第3章:涙のファーストキス
【SIDE:志水亜美】
ホテルの部屋割りは私と奈々子さん、結城さんと亮太兄さんだ。
とはいえ、夜になって私達は兄さん達の部屋へと遊びに来ていた。
ホテルの売店で買いこんできたお酒やおつまみがテーブルには乗せられている。
「いいホテルじゃない。温泉地というだけあっていいお湯だったわ」
「これで混浴風呂でもあれば最高だったんだが……って、缶を投げようとするな」
不謹慎発言に奈々子さんは亮太兄さんにジッと睨みつける。
「ふんっ。エロい中学生並の発想しかできないの?亮太って昔からエロだし。私の亜美に変な影響を与えたら●●するからねっ!」
「いつからうちの妹は奈々子のものになったんだか。ていうか、●●って何だよ。なぜに伏字?いや、何でもない。聞かなかったことにしてくれ」
「おやぁ、聞きたい?聞きたいんですか?」
「だぁっ。聞きたくないって言ってる。お前の事だ、妙な事に違いない」
嫌がる兄さんに詰め寄る奈々子さん。
ホントにこのふたりって兄妹みたいだ。
私よりも親しすぎる間柄っていうのかな。
奈々子さんも兄さんには結城さんとは違う接し方をしている。
「……飲む前から酔ってるのか、奈々子」
「失礼な事を言わないで。酔って乱れるのはこれからよ」
「頼むから部屋を荒さないでくれ。旅行中まで部屋を片付けるのは面倒だ」
普段からよく3人で飲み会をしているらしい。
大学生って気軽そうでいいなぁ。
「はい、亜美ちゃんはもちろんジュースで。変なお姉さんの悪影響を受けないように」
「ふふっ。大丈夫ですよ。私には奈々子さんの真似はできませんから」
「それもそうか。亜美ちゃんは真っ直ぐに育ってるからね」
結城さんに褒められると何だかくすぐったいな。
「って、勝手な事を言わないで。誰が悪影響を与えるって?」
「奈々子だよ、奈々子。はぁ、もういいからお酒を持て」
「私のチューハイはどこ?誰よ、焼酎カップなんて買ってきたの。このメンバー、日本酒派っていたっけ?和輝の?」
「俺じゃなくて最近ハマってるのは亮太だ。ほら、亮太」
亮太兄さんはお酒を受け取ると「サンキュー」と礼を言う。
「亮太、日本酒なんて飲み始めたの?おっさんくさい」
「謝れ!日本酒を丹精込めて作り上げている酒造会社と日本のサラリーマンに謝罪しろ!日本酒の良さが分からないとはまだまだお前も子供だな。女子供は生温いチューハイでも飲んでいたまえ。大人にしか日本酒の素晴らしさは分からない」
いや、普通に子供はお酒を飲んじゃいけないし(お酒は二十歳になってから)。
ていうか、兄さんもお父さんに勧められて日本酒を飲み始めたばかりじゃない。
「ふんっ。亮太にそこまで言われる筋合いないし」
「チューハイと焼酎は風味も味も違うものだ。どうでもいい争いは終わりにしてくれ。亜美ちゃんがついていけていない」
「あっ、ごめん~。亜美もあと少し大人になればお酒が飲めるのに」
全然、あと少しじゃないんだけど、6年なんてあっというまなのかな。
「さて、それじゃ乾杯っ!」
私達は缶を合わせて乾杯する。
私はオレンジジュースを飲みながら、おつまみのポテトチップスを食べる。
「うーん、お酒って最高っ。気分がよくなるわよね」
「お酒を飲まなくても普段からハイテンション娘だろ、奈々子は昔からそうだ」
「何よ、亮太。貴方だって変わらないじゃないっ」
……またいい争いを始めたふたり、ホントに仲いいなぁ。
それを呆れた様子で見つめる結城さん。
「結城さんはビール派なんですね」
「ビールって言っても発泡酒だけど。俺はあんまりお酒は飲まないし」
「お酒好きなのは兄さんと奈々子さんなんですか?」
「見ての通りだよ。普段から酒が入っても、入らなくてもこれだが」
部屋の防音はそれなりだと思うけど、ホテルであまり騒いではいけない。
まぁ、楽しそうだからいいかな。
「亜美ちゃん、疲れの方はどう?今日は大変だっただろ」
「はい。でも、温泉で回復です。筋肉痛にはなりそうですけど」
「あとで湿布をあげるよ。それにしても、今日一日でずいぶんとうまくなったじゃないか。さすが、上達が早いね」
「結城さんのおかげです。親切、丁寧に教えてくれましたから」
彼がいなければ、私はきっと今も転んで雪だるまになるしかない。
「亜美ちゃんが頑張ったからさ。俺はただそのお手伝いしかしていない」
「結城さんにはお世話になりっぱなしです。この旅行の事だってそうです。楽しい思いをさせてもらえて感謝しています」
「俺も亜美ちゃんには楽しませてもらっているよ」
それはやはり妹的存在としてという意味かな。
その辺の認識をもう少しばかり改善して欲しかったりして。
なんてね、今のままでも十分幸せだもんっ。
これ以上高望みなんてできないし、しちゃいけないんだ。
今のままでいいんだよ……。
私たちがのんびりとしている間に目の前の彼らはデッドヒートを繰り広げていた。
「そこまで言うなら私だって日本酒くらい飲んであげるわよ」
「ほぅ、お前に飲めるのか?酔って吐いたら笑ってやるぜ」
「上等。私の本気ってのを見せてりゃるんだからぁ」
“りゃる”ってすでに奈々子さんは“ろれつ”が回っていない。
お酒のせいで顔が真っ赤なのに、さらに飲もうとする。
「おい、奈々子。無理はするなよ、悲惨な真似はするな。初めての飲み会の悲劇を繰り返す気か」
「ふんっ。和輝も私をバカにするのね。見てなさいっ」
彼女は結城さんの静止を振り切り、焼酎のカップを掴むと一気に飲み始める。
あぅ、奈々子さんってチャレンジャーだな。
「……ふふふっ、どうよ。男ならこれくらいしてよね、亮太」
無事に飲み終えた彼女は高らかに笑う。
「うぐっ。み、見ていろよ。僕だって――」
「やるじゃない、えぇいっ。亮太なんて敵じゃないわ」
お酒の飲みあいを始めてしまったふたりを止めることはできない。
「意地があるのよ、女子をなめるなっ」
「奈々子に負けてたまるか……ぐはっ!?」
一気飲み、または無理なお酒の飲み方は身体に悪いのでやめましょう。
結果、数分後にはぐったりとした姿の奈々子さんがいた。
「わ、私の負け?私が負けるの、このエロ亮太に……くや……すぃ……」
「ぅあっははっ。どうだぁ、参ったかぁ……ぐぅ……」
そのまま寝ちゃった奈々子さんに続いて兄さんも限界なのかピクリと動かない。
お互いに限界寸前まで飲むなんて……。
「酔いつぶれたな、こいつら。やれやれ、この酔い方だと明日には響きそうだ」
「……後片付け、手伝います」
「その優しさに感謝する。テーブルをお願いするよ。俺はこの二人をベッドに寝かせる。はぁ、お酒くせぇな。恋人の見たくない醜態だ。やれやれ、お酒が絡むと奈々子はダメになるな」
嘆く彼に同情しつつ、私は缶とゴミを分けて袋に入れていく。
彼らをベッドに寝かしつけた結城さんはあることに気づく。
「さて、このふたりがここに寝るっていうことは……亜美ちゃん、キミの部屋に行ってもいい?さすがに俺がここで寝るのはきついからさ。奈々子のベッドを借りたいんだけど?」
「え?えぇーっ!?」
そりゃ、この状況じゃ仕方ないかもしれないけど、こう言うのって想定外だよ。
私にも心の準備って言うのがあるでしょう……ごにょごにょ。
というわけで、私の部屋にやってきた結城さん。
少ししか離れていないベッドで眠るのは精神的にドキドキ感が止められない。
「それじゃ、時間も時間だから寝ようか?」
「は、はいっ。おやすみなさい、ですっ」
「ふふっ。そんなに警戒しなくても大丈夫だってば」
「警戒?そうじゃないです、男の人とこういうのって初めてで……」
一緒の部屋で寝るという行為でも十分に緊張はする。
「……それは失礼。亜美ちゃんも女の子だからね。気をつけないと。どうにも俺はそう言う所が鈍いとよく言われている」
苦笑いをする彼に私もつられて笑う。
もちろん、結城さんの事が怖いとかそういう意味じゃない。
むしろ、このような展開になった事は歓迎すべきことだ。
一緒にいられる時間が増えてくれたんだから。
「ここに来るまでも疲れたし、今日はもう寝ようか」
「そうですね……おやすみなさい」
私は枕もとの電気を消すと、そのままベッドに寝転がって寝ようとする。
……手を伸ばせば触れられる位置に彼がいる。
そう思うと、どうしても意識せざるを得ない。
ね、眠れないよぉ……眠れるわけないじゃない。
「あ、あのぅ。少しだけ話し相手になってもらってもいいですか?」
「ん、別にいいけど。俺は元々、もう少し遅い時間に寝ているから」
電気を再びつけてベッドに寝たまま私達は適当な雑談をすることにした。
何だか不思議な気分だ。
こんな風に結城さんと語り合うという事が……。
「何ていうか、亜美ちゃんってずいぶん女の子っぽくなったよ」
「え?そうでしょうか。自分じゃよく分からないんですけど」
「やっぱり、小学生から高校生になる中学生って時期は女の子をより一層成長させるよ。亜美ちゃんはこれからもっと綺麗になるんだろうね」
褒められるのは素直に嬉しい。
それでも、私がどんなに成長してもダメなんだ。
「――結城さんは綺麗な女の子の方が好きですか?」
「え?それは、まぁ、綺麗な子は好きだけど?」
私は何を言おうとしているんだろう。
それでも自分の気持ちを伝えたくなってしまった。
ベッドから身体を起こすと私は結城さんに言ってしまう。
「私は奈々子さんみたいに美人じゃないです。でも、私は……」
好きな人に告白する事はとても勇気がいることだ。
初恋の想い、成就するわけなくて、それでも私は伝えておきたかった。
私が子供で、見向きもしてもらえなくても好きだって知っておいてほしくて。
「私は結城さんが好きなんです。奈々子さんのこと、分かってます。それでも、私は結城さんが好きで、その、えっと……」
「亜美ちゃん……」
彼は私の方を向くと優しく身体を抱きしめてくれた。
小さな頃、よくこんな風に結城さんに甘えていたっけ。
「亜美ちゃんが俺のこと、そういう風に思ってくれて嬉しいな」
「だ、だからと言って、どうとかそういうんじゃないんですっ。私は今のままでいいんです。知っていて欲しかっただけです」
「……ありがとう、亜美ちゃん」
込み上げてくるのは涙、彼の優しさに私は涙を流してしまう。
「ごめんなさい。勝手なことばかり言って……」
「ううん。亜美ちゃんの気持ち、嬉しいから」
告白の答えは言わないでいてくれた。
ダメなのは当然で、想いを受けとめて欲しいわけじゃない……。
愛している恋人がいるんだもの。
そんな最初から無理だし、望めないことだ。
それでも、私の初恋だっていうことを知っておいてほしかった。
「えぐっ……うっ……」
私が泣きやむまで、彼は髪を撫で続けてくれる。
いつだってそうだった。
結城さんは私が泣いてると、頭をなでてくれたの。
「もうひとつだけ、我が侭を聞いてくれませんか?それで諦めますから」
私は彼に「ファーストキスをして欲しい」と囁きかけた。
結城さんは私が無理を言ってるのは分かってくれている。
「……亜美ちゃん」
彼は静かに頷いてくれたんだ。
奈々子さん、ごめん……私はずるいね。
「――んぅっ」
私の初恋、ファーストキスの記憶。
唇の感触、心地よさと悲しさが同時に私の胸に溢れていく。
涙のキスは私の初恋を終わらせるためのキスだった。
14歳の冬、私は結城さんとの恋を諦めることができた。
それで終わりだと思っていた。
だけど、まだ私の恋は終わってなんていなかったの――。