番外編:第1話:初めてのキス
【SIDE:高梨奈々子】
初めて恋をした時からこの恋は叶わないな、と薄々感じていた。
アイツはきっと私と付き合うなんて微塵も思っていない。
私達は幼馴染だ、それ以上でもそれ以下でもない。
だから、私はずっと自分の気持ちを秘め続けていた。
誰にも言わずに心に秘めてきた想い。
初恋相手が“亮太”なんて……誰にも言えるはずがない。
夏の夕陽と風を肌で感じながら、私は亮太の手当てをする。
白昼堂々と女に叩かれたなんて彼らしい。
その会話の中で彼はさり気なく、とんでもない発言をする。
「……お前みたいな奴が僕の恋人になってくれればいいのにな」
冗談めいた口調、本気にするところではなく軽く「バカじゃないの?」と流す所。
それなのに、私は何も言えず、反応すら出来ずに固まる。
冗談、と言うのは分かっているけど、どうしてもそれを言葉にできない。
「おい、奈々子?お前は何を固まってるんだ?」
「……え?あ、うん。アンタ、バカじゃない?」
「いきなりそれかよ?あのなぁ、バカバカ言うなよ。僕だってそれなりに本気で言ってるんだけど?いや、いきなり殴ろうとするなっ!?」
彼は私のふりあげかけた拳を押さえる。
「まぁ、僕の話を聞け。奈々子は性格は狂暴でお淑やかさの“お”の字もない暴力的な女の子だが……げふっ!?み、みぞおち来た……」
私は問答無用に彼の腹を殴りつける。
「私をバカにしたいわけ?」
「ち、違って!だが、と言っただろう。最後まで聞いてくれ」
「最後まで聞いたら泣いてごめんなさいと言うまでボコボコにしていい?」
「その時は救急車を武士の情けで呼んでくれ。その前に怖いから逃げるけど。じゃなくて、本気で話をさせてくれ。いいか?」
私としては聞きたくない話なんだ。
そのたとえ話だけは聞きたくない。
私に変な期待をさせてしまうから……。
「だが、の続きからだ。暴力的な女の子だが、案外可愛いところもあると思うんだよ。うちの妹とか可愛がってる所を見ると女らしさと言うのを感じる」
「そりゃ、亜美は私の妹でもあるもの」
亮太には歳の離れた幼い妹がいる。
名前は亜美、私や和輝にも懐いてくれる可愛い女の子だ。
私は幼い頃に実妹を事故で亡くしているので、亜美を本当の妹のように可愛がっていた。
「それに奈々子って僕の事を理解してくれているだろ?」
「……今すぐにでも去勢手術が必要な万年発情期猫?」
「全然理解してねぇ!?誰が猫だ、そこらのオス猫と一緒にしないでくれ。……冗談抜きでさ、俺の事を一番分かってくれてると思うんだ。性格的に分かってない相手と付き合うと毎回痛い目みるからさ」
「別にアンタの都合のいい理解者のつもりはないわ」
亮太と言う男の事を理解しているかどうか。
私は彼のいい所も悪い所も知っていると言う意味では理解者だろう。
「もしかして、私を口説いてるつもり?」
「……今さらかよ。最初からそのつもりだけど?」
「だとしたら笑えない冗談。私は……亮太と付き合うつもりはない」
本音と違う言葉が口から出て来る。
恋人にはなりたいけれど、私が彼と付き合える自信がない。
危惧しているのは他の皆と同様のこと。
「勝手に私を理解者だと思ってるみたいだけど、私はアンタの女癖の悪さを容認してあげるほど心の広い女じゃないわよ」
「……それは分かってる。別に今までも浮気したことはないぞ?」
「それに準ずる行為の誤解は山ほどさせてきたんでしょうね」
「勝手に誤解をするのは仕方ないじゃないか」
「そーいう事を言うから誰も信じないのよ。アンタに本気になった女の子の気持ちを考えた事がある?恋人になる意味。愛した先に裏切られる事の悲しさとか分かんないでしょ?」
前に彼と付き合っていた女の子から言われた事があるの。
『亮太はきっと私なんかより貴方や和輝君と遊んでる方が楽しいのね』
悲しそうな顔をした彼女の表情。
あの顔を見れば、この男がどんな付き合い方をしているのかが分かる。
「おっ、何だか真面目に僕との関係考えてくれてる?いやぁ、奈々子って実は僕に気があったりしてそうな雰囲気があったからさぁ」
「……やっぱり死ね」
「ちょ、冗談だって!殴るのはやめて。そういう暴力的な所は勘弁だ。で、僕的には奈々子と付き合うのは悪くないと思うんだよ。お互いに気心知れてるって大事だから」
それが余計に恥ずかしさもあって私は嫌だ。
私は亮太が好き……それは事実。
けれど、それゆえに本気で亮太が付き合ってくれるかどうかが怖いの。
彼はきっと遊び半分で私と付き合おうと言ってる。
私が本気で向こうが遊び、それはきっと傷付く結末になるのは目に見えている。
それなのに、私ははっきりと断る事もできない。
「……アンタ、遊びで言ってる?」
「言ってない。奈々子との関係って案外うまく行きそうな気がするんだよ」
「嘘ばっかり……。私が本気になったら、遊びじゃすまさないのよ?それでも?」
「僕だって遊んでるように見えて恋愛は真面目なつもりだ」
亮太が普段と違って真剣に私を見つめていた。
この男の言葉を信じてもいいの?
好きな相手だけど、誰よりも悪いところも知ってる。
惹かれている自分とやめておきなさいと制止するふたりの自分。
私が出した結論は本能のままに突き進む事だった。
「……私も恋人いないから、アンタと付き合ってみるのもいいかもね」
昔から好きだったと言う想いは隠したまま。
素直に口にする事は出来なかった。
後にして思えば、本音をこの時に口にしていれば何かが変わったのかもしれない。
「僕と付き合ってもいいのか?」
「ただし、私相手だからって、浮気したら分かってるわよね?」
「だから、これまでも疑惑と誤解はあったがしていないっての」
「……そのような疑惑も誤解も持たれない行動をして。アンタこそ、私でいいわけ?女なら誰でもいいとかそういうオチ?」
こいつにとっては恋愛なんて遊びでしかないんだろう。
それでも、彼は私の考えとは予想外の言葉をくれた。
「奈々子は前からいいなって思っていたんだ。何だかんだで面倒見がいいし、可愛いじゃん。でも、お前って僕より和輝狙いだってずっと思っていたから冗談でも言えなくてさ」
「私が和輝と?その選択肢はないわ。だって、和輝は恋愛に興味がないじゃない。きっと彼が愛とか覚えるのはずっと先じゃないの?少なくとも私に彼を振り向かせる自信はないわ」
「……と言う事は、奈々子はずっと僕一筋だった、と?」
私はキッと彼を睨みつけると、慌てた様子で否定する。
「変な冗談は嫌いなの、OK?」
「了解、追求しないことにする。さて、それはおいといて、お互いに恋人になったらするべき事があるだろ?」
彼がいきなり私の肩を抱いて、身体を近づけさせる。
夏の暑さを忘れるくらいに早まる鼓動。
近づけてくる顔、私の目の前に唇が狭る。
ファーストキス。
記憶に残る最初のキス、亮太の唇が私の唇をふさいでいた。
余韻を感じながら私は恋人になった現実を感じ始めていたの。
14歳の夏、私の初恋はキスから始まりを告げた……。