第1章:もう少しだけ
【SIDE:志水亜美】
一面が真白い雪の世界。
銀色に輝く光景がバスの窓の外に広がっている。
今日は予定していたスノボー旅行の日。
夜行バスに乗って目的に向かっている最中。
先日の大雪でゲレンデ状態は良好だってニュースで言っていたからすごく楽しみだ。
私の隣の席にいた兄さんはまだ早朝と言うこともあって寝ている。
「綺麗ですね、結城さん。銀世界ってこういう事を言うんでしょう」
「ホントだ。やっぱり雪っていいねなぁ」
先ほどから小声で話し相手になってくれているのは後ろの席に座る結城さんだ。
彼は私より早くに目覚めて、同じように窓の外を見ていたの。
「でも、結城さんにとっては雪は珍しいものじゃないんですよね」
「……毎年のようにスキーとかしているけど、同じ場所っていうのはどこにもないよ。雪質とか雰囲気も全然違うから」
「そうなんですか。あっ、もうすぐ着きそうです」
やがて、バスは目的地の温泉地へと近づいて行く。
普段は見られない雪景色に目を奪われる。
「そう言えば、亜美ちゃんはスキーの経験があるんだっけ?」
「はい。子供の頃に連れていってもらいましたよ。だけど、スノーボードは未経験なんです。下手なのでスクールの方で習います。結城さんは兄さん達と楽しんできてくださいね。私の事は気にしなくてもいいですから」
「スノボーなら俺が教えてあげるから。亜美ちゃんひとりで、なんて寂しいだろう。せっかく来たんだから皆で楽しもう」
きゅんっと胸にくる台詞、何で彼は私の欲しい言葉をくれるんだろう。
欲しい時に欲しい言葉をくれる。
そんな気遣いのできるところも私は好きだ。
「でも、迷惑はかけたくないですし」
「またそれだ。亜美ちゃんの悪いところ。俺たちに気を遣いすぎなんだよ。いいかい、前にも言ったけどキミは俺たちにとっては大事で可愛い妹なんだから。気にしないで我が侭だって言ってくれていいんだ」
そんな風に結城さんに思ってもらえることが嬉しく、私を妹にしか見てくれていないのは寂しくもあるんだ。
「そろそろ目的地につくようだ。彼らを起こしてやらないと」
そして、私にとっては忘れられない思い出ができる旅行が幕を開けた。
ホテルについて準備を終えた私達はゲレンデに来ていた。
そして、私は今、まさにまっ白な雪に埋もれている。
「んきゅ~っ!?」
思わず間の抜けた声をあげてしまう私。
スノボー途中で転んでしまい、冷たい雪の中に顔面から突っ込んでしまった。
本日、数度目の転倒、スキーはそれなりに出来たんだけど、スノボーは勝手が違いすぎるためにミスを連発している。
思うように滑れないことがとても情けない。
うぅ、スノーボードって見た目以上に難しいよぉ。
「だ、大丈夫かい?すぐに助けてあげるから」
「問題ないです、むぐっ……けほっ」
私は顔についた雪を振り払おうとする。
それより先に結城さんが手袋をはずして私の顔や頭についている雪を払ってくれた。
「ありがとう、結城さん。助かりました」
「これくらいでお礼を言われることじゃないよ。怪我はしていない?」
「はい、雪の上ですからそんなに怪我はしませんよ」
「いや、そうでもないよ。下手をすると転んだ時に足を痛めるとか結構するからね。無理はしちゃいけない。ちょっと休憩にしようか。亜美ちゃんも疲れているはずだよ」
完全に私のペースで滑っているので、まだここまで結城さんは満足に自分の滑りをできていないはずだ。
それを申し訳なく思い、「ごめんなさい」と謝罪する。
「だから、謝らなくていいってば。俺は亜美ちゃんと滑ってると楽しいからさ」
私は何とか起き上がると、もう一度ボードをつけ直す。
「スキーと違って重芯のバランスとか取るのもすぐに慣れるはずだから頑張ろうね」
「はいっ。……あっ、そう言えば兄さん達はどこにいるんでしょう?」
あのふたりは私を結城さんに任せて、どこかに行ってしまったの。
正確に言うと、強引に兄さんが「和輝に任せておけばいい」って奈々子さんを連れていったんだよね。
私が結城さんが好きな事を亮太兄さんは気付いているから、あえてそうしてくれた気がするけど、逆に余計な緊張もする。
「さぁ?時間と待ち合わせはしているけど、あのふたりの事だ。時間を守る事もなく昔から俺を困らせてばかりだよ」
まるでダメな弟と妹を扱うような言い方をする結城さん。
実際に兄さんや奈々子さんにとって彼は兄のような存在なんだろう。
面倒見がよくて、優しくて……つい頼りにしてしまう存在だから。
私も実兄以上に彼の事を兄のように思っているもの。
レストランで休憩中に私はふと二人っきりということで尋ねてしまう。
今まで聞きたくても、聞けなかったこと。
それは結城さんと奈々子さんとの恋人関係についての事だ。
温かいホットココアを飲んで身体を暖めながら私は言った。
「……どうして、奈々子さんと付き合うようになったんですか?」
「え?あ、あぁ。その話?ははっ、何か照れくさいな」
微笑する結城さんはそれでもちゃんと答えてくれた。
「奈々子と付き合い始めたのは俺たちが中学3年の時だった。亜美ちゃんは7つ違いだから8歳ぐらいの頃だったかな」
「はい。私が小学2、3年の時だったはずですよ」
今でも覚えている、結城さん達が恋人になった事の報告を受けた日の事。
まだその時は私も彼を好きになっていなかった。
だから、姉と兄のように慕う2人の交際を素直に喜んでいた。
「どちらから好きだって言ったんです?」
「気になる?告白自体は奈々子からだったよ。今は好きだけど、その時はまだ恋に憧れていた状況だったのかもしれない」
「……恋に憧れる、何となく分かる気がします」
「そっか。ちょうど亜美ちゃんも中学生で同じ年頃だっけ」
私が彼を好きだと自覚するのはそれから何年もあとの事だ。
初めから諦めている恋だったの。
憧れだけではなく好きだって気づいた時、初恋相手の結城さんには、ずっと前から付き合っている奈々子さんがいたんだ。
ふぅ、と結城さんはコーヒーのカップに口づけて、
「あれからもう6年か。彼女とも長い付き合いだよ」
「やっぱり、将来的には奈々子さんと?」
「どうかな。何かそういう雰囲気は今のところないね」
意外にも奈々子さんと同じ言葉が返ってくる。
「うぅ、奈々子さんと同じことを言ってます」
「そう?アイツも同じことを言ってたか。でも、結婚ってそういうものだと思うんだよ。こう言う事を言うのもアレだけど、今付き合ってる子が将来もずっと傍にいるとは限らないじゃないか。結婚に踏み込むのは難しいって」
「……嫌なんですか?奈々子さんとこんなに長く付き合ってるのに」
結婚とかに憧れる私がまだ子供なのかな。
何だか現実という事を思い知らされた気がしていた。
「そういうわけじゃないよ。嫌なわけじゃない。ただ、お互いにそういう気にはまだなれないってだけだから。亜美ちゃんも大人になったらよく分かるって」
そう言いながらも二人の仲はめちゃラブなんだよね。
何ていうかお互いの距離感を分かりあってるていうか。
そう言うのを見せつけられるのは嫌だな。
「むぅ……私にはまだ理解できそうにないです」
「亜美ちゃんは恋愛とかしているのかい?」
「ふぇ!?れ、恋愛は、その……」
張本人に言われるのって結構辛いって……ぐすんっ。
結城さんのその態度に私は仕方なく頷く。
「好きな人はいますよ。とても気になっている人がいます」
「亜美ちゃんもちゃんと恋をしているんだ」
「誰だって恋にだって興味くらいありますよ」
子供の私なんて彼にとっては奈々子さんがいなくても、相手にしてもらえない。
そう言う事を考えてしまう。
「……どういう相手が好きなんだろう。亜美ちゃんの好きな人って学校の子?」
「違います。いいじゃないですか、誰だって……。ただ、その人はとても優しくて、温かい人なんです。いつも頼りにしています。でも、本人にその自覚はなくて、私の気持ちなんて全然気づいてくれない鈍感さんなんです」
勝手に鈍感扱いはひどいかな。
だけど、少しでもこの想いに気づいてくれたらいいのに。
彼の優しさは勝手に期待を抱かせてしまうんだ。
「どちらにしてもいい恋をすればいいよ、大切な初恋なんだから」
「大切な初恋。私はまだちゃんとした恋がないので、分からないです。そろそろ行きませんか?身体も温かくなりました」
「そうだね。体力も回復したみたいだし、行こうか」
冷え切っていた身体の調子もよくなったのでまた頑張ることにする。
彼が乾かしていた私の帽子を取ってくれた時に手が触れあう。
「……ん?どうかした?まだ冷たい?」
「いえ、何でもないです」
そのわずかな触れ合いいですら嬉しく感じてしまう。
初恋って言うのはこういうものなの?
好きな人の何気ない言葉や行動に一喜一憂してしまうんだ。
「次は転ばないように頑張りますよっ」
「転んでもいいけど、怪我をしないように」
「……あははっ、善処しますね」
私達は再び雪の積もるゲレンデへと出ていくことにする。
もう少しだけ、この初めての恋を体験させて欲しいな。
今、一緒にいられる時間を私は大切にしたいんだ。