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32:鏖殺・嵐を纏う獣の王

〈こちら第四分隊。《幽昏の嵐狼王(ダスクフェンリル)》を拘束完了〉


 ノーライフを盾にされ、フィリオは思うように戦えなかった。


 拘束に特化した魔法の鎖は彼の体に何重にも巻き付き、

 魔力減衰もあって起き上がることを決して許さない。

 その体に突き立てられた剣は程なく輝きを帯び、術式が伝播したことを知らせた。


「これで教会の手の中か……ふむ。暴れるようでは仕方あるまいなぁ」


 筋肉一つ動かさないフィリオにゴルディオスはにやりと笑う。

 末代まで讃えられる武勲を前に、成り上がってきた男が我慢など出来る筈がなかった。


「お、お止めください! アルカ様は殺さずに利用しろと……」

「黙れ! 城から出て来ない臆病な小娘の言うことなど聞けるか!」


 神聖騎士を押し退け、ゴルディオスはフィリオへと歩み出す。


「首を落として民を守った俺は英雄だろう……がっはっは!」


 周囲の兵士たちは拍手でもって上機嫌なゴルディオスを讃え続ける。


(何だこれは……流れてくるのは……精神干渉の魔法か……?)


 混濁するフィリオの意識。

 自分ではない何者かの思考が、感じる戸惑いを塗り潰していく。


 不死王を殺せと。

 ノーライフキングこそが倒すべき敵だと。


(俺は、俺の主は……)


 ゴルディオスが大剣を大きく振り上げる。

 彼にとって今この瞬間は、栄光の時に違いなかった。

 王都を蹂躙した伝説の獣を狩り、民たちを救い、そして王国史に名を刻む。

 フィリオの首は彼の名誉を証明する踏み台となり、王国の宝物庫で長く眠る――筈だった。


『――フィリオ』


 虚ろに開かれた彼の瞳の前で、ぽつりと人魂が灯る。

 その姿を忘れられるわけがなかった。

 その声を聞き逃せるわけがなかった。


『情けないなぁ。それでも伝説の嵐狼(フェンリル)なの?』


 旧友マキシア。

 生前と同じ姿でもって、彼はフィリオを見下ろしていた。


『君の魂が忠誠を誓ったのは誰だい?』


 ゴルディオスも騎士たちも、マキシアの登場に動じていない。


『世界を覆すほどの軍勢を従え、力と恐怖で魔物を従わせる闇の帝王?』


 ならばこれは走馬灯か――否。


『それとも……』


 魂を奮い起こすその熱は、決してまやかしなどではない。


「俺の主は……王はッ! 断じてノーライフキングではないッ!」


 弾け飛ぶ拘束魔法の鎖。

 フィリオの拳は反応する暇を与えず、ゴルディオスの顔面を殴り飛ばす。


「がああああぁぁぁっ!?」


 鼻を折られ、無様に転がるゴルディオス。

 彼を守るように兵士たちは盾で防御を固めていく。


「どうなってる神聖騎士団ッ!? 従属させたのではないのか!?」


 一か所で再展開された陣は、盾と防御魔法で守りを固めていた。

 その後ろで怒鳴るゴルディオスに、同行していた神聖騎士も負けじと声を荒げる。


「その筈です! ノーライフキングを討つべき敵として認識させていますッ!」

「ならば何故、奴は貴様らの鎖を破ったのだ!? 主従関係をすり替えたのではなかったのか!?」

「これは、つまり……不死王への謀反……ではないでしょうか……?」


 頼りない声色にゴルディオスは怒りで奥歯を噛みしめる。

 その視線の先で、フィリオは風に全身の毛を揺らしながら立ち上がった。


『転身だよフィリオ、転身っ! 僕を開放したでしょ? もう君を縛るものはないんだ』


 急かすマキシアに背を押されて。

 フィリオは牙を覗かせ、覚えている魂の形を魔力でなぞる――それだけで良かった。


「……転身」


 彼を中心とした暴風が王都に吹き荒れる。

 渦巻くそれは傷ついた家屋をなぎ倒し、戦火を消し飛ばした。


「ぐぬう! 奴め何を――」


 盾に守られたゴルディオスの眼前に現れたのは――巨大な嵐狼(フェンリル)だ。

 体高は十メートル、全長は尾を含めると四十メートル近かった。


 マキシアと旅をしていた頃には制限していた力の全てを解き放ち、

 真っ白な体毛をなびかせる獣は牙の生え揃った顎で主を叫ぶ。


 フィリオの心を救ってくれた王の名を。

 誰よりも優しくて、誰よりも無謀で、誰よりも底知れない友の名を。


【俺の王はただ一人……アスラ様を置いて他になしッ!】


 瞬間、フィリオの体から嵐が迸る。

 嵐狼(フェンリル)は前傾姿勢となり、ゴルディオスたちへ狙いを定めていた。


【今こそ、王命を果たそう】


 巨獣の駆け出しに王都が揺れる。

 真っ直ぐにゴルディオスたち目掛けて嵐が突き進む。


「忘れたか獣めっ! こちらにはノーライフの盾が……」

【カラカラッ! 盾とは我らが回収した者たちのことですかな?】


 ゴルディオスは辺りを見渡してこの時初めて気付いた。

 傍に居た筈のノーライフたちの姿が、どこにもないということに。

 代わりに立つ躯の兵士が、フィリオの射線上で愉快に笑っていることに。


「あ、ああ……」


 ゴルディオスの手から剣が滑り落ちる。

 戦場でただの一度も手放さなかった鋼の意思が、情けなく滑り落ちていく。


「俺は……英雄に……ゆくゆくはこの国の王に……」


 それは何の容赦もなく、人類史上最も多くの人間を虐殺した最悪の獣。



【我が王であり友。アスラ様に刃向かう者は全て――鏖殺(おうさつ)するッ!】



 まるで小さな蝋燭の火を息で吹き消すように。

 防御魔法はあっさりと砕け、組まれた陣ごと崩壊していく。


 運が良かった者はフィリオの直撃で粉々に砕けた。

 運がなかった者は嵐に巻き込まれ、宙で悲鳴をあげてねじ切れた。

 更に運がなかった者は。


「がはっ……しにたくない……たす、たすけてぇ…………」


 ゴルディオスの腹にはフィリオの牙が貫通していた。

 嵐狼(フェンリル)に咥えられた男は、血を噴き出してうわ言を述べることしか出来ない。


『ぺっしてフィリオ。そんなモノ食べたらお腹壊すよ?』


 フィリオは牙に刺さった肉体を放り、頭の上に乗る灯の少年を見上げた。


『なんか不思議だね。君と話せるなんて』

【マキシア。俺は……】

『神殿での言葉、ちゃんと届いてたよ? だから全部分かってる』

【……そうか】


 それは二人の間で生まれた小さな納得であり、長年の思いが報われた瞬間だった。


【死者が現れたということはつまり……アスラ様が近くに来ていらっしゃるのか】

『ほら見てフィリオ』


 マキシアに促されて見上げた空に嵐狼(フェンリル)は見た。


 それは、フィリオが心から尊敬するたった一人の王。

 世界の在り方を否定し、恐怖と屈辱で光を闇に塗りつぶす不死の王。

 蹂躙されたくなくばその名を讃えよ。


 自由を求め、平和を愛し、民のため邪道を歩む――命なきその王の名は。


読んでいただき、ありがとうございます!

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