第23章:初恋のカケラ《中編》
【SIDE:高梨奈々子】
私が亮太を初めて好きになったのはまだ幼稚園の頃だった。
意地悪されていた私を助けてくれた亮太。
そんな些細なことがきっかけで私は彼を好きになっていたの。
けれど、本気で彼が大切だと思ったのは私が8歳で、実妹を亡くした時だ。
不運な事故でまだ幼い妹が亡くなった。
まだ4歳の彼女がなぜ死ななくてはいけなかったのか。
妹の喪失に泣き崩れた私を救ってくれたのは幼馴染の亮太と和輝。
「奈々子、元気出していこうぜ。お前の妹は元気なお姉ちゃんが好きだっただろ?」
「……そうね。いつまでも泣いてちゃダメだよね」
誰も妹の喪失感を埋めてくれる事はない。
それでも、私にとっては亮太やまだ赤ちゃんだった亜美が救いだったの。
亜美は成長と共に私の事を実姉のように接してくれて、可愛いらしい妹として同じ時間を過ごしてきたの。
そして、亮太は普段はふ真面目な悪ガキだったくせに、私に対してはとても優しくしてくれた……あれが私にとっては“とどめ”だったかな。
それ以来、私はずっと彼に片思いをし続けていた。
とはいえ、成長共に亮太は女の子に対してかなり評判が悪い。
適当に遊んでいるという表現がよく合う、そんな彼に私は内心、苛立ちすら感じていたが、自分の気持ちを押し隠すために黙り続けていた。
顔を合わせれば軽口を言いあう幼馴染。
その距離を保ち続けていたのに、いつの間にかそのバランスは崩れていた。
人生ってホントに何が起こるか分からないなぁ。
亮太の恋人になって2ヵ月、私と彼はそれなりにいい感じの付き合いが出来ていた。
「……バカ亮太。今日は絶対にダメって言ったのに、もうっ」
「悪いってば。そんなに怒るなよ。いいじゃん、別に付き合ってる仲だし?」
「はぁ、ホントに亮太って……。そうよね、亮太みたいな本能で生きている男に“気配り”なんて期待した私が悪いのよ。それじゃ、帰るわ。じゃぁね」
口ではそう言いつつも彼から“求められること”は嬉しく感じる。
恋人として“一線”を越えてからは休日は彼の家を訪れる事が多くなった。
彼の両親は仕事でよく出かけているから色々と都合がよかったの。
恋人として彼に甘えること、亮太がいてくれるから、私は幸せでいられる。
この幸せは失いたくないな、と思っていた。
私は彼の部屋から出て家に帰ろうとする。
「あれー?奈々子お姉ちゃんだぁ。今日はどうしたの?」
偶然、リビングで遊んでいる亜美に声をかけられた。
思わず私は彼女の姿にドキッとしてしまう。
この子にはまだ交際の事実は告げられていない。
年もまだ子供で、恋人と言う事を理解できていないと思う。
それだけじゃなく、話すことに躊躇いがあったので彼女には亮太との事を隠していた。
「亮太に用事があったのよ。亜美は何していたの?」
「あのね、ピアノの練習をしていたの。またコンクールがあるのっ」
「そうなんだ。亜美は偉いね。毎日、練習して……」
亜美は幼い頃からピアノを習っていてその腕前はコンクールで入賞するくらいだった。
音楽が好きだった彼女、最近は日に日に可愛くなっていく。
彼女の成長は私に妹を彷彿させて、いつしか彼女に妹の面影を重ね合わせていた。
だからかな、亜美には他の誰よりも親しく大切にしたい気持ちがある。
「お兄ちゃんと仲いいの?最近、ずっと一緒にいるよね?」
「え?そ、そうかな。別に私は亮太とはそんな仲良くないよ。亜美だってあいつがひどい奴だって知っているでしょ?」
「……うーん。でもね、お兄ちゃんは優しい時には優しいよ。この間も新しいぬいぐるみをくれたの。ほら、このイルカのぬいぐるみ。お土産だって」
亜美が抱きしめていたぬいぐるみは先日、私と亮太が水族館へデートした時のもの。
帰り際に私が「たまには亜美にも買ってあげなさい」ってすすめたものだ。
「アイツもたまにはいいところがあるのね」
「普段は意地悪ばっかりするけど……嫌いじゃないよ」
私は複雑な気持ちになりながらもイルカのぬいぐるみを喜んでくれた事が嬉しい。
「かけがえのない……幸せ、か」
ふと、私はポツリとそんな言葉を囁いていた。
亜美に隠し続けたのその恋に“限界”を感じ始めたのは中学3年の春の事だ。
交際は順調、亮太も私も満たされていた、はずだったの。
中学3年になった私達、それでも相変わらず女関係に噂が絶えない亮太。
気にしないようにし続けた私だけどいつのまにか純粋に恋愛を楽しめない。
亮太に浮気心があるとか疑っているわけじゃないの。
彼は意外と一途な心もある、多分、見かけが派手だから皆がそう感じるだけ。
けどね、そう言う事を何回もされていると信じているのに信じられなくなる事もあるの。
すれ違うのは私の心、亮太への想い……1度歯車が噛みあわなくなると、ずれていくばかりだ。
「……ふわぁ、眠いな。帰って寝るか。春は眠くなるな、奈々子もそう思うだろ?」
放課後になって自転車の後ろに乗る私。
夕焼けの中をふたりで一緒の自転車に乗るのは毎日の事だ。
「……奈々子?どうしたよ、返事くらいしろよ?」
「えっ……?あ、何?」
「おいおい、聞いてなかったのか。どうしたよ、最近、そんなのばっかりじゃん。お前も眠いのか?何なら添い寝してやってもいいぜ?」
「添い寝だけで終わるつもりなんてないくせに。昨日もそうだった」
亮太は軽く笑いながら「いつものことじゃん?」と自転車を走らせる。
彼の背中に掴まると彼の温もりが肌を通して伝わってくる。
私は亮太が好き、好きで好きで……たまらなく好きで。
「……ねぇ、亮太。私のお願い、聞いてくれない?」
「お願い?何だよ、あっ、回数減らせとか?時期考えろとか?それはできんぞ、思春期の男に我慢しろってのは無理なことだ。それは諦めてくれ」
「そんな発想しかできないの?エロ亮太」
「じゃぁ、何だよ?誕生日はまだ先の話だろう?えっと、他になんかあったっけ?」
彼はこれから起こる出来事を何も知らない。
赤く染まる夕焼けが綺麗だ、私は彼の後ろに回す腕に力を込めて言う。
「……と別れてくれない?」
「んだ?聞こえなかったぞ。もっと大きな声で言えよ」
「――私と別れて欲しいの。それが私のお願いよ」
言った、言ってしまった……自転車がゆっくりと止まる。
河川敷の桜の並木道、夕焼けと桜の舞う光景はとても綺麗だった。
「……何言ってんだよ、奈々子。僕は何もしてないぞ?ホントだ、信じろよ?」
真面目な顔をしてこちらへ振り向く彼。
自転車から降りると乱暴に彼は私の肩を掴む。
「知ってる。亮太は何もしていないんだ。でも、今なら前に亮太と別れた子の気持ちが分かる気がする。どうして、亮太と別れたいと思ったのか。誰にでも気のある素振りしすぎで不安になるの」
「意味がわかんねぇよ。奈々子、説明しろよ!?」
「亮太は女の子にモテるからいいわよね、ってことなのよ。亮太は女に節操がなくて誰にもいい顔をする。だから、貴方を好きな人はたくさんいるの。私もひとりだっただけ。亮太にとっての特別じゃなくて、そのひとりでしかないの」
何を言ってもこの気持ちの距離は縮まる事はないんだ。
「……だから、別れるってか?何だよ、お前は信じてくれないってことか?」
「違う、信じるとか、信じないとかそういうんじゃないの。嫌なのよ。私だけじゃない。亮太の恋人になる子はきっと同じことを思ってきたはず。貴方の傍は心地いい、けれど、それが寂しくもある……ごめんなさい、別れて」
彼はただ私の事を睨みつけていた、あまりにも呆気ない別れを告げる私を……。
「僕にどうしろって言うんだ?どうすればよかった?」
「……他の女の子に気のある素振りを見せないで。積み重ねられると些細なことでも気になるの。私にはそれが耐えられなかった。亮太の事は好き。その気持ちは今でも変わらないわ。けどね、一度おかしくなった心はどうにもならないの」
少しずつひび割れてしまった心を繋ぎ合わせるのが遅すぎた。
私は彼が好きだからこそ、傍にいる事が辛い。
「私は亮太の幼馴染でいた方が幸せだったのかもしれないわ……」
「奈々子。僕は違う、初めは確かに愛とか恋とか適当に考えてた。だけど、奈々子と付き合って恋愛について本気で考えるようになった。やりなおそうぜ?今ならまだやり直せる範囲だろ?奈々子……?」
「戻れないよ。ごめんね、私の我儘だよ。こんなの……ひどいよね。ごめんなさい」
彼が好きで、好き過ぎて、だからこそ、私は……。
「――さよなら、亮太」
そんな短い言葉で別れを告げていた。
最後に一言だけ、こう言ったんだ。
「できる事なら、幼馴染の頃に戻ってくれない?態度とか関係とか距離感とか全部。無茶なお願いだってのは分かってる。考えて、ダメならそれは仕方がない」
「バカ言うなよ……戻れると本気で思ってるのか」
「私は……戻れるよ。それが今の私達にとって1番いいと思うから」
それ以上の会話はお互いにできず、離れていく。
瞳から溢れていく涙、嗚咽を漏らして私は泣いていた。
他に方法はあったんじゃないか。
別れる必要なんて何もなかった。
そう考えている自分がいる、けれどこれでよかったんだと思う自分もいるの。
私の初恋は終わろうとしている。
「ひっく……うぅっ……」
今はただ心の痛みに耐えるしかできない。
我慢できなかったのは私の弱さ、気にしないと、信じ続けると決めていたはずなのに。
「……何だ、奈々子か。お前は何で泣いている?」
住宅街を歩いていた私の前に現れたのは和輝だった。
「さっき、亮太の様子が変だったし、お前ら何かあったのか?また喧嘩か?」
その当時、和輝は私と亮太が交際していた事を知らない。
「この気持ちを終わらせる方法、あるじゃない……」
私はこの時、愚かな行為をとってしまう。
誰も幸せになれない、痛みを誤魔化すだけの方法。
「何でもないわ。ねぇ、和輝。亮太に“新しい恋人”ができたのって知っている?」
「は?あぁ、そういや、最近、また何か女が出来た雰囲気ではあるな?」
亮太は自分の恋愛を和輝に語ることはほとんどしない。
和輝自身、恋愛ごとにまるで興味がないからだ。
きっと初恋すらしていない、だからこそ私は彼を“利用する”。
私の弱さを隠すために、亮太の未練を断ち切るために。
「和輝か亮太、どちらか迷ったんだけど、亮太は先に恋人出来ちゃったから。私と付き合ってよ、和輝。ね?幼馴染同士、仲良くしましょ」
和輝はきょとんとして「付き合う?」と聞き返す。
「そうよ、恋人同士になりましょう?」
「奈々子、ワケ分からない事を言うなよ。俺が恋愛に興味ないことを知ってるだろ?付き合うなんてできない」
「だって悔しいじゃない。あの亮太に恋人が絶えずいるのよ?」
「お前だってこの前、ていうか、今も付き合ってる奴がいたんだじゃないのか?」
和輝は私を見つめてそう言う。
「その恋人なら……もう“ずいぶん前”に別れたわよ?」
「そうなのか?付き合うねぇ……考えたこともなかったな」
嘘をついて彼を騙す、それが必要だから……。
「誰でもいいってその選ばれ方は不本意だが悪くない。まぁ、俺もひとりくらい付き合ってみてもいいかな。その相手が奈々子なら付き合いやすそうだ」
「なら、OK?仲良くしましょう」
「いいけど、俺でいいのか?他にいい奴なんてどこにでもいると思うけどな」
「和輝だからこそいいのよ。お互いの距離感が分かりあっているのは和輝でしょう。長い付き合いだからこそ、分かることってあるじゃない?」
誰に言われなくても自覚している、私は最低な女だ。
中学3年の春、私はひとつの恋を終わらせる。
そのために私は嘘をついた、自分にも、大事な人たちにも……。
その時はそれがいい選択だと思っていたの。
けれど、その選択が私にとって苦しみをもたらせることになるのは当然の結末だったのかもしれない。
ほんの少し涙で潤む瞳でみた夕陽はぼやけて見えたんだ――。