番外編:第3章:喪失、妹の記憶
【SIDE:高梨奈々子】
台風の夜はなぜか気分が高鳴るのはなぜだろう。
亮太の部屋は昔から何度も来てるけど、相変わらず汚い。
「男の部屋ねぇ……この辺とか、怪しい」
「うぐっ。それは気にしないでくれ」
彼が慌てて“何か”の入っていそうな箱を隠す。
どうせ、私を不愉快にさせるような内容の本だ。
下手に追及して嫌な思いをするのは私なので無視をする。
「その辺に座れよ」
「どこに私の座れるスペースがあるの?」
「ごめんなさい。すぐに用意するから待ってくれ」
彼は渋々、ベッドの上を片づけ始める。
私はその間、彼の部屋を見渡す。
目に入ったのはフォトフレーム、汚い部屋に飾られている。
「これって私達の写真よね?」
今年の春に私と花見に行った時の写真だった。
和輝や亜美も誘ったのに都合が悪くて、彼だけが参加したふたりだけの花見。
その時の写真をわざわざ飾ってる彼に私は笑いがこぼれる。
「何でこんな写真を飾ってるの?」
「……笑う事はないだろ。せっかく探し出して飾ってるのにさ」
「私との写真を?」
彼にそんな趣味があるとは思いもしなくて。
写真を撮るのが趣味なのは知っていたけど、飾るのまでは初めて知った。
「奈々子は僕をどう思ってるか知らないけどさ。僕は付き合った相手をちゃんと愛してるからな。それは奈々子だって例外じゃない。意外か?」
それでこうして写真まで飾ってる、と?
ありえないわ、あの女好きの亮太がそんなことをするはずない。
それは勝手な私の思い込みだったの?
「……もしかして、私って大事にされてる?」
「一応、してるつもりだが……?」
「全然、伝わってこなかったわ。そう、亮太がねぇ」
亮太って普段からエロいことしか考えてなさそうで、付き合ってからも、どうにも恋愛している気分にはあまりなれない。
……私が好きだって気持ちは継続しているので、今はこのままでもいいけど。
もう少し愛されている自覚みたいなものが欲しい。
「態度に表さなきゃ分かんないか?」
「当然。でも、エロいのは却下で」
「今の一言で奈々子が普段、僕をどういう目で見ているのか分かったよ」
彼は軽くうなだれてひとりベッドに寝そべる。
足の踏み場を探して私は椅子に座る。
ここは男の部屋、ベッドに座るほど警戒のない行動はしない。
「話は変わるけど、奈々子って亜美の事、可愛がりしすぎじゃないか?」
「何を今さら……あの子は私にとっては大事な妹なのよ」
「……うちの妹も姉的存在の奈々子が好きだけどさ」
彼は何か言いたそうなのに、何も言わない。
まどろっこしいので私は彼に「はっきり言いなさいよ」と強い口調で責める。
「奈々子。お前、亜美に自分の妹の存在を重ねてるだろ」
「……」
私には小学生の時に亡くした妹がいた。
私が8歳、あの子は4歳……交通事故という不幸でまだ幼い命を落とした。
仲がよかった妹を失ったことで私は心に穴があくほどの苦痛を抱いていた。
喪失感、彼女の存在が消えた事が私からあらゆる気力を失わせた。
そんな絶望の私を救ってくれたのは目の前の軟派男、亮太だった。
彼は登校拒否状態に陥っていた私に優しく毎日部屋を訪れては話しかけてくれた。
何気ない一言一言が私の心を癒してくれていた。
思い返してみれば、あの頃から亮太を異性として意識しだしたのかもしれない。
そして、成長した亜美の存在も私には必要な存在だった。
『奈々子お姉ちゃん~っ』
私に甘えてくれる可愛い亜美が私を立ち直らせてくれた。
妹同然の存在に亡くした妹を重ねている。
「そうよ。それが何か?」
「……悪いとは言わないけど、依存しすぎるなよ?」
「どういう意味よ?」
「何ていうか、お前を見ていると心の支えにし過ぎている所があるじゃないか」
亜美を支えにして何が悪いの?
彼女がいなければ、きっと私はダメになる。
それくらい依存している、大好きな女の子だ。
亮太は普段は見せない真面目な顔を私に向ける。
それは私に告白した時と同じ表情で私は何も言えずにいた。
「……あんまり考えたくはないんだがな。今よりもずっと先に亜美にもしも突き放されたらどうする?依存しすぎるって事は拒絶された時の反動が強くなるだろ。それが心配なんだよ。責めているんじゃないだけどな」
彼が私のためを思って心配しての発言だとは理解できた。
もう一度、妹を失いたくない。
きっと亜美に拒絶されることがあれば、私は辛くてどうしようもなくなる。
だからと言って依存することをやめられない。
これも私の弱さのひとつ。
大事な存在が傍にいなければ耐えられない。
「……私にどうしろって言うのよ?亜美の事を好きになるなって?」
「無理だろうな。お前には、それは無理だ」
「分かっているのなら言わないで。私はね、亮太。亜美を妹のように大事だと思っているわ。きっと拒絶される時が来た時、私は耐えられない。けれど、それでもいいのよ。そんな日が来る事は望んでいないけど、覚悟くらいあるもの」
亜美はまだ幼いけれど、いつかは成長していく。
もしも彼の危惧する通り、私が彼女に拒絶される、喧嘩する状況が起きたら私はどうなるのか……。
そんなの分かりたくもないし、考えたくもない。
「……心配してくれてありがとう」
亮太は今の私を見て警告してくれたんだろう。
「分かってるのならいい。今のままなら亜美も素直に育ってくれるだろうし」
「どこかの誰かが悪さを教えなければね」
「僕がそんなことをするか」
亮太は恋愛を通じて人に依存する意味も、強さと弱さも知っている。
考えた事もなかったことを考えさせられた気がした。
彼は肩をすくめて言うと、「雨が強くなってきたな」と窓際に立つ。
台風はこれからが本番とばかり強まる一方だ。
ふっと、電気が消えて真っ暗になる。
「きゃっ!?」
驚いた私が声を上げると亮太がすぐに「大丈夫か?」と優しい声で言う。
彼はこういう男だ、決して人の期待を裏切らない。
欲しい時に欲しい言葉と態度で接してくれる。
だから、憎みきれない。
すぐに電気がついて、私はホッと安堵する。
「そろそろ眠いから部屋に戻るわ」
私は亮太の部屋から去ろうとする。
「待てよ」
その手を彼が掴んできたことに、わずかな期待もあった。
彼なら絶対にこうするだろうっていう確信。
「……何、この手?」
「ここまできたら分かるだろ?」
「全然分からない。あいにく、私はアンタが付き合ってきた経験豊富な女の子たちと違うから。用は終わったんだから離して。亜美と一緒に寝たいの。邪魔しないでくれない?」
それでも彼は離そうとせず、さらに身体を抱きしめてくる。
「……せっかく、こうしてふたりになれたんだ。チャンスだって思ってる」
「そういう誘いだと思ってた。だから、私はアンタに警戒してたのよ」
私は残念ながらそのつもりはない。
彼の誘いに乗るのも悪い気はしないが、雰囲気のない夜を過ごすつもりもない。
「嵐の夜に私をどーするつもりなのかしら?」
「奈々子らしいな。……付き合い長いから僕も多少は奈々子の扱いを知ってるつもりだ。お前って案外押しに弱い方だって……こうすればどうだ?」
「……ちょ、ちょっと待ちなさい。亮太っ!?」
強引に私に迫ってキスをしようとする亮太。
確かに私は押しに弱いところがある。
流されやすいのも認めてあげる。
でも、こいつは一つだけ勘違いをしている。
「いいから離せ、バカっ」
私は彼の腹部を思いっきり叩く。
「げふっ!?……な、何をする、奈々子」
「いくら恋人同士でも無理やりして来る奴は最低、死ね」
「……いきなりみぞおちを殴るか、普通。マジでいてぇ」
彼は腹部を押さえながらベッドで悶絶する。
身を守ろうとしただけで当然の措置。
本当に何かあればエロいことしか頭にない思春期真っ盛りの男だ。
「バカね。本当にバカ。バカすぎて、相手にしたくないわ、バカ」
「バカバカ言いすぎだろ。奈々子ってそんなに口悪かったか」
「……そんなバカな恋人にひとつだけ教えてあげるわ」
私はバカな恋人の唇に自分の唇を触れさせる。
ベッドを背にする彼はきょとんとした顔で私を見つめていた。
「――私が弱いのは押しじゃない。雰囲気よ、覚えておきなさい」
風雨の激しい音にかき消されそうになる私の声に彼は頷いた。
そのまま私は彼に身をゆだねる。
どんなにコイツが性格悪くても、好きなのは仕方ない。
私もバカだ、好きな男に望まれて嫌な気持ちになれないのだから――。