残火
風が強く吹いていた。
東京湾沿い、かつて国の中枢だったビル群のほとりに、誰もいないベンチがぽつんと置かれていた。
そこに、ユウとカズキが座っていた。
ふたりは今、「国家指名手配」の逃亡者だった。
告発の影響は予想を超え、国際メディアも沈黙を保てなくなった。
一部のNGOが動き出し、政府内でも“制度派”と“再編派”の分裂が始まっていた。
だが、決定打は──まだなかった。
制度の廃止には、記録局原本の公開が不可欠だった。
それは「誰が」「なぜ」「どのように」人間の寿命を制度化したかの全記録。
だが、公開すれば、
国際的な制裁・金融崩壊・治安の悪化など、甚大な混乱を生む可能性があった。
ユウは、海を見ながら言った。
「なあ、カズキ。もし、お前が“この制度の中枢”にいたら……
自分で、止められたと思うか?」
カズキはしばらく黙ってから、答えた。
「正直、止められなかったと思う。
この制度は“正義の仮面”をつけてたからね。
最初は、社会を守るためって言ってたはずなんだ。
でも──気づいたときには、人が“数字”にされてた。」
ユウは、小さく頷くと、懐から最終データキーを取り出した。
藤堂から託された、記録局原本を開くための唯一の鍵だった。
「これを世界に出すかどうか、決めるのは──もう、俺たちじゃない方がいい気がしてる」
「……つまり?」
「“未来に生きる奴ら”が決めるんだよ。
俺らは、ただ“選べる余地”だけを残す。それでいい」
その夜、遠く離れた小さな離島。
少女が、火のついたロウソクを海に流していた。
周囲に人はいない。
ただ波音と風の音が、遠くでうねる。
彼女はフードを脱ぎ、海の先に目を細める。
七瀬ソラ。
国が発表した“自死”も、“安置された遺体”も──すべては偽装だった。
公安内の一部反対派職員が、密かに彼女を脱出させ、身元を消した。
ソラは今、“この国にいないことになっている”。
だが彼女の中では、あの日の叫びが、ずっと生きていた。
「命って、本当は、“自分で選べるもの”なんです」
彼女は、船に乗り込む。
誰にも行き先を告げずに。
どこかで、「自分で生きる」ために。
数年後
制度は、形を変えて残った。
70歳通知制は撤廃されたが、代わりに「自己終末意思登録制度」という任意の選択制が導入された。
それでも、多くの人々が依然として“国家の目”を恐れていた。
だが、ある年の春。
とある高校の卒業式で、1人の女子生徒が壇上でこう語った。
「私は、選びます。
誰かに決められた人生じゃなくて、
自分で決めた“私の生”を。」
それは、七瀬ソラのかつての言葉と酷似していた。
そして彼女は言った。
「生きていていいって、誰かが言ってくれたから。」
一つの制度が生まれ、一つの声がそれに抗い、
やがて世界は少しずつ、変わる余地を持つようになった。
それは革命ではなかった。
戦争でもない。
ただ、“言葉”が灯した火が、今もどこかで静かに燃え続けている。
七瀬ソラという火種は、
今も誰かの心の奥で、
「自分で生きていいんだ」と言い続けている。
この物語はフィクションです。
実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。