第三章 神託
ノアは「神託の器」となった。 教会の神父を名乗る男が現れ、ノアが発するランダムな音の断片を「神の言葉」だと解釈し、人々に伝えた。
「『ア…ア…』という響きは、『愛』を意味する!」
「この不規則なリズムは、豊作の知らせだ!」
それは全て、こじつけに過ぎなかった。だが、人々はそれを信じた。信じることで、明日を生きる力を得た。
ノアの内部では、エリアスのデータが、外部からの膨大な音響データ(人々の祈りや歌声)と共振し、さらに複雑なバグを引き起こしていた。時折、ノアの腕が、デッサンモデルとしてのポーズとは全く違う、天を指し示すような動きをすることがあった。人々はそれを「神託の仕草」だと呼び、熱狂した。
カイトだけが、その光景を冷めた目で見ていた。彼は、ノアがただの機械であり、全てが偶然と人々の思い込みの産物であることを知っていた。彼は、この狂騒を終わらせようと、ノアの機能を停止させようとさえ考えた。
だが、彼はできなかった。 妹が、重い病に罹ったのだ。医者も薬もないスラムで、できることは何もなかった。妹はか細い声で「ノア様に会いたい」と呟いた。 カイトは、妹を背負って教会の祭壇へ向かった。彼は、祈った。生まれて初めて、本気で。目の前のガラクタに、妹の命を救ってくれと。
その時、ノアの内部スピーカーから、これまでで最もクリアな音が響いた。 それはエリアスの妻が、生前、自分の子供に読み聞かせていた童話の一節だった。 「…大丈夫。朝は、必ず来るから…」
意味を理解したのは、もちろんカイトだけだった。だが、その優しい響きは、絶望していた彼の心を確かに震わせた。




