番外編:第4章:心の距離
【SIDE:高梨奈々子】
好きなのに人の心が離れていくのはどうしてなんだろう?
燃え上がる恋はいつかは冷める。
それは人間誰でも、何かに熱中していても、いずれは急に冷めてしまう事は多々ある。
恋愛もそうなのだろうか。
人が人を好きになる。
当たり前の事が、突然、当たり前ではなくなる。
亮太との恋人関係が壊れてしまうかもしれない。
それが怖いから、この愛が永遠に続く事を望みたい。
私はそう願い続けていた。
いつかこの幸せが崩れる、その日がすぐ近くまで来ていそうで怖かったんだ。
「奈々子、どうしたんだよ?」
気がつけば亮太が私の頬を軽く撫でて顔を覗き込んでいた。
ベッドの上に座って彼に抱擁されていた私はハッと我にかえる。
「ボーっとして、珍しいな?」
「ん。少し考え事をしていたの。何だか気が乗らないから今日はもうやめよう」
何だか今日は気が乗らない。
ベッドに押し倒される形だった私は乱れかけた服を直すと彼は不満そうに言う。
「ここでお預けかよ?」
「最近、アンタは盛りすぎる。クールダウンしなさい」
亮太に求められるのは悪くない、嬉しい事ではあるけれど。
さすがに週に何回もと言われると、私としても大変だったりする。
「……んっ」
私は彼の唇にキスをして、「今日は帰るわ」と囁いた。
残念そうに肩をすくめる彼も無理やり私を抱く事はしない。
そう言う所は優しさとして、私を受け止めてくれている。
「はいはい。気が乗るように次回は努力するさ」
「余計な事はしなくていいから、普通にして」
「……若さと言うのは止められないから若さなんだぞ?」
そんな若気の至りを堂々と宣言されても。
「亮太のエッチ」
「ふむ。それは男としての褒め言葉だと僕は思う」
「全然褒めてないからっ!」
でも、亮太のそういう所は嫌いじゃない。
私だけを見てくれるのなら、私はそれでいいんだ。
亮太と付き合い始めてから半年が経っていたけれど、私はどうしても彼の事を信じ切れずにいたの。
こんなにも距離が近いのに、何で信じられないのかな。
好きな人を信じたいのに、裏切られるのが怖いから信じられない。
「玄関まで送るよ」
亮太はそう言って、玄関先まで私を送ろうとする。
その玄関には人形遊びをする亜美の姿があった。
見慣れないお姫様みたいな服装、新しい服を着ている。
「亜美~っ。今日も可愛いわね?新しい洋服を買ってもらったの?」
「奈々子お姉ちゃんだっ。うんっ、ママが買ってくれたんだよ。可愛いでしょ」
亜美を抱き寄せて私は抱擁する。
小さな身体、幼い妹のような彼女が私は大好きだ。
「……相変わらず、僕との扱いの差に愕然とするのだが?」
「気のせいよ、気のせい。ねぇ、亜美?新しいぬいぐるみを作ってあげよっか?」
「ホント?それじゃ、今度は羊さんがいい!!メーって鳴くのが可愛い」
「羊さんかぁ。モコモコしてるのを作ってあげるわ」
亜美のためにぬいぐるみを作ってあげるのも慣れている事だ。
可愛いもの好きの彼女によく私は手作りのぬいぐるみをプレゼントしている。
「亜美は本当に愛らしいわね」
「溺愛しすぎだろ。僕にもそれだけの愛をくれ」
「無理ね。私の亜美への愛情だけは亮太でも越えられないわ」
愛情を注げば注ぐほどにその愛に彼女は応えてくれるから大好き。
亜美を抱きしめながら私はしばらく、彼女と戯れる事にした。
その様子を大人しく眺めている亮太。
こういう時間が私にとっての本物の幸せなんだ。
幸せという目に見えない感情。
その感情を疑い始めた時に人の愛は冷め始める。
たったひとつの小さな亀裂が入り、そこからひび割れ始めるもの。
きっかけは些細な事でも積み重ねを続ければいつかは割れてしまう。
「……亮太、遅くない?」
学校の帰り、待ち合わせている校門に中々、亮太がこない。
私は時計を眺めるけども、既に15分近くの遅刻だ。
今日は掃除当番でもないし、何をしているのかしら?
「ちょっと探して見ようかな」
どうせ、アイツの事だから廊下で誰かと会って話をしているのかもしれない。
私はそう思い、中庭の方へと足を向けた。
案の定、見なれた亮太の後姿を見つける。
「……りょう……た?」
声をかけようとして私は思わずためらってしまう。
そこにいたのは亮太だけじゃない。
亮太の前には女の子がいて、彼女と彼は話をしていた。
仲よさそうに笑い合うふたり。
ズキッと痛む、嫉妬の気持ちが胸をよぎる。
亮太は誰にでも優しいので女の子からも評判が高い。
こういう事はこれまでも何度も合って、それを疑っていたらきりがない。
私は心を落ちつけようと深呼吸する。
亮太は不真面目だけど、浮気をするような真似はしない。
けれど、絶対にと断言できない、それは絶対的な信頼ができていないからかな。
「おっ、奈々子じゃん。悪い、時間はもう過ぎていたか?」
話し終えたらしく女の子と別れた彼がこちらに近づいてきていた。
「……今の子は誰?」
「皆木ってクラスメイトがいるだろ?そいつの恋人だよ。顔見知りで、ちょっと話をしただけで変な事はしてないから心配しないでくれ」
「どうかしら?他人の女だろうと、亮太は誰にでも手を出しそうだもの」
彼は首を横に振って「そんなことはしないから」と言う。
亮太の言葉は軽い。
重苦しい雰囲気が苦手と言うだけあって、わざとそうしている感もある。
それは傍にいると心地よさと気が楽な気さくさを感じる。
でも、恋人としてはその軽さが心配と不安を生んでいるのも事実だった。
亮太の性格は幼馴染として長年、見続けてきたから知っている。
……本当に知らなかったのは、私自身のことだったのかもしれない。
自分がこんなにも嫉妬深くて独占欲が強い女だと思い知る。
息苦しさのような辛い日々。
亮太を思えば、思うほどに、自分が追い込まれていくような……。
幸せだった時間がいつしか、辛い時間に変わる。
亮太が好きだから、他の女の事は誰とも関わらせたくない。
それができないのは分かっているのに。
そこまで彼を縛り付けるつもりはない。
気持ちの上ではそう思っていても、現実に私がしている事はただの我が侭なこと。
私はいつしか恋する事に苦しさを覚えていたんだ。
限界を迎えたのは中学3年の半ば頃。
亮太を愛する事に疲れてしまった。
嫌いになったわけじゃない、ただ一緒にいることが辛い。
いつしか、縮めようとしてきた距離を逆にとりたくなっていた。
「……私達、別れよう」
絞り出すような声で私は夕焼けの道路に立ちながら、亮太に告げた。
「別れようってどういう意味だよ?僕は浮気なんかしてない。信じてくれ」
「分かってる。亮太が私を愛してくれていることは……でも、私は亮太を愛する事が辛くなってきたの。亮太はいつだって私一人だけを見てくれない。亮太の周りにはいつもたくさんの女の子がいるもの」
その光景を見るだけで私はすごくイラッとするし、寂しくもなる。
自分の負の感情に押しつぶされそうになりかけていた。
「亮太は分かってくれない。私の気持ちを、本当の心を……」
「僕は、確かにどうしようもないバカかもしれない。けれど、奈々子の事は本当に好きなんだよ。やりなおそう、奈々子。僕達はやりなおせるはずなんだ」
必死に私をくいとめようとする亮太。
「僕は奈々子だけが一番好きだ。お前だけなんだよ」
その言葉が嬉しいはずなのに。
ずっと待ち望んでいた言葉のはずなのに。
私だけを見て欲しいと願い続けてきたはずなのに。
「……ごめんなさい」
心がもう無理だと告げていた。
関係を終わらせたい。
この苦しみから解放されたい。
そう思ってしまったら、どうしようもなくなる。
「本当にごめんね、亮太……」
人が人を愛する事は本当に幸せになれるのかな。
どうして、人を愛するとこんなにも痛みが伴うの?
私は彼を愛しすぎた、彼の事を望みすぎた。
「さよなら、亮太」
壊れた関係、取り戻せない時間、後悔ばかりが私を襲おう。
中学3年、私は亮太と言う最愛の相手と失恋する。
私は逃げたんだ。
愛する事で伴う痛みから逃げてしまった。
それから逃げたらどうしようもないっていうのに。