第38章:大切な人
【SIDE:志水亜美】
「……はい?」
それは12月に入ってすぐの出来事だった。
亮太兄さんからの思わぬ発言に私は言葉を返せない。
「だから、僕と奈々子は婚約者になったから。お互いの両親に挨拶も終えている」
「……こんにゃく?食べたいの?」
「違う、婚約。エンゲージ。お前、頭、大丈夫か?」
失礼な、それにしても兄さんと奈々子さんが婚約……へぇ、婚約かぁ。
ん、婚約って何だっけ……?
「――こ、婚約っ!?」
「反応が遅すぎるぞ、我が妹よ。そうだよ、婚約だ。結婚を予定している関係だぞ」
私は思わず飲みかけていた紅茶の缶を兄さんにぶつけたくなる。
私と奈々子さんとの和解からほぼ1ヶ月。
彼女との問題は解決済み、時々、会ってお話もする。
姉妹のような関係に戻れて幸せだなって思っていたのに。
今度は兄さんと婚約、それはどういうことなのよ?
「私、そんな話は聞いてない……よね?」
「そりゃ、僕が黙っているように言ったからな」
「何で?ていうか、どうして婚約?」
「結婚したいからに決まってるだろ?僕もそろそろ結婚を考える年齢だからな」
兄さんたちは26歳、結婚も当然あるわけで。
そもそも、奈々子さんは1年前に離婚もしているから再婚なわけで。
考えれるのは出来ちゃった婚、今は授かり婚って言うらしい。
「奈々子さんと子供ができた、とか?」
「いや、出来ちゃった婚じゃないし。奈々子にとっては2度目のそれはキツイだろ。そんなの関係なく、僕がもうアイツを手放したくないって意味だ。覚悟決めて頑張ってみた。結婚しようってプロポーズもしたぞ」
兄さんにとって、奈々子さんは一度自分から離れてしまった存在だ。
それゆえに、そういう気持ちが強いのは分かる。
「うわぁ、それは意外すぎ。奈々子さんはOKしたの?」
「まぁな。プロポーズしてOKしてもらえたから、婚約者なんだが。うちの両親にも報告済みだ。お前には秘密にしてたが」
「何で!?内緒にするのよ、兄さん」
そんな大事なことを内緒にされる意味が分かんない。
「……亜美。お前にも関係あることだからだよ」
兄さんは複雑そうな顔をして語る。
奈々子さんと兄さんが結婚、それが私に関係あるって?
「奈々子さんとは和解済みだし、今さら何があるっていうの?」
「お前と和輝の関係はどうなんだ?交際を続けていけば、そちらもいずれは結婚ってなるんだろう。麻尋のことを考えれば、早いうちがいいからな。大学卒業後にはそういう話も出てくるだろう」
「私の結婚ってまだ先よ……麻尋ちゃんのこと?あれ、ということは?」
「まぁ、そういうことだ。お前らも結婚したら、麻尋にとっては叔母が実母になるっていうややこしい問題も発生する」
うぅ、それはそれで難しい問題のような……なるほどなぁ。
「将来の事については奈々子も覚悟を決めている。うまくいくことを願うしかないな」
子供という存在。
私が思うよりもはるかにそれは大変なことなんだろう。
人は己の背負うべきものを背負いながら生きていく。
……そう考えたら、私には奈々子さんの選んだ道の大変さがよくわかる気がした。
「それで……亜美はどうなんだ?」
「は?私が何?」
「お前は僕たちの結婚についてどう思う?反対とか賛成とかあるだろ?」
兄さんはそれが聞きたくて私の報告を遅らせていたらしい。
なるほど、私と奈々子さんの関係を思えば妥当な判断かもしれない。
「……反対するって言っても結婚する気でしょ」
「そりゃ、こっちの覚悟は固いからな」
亮太兄さんの言葉は昔から信じられたことがない。
彼は軟派でお茶らけていて、到底、真面目と呼べる存在ではなかった。
けれど、私が知らないだけで優しい一面も秘めていることが前回の件で分かった。
「結婚、おめでとう……。今度はその幸せを逃がしちゃダメだからね?」
「ありがとう。お前に認めてもらえう事が一番だったからな」
彼はどことなく嬉しそうに笑い、私の頭をなでた。
兄さんに兄らしい事をしてもらうのは子供の頃からあまりなかった。
本当に不器用な人なんだと今では思う。
「それにしても奈々子さんも大変そう。最初から浮気のことを気にして付き合い始めなきゃいけない相手なんて……」
「おい、亜美。僕も心を入れ替えたんだ。そういう発言はやめてくれ」
「それなら、女の子の連絡先がたくさん入ってる携帯電話の削除OK?」
「……それは勘弁してください。お前は奈々子か。ホント、姉妹みたいに似てるやつらだよ」
平謝りする兄さんに私は笑って結婚の祝福してあげた。
今度はその手を離しちゃだめだよ、絶対にね。
兄さんたちの結婚話は当然ながら私より先に和輝さんの耳には入ってたらしい。
いつものように麻尋ちゃんと一緒に彼の家で夕食作りをしていた。
帰ってきた彼は「話を聞いたのかい?」と意味ありげに言う。
「ちゃんと報告受けましたよ。私だけ最後ってずるいです」
「……まぁ、アイツの気持ちもわかるけどね。こういうのってタイミングの問題だから」
和輝さんにとっても複雑なんだ。
相手は自分の元妻でもあるわけで、あー、もうっ、ややこしくなる。
それでも、私はこれがそれぞれが“幸せ”になれる選択肢だと思う事にしている。
今が幸せなら、それでいい。
「亜美ちゃんは……あの二人の結婚を認めたんだ」
「私が反対したところでどうにかなるわけでもなく、別に今さら反対することに意味はないですから。和輝さんはどうです?」
「俺が介入する問題でもないけれど、亮太との決意ってのは感じている」
淡々と言うと、隣にいてた麻尋ちゃんが言うんだ。
「亜美ママ、できたぁ!」
「ん。はい、よくできました」
料理のお手伝いをしてくれていた麻尋ちゃん。
彼女の前でこの話は避けた方がいい。
「あ、パパだ。おかえりなさい」
「今日はオムライスなので麻尋ちゃんにもお手伝いをしてもらってるんです」
と言っても、麻尋ちゃんには卵をかき混ぜてもらっていただけなんだけど。
それでも彼女がしてくれる立派なお手伝いなんだ。
「亜美ママ。つぎは何をすればいいの?」
「それじゃ、次は……サラダ用の野菜をちぎってくれる?」
「あーい。まかせて~」
私は麻尋ちゃんを目で追いながら、彼女の行動を見守る。
本当に可愛い私の娘のような存在になりつつある。
「ねぇ、和輝さん。私はずっと自分は奈々子さんの代わりだとも思っていました。麻尋ちゃんにとって母親の代わり。自分が母親になる覚悟がなかったんだと思います。けれど、今ならちゃんと言えますよ」
大事な人達が私の傍にいてくれる。
「私は代わりではなく、ふたりにとっての大切な人になりたい。家族のひとりとして」
始めは奈々子さんの代わりだった。
それでも、今は私自身が望んでいることでもある。
「……そろそろ、食事にしましょうか。和輝さん、準備を手伝ってもらえますか?」
彼は頷いてお皿を並べ始める。
この何気ない幸せこそ私が望む幸せなんだ。