第21章:裏切られた想い《後編》
【SIDE:結城和輝】
「……亜美ちゃんはどうしたんだろうか」
高熱を出して倒れてしまった彼女を寝かしながら俺は考えていた。
彼女がなぜ雨の中で濡れてしまったのか。
折り畳み傘が鞄の中に入っていたからだ。
「それに愛を信じられないってどういう意味なんだ?」
意識を失う瞬間に彼女は小声でそう呟いた。
亜美ちゃんに何かあったのは間違いない。
「んにゅ……亜美ママは?」
眠い目をこすりながら麻尋が部屋へとやってくる。
普段、亜美ちゃんと麻尋は一緒の部屋に寝ているが今日はこの状況のため、俺の部屋へ彼女を寝かしている。
「亜美ちゃんは風邪を引いているから麻尋は今日はパパと一緒に寝るぞ」
「やだ、亜美ママといっしょがいいのっ!」
「……ホントに麻尋は亜美ちゃんが好きなんだな」
「大好きっ。亜美ママはやさしいもんっ」
この子を見ていると亜美ちゃんに対しての信頼感がよく分かる。
俺は何とか麻尋を説得して、彼女をベッドに寝かしつける。
いつも亜美ちゃんなら5分もかからずしてしまえるのに、俺だと15分以上もかかってしまった。
彼女のすごさを感じるよ。
「すぅ……」
眠りにつく麻尋の寝顔を見ながら布団をかけてやる。
この子はホントに実の母親のように亜美ちゃんを思っている。
それは亜美ちゃんが麻尋を本当に愛してくれているからだ。
愛を与えてくれなければ子供は応えてくれない。
「彼女はこの子にとって必要な存在なんだな」
俺は隣の部屋で寝ている亜美ちゃんの氷を変えてあげようとする。
その時、俺の携帯電話が鳴り響く。
リビングに置いてあった携帯電話に出ると、その相手は……。
「……奈々子?このタイミングで?」
すぐに電話に出たら奈々子は涙ぐんだ声をしていた。
彼女と付き合いは長いがこれほど弱り切った彼女は初めてだ。
「何があったんだ、奈々子?」
『……亜美はそちらに帰ってきている?』
「亜美ちゃんならさっき帰ってきているが?雨にびしょぬれで風邪を引いて寝込んでいる。悪いが電話を代われないぞ」
『代わらなくていいわ。そんな勇気ないもの。そう、風邪を……全部、私のせいね』
「お前らの間に何があったんだよ。仲良かったんだろう?」
小さな頃から姉妹同然に暮らしてきたふたりだ。
どう考えても喧嘩なんてするはずがない。
『私はずっと嘘をいたから。亜美を傷つけてしまった……あの子だけは傷つけたくなかったのに。ひっく……うぅっ……』
電話から聞こえる声は涙でかすれている。
「何があったのか知らないが、想像はできる。亮太と一緒にいたところでも見つかったか。それで……亜美ちゃんと揉めたのか?」
奈々子の亮太に対する想い。
俺達が付き合うきっかけになったのは、奈々子の失恋からだ。
まぁ、いろいろとあったなと思い返す。
暗黙の了解で幼馴染の中では話をしないようにしていたことが亜美ちゃんを傷つけた。
大体の話の流れは理解する。
亜美ちゃんは奈々子と亮太の過去を知らない。
だからこそ、ショックだったんだろう。
「お前ら、またよりでも戻していたのか?」
『……っ……』
「俺が言うセリフじゃないが、別に構わないと思うぜ。離婚して、別れた相手が誰と付き合う事になっても、それを止める権利は俺にはないからな。俺だって亜美ちゃんとこう言う仲なわけだし。問題は亜美ちゃんか。どこまで話した?」
『私と亮太が昔、付き合っていたと言うだけ。それ以上詳しく話す前に彼女と別れてしまったから……まだちゃんと話せていなくて』
亜美ちゃんに隠していたわけじゃないが、話せずにいたことはある。
「いいか。この件について亮太はどれだけ理解している?」
『何も理解していないわ。多分だけど、亜美の交際相手が和輝だって事も知らないようね。今日の反応を見ていたらそう感じたもの』
「……そちらの方はもう少し黙っておいてくれ」
何気にアイツは妹の事になると不器用な兄心ってのがあるからな。
交際の事実を知られると別の意味でもめそうだ。
まずは亜美ちゃんと奈々子の件を何とかしないと……。
「しばらく、大人しくしておけ。心の整理っていうのか、とりあえず落ち着け。近いうちにふたりがゆっくり話ができる場を作る。いいな?」
奈々子は「分かったわ」と頷いて電話を切る。
亜美ちゃんとの問題は簡単に解決できるも問題ではない。
今はお互いに考えるだけの時間が必要だ。
「人間、誰だって過去くらいあるさ」
生きていれば、苦しい思いもしてきて当然だ。
俺は亜美ちゃんが眠る部屋に入る。
そこには目を覚ました亜美ちゃんが気だるそうに天井を見上げていた。
ベッドから起き上がる力はないらしい。
「目が覚めたんだね。どう、大丈夫?」
「……ごめんなさい。迷惑をかけてしまって」
「いいんだよ。風邪を引いているみたいだ、薬を飲んでゆっくり休んで」
亜美ちゃんの額に乗せるタオルを代える。
「ねぇ、和輝さん。聞いてもいいですか?」
「ん、何をだい?」
「……私の事を愛してくれていますか?」
うつろな瞳で彼女は俺に問いかけてきた。
それがあまりにも真剣に聞いてくるから逆に心配になる。
「当然のことだろう。俺は亜美ちゃんが好きだよ」
「和輝さんを信じてもいいんですか?人を信じても裏切られて、その痛みがこんなに辛いなんて……」
「裏切ってない。奈々子は亜美ちゃんとを裏切っていたわけじゃない。信じてあげてくれ。ちゃんと話をすれば……」
「だったら、どうして黙っていたんですか!?私だけ、何も知らなくて……兄さんと奈々子さんの関係も全然知らなかった。教えてくれなかった、それって……悲しいですよ。私は怒っているんじゃありません、ただ悲しいんです」
奈々子が亜美ちゃんに言えなかったのは理由はふたつある。
ひとつは、その関係が純粋な恋愛関係ではなかったこと。
もうひとつは、奈々子が亜美の前では“いい姉”のままでいたかったんだ。
「奈々子は亜美ちゃんが好きだ。本当に妹のように思ってる。だからこそ、言えなかったんだ。決して騙したり、裏切ったりしたつもりはない」
「……奈々子さんが本当は亮太兄さんが好きだったとしたら、和輝さんの事はどうなんですか?何で兄さんではなく、和輝さんと付き合ったり、結婚したり、麻尋ちゃんが生まれたりしたんですか?二人の間に愛はあったんですか!?」
声を荒げた彼女は、けほっと咳きこむ。
感情的になっている彼女を俺は落ち着かせたくてその身体を抱きしめようとする。
「――やめてくださいっ」
だが、彼女に俺は拒まれてしまう。
「誤魔化さないでちゃんと答えてください。和輝さんと奈々子さんの間には愛情はあったんですか?それが知りたいんです」
「愛情は……あったと思う。同情だけじゃなかった。結果的には離婚とかそう言う結末になったけど、俺と奈々子は後悔していない」
「分かりません。私にはそんな“意味のない”恋愛なんて……」
やがて、熱にうなされる彼女は再び眠りにおちた。
熱のせいで感情的になっていただけのようだ。
俺は眠る彼女の頬を撫でた。
「ごめんね、今まで黙っていて……」
亜美ちゃんの恋愛は一途すぎる。
だからこそ、きっと俺達の事は理解なんてできないんだろう。
それでも理解してほしいと思うのはエゴなのだろうか?
「意味のない恋愛か。そうかな。俺には意味はあったと思う」
ちゃんと話さなきゃいけないことなんだ。
それが亜美ちゃんにとっても、大切なことだから。
俺と奈々子、亮太の3人にとって忘れられない出来事。
それは14歳の夏から始まる初恋の記憶――。