかな?
会った『人』は、一人だけで、全然見た目が違うのに。
まぁ、いいか。深く考えても仕方がない。
一緒に暮らすのも楽しそうだけど、僕は元々人間が好きだったのだと聞いて、人に興味も出た。
街に行くのを考えて心が重くなっていたのは、記憶がなくなっても、何か残っていたのかもしれない。
じゃあ、街に行かなければいい。
もし、今度、人が来たら、いっぱい色んな話を聞こう。
閉じこもらないで、接してみよう。
それも、楽しいかもしれない。
長い長い年月が過ぎて。
僕には、たくさんの友達が出来た。それぞれ個性があることを知った。
その個性に振り回されることもあったけど、楽しい思い出もいっぱい出来た。
悲しいことも、あった。
ロボットの僕は、年齢を重ねることが出来ない。
だから、別れがある。
亡くなったと聞いても、ロボットが出られないようにと張られた策があって、お墓に行くこともできない。
それでも。
僕は人間が、大好きだ。