第31章:愛情の瓦解《後編》
【SIDE:志水亜美】
私は奈々子さんとの再会に怒りをぶつけてしまった。
どうして、あんなに怒りを抱いたのか自分でもよく分からない。
ただ、私には覚悟と言うものが足りていなかったんじゃないか。
今はそう考えている。
奈々子さんと和輝さんが結婚していたのは事実で。
麻尋ちゃんの母親であると言う事も当然のことで……。
私は我が侭なんだ、と改めて思い知らされた。
初めは離婚して子育てが大変な和輝さんの役に立てればそれでよかったの。
初恋の相手である彼の傍にいるだけで私は幸せだった。
それなのに、私は彼との交際に自分の立場を忘れていた。
私は麻尋ちゃんの母親の代わりでしかないんだって。
……あまりにも幸せな日常だったから、私は勘違いもしていたの。
あれから数日、私は和輝さん達と会わずに自室でベッドに座り込んでいた。
「うぉ!?真っ暗じゃないか、電気くらいつけてくれ」
毎日、考えごとをしながら過ごしていたら兄さんが部屋にやってくる。
今、顔を見たくない人のひとりだ。
私は追い出そうと無言で彼に枕を投げる。
「がはっ!?顔面に当てるな、ったく。荒れてるなぁ」
彼は枕を拾い上げると電気をつけた。
こちらを見つめる表情は心配そうな顔に見える。
彼が私を心配する事なんてないから気のせいだと思うけど。
「さっさと出て行って」
「おいおい、心配して顔を見に来たらその態度ってどうよ」
「うるさい。兄さんに心配されることなんてないの」
「……僕が心配する時点でそれがいかにマズイことなのかに気づけ」
彼は近くにある椅子に座り、会話を続ける。
追い出すのも面倒なのでそのまま放置することに。
「こんな部屋にひきこもっていてもしょうがないだろう。せっかく始まった大学も何日か休んでるって聞いたぞ。せっかくの大学生活、無駄にするな」
「そんなの無駄にし続けてきた兄さんにだけは言われたくない」
「うぅ、今日の妹は3割増しで言葉がきついな」
彼は肩をすくめる仕草を見せた。
「……和輝も心配しているぞ。何があったかも聞いた。あのなぁ、お前は子供なんだよ。家族の真似ごとをして、本物の家族になれるって勘違いして……。冷静になれって……うぎゃぁ!?あ、亜美……辞書はやめろ、それは普通に凶器だ。それはやめてください」
彼にぶつけた小さめの辞書、私は核心を突かれてい怒る。
「黙ってよ!兄さんみたいに私は適当に人生を過ごしていないもの」
「地雷を踏んだか?……すまん、とりあえず落ち着いてくれ」
「兄さんはいいよね、バカみたいに何も考えずに生きられて。どうせ、私なんか……」
「亜美がやさぐれ兄貴の矢車さんになっているな。いかん、これはいかんぞ」
何か兄さんがおかしなことを言ってるけど気にすることはない。
私は和輝さんを傷つける言葉を放ってしまった。
合わせる顔もなければ、何を言えばいいのか分からない。
「亜美、和輝たちから電話も無視状態だろ。電話が通じないって心配してた」
「……ただの電池切れ。充電もしてないわ」
「無視以前の問題かい。はぁ、重傷ですなぁ。一応、充電しておいてやるよ。電源ON。おっ、メールが32件、電話が20件だとさ。メールチェック……友達からがほとんどのようだな。皆、心配してみたいだが?」
「人の携帯電話を勝手に見ないでよ」
私は兄さんから携帯を奪い返す。
メールはほとんど美代子や大学の友人からだ。
電話は……和輝さんと奈々子さんの名前が連なっている。
私は携帯を閉じると、そのまま充電のために放置する。
「……他人に心配かけて、どうするんだよ、なぁ?」
「うるさいって言ってるでしょ」
「妹にうるさいと言われる兄貴も寂しいな。今回の事で一番の原因は誰だ?奈々子か、和輝か、僕か?それとも……亜美か?」
兄さんの言葉に私は苛立ちが冷めていく。
今回の事で一番悪かったのは奈々子さんじゃない。
彼女の影響を悪い意味で受けた私だ。
勝手に嫉妬して、苛立ち、その怒りをぶつけてしまった。
麻尋ちゃんも私はひどく傷つけたと思う。
「……私よ、私が全部悪いの。私なんていなければよかったのに」
「誰もそこまで責めてない。お前の存在は和輝やその子供にとっては必要な存在だったと聞いている。奈々子は逃げ癖があるんだよ。昔からさ。僕との関係もそうだ、アイツを憎んでた時期もあったが今は許してる。彼女の弱さってのを知ったからな」
誰にでも弱さはある。
それを人に見せるか、見せないかだけ。
「……自分を裏切った相手でしょ。よく許せたね」
「まぁな。でも、僕らは幼馴染の関係を続けていた。別れてからもずっとな。心のどこかで奈々子を引きずり続けていたのさ。亜美もそうだったんじゃないか。和輝への初恋を大事にし続けていたんだろ?」
その初恋が私を苦しめている。
恋愛はうまく行ってると思い込んでた。
自分の中にそんな負の感情が湧いてくるとも思えなかった。
奈々子さんの事だって向き合おうと思っていたの。
逃げてちゃダメだって……。
それなのに、結局、私は奈々子さんと言い争ってしまった。
「奈々子はお前をホントの妹扱いしているのは、亡くなった実妹の面影を重ねているだけじゃない。それくらい分かってるはずだ」
「だから?私だって姉のように慕ってた。大好きだったの。それなのに、彼女が私にした事って何?どうして、私にひどい事をするの?」
「奈々子の方にも事情があるのは分かるだろ?子供じゃないんだ。感情的になりすぎるな。少しは冷静に物事をとらえてもいいんじゃないか。この世界っていうのは自分の都合よく動いてくれやしない。常に自分の想いと逆らうようにできている」
「それを都合よく動かすためには自分が変わるしかないって?それ、前に和輝さんが言ってた言葉の受け売りじゃない」
兄さんは私を励ましたいのか、へこましたいのか。
こんな風に兄妹で会話した事もないから、不思議な気持ちになる。
「というわけで、もっと奈々子と話せってことさ。怒りでもぶつけて、怒るのはいいが、こうして逃げるのはやめろ。いいな?他にも何かあるのか?」
「……だって、負けたと思ったの。奈々子さんと麻尋ちゃんを見ていたら、私なんて全然ダメなんだって。そう思ったら、すごくショックだった」
「そりゃ、あちらは正真正銘の親子だからな」
「分かってるわよ。ただ、思い知らされたっていうのかな。どこかで軽視してた。私の方が奈々子さんより、麻尋ちゃんを愛してるんだって」
私の方が間違いで、そんな事を思ってしまった事がおかしい。
独占欲と嫉妬、汚い感情が渦巻いていた。
「……その辺も話せば理解しあえるものだろ。とにかく、謝るなり怒るなり、何でもいいから話し合え。和輝もそうだ、部屋でひきこもっていて解決する問題か?」
亮太兄さんの強い言葉に私は静かに頷いた。
何かが解決できるとは思えない。
けれど、ジッとしていても物事は何も解決せず、前には進めないんだ。
その時だった、兄さんの携帯電話が鳴り響く。
愛も変わらず、趣味の悪い音楽の着信メロディ。
彼がでるとどうやら相手は和輝さんのようだ。
「おぅ、和輝か。我が妹の説得には成功したぞ。話し合いの場を作りたいから……え?その話じゃない?何だよ、そんな慌てた声で?」
どうやら状況が変だ。
そして、兄さんの口から思わぬ言葉が漏れる。
「何だって!?もう一度言ってくれ。どこの病院だ?ああ、あの病院なら分かる……そうか、すぐに行くから待っていてくれ」
彼は電話を切ってこちらを見つめる。
「よく聞け、亜美。奈々子が倒れたそうだ。仕事場でいきなり倒れて病院へ運ばれたって和輝から電話がきた。俺は今から行くが、お前はどうする?」
「奈々子さんが……?」
「行きたくないなら、それでもいいが?」
奈々子さんの顔を今は見たくない。
けれど、今はっていつならいいの?
ずっと彼女から逃げても仕方ないのに……逃げちゃダメなんだ。
「……行くわ、私も行くよ」
「和輝も病院にいる。必然的にアイツとも会うがいいのか?」
「……うん」
私の顔を見て兄さんは軽い口調で言うんだ。
「分かった。それじゃ、すぐに支度しろ。そんな顔で和輝に会うな。化粧ぐらいしていけ。それくらいの時間はあるだろう」
亮太兄さんは車の準備をすると言って部屋を出て行く。
私は奈々子さんに会う事が怖いのは変わらない。
それなのに、兄さんについて行くと言ったのは……。
「私も彼女と仲たがいしたままじゃ嫌だって気持ちがあるの」
自分の中にあるもう一つの気持ちと向きあいたいから――。