第19章:悲しみの雨に打たれて
【SIDE:志水亜美】
私にとって愛している男の人、それはずっと結城さんだった。
優しい年上の幼馴染のお兄さん。
そんな彼と今は同棲する仲になり、そして、私は彼に言われた。
自分の横に立って笑っていてほしい、と。
込み上げてくるのは「私でいいの?」という疑問。
本当に私でも結城さんにとって大事な人になれるの?
私は自分の想いにいつも自信がなかったの。
彼を好きな気持ちに偽りはない。
けども、彼から愛される自信はないの。
いつだって彼の大切な人は奈々子さんだと思っていた。
再会して恋人になれてからもずっとその不安はあったの。
だけど、彼の口から想いを伝えられて私はすごく嬉しかった。
私の存在を認めてもらえた、それが何よりも嬉しく思えた。
彼にとって私も愛してもらえる人の中に入れたんだ。
それに「名前で呼んで欲しい」、というその意味は簡単だった。
将来のこと、ちゃんと考えてくれているんだ。
私達の関係にも未来はあって、繋げてくれるその優しさ愛しい。
結城さん、改めて和輝さんと私はこれから呼ぶことにする。
「それじゃ、今日は友達と外食してきますから、夕食は作っておいたものを温めてください。ごめんなさい、和輝さん」
「いいって。そんなの気にすることないからさ。大体、今までだって亜美ちゃんには無理させてきたんだから。そんなに気にしないで。たまにはゆっくりと遊んでくればいいよ。麻尋、今日はパパが保育園に迎えにいくからな?」
「えぇーっ。パパが?亜美ママは?」
「亜美ちゃんはちょっと用事があるんだよ。今日はカレーを作ってくれるそうだ」
そう言うと、カレー好きの麻尋ちゃんはにこっと可愛く笑う。
「麻尋ちゃん、カレーが好きだもんね?」
「あいっ。甘いカレーが大好きなのっ」
夏休みの間、実家の方に帰っていた美代子がこちらに数日だけ戻ってくる。
そのため、今日は外食しようと誘われていたの。
女性に人気のフランスレストランが予約できたんだって。
私は朝から食事会を楽しみにしていた。
夕方になって、少し辺りは薄暗くなりつつある。
今日の天気予報は曇りのち雨、所により強い雨が降るでしょう。
念のために折りたたみ傘は持ってきたけど、降らないで欲しいな。
「美代子、こんばんは」
お店の前で美代子と待ち合わせをしていた。
彼女はこの前買ったばかりの服を着ている。
「こんばんは。ここのお店って中々予約できなくてねぇ。苦労したんだよ」
「そうなの?でも、彼氏さんとは来ないの?」
「うーん。そう言うお店じゃないから。女性を客層にしているお店だから、女性向けのメニューが豊富なの。男の子と来る場所ではないわ。それに、今、私の彼氏はアメリカに旅行中だからさ。全然会えていないわけ」
確か美代子の彼氏は学部違いの同級生、海外旅行とは結構すごい。
「アメリカってすごいのね?」
「ただの旅行好きよ。日ごろから彼女の私にプレゼントなんてしてくれないくせに、自分だけバイトで貯めたお金で旅行するの。高校生の時からしていたみたいよ」
「あっ、それ分かる気がする。和輝さんもね、よくうちの兄と一緒によく分からない場所に旅行していたもの。どこかの山奥にある幻の温泉とか、何とか伝説のある洞窟とか、兄いわく、男のロマンだって言っていたわ」
「ロマンねぇ。まぁ、私との旅行も夏休みが終わる前には予定を立ててくれているからいいんだけど。無事に帰って来てくれる事を祈るしかないわ」
美代子は苦笑気味に「ていうか、外人と浮気されないか心配」と言う。
それは置いといても、やっぱり男の子は旅行が好きなんだなぁ。
昔はよく兄さんと和輝さんはふたりで旅行をしていたの。
今は全然そう言う話もないけど、時間があれば行きたいと思ってるんじゃないかな。
時間が来て私達はお店の中へと案内される。
女性向けのフランスレストランというだけあって、内装はとても綺麗だ。
メニューに目を通して私は肉系のコースを選んだ。
値段もこの規模のレストランのわりにはお手頃価格。
私達はコース料理が来るのを待つ。
まずは前菜とスープ、私はそれを食べていると美代子は思い出したように、
「あっ、そういえば、亜美さんの彼氏の元奥さんとは会えたの?」
「奈々子さんのこと?えぇ、会えたわよ。この前、彼が出張中に家に来たの」
「……ちょいと待って。それってかなりの修羅場じゃないの!?」
驚きの声をあげる美代子に私は「別に?」と答えた。
ホントに修羅場なんかじゃなかったもの。
奈々子さんと私は話をすることができた。
「……何かすごいとしか言えないわね。普通ならものすごく修羅場になるはずなのに」
「そう言う仲じゃないもの。奈々子さんはね、昔から私にとっては一番信頼しているお姉ちゃんのような存在なの。正直、不安がなかったわけではないけど、彼女は何も変わっていなくてよかったわ」
奈々子さんと話をできて、私と和輝さんの事も認めてもらえた。
不安があったのは事実、私の事を嫌われたらどうしようって思っていた。
だけど、彼女は優しく私を受けとめてくれたの。
「ふーん。でもさ、彼女の方はどうなんだろう?離婚して、他にいい人とくっ付いていたりして?ありえなくはないでしょ?そっちは亜美とくっついてるんだから」
「そ、それは……そうだけど。何か複雑だなぁ」
私がそうであったように奈々子さんもいい人がいたりするの?
この前はそんな話はしていなかったけど……。
私の前に運ばれてくるメインのお肉料理だ、いわゆる創作系で見た事のない料理でもある。
どれも美味しそうな匂いがする、見た目も綺麗な料理が並ぶ。
「おおっ、噂に違わぬいい感じじゃない」
「そうね。雑誌に載ってるところって当たりはずれがあるけど、ここは当たりのようね」
「ふふふっ、ここの予約に一ヶ月前から頑張ったのよ」
美代子が胸を張って自慢げに言う通り、味もかなり美味しい。
しばらくの間、食事を楽しむことにした。
最後のデザートを食べている最中、思い出したかのように、
「そうだ。麻尋ちゃんだっけ。その子供ってさ、結局のところ、元奥さんが引き取るとか言い出さないの?子供相手だと結構、泥沼化するでしょう?」
「……この前、奈々子さんに会った時はそんな話はしていなかったけど」
「まぁ、揉めなきゃいいけどねぇ」
「もうっ。縁起でもない事を言わないでよ。悪い方ばかり考えてもダメでしょ」
ネガティブな意見に私は苦笑いするしかない。
「悪い方ではなく、現実的な意見と言って。一般的には楽観視できない状況なのよ」
「分かってるけど……お互いに知っている間柄だもの。話し合えば分からないことなんてない。私はそう思っている」
「ホントにそうだといいわね。亜美さんみたいに皆が皆、相手を信じられるわけじゃない。素直に生きられるわけじゃない。そこところ、考えてよ」
私の価値観と世間の価値観は違う。
どんなに信じていても、崩れていくものはあるんだって。
美代子との食事を終え、彼女と別れた私は駅前を歩いていた。
ずいぶんと雲行きが怪しい、雨が降るまでカウントダウン開始かな。
「うぅ、空気が湿っていて嫌な感じ」
ベタベタと張り付くような空気。
雨の直前の空気って気持ち悪いから嫌い。
早く帰ろうと足早に歩いていると、目の前に見知った人の顔が見える。
「……あれ?奈々子さん?」
今は隣町に住んでいるはずの奈々子さんが繁華街を歩いていた。
その隣には誰か男の人がいる様子。
仲良さそうにお店のショーウインドウの服を指さしていた。
「ねぇ、見て。こういう服は私に似合うと思わない?」
「は?奈々子にはちょっと可愛すぎるだろ。自分の歳を考えて……げふっ」
「はい、女の子に年齢のネタは禁止。殴るわよ」
「すでに殴ってるじゃないかよ。しかも、女の子って歳でも……いえ、何でもないです」
男の人とそんなやり取りもするくらいに仲がいいみたい。
奈々子さん、付き合っている人がいたいんだ……。
『でもさ、彼女の方はどうなんだろう?離婚して、他にいい人とくっ付いていたりして?ありえなくはないでしょ?そっちは亜美とくっついてるんだから』
美代子と話していた会話を思い出す。
そりゃ、奈々子さんは美人だしまだ若いんだからそう言うことになるのは普通かもしれないけど……。
個人的には複雑な心境には違いない。
「――えっ!?」
私はそんなことよりも正面から二人を見て気付いた。
彼女の相手、趣味の悪い柄の服を着ているホスト風の男。
『じゃーん、どうよ。この服、僕が夏用に新しく買った服だぞ』
『……趣味悪っ!?そんな服のセンスのなさで何でそんなにモテるかな?』
『失礼な奴だな。亜美、そう言うならお前が僕の服を選べ』
『嫌よ、亮太兄さんの服なんて選びたくない。何を着せても着せがいがないんだもの』
この夏になる前にそんなやり取りを交わした相手、私の実兄である亮太兄さんだった。
女ったらしで学生時代から泣かされた女の子が多い、女性関係に不純な兄さん。
何で、このふたりが一緒にいるの?
ううん、一緒にいるくらいは別に問題はないよね……ふたりは幼馴染なんだから。
だけど、奈々子さんは兄さんと腕を組んだりなんかして恋人のように見えるの。
「亮太兄さん、奈々子さん……」
私は震える声で二人に声をかけた。
「――あ、亜美!?違うの、これは……」
こちらに気づいた奈々子さんの顔色が強張る、隣の兄さんは事態を飲み込めない様子。
静かに降り始める小粒の雨、それは嵐の前触れだったのかもしれない。