飴と雨
「○○のおじさんが亡くなったそうよ」
帰ってきた私に告げられたのはそんな言葉だった。
「・・・・・そう」
突然の言葉に私は、いつも通り素っ気ない言葉を返しながら部屋へと入った。
「冷たい女だねぇ」
後ろから聞こえたそんないつも通りの母の言葉なんて、どうでもよかった。固い戸を少し乱暴に閉めながら、私は鞄を放り捨てた。
夏だというのに周囲に合わせることもなく着ていた制服の上着を脱ぎ捨て、部屋着へと着替える。まだ夕方だというのに布団を敷いて、使い古して潰れた布団へと寝そべった。
「・・・・何、泣きそうになってんの? バカじゃん?」
自分自身へと向けられたその言葉、誰も聞いてはくれない。私しか聞かなくていい独り言。
「おじさんが最近いないの・・・わかってた」
意味もなく天井へと伸ばした手を硬く握りしめて、それを振って勢いよく体を起こす。
「それをおかしいって、どうしたんだろうって、言わなかったのは他でもない私でしょ?」
胡坐をかいて、固く握った拳を右足の太腿へと振り下ろす。何度も、何度も、自分の気が済むまで叩き続ける。
「お前に泣く権利なんてない。泣いていいはずがない。
無知を棚に上げて、泣いていいはずがない。知ろうともしなかったくせに、自分が被害者であるかのように泣くことなんて許されない!」
言葉とは裏腹に込みあげてきそうになるものを、ただ必死に痛みで殺した。
『私にそんな権利はない』って思い込まなければ、どこかが壊れそうだった。
葬式にも出ず、おじさんとの別れを一切せずに私はただ日々を過ごした。
いつもと変わらない日々、ただ一つおじさんがいない。変わっているのに、変わらずに流れる日々。
時間は誰にでも平等で、残酷だということを私は身を持って思い知った。
誰が居なくなっても、きっと私自身が居なくなっても、時間はこうして流れているのだろう。
そんなことを考えながら、傘も差さずに自転車で帰り道を駆け抜けていた。
そんな私の後ろから、見慣れた紺色の細長い顔をした車が通り過ぎていった。
「おじさん」
何気なく呟いてしまったその言葉の後に、背後に感じた車の気配。通り過ぎていくその色と形に私は、車が止まってくれることをどこかで願っていた。
だけどやっぱり、車は止まることもなく走り去っていく。
「おじさん」
その呟きに意味はない。涙なんか流れていない。でも、声には出てしまっていた。
『○○、今日はどうした? 最近、どうしてる?』
私が何をしていようと、どんな姿でも、おじさんはいつもそう声をかけてくれた。そして、決まってポケットから飴を出して、私にくれた。味はその時々によって違ったけど、おじさんがくれる飴はいつも私が好きな物ばかりで、飴を口に含みながら何気ない毎日のことを話した。
青い空の時も、灰色の曇り空の時も、赤い夕陽が空を包んでいるときも。
風が気持ちいい日も、湿って蒸し暑い日も、少し寒い日も。
楽しかったわけじゃない、ワクワクしたわけじゃない、感動したわけじゃない。些細な日常の一部でしかなかった。
でも、そうしているだけで嬉しかった。心が落ち着いた。笑顔をなくさないでいられた。
「おじさん」
意味もなく繰り返されるその言葉は、誰も聞いてはいない。
「おじさんはもう、居ないんだね」
その日の雨はまるで滝のように私の体をずぶ濡れにして、頬にあたる雨だけが妙に生ぬるかった。




