第2章:想い、焦がれて
【SIDE:志水亜美】
お昼ご飯を食べてから、私は奈々子さんと一緒に滑ることになった。
「お昼からは私が亜美を見るからふたりは上の方に行ってきなさいよ」
「昼も俺が亜美ちゃんに付き添ってもいいけど」
「ふんっ。亜美を独り占めにはさせないわ。貴方達は山奥でも行って遭難を楽しんできなさい。どうせ、上級者コースで滑りまくるくせに」
「……遭難って縁起でもない。まぁ、ここは奈々子に任せて僕らは上へ行くか、和輝」
やはり結城さんにも自分のペースで滑ってほしいので私は何も言わない。
そもそも、私のせいで皆に迷惑をかけているもの。
そんな配慮もあって私は結城さん達と別れて奈々子さんと一緒にいる事になりました。
「うぅ、私だけ足でまといでごめんなさい」
「いいのよ、初心者だもの。私も午前中、亮太の後ろについて行ったけど大変だったもの。あのふたりは上手いからね。亜美と一緒に楽しむ方がいいの」
ウェア越しにぎゅっと抱きしめられる。
私にとって奈々子さんは実の姉同然の存在だ。
「さぁ、行くわよ。どこまで滑れるようになった?」
「一応、一通りは……何とか」
「おおっ、やるじゃん。私の初めて頃なんて。見るも無残なザリガニ状態だったし」
「……ザリガニ状態?」
私が「何ですか?」と尋ねると彼女はゲレンデで転んでいる人を指差した。
「ほら、あれがザリガニ状態。足をばたつかせてる姿がそっくりでしょ」
足がボードで思うように動かせない、バタバタとさせている姿をザリガニと例えているらしい……確かにエビに似ている気がするけど、他に言い様はある気がする。
「スキーをしていた頃はああしている連中が鬱陶しくてしょうがなかったけど、やる側になって大変さが分かるわ。あの状態じゃなければ立ち上がれないもの」
私達は白い雪の上をスノーボードで滑り始める。
結城さんの教えもあって基本的な滑るの流れは理解した。
重芯移動も何とか、あとはバランスをいかに取り続けることができるのか。
「亜美は覚えが早くていいわね。この分だと明日は皆で回れるんじゃない」
「だといいんですけど。ふわぁっ!?」
言ってる傍から転んでいるうちはまだまだついていけそうにない。
本日、何度目かの雪に埋もれて、私は冷たい思いをする。
はぁ、大変だよぅ……きゃっ、ウェアの中に雪が……冷たいよぉ。
そんな感じで頑張って、何とか身体で覚え始めた頃。
私達はひとつ上の方のコースにやってきた。
まだ初心者コースだけど、さきほどよりも傾斜がきつい。
「滑る前にちょっと休憩。ふぅ、意外に大変だわ」
「ごめんなさい~っ」
奈々子さんは私の救出に何度も手間をとらせてしまった。
結城さんはひょいって身体ごと抱っこされてしまったりしたので、彼女の方が私としては気が楽かもしれない。
だって、彼に身体に触れられるたびに緊張するんだもん。
「謝らないでよ、もうっ。亜美の悪いクセよ。すぐに人に謝るの。悪いこと、していないんだからさぁ。こう言う時は……」
「ありがとうございますっ」
私がそう言うとそっと彼女は私の頭を撫でる。
「よくできました。可愛いわよ、亜美」
いつまで経っても私は子供扱いされている。
そりゃ、子供だけど、もう14歳なんだけどなぁ。
彼らの妹的存在として、私は結城さんからも奈々子さんからも愛されている。
実兄の亮太兄さんはあまり私をかまってくれない。
本人いわく、「兄も姉も足りているだろ」だってさ。
「……奈々子さん。質問してもいいですか?」
「何?どうすれば胸が大きくなるかってこと?」
「ち、違いますっ。何気に人が気にしていることを……」
中学生になってもお子様体型なままなのはかなり気にしている。
身長もあんまり伸びないし、スタイルもよくなっていない。
「まだこれからだから安心しなさい。亜美もあと1年もすれば見違えるくらいに可愛くなるから。今も十分可愛いけどねぇ」
そう言ってる奈々子さんはかなりスタイルがよくて羨ましい。
モデルのように美人で、身体つきもよくなければ結城さんの恋人にふさわしくない。
憧れている人ではあるけど、完璧すぎて遠い存在のようにも思えた。
「それで、私に何の質問があるの?」
「恋ってどんなものなんでしょう。楽しいものなんですか?」
「……まさか、亜美の口から恋愛について尋ねられるなんてびっくりしたわ」
彼女はにやっと嫌な笑い方をする。
うっ、この笑みは何だか悪い事を企んでいるように思えた。
「亜美も恋を知る時期なのね。好きな人でも出来たの?」
彼女は雪を軽くいじりながら優しい声で言う。
その穏やかさの裏に隠れた悪意を私は知ってるの。
絶対に面白がっているに違いない。
「そういうわけじゃなくて……興味があるだけです」
「何だ、好きな人が出来たとかそういう話じゃないの?つまんない」
「つまんなくていいです」
むぅっと唇を尖らせると彼女は微笑して、
「ごめんってば。そんなに怒らないで。可愛い顔が台無しよ」
「別に怒ってません。ただ、そういう風にからかわれるのは苦手です」
「亜美は真面目だからねぇ……で、恋愛が楽しいって質問だっけ?うーん、どうだろう。楽しさもあれば苦しさもある、その苦しさが嫌なら恋はできない」
それは実際の体験を語るように見えた。
恋をすることに苦しさがある。
それは片思いだけの話だと思っていた。
「両思いになっても恋愛に苦しさはあるんですか?」
「その言い方、片思いの苦しさを知ってるかのような言い方ね?」
「もうっ、違うって言ってるじゃないですかぁ」
私はぷいっと視線をそらして滑り始める。
奈々子さんにだけはこの気持ちを知られたくはない。
彼女の恋人に片思いしているなんて知られるのは嫌だもの。
「――んきゅっ!?」
そして、しばらく進むとまた転んでしまう。
さすがに回数をこなすと転ぶのにも慣れてくる。
「おー、また今度も派手に転んだわ。頭から行くのは危ないから気をつけて」
「けふっ。転んでばかり。私にスノボーは向いてないのかな」
雪だらけになりながら、奈々子さんの手を借りて起き上がる。
「慣れよ、こういうのも慣れなの。転んだ分だけ、うまくなるの。話の続きだけど、両思いになっても苦しさはあるのよ」
「どうして、ですか?」
「好きになっても苦しみは生まれる。人が人を好きになる、それは確かに幸せかもしれない。だけど、人を好きになることは必ずしも……」
彼女は私に言い聞かせるように言う。
「必ずしも楽しいだけじゃない。愛するからこその辛さはあるものよ」
「それは、その、奈々子さんにも?」
「さぁ、どうかしらね。私には今、それほど辛い事はないけど。幸せよ、好きな人が傍にいてくれる事は……だけど、いつか私はその壁にぶち当たる気がするの。その時、私はどうするのか……それが恋の難しさってやつじゃないのかしら」
彼女にも恋の悩みはあるらしい。
真面目に答えてくれた奈々子さんは気恥ずかしくなったのか、
「そんなの気にする前にいい恋をしなさい。てぇりゃっ!」
妙な掛け声とともに雪玉がこちらに投げつけられる。
「ふのぁ!?」
顔面に雪玉をぶつけられて私はダウンしてしまう。
「うぅ、ひどいよぉ。奈々子さん……冷たいです、くしゅんっ」
「油断する方が悪いのよ。続いて第2球を……」
「投げないでいい。こらっ、奈々子。亜美ちゃんをいじめるんじゃない」
「きゃんっ。あ、あれ、和輝?何でふたりが?もう滑り降りてきたの?」
奈々子さんを注意したのはいつの間にか私達の後ろにいた結城さんだった。
その後ろを滑降してくる兄さん、上からずっと滑ってきたみたい。
「一通り滑ったから、お前たちを探していたんだよ。亜美ちゃん大丈夫か?ったく、奈々子は意地悪するからなぁ」
そう言って私を雪の中から抱き起こしてくれる結城さん。
ホントに優しい人だよね……ドキドキ。
「ち、違うわよ。いじめてなんていません。ちょっとふざけただけじゃない」
「どうだかな。亜美ちゃん、奈々子より俺たち一緒に滑らないか?」
「だから違うんだってば。もうっ、私に全然信頼ないな」
うーん、奈々子さんの場合は自業自得のような気がするの。
「それは日頃の行いってやつだろ、奈々子。妹をあまり意地悪するなよ」
「亮太までそう言う事言うし。ふたりして私の信頼なし?傷つくわ、ぐすんっ」
涙をぬぐう真似をする奈々子さんに皆して肩をすくめる。
「さて、皆も集まった事だし、これからは4人で滑るか」
「もういいの?上級者コースは堪能した?」
「まぁな。というか、霧がひどくて上の方は危なっかしい。今日はダメそうだな。下の方が今日は楽しめそうだ。亜美ちゃん、滑れるようにはなったかい?」
「まだです。転んでばかりで……」
結城さんは「また教えてあげるよ」と私に言ってくれる。
「ありがとうござます。結城さんは優しいですね」
「亜美。それは私が優しくないって意味かしら?」
「誰もそんなこと言ってません。奈々子さんも好きですよ?」
「むー、何か誤魔化された気がするけどいいや。時間がもったいないから行きましょ」
私達はスノーボードを楽しみながらその関係を深めていく。
私は自分の想いが膨らんでいくのを感じていた。
片思いの苦しさ、想いは焦がれて……私は……。