第15章:優しい初恋の想い出《前編》
【SIDE:志水亜美】
夏本番の8月になって私も大学初めての夏季休暇。
大学の夏休みは2ヵ月近くもあり、ずいぶんと楽しめそうだ。
私は夏休みを機会に両親にある事を提案していた。
だけど、その前に猛反対する人がいたわけで……。
「ダメだっ!絶対にダメだ、兄として僕は許さない」
「何で亮太兄さんがそこまで反対するわけ?」
「何も言わない、どうぞ行ってらっしゃい的な微笑ましい家族が憎いのだよ。ここは家族のひとりとして反対しておくべきだろう。というわけで、断固反対するぞ」
「意味分かんない。私も大学生、ある程度の自由は与えてもらっていいはずよ」
両親の説得に成功したものの、最後の壁に立ちふさがれている。
リビングのソファに面と向かって座りながら私に説教をする兄さん。
社会人のクセに暑いからと有給をとって休んでいるらしい。
「それがアルバイトなどする程度なら許す。だが、いきなり彼氏と同棲したいから家を出て行くってどういうことだ?」
「そのままの意味よ。私は彼と一緒に暮らすと決めたの。向こうもそれをOKしてくれて、両親も認めてくれた。何が問題あるの?あるなら言ってみてよ」
「大ありだ!いいか、同居と同棲は違うんだぞ。同居は一緒に暮らすだけだが、同棲は結婚を前提にした暮らし方だ。亜美、お前……悪い奴に騙されているんじゃ」
心配そうな顔をして言うので、私もあまり強く反論できない。
「何よ、同棲の何がいけないっていうの?」
「お前、そこまでその男が好きなのか?」
「当然じゃない、大好きよ。それに、ようやく恋人同士になれたの。誰にも邪魔なんてさせないんだからっ」
私と結城さんの関係を邪魔するのなら兄であろうと許さない。
まぁ、相手が結城さんだっていう事を告げる勇気はないんだけど。
「ちょっと待て、ようやくって言ったか?つまり、今まで通い妻のごとく、身の回りの世話をしてたのは恋人ではなかった時の話か?お泊りしたりしたのも?何て野郎だ、男としてそんなふてぶてしい野郎は許さんっ」
「もうっ、意味分かんないし。亮太兄さんは私の邪魔をしないでよ」
年が離れている分、あまり喧嘩もしないけど、今日という今日は私もイラッとする。
こんなに頭の固い人だなんて思わなかった。
自分は自由気ままに生きているくせに。
「大体、お前はまだ大学1年だろ。男と同棲なんてリアルに3年早いぞ。お兄ちゃんとして出来ちゃった結婚だけは許さんぞ。学生結婚なんてもってのほかだ」
「そんなことないもん。結婚なんて……すぐにできそうじゃないし、無理っぽいし、期待してないもの。今は恋人になれただけで幸せなの。誰に何と言われても私は彼のところにいく。はい、お話はお終い。じゃぁね、亮太兄さん」
「おい、こらっ。まだ話は終わって……あっ!?」
私は一瞬の油断をついて、脱兎のごとくその場を逃げ出す。
そのまま用意していた荷物を片手に家を出ることにした。
ホント、今さら過保護になられても迷惑だってば。
昔は私のこと、あんまりかまってくれなかったくせに。
……それとも、何か心境の変化でもあったのかな。
兄心を未だに理解できずにいる妹、そういうものなのかもしれない。
「結城さん、本日からお世話になります」
「歓迎するよ、亜美ちゃん。むしろ、こちらがお世話になる身だ」
やってきたのはここ数カ月、通いなれた結城さんの家。
今日からしばらくの間、私はここに住むことになる。
一応、期間は夏休みが終わるまでと決めているけど延長もあるかも。
「えっと、一応、亜美ちゃんは奥の麻尋の部屋を使ってくれ」
「はい。あの、結城さん、さっそくですけど、この洗濯機が壊れてます。これ、修理できる範囲じゃなさそうですけど?」
家の中のチェックは以前からしていたけど、暮らすとなれば話は別だ。
私はいろいろと指摘してみることにした。
まずは洗濯機、どうやら中古品を買ってきたらしく色々とガタがきている。
話に聞けば、結城さんが独り暮らししていた時のものらしい。
「ホントに?そう言えば最近、調子悪かったなぁ。寿命ってやつか。よしっ、今から買いに行こうか?他にも家電で必要なのがあれば言って欲しい」
今まではなくても、何とか代用してきたものもこの際、購入すると言う事になった。
私としてはすでに気分は新婚さん気分。
幸せいっぱい、夢も満ち溢れている。
そして、何より私にとっては大切な存在がここにはいるもの。
「亜美おねーちゃん。きょうからいっしょにすむの?」
麻尋ちゃんがこちらをつぶらな瞳で見上げていた。
「そうだよ。私は麻尋ちゃんのママ代わりになるの。よろしくね」
「うんっ。それじゃ、亜美ママって呼んでもいい?」
いつかはそんな未来を望みたい。
だからこそ、願いを込めて私は頷いた。
「いいよ、麻尋ちゃんが私の事をママだって思ってくれたら嬉しいもの」
「やった。おねーちゃんがママになるんだぁ」
無邪気に喜んでくれる麻尋ちゃんにちょっと涙が出そう。
隣の結城さんは何とも言えない複雑な顔。
照れくさそうな感じで「いいんじゃないか」と鼻先を指で撫でる。
さっそく、お買いものに出かけた私達は家電量販店で必要な家電を購入したり、夏用のお布団を買ったりと必要最低限のものの準備をする。
その途中、大型ショッピングモールで麻尋ちゃんの洋服も選んでみた。
「これなんてどうかな?麻尋ちゃん、どう?」
「うにゃぁ。いいよ、かわいいーっ」
「よかった。気にいってもらえたみたい」
花柄のワンピース、ピンク色がよく麻尋ちゃんには似合っている。
「へぇ、可愛いじゃないか。俺はダメだな。女の子の服のセンスが悪くてよく麻尋に怒られているよ。可愛いと思う感じが違うのか、乙女心とは難しい」
「だって、パパのえらんでくれた服は“じみ”なんだもんっ」
「それはすみませんでした、これからは亜美ちゃんに選んでもらおうかな」
「はい、任せてください。ねぇ、麻尋ちゃん。他にも可愛い服を選んであげるよ」
憧れの幼馴染のお兄さんだった結城さんとついに恋人になれた。
その事実は私に彼に対しての引け目がちな遠慮も少しは改善した。
今までとは違う、一歩踏み込むための勇気が欲しくて。
今、彼の横にいるのは奈々子さんじゃなくて私なんだ。
そう思ったら、ちょっとだけ前に進めた気がしたの。
それを手に入れた私は自分から二人の間に入り込もうとしている。
いつの日か本当の家族になれたらいいな。
買い物を終えて、夕方になった頃。
「んぅ、亜美ママ~っ、お腹がすいてきたよ」
「ホント?そろそろ食事時ですね、結城さん」
「確かにそうだな。友達に借りた車も返しに行かないといけないし、そろそろ夕食にするか。麻尋、何が食べたい?」
「あのね、ハンバーグがたべたいっ!」
彼女の好物でもあるハンバーグ、家でもよく作るけどホントに好きなんだ。
元気よく答える麻尋ちゃんに結城さんは「ちゃんと野菜も食べれろよ」と笑いかける。
彼女は人参が苦手だけど、ピーマンとかは普通に食べられる。
私の子供の頃とは大違い、偏食しないのはいい傾向だ。
好き嫌いのない子に育ってほしい。
そんな事を考えてしまうのは、私が麻尋ちゃんの母親になりたいという本心からかな。
「それじゃファミレスか。確か国道沿いにあったはずだ」
私達がファミレスに移動した頃はすでに夕暮れも過ぎていた。
夏の夜空はほんのりと明るい青さを残した薄暗い夜。
「いただきますっ」
麻尋ちゃんがハンバーグを食べるのを眺めつつ、私もドリアをスプーンですくう。
うーん、ファミレスの料理でも最近はすごく美味しい。
「あむ、あむっ……おいしー」
「ゆっくりとよく噛んで食べるんだよ、麻尋ちゃん」
「あーい。ん、このソース甘いのっ」
お子様ランチじゃ嫌だと、大人と同じハンバーグを食べる麻尋ちゃん。
子供にしては大きめのハンバーグを口元にソースをつけながら食べている。
味付けは店員さんに頼んで、子供用のものをかけてもらっている。
私はそっと彼女の汚れた口元をウェットティッシュでふいてあげた。
「ちょっと変わってるだろ、麻尋。なぜか知らないけど、子供っぽいのは好きじゃないらしい。前にお子様ってついたら不機嫌になるくらいだ」
「そうなんですか。麻尋ちゃん、早く大人になりたいのかも」
「まだ4歳なのに?そういう自覚って芽生えるものなのかな」
それは私にも分からないなぁ。
私が子供の頃はお子様ランチ特有のチキンライスの上に立った旗が好きだった。
そういうのを麻尋ちゃんは好まない、嫌いな理由は分からない。
「ねぇ、麻尋ちゃん。どうしてお子様ランチはダメなの?」
「だって……ママがダメだっていってたもん。お子様っぽいのばかりたべてたら、おーきくなれないよって……だからたべないの。はやく、おーきくなりたいから」
ママ、と言ったのは私じゃなく、奈々子さんの事だろう。
私も結城さんも顔を見合せて苦笑いをする。
「なるほど、理解した。アイツ、そういや自分が子供の頃嫌いだったからって、麻尋にまで変な事を教えてたな」
「奈々子さん、お子様ランチが嫌いだったんですか?」
「……まぁな。幼いころに亡くなった妹を思い出すって言った」
「あぁ、そういうことですか……奈々子さん」
奈々子さんの妹はまだ幼い、ホントに麻尋ちゃんぐらいの年齢で亡くなった。
その過去が辛いのは仕方ないよ。
「それを麻尋にまで押しつけるのはどうかと思うんだが。まぁ、今は過去だ。麻尋、デザートは欲しくないか?パフェとかあるぞ?ケーキにするか?どれでもいいんだ」
「うーん。亜美ママはどれがいい?いっしょにたべようよ」
「私?そうだねぇ、それじゃ、このイチゴのパフェにしようか?」
「うんっ!あまいの、大好きなの~っ!」
明るい少女の笑顔の裏に、奈々子さんの影がちらりとよぎる。
それが嫌だとは思わない、だって麻尋ちゃんは奈々子さんの子供なんだもん。
それでも、事実としてそれは私の前に突き付けられることがある。
だから、心の奥底でどこかそれを受け入れたくない自分がいたんだ――。